
文字の蔵飾り
吉和地区にある民家土蔵の蔵飾りで政の字が表された蔵飾りがみられた。当家の表札をみると苗字の一字ではないようなので屋号の一字であろうか。

吉和小学校上分教場跡
中津谷地区にある吉和小学校上分教場跡で昭和39年(1964)に廃止となったようである。現在跡地には廿日市市消防団第10分

教龍寺-旧妙音寺墓碑
教龍寺本堂裏手にある墓地の一角には明治期に衰退して廃寺となっていた妙音寺の墓碑が中国自動車道吉和インターの設置でこの墓地に移設された。この墓碑群の中には西中国山地で挽造活動してい

教龍寺の梵鐘
昨日紹介した教龍寺には二口の流転の梵鐘がみられる。鐘楼に吊り下げられている梵鐘は刻銘によると寛政11年(1799)に広島城下の妙慶院の梵鐘と

教龍寺
石原地区の長い石段を登った所にある教龍寺で、古い時代は西福寺という禅寺であったようで、その後真宗に改宗して寺号を教立寺と

吉和支所複合施設整備の今
吉和支所・吉和市民センター吉和保険センター吉和歴史資料館吉和地区の吉和郵便局隣接地では老朽化し分散している市吉和支所・吉和市民センター、吉和保険センター、吉

蔵飾りが ‼
吉和地区にある民家の土蔵の蔵飾りで、かつて上画像のような市域では最高傑作とみられるような漆喰細工の蔵飾りであったが現在は下画像のような状態である。すでに母屋は崩

茅葺き屋根民家
市域にある茅葺き屋根の民家は市重要文化財に指定されている浅原地区の安井家母屋と吉和地区のM家のみであるが、M家の屋根の痛みが相当進んでいるようである。上画像は昨

茅葺き屋根民家が薄鉄板葺屋根に
吉和地区にある民家で昨年8月に訪れた時には茅葺屋根であったが、先日訪れてみると薄鉄板葺きの屋根となっていた。今時期茅の確保も難しく茅葺き職人も地域にはおられない

稲ハゼ
一昨日吉和地区を訪れたら稲刈りが行われて稲掛けのハゼの準備をされていた。近づくことが出来ない場所であったので画像から見ていくと親から習ったような組み方でなくハゼ杭は二股と縦杭の交

吉和へ
桐の花、八重桜、水仙の景色を眺めながら、春と初夏の自然を感じに吉和へ。ウッドワン美術館...