前回、急行「大社」、交通公社(現在のJTB)の時刻表を見て記事を書きましたが、同じ号(1981年3月号)の時刻表にはまだまだ変な急行があります。
▲以前「勝田電車区まつり」に行った際に撮影した勝田駅。撮影の翌年頃に建て替えられてしまいました。
今回は表題の「つくばね」。
これは一日一往復、上野と水戸または勝田を結んだ急行でした。
(下りが勝田行き、上りが水戸始発)
しかしこれは常磐線の急行ではありません。
東北本線の急行なのです。
上野から小山の東北本線~水戸線の短絡線を介して水戸線経由で勝田まで行くという、かなり変な経路です。
小山に停車しようとすると小山で方向転換が必要になるため、短絡線を通って水戸線に入るような運転経路で、このため時刻表では「||」の記号、すなわち「経由しない」ことになっています。
そして、小山の一つ手前、間々田駅に停車します。
間々田駅を利用されている方には失礼ですが、間々田は現在では快速すら停車しない、およそ主要駅といえる駅ではありません。
これは、どうもかつて「つくばね」と、小山から両毛線に入る「わたらせ」が連結して走っていて、「つくばね」の小山での方向転換を避けるために間々田駅で両者を切り離していた名残のようです。
さらに変な要素として、「つくばね」、水戸線に入って最初の停車駅である結城駅で、急行運転を止めて普通列車になってしまうのです。
名前の由来「筑波嶺」の玄関口である岩瀬駅(当時はここから筑波鉄道に乗り換えて筑波駅(現在のTXのつくば駅とは全く異なる場所)に向かうことができました)に着く前に急行列車であることを止めてただの普通列車になってしまう。
古くは水戸線内も急行だったものが、下館まで、さらに結城までと、急行区間が徐々に短縮されていった結果です。
▲手前の455系は訓練車の白帯が入っていますが、このような交直両用の急行型電車が使用されていたようです。
こんな変な急行ですが、東北新幹線開業時にはまだ生き残ることになります。
新幹線が大宮から上野まで延伸した昭和60(1985)年についに廃止となってしまいました。
運転時刻を見るに、朝に上り(上野行き)、夕方に下り(勝田行き)が設定されていたので、今で言う通勤ライナー的な需要があったのかもしれません。
しかし、1981年当時の東北本線の他の急行列車群と比べると、急行運転の区間の短さが際立っています。
車両が交流電化区間である勝田電車区持ちなので(東北本線は直流電化の小山までしか走らないので当然といえば当然)、小山で編成の向きが変わるのを是が非でも避けたかったのでしょうが、小山に停まらず間々田に停まるというのも目を引きます。
(ちなみに水戸線は小山駅と隣の小田林駅の間で直流から交流に電化方式が変わります。)
また、この短絡線を定期旅客列車が使用していたというのも、今では隔世の感です。
(もっと言えば、小山はおろか、大宮さえも通過する特急列車が多数あったのも、埼京線で池袋や新宿に直結するようになって大宮の地位が上がった現在からは考えられませんね。新幹線になったことで停車駅が増え、速達性と利便性を両立できている事実だけで見ると新幹線もまんざらでもないですが、やはり旅情が失われてしまったのは寂しい限りです。)
余談ですが、この「勝田電車区まつり」に行った当時は、455系も常磐線の水戸以北では普通列車として当たり前に見ることができました。
▲水戸駅にて。いわき行きの普通列車。
上野駅で「間々田経由」とプレートの付いたこの電車に好奇心から乗って見て、不思議な電車だなぁと思いました。
当然、通学定期の経由地と違うので違反だったんですが、間違えて乗ったということで…
もう時効ですよね(笑)
急行電車なのに終点に着く頃は普通電車だったので急行料金も払ってなかったかも・・・ゴメンナサイm(_ _)m
そういえば、上野発の常磐線の最終電車は車両だけは急行の車両を使ってたな。
ただし、こちらは堂々と普通運賃で乗れました(^o^)b
貴重な体験談をありがとうございます!
昔はのんびりした時代でしたからね。
サボには「間々田経由」と出ていたとは今考えると凄いですね。
急行形を使用した普通列車も上野から出ていたのですね!
私も「つくばね」、乗ってみたかったです。