ある春の日、市内大手町にある寺島蔵人邸へライトアップされた満天星を見に行った。
その時この本が置いてあり
いつか読もうと思っていました。

寺島蔵人は藩政批判をして三度も咎められた。
文政元年(1818)藩主斉広(なりなが)の始めた「御国民成立仕法」で「百姓は米を食わぬよう」とされた時は、米を食べられない民がいるのを藩主は恥としないのか、藩主は民のために存するのではないか、と痛烈に批判。大塩平八郎の乱には「尤も」と共感。能登島に流刑となるが批判精神はそのまま、ボロを着て「ちょぼんしちべた(尻)」を出す少女にまで視線を注ぐ優しさも最後まで失わなかった。江戸期の政治とは何か、現代社会に通ずる根源的な問いをめぐる物語。
加賀藩の流刑地は富山の五箇山か能登の能登島の二箇所、能登島は五箇山より刑の軽い人が流された。
寺島蔵人は藩の重役から疎まれて流されたようだ。
能登島に住む家が建てられ、下僕と住んだ。
蔵人邸前

朝、門は閉まっています。

お休みなさい。