母が、乳がんだって

2009年6月末、70歳の母から「乳がんになった」と言われました。

入院前夜

2009-07-26 21:25:43 | 日記
先ほどA先生から父に電話があり、
手術の時間が当初の予定から変更になったことを知らされた。

既に寝ていた母を、父が興奮してたたき起こし
仰天した母が狼狽して私に言いに来た。

父の態度や言動は既に諦めているが
ちょっと信じられない時間の手術開始。
弟は来られそうにない。
父はそれを少しも気にかけていない。

もう、ご好意なのか、
振り回されているのか
わからなくなった。

病院側に申し訳ないという気後れと、
こんな強引に割り込んだ患者を
普通に扱って貰えるのかという不安が
母に大きくのしかかっている。

安心させてあげる、って
そんなの全然出来やしない。

ああ、私にもっと稼ぎがあれば。

ここ数日、私が泣いてしまう理由は
母が可哀相なのと、勝手に事が進む悔しさとが
入り交じっている。

入院までのあたふた

2009-07-25 14:58:32 | 日記
母は乳腺専門クリニックのB先生と一緒にマンモグラフィの画像を見たとき、
しこりと同じ色の点が散らばっているのを見て、
全摘とサラリと言われたときに、ああそうか、と受け入れたという。
私もあの青白い点が意味するところはそういうことかと思った。

でも「これ何ですか」って気軽に質問できないのが何とも落ち着かない。
なってしまったのものはしょうがないのだから、せめて知りたいのに、聞く相手が判らない。大学病院じゃ無理なんだろうか。
母の嘆きは主にこういう内容だ。

うっかり父に先に相談したことで、勝手に決められたことは
いろいろと細かなことに影響してしまっている。

かかりつけの循環器開業医のD先生に薬を一時停止する報告に行った際も
元々月1回診察の、単なる次回という時に
「実はこうなりまして、しかも急展開で...」という報告になり、
普段は冷静なD先生もさすがに驚いてしまい、処方薬を出す数の相談を双方で忘れてしまった。
これは私がそのうちに取りに行けばいいだけのことで済むけど。
このD先生には父もかかっているが、気が合わないらしく、薬がなくなってからようやく行く。代診の先生で済ませていることも多いので、D先生には話していなかったようだ。

D先生のところはいつも混んでいるので、両親とも風邪程度の時とあちこちの痛みは近所の内科+整形外科の医院に行っている。
内科のE先生と整形のF先生は両親も気に入っていて、私も捻挫で通っている。
この2人の若い先生は、非常に話しやすい、ある意味ヘンな先生達。

私は昨年暮れに咳風邪をひき、酷く咳き込んだ瞬間に腰を捻挫した。
そのときにこの医院で診て貰い、1ヶ月ほどして良くなってきたところで
今度はインフルエンザにかかってしまい、短期間に激しく痩せ衰えてしまった。
職場復帰後に電車内でバランスを崩して、もう一度腰を捻挫、今度は広範囲で重めに。
椎間板やすべり症には至らずに済んだけれど、急激に痩せ衰えたことで
筋力も体力も抵抗力も免疫力も低下していて、ものすごく治りが遅く、まだ痛み止めが必要な状態。
10年ほど世話になっているアレルギー科では私が嫌がるので飲み薬は数日しか出されず、皮膚科でも同じだった。薬キライだから医者には慣れていなかった。
初めての整形では、私の症状だと飲み薬中心と言うことで、初めて1週間以上薬を処方された。
このとき初めて、私が本来の効き目も出るけど副作用が強く出やすい体質(母も副作用出やすい)で、だから私が薬嫌いなのだという説がでる。そのため、色々と薬を探して貰った。同時期にアレルギー科で軽~中度の気管支喘息とも確定され、一気にどこかしらの医者通いが普通になってしまった。

眠れないというより、泣き疲れて寝入ったり、すぐ起きてしまうことを
どこの医者に相談するべきか、数日迷った。
このままでは私の体力が持ちそうにない。

喘息でかかっているアレルギー科の先生は、積極的に相談したいというタイプの先生ではない。(違った意味でヘンな先生なので)
さすがに不眠相談は整形じゃないだろうと思い、滅多にかからないのだけれど、E先生に症状だけを言う。

睡眠薬は初めてだけど、E先生は不眠の原因について何も聞かず、捻挫の続きの話と薬の効果の説明をいろいろするだけだった。正確には聞き出そうとして、私がどんな変な表情をしていたか、見てやめた感じ。

数日後、整形に行くと、私が何も話さないうちに、F先生が睡眠薬のことと、整形で処方する薬との飲み方の工夫などを話し始める。そして不眠の心当たりを聞き出そうとして、やっぱりやめて、筋肉の緊張を解くための睡眠の取り方について一生懸命説明してくれる。

父は、やっぱり、E先生にもF先生にも話したな。時期的に、私や弟より先だろう。ただ、父がしばらくこの医院に行く予定は無いので生体検査後の話は知らないと思う。
だけど、母が自分からは何も話さず、私が何も話さないことで、先生達は何となく察しているだろう。

私は、医者の守秘義務に甘えて、「実は」と話してしまうべきだったのだろうか。
毎度の「もうイヤなんだけど薬まだ要りますか」「痛がってるからまだ飲んでて」の会話をせずに、「早く目覚めすぎるので薬下さい」と薬嫌いが自分からいきなり言い出したあたりで察してください、というほうの失礼な甘え方で良かったのだろうか。

職場の上司には「親が入院手術をすることになった」としか言ってない。父か母かも病名も言う必要がないので楽だ。(私の重要度がその程度ということでもあるけど)
自分の友人にも言えていない。気軽に言いにくい年代になったということか。

勝手にことが進んでしまって、父が自分メインの知人に変に話しまくったせいで、誰にもまだ知らせるなと母は意固地になったな、と弟は言った。
今の母の希望は、あちこちに知られたくない、ひっそりと耐えたい、だから
私がかかりつけの先生達にも言わないのは間違ってないと思いたい。

睡眠薬は、まだ試して1週間弱。泣き疲れて眠ることはなくなった。
いつまでも飲んでいたくないけど、今だけは助かる、と思うことにする。

入院は手術前日に

2009-07-16 20:19:00 | 日記
最初は、術前入院期間がいるかもと言われたけど、大丈夫と言われた。入院は27日に。
弟にすぐ知らせ、休みの調整をするという返信をもらう。私は休みを取った。

ただ、術後の傷の具合にもよるから退院は一週間目安としか言われなかった。

父は手術当日どころか入院日からホテルに泊まるつもり。そんな費用の余裕がどこにある?母が嘆く。
知らない人が見れば心配のあまり、に見えるのかな。
ただ、私も舞い上がった父と一緒にいられる自信がなくなったので、母には悪いけど、もうどうでもいい。
ただ、自分のお泊まり荷物ぐらいは自分で面倒みてもらう。(平気で重いから持ってと言う)

午前に入院手続きと本人は着替え、夕刻に家族同席での手術の説明。それまでの間、どうしていようか。
施設見学Part2を始めるであろう父をおさえるか、母の側にいさせて血圧上げさせてしまうか。

せめてもの抵抗で、入院時の恐らく看護系の提出書類にあった何かの時の報告相手を父ではなく私にする、と母が言った。まだ覚えているだろうか。

タイプに若干違いはあるが、両親ともにプレッシャーに弱い。
私も近所の整形のF先生にそう言われた。
もしかしたら2倍弱いのかもしれない。

昔、生活が不規則過ぎた頃は夜更かし好きもあって眠れなくても眠らなかったが、ここ数日は眠っても早く目覚めてしまう。
導入剤は使ったことがなく、今は副作用で眠い薬ぐらい。でも夕べはそれを飲み忘れ、思い出したけど面倒になり、自然に眠くなって寝たのは午前1時頃と思うが、今朝は4時に目覚めた。
体が辛いというのはなく、すっきりしていた。
これって不眠?

循環器内科で術前外来検査

2009-07-15 00:34:48 | 日記
検査だけなこともあって、今日は母一人で病院へ。
父に振り回されず、自由に動き回れて気楽だったらしい。

検査と言っても問診だけだったようで
何の薬を何年何月からこの量で処方され、というのを
よどみなく言えたからか、あっさり終わったらしい。
70婆さんが(事前にまとめておき)自分できちんと薬歴を言えるのを
褒めて貰ったらしく、ちょっと喜んでいた。

明日はA先生にも会うことになるので、父もセットでついてくる。
A先生は偉い先生すぎて、何というか、
病巣だけを診る身分、という先生なので
母に挨拶以外の話をしないのがひっかかる。
C先生から話は聞けるのか、と期待するけど、
父が一緒だと話がずれていくか途切れる可能性大なので、
チャンスは入院後になりそうな気もする。
この段階で家族(うちの場合は私達姉弟)が何も判ってないって
あんまりだよね、と弟とメールでこぼしあう。
弟も色々あって身動きが取れないので、情報が無くて不安なのに。

手術日が母の体調じゃなくて
A先生の都合で決まっている気がしなくもない。
でも母はこの不安よりも、術後の痛みと喪失感、
退院予定日を言ってもらえない方が不安だという。

母も変わり者ではある。
「やっぱり切ったものって見せて貰えないのかなあ。
麻酔からさめる頃には持ってかれた後だよね」

普段かかりつけの地元開業医のうち、いくつかは家族で同じところでお世話になっている。
今日は整形外科で私の捻挫等を診てもらった。
本当は来週の予定だったけど、入院の前後に気力が出るか判らないので、急遽行ってきた。

私のしばらく前の時間に母が腱鞘炎で受診していた。
(薬が影響ないので)母は、今は何も言わない、と昨日から言っていた。
だから私も何も言わなかったし、F先生ももちろん、家族が来院したことを言わない。
だけど、父が、診察に行ったと思われる時期の数週間前には(無断で)しゃべってしまったようだ。
終わり際に、普段言われないことを言われ、
更に私が前に副作用が辛くて3日でストップした薬を再考するようにも言われた。

私は、いまだに毎晩涙をこぼしている。
涙が出なくなったとき、どうなっているのだろう。

我が家独特の問題

2009-07-11 21:27:23 | 日記
母も私も水曜の疲れがまだ取れきっていない。
弟には気の毒だが毎日愚痴メールを送り、うちのオヤジはこんななのだということを理解してもらわないと私達もやりきれない。

母の手術日はまだ「予定」でしかないというのに、
手術当日は近くのビジネスホテルに泊まり込むと宣言した。
もしかしたらもう予約しているかもしれない。(病院は家から電車などで約1.5h)
何か、イベントか何かと同じ感覚ではしゃいでいる。
ヨソから見れば、心配のあまりパニックになっているだけじゃないの、と思えるのかもしれない。
でも、うちは違う。滅多にない出来事ではしゃいでハイになっている。
旅行や出張前の高揚で、私達が振り回される時と同じ疲労感。
(パスポートを入れたバッグごと忘れて家を出て、見つけた母が慌てて着の身着のままでタクシーで届けに行ったのに何をやらかしたのか帰国後に叱られるまで理解していなかった、現地に到着してから目的の重要書類を置いてきたことを思い出して高い航空便で送らせた、など、きりがない)

大学病院の時も、珍しい非公開施設を見学しているのと同じ感覚でうろついていた。
手術翌日は父に絶対来て欲しくない、と母は嘆いている。
ぐったりしているであろう姿を、高みの見物しに来るからだ。
本当に、そういう感覚なのだ。
ビジネスホテルも母が心配で泊まるのではなく、この機会に体験したいだけなのだ。

昔から病気や病気の人を軽く見る傾向があり(父の兄妹弟や近隣の人々が皆そんな感じなので地域性かもしれない)、母の血圧が高くなって具合の悪いときも「体調管理ができてない」「また具合悪いのか」などと嘲るように言っていた。
それが、今は年で自分のほうが病気が多くなり、心臓(種類は知らないが狭心症の薬服用)も血圧(本態性)も母(心房細動と軽度の原発性アルドステロン症)のより良くない。白内障も緑内障の手術もやった。脊柱管狭窄症も軽い痛風もある。なのに、人の痛みや辛さを思いやることが未だにまったく出来ない。
(昔、私が母の検査入院中に高熱で仕事を休み寝込んだ時、食事作るのが面倒だからという理由で起こしに来たり、先日は捻挫して腫れた私の足首をいきなり掴もうとしたり、これもきりがない)
妙な見栄っ張りというのか、病気を「恥」と思っていて、これらの不調を祖母にも伯父にも叔母達にも友人達にも言わない。実は弟にも言っていなくて、これは一昨日私が耐えきれずにばらしてしまった。
母の今回のことを話のタネに、しばらく連絡していない海外の友人にメールしようとしていて、母が怒って止めさせた。言うなら自分の持病告白とセットで、と。
そしたらそれでひっこめる程度。やっぱりイベントなのだ。
老人性躁状態というのか、認知症の始まりかと思ってみたりもするけど、私が子どもの頃から変わらないので、元々としか。

母は今から、「(手術で)切られるショックと(全摘なので)無くすショックがすごいと思う、そういうのに弱いから」と、術後の自分が気弱になることの心配をしている。
心臓の薬の影響で、生体検査(これが正しい?)の内出血がまだおさまっていないと言う。そうとうなアザらしく、私にも絶対に見せられないと言う。
手術後、これのもっとすごいことになるかと思うと、自分で耐えられるか不安で、そういうことを相談できる人が病院にいるか判らないのも不安なのだと言う。
私はそうなった母をどうやって支えていったらいいか、どこに相談したらいいのか判らないのが不安だ。

どうやらA先生は、父がしっかり把握して、母や私や弟にきちんと説明済みだと思っている気がしてならない。
父は弟だけにメールを送っていることがたまにあるけれど、弟も特に知らされておらず、母本人も「初期らしい」ことしか知らない。
乳腺外科専門医のA先生が生体検査の結果から、非浸潤だろう、と今の時点では思うと言われていることが、父とA先生の会話から耳に挟む程度に聞こえただけだ。
専門医のA先生に話していながら、父はイボやホクロを切除するのと同程度に考えているのだ。信じたくないが、そういう人だ。

こんな変に半端すぎるコネは良いものではない。出来ることなら取り消したい。
普通に順番を数ヶ月待つ方が、じわじわと苦しくなっていっても確実に自分で受け入れていける。気が合わなくて病院を変えるとしても自分の意志で出来る。
母はあの時うっかり言わなければよかったと嘆いている。でも普通に地域の病院で診てもらっていても、言った時点で大興奮してA先生に相談し、勝手に変更させられることになっただろう。

今、ビジネスホテルには露天風呂のある大浴場が付いていて、と聞こえてきた。
なんか、ほんとにもう予約したっぽい。少ない年金暮らしでなんの贅沢だと怒っている母の声も聞こえる。

父が弟に送ったメールには「姉も一緒に来た、今後の見舞いもあるし、いい経験になったようだ、非浸潤だろうということで安心材料だ」とあったそうだ。
見舞いって何?
経験って何?
安心材料って何?
あー、我が親なのに情けなくてたまらない。

家族として(実娘として)の心構えなどを少しでも知りたくて
ブログや日記をいくつも拝読してみたけど、
こんな変なことになっているご家庭はやっぱり無い。