東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
また、震災で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。
僕は、震災当時は池袋のサンシャインの地下にいて、揺れ方から大きな地震だとすぐにわかりました。
1995年1月の阪神淡路大震災の時、海外で生活していたのですが、所用のため震災の前日に帰国して、大阪の先輩の家に泊めていただいていました。
大きな縦揺れでたたき起こされ、全身に鳥肌がたって必死で逃げました。
当日夜、どうしても東京にいかなくてはならない用があり、関西空港発の羽田行きの最終便がキャンセル待ちで何とかチケットが取れて何とか乗った飛行機が離陸した時、窓から見える神戸の明かりが電気の明かりではなく、火災だということがすぐにわかり、一生忘れない衝撃を受けました。
地震の直後、震源地が東北の三陸沖と知り、激しく揺れた池袋からの距離から、それがとてつもなく規模の大きな地震だとすぐにわかりました。
自宅はテレビが倒れ、食器がすべて割れ、棚がひっくり返り、まだ片付けられていません。
会社では、物流センターが甚大な被害を受け、東北地方、茨城県にある主要工場も操業不能となり、混乱していますが、幸いなことに全員無事が確認でき、先週末から必死で動き回り何とか来週から営業を再開できる見通しになりました。
震災の夜は、社員を順次帰宅させ、僕は朝まで会社に残り、朝4時頃会社をでて、いけるところまで電車でいき、その後は徒歩で帰宅しました。帰宅に約6時間かかりました。
その後、何とか体調は崩さずに頑張っています。
毎日通勤困難者で帰宅困難者ですが、仕事の役割から出社しないわけにはいかず、タクシーと電車を乗り継いで何とか出勤し、帰りは電車に乗るまでに行列に並んで帰宅しています。
それでも、被災地の方々の精神的、肉体的なご負担、ご苦労を考えれば自分の多少の不便など大したことはありません。
今の僕にできることは大したことは何にもありませんが、とにかく今救援活動を必死で頑張ってくださっている方々の邪魔にならないよう、節電を徹底して買いだめを控えます。
コンセントはテレビを観る時以外はすべて抜き、家の中ではジャケットを着て暖房を使わないようにし、冷蔵庫、冷凍庫に入れなければならない食材は使用をやめて、外出する時はブレーカーを落とし、外や会社では階段を使っています。
あとは気が付くことがあれば都度実行していきます。
それから、嬉しいことに海外の友人、知人からメールで僕ら日本人のことを想ってくれる気持ちをたくさん伝えてくれて涙がでそうになりました。
微力しかないのはわかっているけど、俺が日本を復興させるんだという気概を持ってやっていこうと思います。