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生命論的世界観で社会を見る 中村桂子・JT生命誌研究館名誉館長 2021.6.17

2021-06-27 16:08:51 | 科学

生命論的世界観で社会を見る 中村桂子・JT生命誌研究館名誉館長 2021.6.17

「生命誌」を提唱した中村桂子氏の講演

ゲノムを基本に人間を含む様々な生きものの関係や歴史を読み解くための学問「生命誌」を提唱した中村桂子・JT生命誌研究館名誉館長が登壇し、生命科学の観点から新型コロナウイルス後の社会や今後の生き方について話した。
司会 坪井ゆづる 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞)

◙この動画は要約よりは長い記事になっています。
個人的に注目した部分の書き起こしです。口述から分かりやすくするため改変した文章があり、個人的解釈のため間違っている可能性があります。

◆ウイルスは死の受容と同じように社会的受容を必要としながら収束することを願う。
科学は国境なく進んでいくものとの認識だったが、今回のコロナでは様々な問題が生じ、ワクチン開発についても、あまり日本が活躍できなかった。1970年代の組み替えDNA研究では、各国が国際協力して進めていた。しかし今回のコロナでは、政治、国、企業の問題、特許についても問題がある。(ブログ筆者私感ー利害対立のなかで科学は国際協力をして進められなくなっている)

◆「生命科学」はLifescienceと訳されるが、本来は別な意味である。
日本で生命科学という言葉が誕生したのは1970年代である。それまでは人間は人類学であり、生物として扱うことはなかった。しかしDNAを使えば人間を生物として研究できるようになったことから、これを生命科学と命名し科学が人間を研究できるようになった。
同じ年のアメリカでは「がんとの戦い」プロジェクトが始まった。これは生物学と医学を合わせた(biomedicin)の分野を Lifescience となづけた。生物学と医学を科学的に研究して生命倫理まで深めた。
当初日本では生命科学は生物を主体にして研究が進んだが、現在日本での「生命科学」と呼ばれる分野はLifescienceの分野になっている。本来の日本型生命科学研究者は極めて少ない。

◆私達は科学技術で利益を生み出し、生活は便利になっていく。しかし人間は自然の中にあっての生き物である。この金融資本主義に支えられた科学技術が進むと、自然そのものと、人間の身体と心(時間、関係性)内なる自然が破壊されていく。原発についても未解決のままだ。一方、東日本大震災に見るような自然の脅威によっては、金融資本、科学技術を含む人の生活が破壊される。コロナも自然の脅威である。

◆17世紀に考え出された「機械論的世界観」だけで21世紀を考えていってもいいのだろうか。人間を自然の一部として考えることは重要だ。

◆地球上の生物で分かっているのは180万種類のみで、おそらく数千万の生物が存在するし、生物の多様性がある。これらの生き物は全て細胞とDNAを持っており、祖先細胞はただ一つの細胞から枝分かれしたことは明らかになってきた。この生き物の全体像を調べることは大変重要であり、全ての生物は38億年がなければ存在しない。これらに下等生物、高等生物の別はなく、あらゆる生き物が38億年の歳月を費やしている。
◆さらに言えば、人間は生物の頂点ではない。「地球に優しく」というのは不遜な言い方だと思う。人間も多様なの生物の中で、他種生物との距離を保ってお互いの関係を整えていく中で、人間も人間らしく生きる視点を持って生きていくのが本当のホモ・サピエンスだと思う。

◆私-利己ではなく私達-利他の意識を持つこと。ひとりの私から家族、日本、人類、生物、宇宙へと私達は広がっている。私は私達の中にある。個々の生き物は生存のために戦うが、東日本大震災やコロナなど思いがけない自然災害に立ち向かうとき、「私達」の意識を持たないと生き物の世界で生きていけない。また内なる私の中にも無数の細菌が生息している。そういう微生物がいないと私ではない。最近でバクテリア(細菌)だけが私達を支えているだけでなくウイルスも常に体内に存在していることが分かった。バクテリア(常在細菌)は数兆個だが、ウイルスは380兆個いるという研究もある。それが私達である。
◆私は両親からもらったDNAを持っていると認識してきたが、自身に生息するバクテリアやウイルスもDNAを持っている。人の遺伝子は2万から2万5千個だが、微生物の遺伝子合計のは約150倍も存在している。これらの遺伝子を含む総体が私達である。この仕組みを、生き物の世界で生きる私達はコロナを知ることによって分かってきた。

◆従来の「機械論的世界観」では、利便性を目的として構造・機能を考え、生産は均一で効率的に追求され進歩してきた。対して生き物の世界では「継続性」が最も重要で得意だ。なにせ38億年続けてきたからだ。これは効率より過程が必要で、歴史と様々な関係性を保ちながら多様性を持って進化する。

◆生命論的世界観を持った上で機械を使っていくことの重要性
◇哲学者の大森荘蔵さん「知の創造とその呪縛」より
「世界観」とは日常的なこと
元来世界観というものは単なる学問的認識ではない。
学問的認識を含んでの全生活的なものである。
自然をどう見るかにとどまらず、人間生活をどうみるか、
そしてどう生活し行動するかを含むワンセットになっているものである。
そこには、宗教、道徳、政治、商売、性、教育、司法、儀式、習慣、スポーツと
人間生活のあらゆる面が含まれている。

◆生命論的世界観から見て、違和感、問題を感じる言葉
・「ポスト・コロナ」コロナとの戦いに打ち勝って、コロナのない生活をイメージした言葉だと思われるが、ウイルスのような他の生き物と共有しているものは、これからも存在し続ける前提の賢さを持って生きる必要がある。
・「SDGs」(sustainable development goals)ここで使われているdevelopmentという言葉は、本来内発的に発生したとう意味である。中にある素から生まれる何か。そこにある土地、文化から内発的に生まれる自然の能力、そういうものを「展開」させていくことが本当のdevelopmentである。今普通に使われる意味での「開発」では、一律に効率的に行う機械論的な開発の意味として使われる。本来の意味でdevelopmentを使うべきだと思う。また、進化はevolutionと訳されるが、evolution、development、ともに内発的なものを多様性を持って展開する意味を持っている。これが生き物の持っている概念である。sustainable developmentを本来の意味でいってほしい。(ブログ筆者私感ー通常使われるSDGsでは継続性を考えたとしても、一律な開発の意味で使われているのは問題だ)
・「グローバル(社会)」地球的という意味で、本当はその地球の中それぞれの地域に特徴があり、それぞれの多様性を持って、皆が上手に生きていくことで結果として一体化していく意味だが、現代のグローバル化とは、ある価値観で一律に均一化して進める意味で使っている。
・「脱炭素」実は、人間も含めて生き物はすべて炭素化合物であり違和感がある。人工光合成の研究もなされているが、実用的レベルではない。植物はこの光合成をいとも簡単にやってのける。CO₂低減だけに注目して脱炭素を叫ぶのではなく、生物界のなかで炭素の上手な循環を考えるべきだ。38億年前おそらく海の中から最初の生物が生まれ、その後まもなくして光合成をする藍藻シアノ・バクテリアが生まれた。こんなことは人には出来ない。しかも38億年永永と、他の生物を支えてきた。
◆たとえば樹木を考えたときに光合成をしてくれる重要な場所だ。地球上には大規模な森、中米から南米、アジア、アフリカには大きなグリーンベルトあり、地球を支え得ている。熱帯林のなかには「鍵の木」(キープラント)と呼ばれる木がある。その木には一年中実がなっている。そこには虫も、動物も、他の植物も果物が成っている。例えばマレーシアの熱帯雨林では野性のイチジクに必ず、小さな蜂が入っている。その名もイチジク小蜂だ。イチジクに生息する2mm程度の蜂だが、実の中は外から囲まれていて蜂の子を育てるのには大変具合の良い場所だ。成虫はここに卵を産み付ける。卵から生まれた小蜂がオスならば、生まれてからイチジクの実の皮に穴を開けて死んでしまう。生まれたメス小蜂は雄が開けた穴から外に出て移動するのだ。生物学を学んでいるとオスはかわいそうな運命を辿ることが多い。イチジクの実は、実のようにみえるが花だ。イチジクからメスが離れるとき花粉をつけて移動する。
◇山火事があって最初に生えてくるキープラントはイチジクだ。なぜならどこにでも実が落ちているからだ。この木があってこその豊かな森になる。その木にはいつも小さな蜂のおかげで実がなっている。人間が2万本植樹するのは大変なことだが、何百億本の樹木を支えているのは、この小さな蜂だともいえる。

◆地球上の多様な数千万種の内、昆虫が70%位を占めており、その次が植物だ。昆虫と植物により地球の基本が作られている。人間が手を下さなくても地球の基本は作られている。それをベースにしてその中で私達は人間らしいものを作っていくべきだ。

◆「工学」は論理に基づきコントロール可能で、不確定要素があるとすれば統計と確率に支配され、予測可能である。しかし「生物」の世界ではそもそも、ブリコラージュ(つぎはぎ)の偶有性で成り立っている。「想定外」が常である。これが有る意味で生物学の面白さであると思う。

◆私達の社会も少しこのような余裕を持ちながら、単に新しい物の競走ではなくて、続いてきたものの面白さを殺さず、コロナと予測不能な世界と付き合うことになった機会を活かして、改めて考えてみてほしい。

◆機械論が描く未来社会は、生物工学(合成生物工学)、サイボーグ工学、非有機生物工学によって世の中を変えていく世界である。わたしはこれを強く望まない。未来に渡っても有機炭素化合物の面白さは活かしていきたい。

追記 生物の面白さを示す興味深い例 
◆タコの研究
タコのゲノム(細胞のDNA情)を調べたところ、他の魚類と比べて遙かに大きく人に近いことがわかった。他の無脊椎動物の2倍以上なので、何らかの原因で2倍に増えたのではないかと思われていたが、そうではなかった。人間は30億、タコは27億のゲノムを持っている。特別な能力があるわけではないが、何かの可能性はあるかもしれない。

◇タコの遺伝子は、どのような遺伝子を持っているのか調べたところ、タコしか持っていない遺伝子が発見された。そのゲノムの中にはどんな機能を持ったタイプがあるかを更に調べたところ中枢神経系すなわち脳に関係するゲノムが多数あった。脳にしかない脳で働いている特殊な遺伝子があるが、人間には58個に対してタコは168個持っていることが分かった。タコの方が賢いとかそういう意味ではないが、このゲノムが何に機能しているのか非常に興味深い。
(ブログ筆者紹介図書ーキャサリン・ハーモン・カレッジ著 高瀬素子訳 「タコの才能」太田出版)


◆コロナと生きねばならなくなった体験を活かして、いつでも競走だけでなく、私達、生き物たちの広がりの中で生きる選択を考えてみるべきではないだろうか。

質疑応答省略



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