団塊の世代が大学進学した頃が学生運動が
最も盛んな時期とある。
自分より10歳上の年代。
著者・映画監督の代島治彦とは1歳違いの自分
1967年10月8日、羽田・弁天橋で18歳の若者が死んだ。ベトナム反戦を訴えるデモの中で当時京都大学1年生だった山﨑博昭が殺された。
その日から55年の年。
まだ学生はヘルメット被って無かった頃。
機動隊もジュラルミンの盾は持っていなかった。
警棒は樫の木で棒の中には鉄芯が入っていた。
死因は学生が奪った装甲車両に轢かれて死んだとなっているが、遺体解剖では身体はキレイな状態。(お兄さんが解剖に立ち会った)
警棒で殴られたのが本当の死因と言われている。近くで山﨑さんの頭から血が噴き出すのを見たと同級生他が証言している。
団塊の世代とは
1947年〜1949年(昭和22〜24)の3年間に生まれた第一次ベビーブーマー。
(現在の年齢72歳〜75歳)
この3年間の年間出生数は260万人を超えていた。
(2021年の出生数81万人)
この世代の人達は文化的な面、思想面的な面で共通していると言われている。
両親は戦前・戦中・戦後を体験しているのも要因のひとつなのか。
高校生(進学校)が反戦集会 受験生 ひとクラス50人 大学進学率10%
内ゲバで百人以上死亡
ゲバと聞くと左卜全と子供達が歌った「老人と子供のポルカ」の曲が頭の中に流れ出す。(ズビスパーパパパヤー♫やめてケレやめてケレ...ゲバゲバ・ジコジコ・ストスト)
ゲバルト・事故・ストライキの犠牲になるのは老人と子供だと言う歌詞。
1970年に大ヒット!翌年左卜全他界。
1960年代末異常に発熱したこの時代に身を置いてみたかった。
石の二つや三つ投げただろうか?
それとも村上春樹の様に一線を画していたか?