ぶち抜かれた「64,928-キャサディ・キャサディ」が欲しくて買った「荒野はるかに」
と思ったら、なぜか、「The ★MUSTANG 04-05」のDVDが入っていた。
最初は、DVDケースに入っているCDなんてあるのだなあと感心して、CDからiTunesに取り込もうと思ってPCに挿入するのに、メディアプレーヤーが立ち上がってしまうのでなぜだろうとしばらく分からなかった。
PCが表示するいろいろを見ていると「DVD再生」と出てきたので、それがDVDであることに気づく。
間違えたのかと思ってアマゾンの注文履歴を見返してもやはり注文したのは、378円の中古CDだった。
私は宅配ボックスから荷物を受け取ると、マンションのごみ室で開けてそのまま段ボールも明細書も捨ててしまうことが多い。
だからももうよくわからないけど、「64,928-キャサディ・キャサディ」も入っているし、「アネモネ男爵」も入っているし「俺軍、暁の出撃」も入っているし、何より映像だし、なんて申し分ないんだろう。
揚々とDVDプレーヤーに移して楽しむ。
明るすぎない、でもくすんでいないピンク色のジャケット。
中途半端な、いい色。
中身は、なんだか少し緩めのヒロトが見られる映像が多かった。
ヒロトは音もリズムも、意図してか意図せずか、一般的に「正」と思われるところを外すことがよくある。
でもヒロトがやると、それが「正」になる。
というかそもそも一般的な「正」が価値を成さなくなる。
「64,928-キャサディ・キャサディ」のマーシーは私がぶち抜かれたそのライブではなかったけれど、やっぱり一番、見入ってしまった。
本気だったり妙に緩かったり適当だったり壊れそうだったり。
ハイロウズらしいなあと、ついでにそれに比べて実に小さな我が身を振り返ってみる。
ところで「MUSTANG」とはウィキペディアによると、
北アメリカ大陸のプレーリー地帯にスペイン人が持ち込んだ小型馬が野生化したもののことである。スペイン語のmestengoに由来し、この語は迷子になった、あるいは主人のいない家畜を意味する。人間に服従しない独立の精神に富んだ性格で知られ~~~
ということらしい。
作り手が作品に持たせる意味というのは、ときにあまりにも簡潔であり、ときに難解でもある。
受け取り手に伝わった意味が、それが各々独立してしまうことは仕方のないことだ。
受け取り手が意味など見出さなかった場合もまたしかり。
だから、作り手は持たせた意味が違うように取られたとき、「そういう意味ではない」と説明的になるくらいなら、「意味なんてない」と言いたいだろうし、場合によっては本当に「意味なんてない」ということもあるだろう。
ただそれは、廻りまわって、何周か考えた末の「意味」なのだろうし、「意味なんてない」なのだろうと思う。
「ロックがもう死んだんならそりゃあロックの勝手だろ」ということに尽きるのだけど、彼らにおいては、彼らが付与したかもしれない意味を、受け取り手の私は考えたくなってしまうのである。
展覧会の「情熱の薔薇」の出品が完了した。
偉い先生が、一人ひとりの作品を吊るして出品作品を1枚選ぶ、「一点選出」という言わばちょっとしたイベント。
といっても一人あたりの時間は3分くらいなものである。
私はそれまでに書いた作品のうち、絞られた7枚ほどを「一点選出」に出した。
淡墨のものが5枚、濃墨のものが2枚。
淡墨2枚と濃墨1枚が残って、「淡墨も捨てがたいけど、意味的には濃墨かしら。うーんでも淡墨も捨てがたい」となって結局は私が濃墨かなと思っていたので最後は先生の決断を「濃墨ですかねえ」と私が背中を押した。
去年は淡墨だったし、それに濃墨の方を少しだけ字の風合いをいつもと変えているので、今の私にはちょうど良いかもと思った。
墨継ぎの箇所にやっぱり意味があるんだよねとよく聞かれるけれど、単語の途中などで墨継ぎをしないくらいで、あとは全体感によるので墨継ぎの箇所に特段意味はない。
私の場合は、今のところ、墨継ぎや掠れが言葉の意味とリンクしているということはない。
もっと書きたいなあと思う。
だから、引っ越そうと思う。
と思ったら、なぜか、「The ★MUSTANG 04-05」のDVDが入っていた。
最初は、DVDケースに入っているCDなんてあるのだなあと感心して、CDからiTunesに取り込もうと思ってPCに挿入するのに、メディアプレーヤーが立ち上がってしまうのでなぜだろうとしばらく分からなかった。
PCが表示するいろいろを見ていると「DVD再生」と出てきたので、それがDVDであることに気づく。
間違えたのかと思ってアマゾンの注文履歴を見返してもやはり注文したのは、378円の中古CDだった。
私は宅配ボックスから荷物を受け取ると、マンションのごみ室で開けてそのまま段ボールも明細書も捨ててしまうことが多い。
だからももうよくわからないけど、「64,928-キャサディ・キャサディ」も入っているし、「アネモネ男爵」も入っているし「俺軍、暁の出撃」も入っているし、何より映像だし、なんて申し分ないんだろう。
揚々とDVDプレーヤーに移して楽しむ。
明るすぎない、でもくすんでいないピンク色のジャケット。
中途半端な、いい色。
中身は、なんだか少し緩めのヒロトが見られる映像が多かった。
ヒロトは音もリズムも、意図してか意図せずか、一般的に「正」と思われるところを外すことがよくある。
でもヒロトがやると、それが「正」になる。
というかそもそも一般的な「正」が価値を成さなくなる。
「64,928-キャサディ・キャサディ」のマーシーは私がぶち抜かれたそのライブではなかったけれど、やっぱり一番、見入ってしまった。
本気だったり妙に緩かったり適当だったり壊れそうだったり。
ハイロウズらしいなあと、ついでにそれに比べて実に小さな我が身を振り返ってみる。
ところで「MUSTANG」とはウィキペディアによると、
北アメリカ大陸のプレーリー地帯にスペイン人が持ち込んだ小型馬が野生化したもののことである。スペイン語のmestengoに由来し、この語は迷子になった、あるいは主人のいない家畜を意味する。人間に服従しない独立の精神に富んだ性格で知られ~~~
ということらしい。
作り手が作品に持たせる意味というのは、ときにあまりにも簡潔であり、ときに難解でもある。
受け取り手に伝わった意味が、それが各々独立してしまうことは仕方のないことだ。
受け取り手が意味など見出さなかった場合もまたしかり。
だから、作り手は持たせた意味が違うように取られたとき、「そういう意味ではない」と説明的になるくらいなら、「意味なんてない」と言いたいだろうし、場合によっては本当に「意味なんてない」ということもあるだろう。
ただそれは、廻りまわって、何周か考えた末の「意味」なのだろうし、「意味なんてない」なのだろうと思う。
「ロックがもう死んだんならそりゃあロックの勝手だろ」ということに尽きるのだけど、彼らにおいては、彼らが付与したかもしれない意味を、受け取り手の私は考えたくなってしまうのである。
展覧会の「情熱の薔薇」の出品が完了した。
偉い先生が、一人ひとりの作品を吊るして出品作品を1枚選ぶ、「一点選出」という言わばちょっとしたイベント。
といっても一人あたりの時間は3分くらいなものである。
私はそれまでに書いた作品のうち、絞られた7枚ほどを「一点選出」に出した。
淡墨のものが5枚、濃墨のものが2枚。
淡墨2枚と濃墨1枚が残って、「淡墨も捨てがたいけど、意味的には濃墨かしら。うーんでも淡墨も捨てがたい」となって結局は私が濃墨かなと思っていたので最後は先生の決断を「濃墨ですかねえ」と私が背中を押した。
去年は淡墨だったし、それに濃墨の方を少しだけ字の風合いをいつもと変えているので、今の私にはちょうど良いかもと思った。
墨継ぎの箇所にやっぱり意味があるんだよねとよく聞かれるけれど、単語の途中などで墨継ぎをしないくらいで、あとは全体感によるので墨継ぎの箇所に特段意味はない。
私の場合は、今のところ、墨継ぎや掠れが言葉の意味とリンクしているということはない。
もっと書きたいなあと思う。
だから、引っ越そうと思う。
世間に向かって叫んでいることもあると思いますが、それで自分がどうしたいかどこに行きたいか、なのだと。
ロックンロールを簡潔に言葉で言い表すのは難しいですが。。
その努力が凄いんですかね。
We will we will rock you
お前達をあっと驚かせてやるぜ
We will we will rock you
お前達を揺さぶるぜ