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エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

不確実な未来は現実の儚さの反映

2016-04-13 14:52:56 | エッセイ
私が応援していた三宅ひとみさんが、芸能界を引退しました。何か芸能界引退というと一般社会におけるいわゆる企業や個人の終焉のようなネガティヴな印象のあることですが、私はこの4年ほどのアイドル応援を経て考え直して感じたのは、芸能界引退は決してそのようにマイナス要因の多いことなのではなく、いち個人における思索やその先にある価値や意味を掴むためのきっかけとして肯定要因も非常に多い再出発なのではないかということです。
例えば、休養をすることで見失っていた価値観に気付いたりします。また自分の歩んでいた道が難しい方向にいっていたとしたのなら、その軌道修正をしたりと長いスパンで物事を捉えるのなら、むしろ肯定要因が多い決断なのではないかともいえるのです。波風を立てないことが一つの美徳として現代から過去から日本社会では奨励されうるのですが、様々な社会システムがヨーロッパやアメリカといった西欧に近似してきている状態では、時としてネガティヴな要因にも西欧の個人としての自我の発露を優先させるという手法を取り入れていくことが、和魂洋才における矛盾が引き起こすであろう窮屈さなどを回避しなるべくセイフティーに物事を運ぶことにも繋がるのではないかと私個人は思うのです。
なので三宅ひとみさんが芸能界を引退したことはショックではありますが、三宅ひとみさんがこれからより自分らしい道に沿うて生きるには必要な英断だったのではないかということで、これからも心の何処かでは応援しつづけていますし、また私の頭の片隅みにはたぶんアイドリング!!!で三宅ひとみさんが魅せた幾つかの素晴らしいパフォーマンスやblogでの楽しみまたは、あらゆるところであったであろう彼女自身のエンターテインメントがあって忘れることはないのです。ということで三宅ひとみさんの芸能界引退をポジティブに私自身は受けとめたいと思っています。
blog記事では私なりの現実の曲解などもあるかもしれませんが、私自身にできることは、これからもこのblogを書き続けていくことです。もしくはたとえこのblogがなくなったとしても机の上で紙に字を綴ることを日々続けることです。
三宅ひとみさん、お疲れさまであるし、おめでとうだし、さよならだし、また会おうだし、綺麗だねだし、可愛いねだし、ひぃちゃん可愛い(≧∇≦)だし、未来はたぶん明るいねだよ!ということです。
そして私、34歳は先の見えない不安とまた日々向き合うことにただ戻り邁進するしかできないのであります・・・。
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書くことってやはり難しい

2015-09-18 11:57:16 | エッセイ
このblogでもたびたび触れたアイドリングというグループが2015年10月31日で全員卒業してしまう。アイドリングについてblog記事をよく書いていた2年前は、10kgくらい痩せていたし、たぶん書くことには現在の自分よりも貪欲だった。アイドリング全員卒業してもアイドリングの関係各位の方々が良い感じになればいいなぁ~(≧∇≦)というわけで、久しぶりにフランクな感じで行くぜよ!!
ところで、インターネッツでこちゃこちゃと調べていたら、丁寧語だけで書くのが→敬体、そして普通語(断定形かな?!)だけで書くのが、常体と言うらしく、それらをあまり把握していなかった自分が文学界新人賞の予選も通らなかったのは当然だったなと、確信したのです(´Д` )!
だけれども丁寧語と普通語が入り混じったほうが書きやすく・・しゃべり言葉みたく感じてくれたらいいななんて思うわけで、やはり国語、苦手だなぁなどと自らに納得したのです・・。さて時の流れるのは早いもので、2015年です。しかも9月‼︎!ってことで、東京オリンピックまでもう5年です‼︎! 日本の未来は、たぶんなんとかなりそうですね。
と久しぶりにわけわからん感じでblog記事を書いていたらバテてきた(´Д` )!
突然ですが、
尾島知佳ちゃん可愛い~(≧∇≦)☆♡♪
ファイト~\(^o^)/と良い感じに自分に酔ってきたところでこのblog記事を取り敢えずしめたいと思います。まだいまいち元気がでない~(´Д` )!oh my ガー♪
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たまには真面目になってしまう

2014-05-08 20:58:55 | エッセイ
震災以降に世界が変わってしまったのかそれともそのままなのかわからなくなってしまった。
そしてぼくは何故か、引きこもり生活に戻ってしまった。シャノアールという喫茶店で気分をリフレッシュすることしかできない。
部屋で三島由紀夫を読んだり、メモに感想を書いたりして小説は書かなくなった。やはり文学は難しい。
日記を書くことに最近なんだか楽しさを覚え小説を書くことに疲弊している。
ぼくの神経症は和らいだが、小康状態を保つのに時間がかかってしまう。
三島由紀夫は森鴎外の明晰さに憧憬を抱き続けたらしく、左脳を酷使して読む感じがしている。五木寛之や吉本隆明や三浦綾子のエッセイを読むとそのバランスは均衡に近くなる。個人としての実感だが、難しい本と易しい本をセットで読むとなんだか自転車で何kmもサイクリングするくらいすっきりする。汗をかいたらお茶を飲んで、気付け薬として醤油を一口飲むと身も心も引き締まる。
もっぱらリラックスにはXbox360のゲームが効果的でコンピュータに負けてばかりでもストレス発散にはなる。
なんだか偉そうな生活訓示めいたことを書いてしまった。やはりぼくは文学に於いても未熟者だ。ゆっくりだかセイフティーファーストにこれからもそんな静かな幸せな生活をして生きたいと思っています。
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まとまりのあまりない独り言(つぶやきを引き伸ばしました)

2013-08-20 23:40:25 | エッセイ
やっぱり自分はラーメンよりカレーだな。ラーメンは容器が熱過ぎて重過ぎて非力な自分にはなにかと大変(>_<)
ラーメンならカップヌードルしか最近は食べてないかも。
犬気質なのに猫舌なんです。ラーメンは大学生のときに1時的にはまって店を食べ歩きもしたけど、それ以来ずっとカレーだな(^-^)
風呂なしアパートに1人暮らししていたときは体重が減って痩せたのにいまではアマチュア相撲バデーに。つぶやいたのを試しに引き伸ばして見たのだけれど、あまりうまく書けないな。

夏に痩せる予定が2kg減っただけ´д` ;
Oh my ガー

サッカーゲームのウイニングイレブン2009も4年もやって飽きてきた´д` ;
でも新作あまり出来が良くないのだ。

最近は映画の メリーに首ったけを久しぶりに見たり、何本か映画などをみました。 本は社会科学系の新書とエッセイと宮沢賢治のよだかの星を読んで、よだかの星は9ページくらいの掌編小説だったのかと再読して気付いた。
やっぱりすごく良かった。宮沢賢治の短編集というのか童話集は子供の頃も読んで成人してから読んでもまた得るものがありますな。
コメント (2)
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7月18日(木曜日)生涯学習と手書きで小説まがいのものを創作する事

2013-07-18 21:08:57 | エッセイ
喫茶店で、0.7mmの水性のボールペンで小説まがいのものを書いています。最近、あまり筆の進みが良くないです。既に書いた98枚もiPhoneで清書してみています。清書すると削れていくので22枚の原稿用紙が15枚程にとりあえずなってしまいました(・・;)
足して書かないといけないかもとよく思います。98枚はたぶん50枚くらいになってしまいそうです。
以前の記事で、とりあえず書き出してプラモデルのように組み立てると書いたのですが、とりあえず書いた98枚は中編か短編として小説らしいものとしてのストーリーで書きました。好きな事を散文のように書いた訳ではなく、起承転結を意識しながらストーリーを書いてみました。たしかに余計な表現が多くそれを削っていくとかなり薄い感じになってしまい新人賞にも応募できるかちょっとわからなくなってきました。間に合わなかったら来年の6月30日期限のものに応募はしてみようとは思っていますが、まだ推敲を繰り返して見なければなりません。たぶん僕のような頭が固く、余裕のない人間は小説まがいを書くことにかなり向いてないのかもしれません。
けっこうむかしからとにかく真面目すぎたり、生命力が希薄なのでなんだか公務員かサラリーマンが1番向いてると言われ続けてそれに背いてきました。
だから生涯学習みたいに小説まがいの創作も続けていければそれが良いのかもしれません。たしかにぼくには面白さとか余裕とか楽しさがあまりないのかもしれなく、なんというか趣味としてもしくは自己治療の方法としてやるだけで、心と体に無理がきてしまうようだったらやめるほうがいいのかもしれません。そもそも抗鬱薬を飲んでいる無職のひきこもりの32歳の男が客観的に考えて、小説をプロとして世に出すことは夢見がちであり、現実逃避であり、無理なことなのかもしれません。iPhoneと手書きでなんとなく中編小説や短編小説まがいのものを書けるようになっただけでやはり良いのかもしれません。たぶんプロフェッショナルな人生の先輩方やこれからプロになる人はぼくなんかより豪快奔放な性質の人が多いのだと思い、ぼくのような臆病者には門戸が開かれていないのだとやはり思いました。諦めが肝心なようですし、神様や人生の先輩方はみなぼくに諦めたほうがいいとぼくのメンタルの弱さを見て言ってくださっているのだと思い、やはり趣味、そして生涯学習として小説まがいの創作を手書きやiPhone書きで続けるだけはなんとかしようと思いました。たぶん真面目すぎるのでぼくにはもっと堅実な仕事が向いているのでしょう。
いろんな方から批判されてわかりました。なので神経質な臆病者のぼくはやはり普通の生活をするべきなのだとなんとなくですが、雷鳴が轟く中に思いました。
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