伝通院墓所の墓塔を順に見ていく。
清雲院殿心誉光質大禅定尼
徳川家康の側室。万治三年(1680)年、80歳にて逝去
変形五輪塔。
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傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼
伝通院殿墓の隣に並ぶ墓所
奥(左)より 伝通院殿、大誓院殿、貞松院殿、松壽院殿
大誓院殿心誉寿栄大禅定尼
徳川家康養女(松本藩主松平(戸田)康永女)諷姫
大垣藩主戸田氏鉄室
承応三年(1654)歿
貞松院殿照誉高月大姉
大多喜藩主 本多忠朝女 千代姫
大多喜藩主 本多政朝室
寛文七年(1667)歿
「女 本多甲斐守政朝妻 寛文七年丁未九月三日卒、法名貞松院照誉高月凉心」(断家譜四)
大多喜藩主本多政朝はのちに姫路の本家当主本多忠刻(千姫の夫)の死去により本家を継ぐ。
千姫の縁でここにあるものと思われる。
松壽院殿桃誉栄紅大姉
寶永七年五月四日 (続柄 不明)
徳川家に縁のある女性と思われるが該当なし。
興安院殿豊誉天清陽山大姉
徳川秀忠四女 初姫
出雲松江藩主 京極忠高室
寛永八年(1630)歿
5つの墓所は隣接しているがこういう場合は最初からスペースを考えて作るのだろうか?
清雲院殿心誉光質大禅定尼
徳川家康の側室。万治三年(1680)年、80歳にて逝去
変形五輪塔。
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傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼
伝通院殿墓の隣に並ぶ墓所
奥(左)より 伝通院殿、大誓院殿、貞松院殿、松壽院殿
大誓院殿心誉寿栄大禅定尼
徳川家康養女(松本藩主松平(戸田)康永女)諷姫
大垣藩主戸田氏鉄室
承応三年(1654)歿
貞松院殿照誉高月大姉
大多喜藩主 本多忠朝女 千代姫
大多喜藩主 本多政朝室
寛文七年(1667)歿
「女 本多甲斐守政朝妻 寛文七年丁未九月三日卒、法名貞松院照誉高月凉心」(断家譜四)
大多喜藩主本多政朝はのちに姫路の本家当主本多忠刻(千姫の夫)の死去により本家を継ぐ。
千姫の縁でここにあるものと思われる。
松壽院殿桃誉栄紅大姉
寶永七年五月四日 (続柄 不明)
徳川家に縁のある女性と思われるが該当なし。
興安院殿豊誉天清陽山大姉
徳川秀忠四女 初姫
出雲松江藩主 京極忠高室
寛永八年(1630)歿
5つの墓所は隣接しているがこういう場合は最初からスペースを考えて作るのだろうか?