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a green hand

あまちゃんもらんまんも終わってしまった。

感想はひと言では言い表せない。

外尾悦郎の「ガウディからの伝言」を読んで感想を書くと言ってしばらくになる。
「読んだ 」「読み終えた」って言えるのかと新たな疑問が湧いてきた。

「あなたは読むのが早いね」と言われたことがある。
その時から立ち止まった。

本当に読んだのかな、ただ文字を目で追っていただけなのではないか。
若い時から乱読の私。

難解な本は、同じようなものを読んで重なる部分で理解してきたように思う。

今回も自分に問う。

本当に読んだと言えるの?
著者が時間をかけて書いたものから私はどれほどの意図を汲み取れただろうか。

若くない私が今ごろになってこんなことに気づくのは、多分記憶の衰えかもしれない。
2度目に読んだ時、全く新鮮だったならなお恐ろしい。

まだそこまでは衰えていない気がする。
気がするだけで確定ではない。

それとは逆に、1行の立ち止まりから、派生して視点をかえて考えたりすることが多くなった。

これは若い頃の読書になかったことだ。
立ち止まりも派生も俯瞰的な読み方もなし。

ガウディと職人たちとの関わり方という点で、職人の自主性や個性を存分に見つめ活かしていてすごい教育者だと感じる私。
これはガウディが大切にしたことではないはず、自然とその関わりが1番良いと思ってしてきた事なのに私は教育するものの立場で考えている。w


  サグラダファミリア展の図録


  内容 素晴らしい



江戸末期に誕生した(1852年)ガウディが昭和元年(1926年)まで生きた。
31歳に、前の建築家から受け継いてスタートした。

が、ガウディは全く新しい構想により、人々を幸せに導く教会建築を目指してスタートした
と外尾悦郎は考察した。

ガウディが教会建築を通し自己実現をし続けるさまに驚異を感じた。

また、ガウディの独特な思考 ややり方にどれほどのアーチストと呼ばれる者たちが影響を受けたかと考えるだけでガウディの偉大さが伝わってくる。

サグラダファミリア贖罪聖堂が120年以上も完成に向かって成長し続け、スペインのバルセロナに存在している。
その事自体がただただ偉大で深い意味がある。

ガウディは完成を急がなかった。
自分の代で完成しない遠大な構想の実現に向けて生き、次に託す。


(これは重要な事だ、自分の代だけを無難に過ごせばいい期限付きの任期ではないのだから。
人々の幸せに向かって成し遂げなければならないことがどれほど世の中にあるか。
何世代先までも見なければならない大事なことが我が国には山ほどある。)

と話はあらぬ方向に派生する。w



長い歴史の中には、スペイン国内戦争などで建築資金が集まらなく仕事が進まないこともあったという。
建築費は、貧しい信者たちの献金である。
ガウディはその貧しい人たちに希望や喜びを与える幸せのための教会建築に力を尽くしたのだ。

文字の読めない人のために教会=石の聖書を彫刻として残した。

ガウディは教会だけでなく公園やお金持ちの個性的な建築物もたくさん作った。
あちこちで認められるようになると、パトロンもできお金持ちから膨大な献金で仕事も進んだという。

独身だったガウディは一切の財産をサグラダファミリアにかけたといわれている。

アーチストたちはサグラダファミリアと共に時間という歴史を生き、世界中に散らばり分野を超えてガウディから影響を受けてきたはずである。

様々な芸術品や工芸品や布などなど、その片鱗が現れていると感じる。
気づけばそこから派生した作品が我々の身の回りにたくさんあるのだ。

自然界から、そして宗教その他からインスピレーションを受けたガウデイ。
その作品であるサグラダファミリアを目の前にした表現者がそこから更にインスピレーションを受け、芸術作品へと繋がってきた160年だったのではないか。

江戸時代の日本の浮世絵が見たこともない感動を持って外国の芸術家たちに影響を及ぼした時代があったように名を残す画家の作品にその片鱗が見られる。
これは流行りに近いかもしれない。
が、取り入れたものの力により、その核となって成功していると言えないだろうか。

フランスにあるモネのマルモッタン美術館に飾られた日本の浮世絵作品に逆に感動して帰ってきた自分を思い起こした。

日本の絵画を見る目が変わった。w

バルセロナにサグラダファミリアが存在した。
永遠に終わりそうもない建築物をまじかに見ながら同時代を生きたスペイン生まれのピカソやミロ、ダリがいる。

生まれた時から身近なところに建築中のサグラダファミリアがあり、しかも普通ではない形と色。
建物を支える役目をも担う緻密に計算された彫刻の数々。
世界のアーチストはその見たこともないものの価値を知り、学んだり、商品化したに相違ない。

ガウディが教会建築に表現した自然、植物、形、宗教のあらゆるものに哲学がある。
そして何より図面に書けない3次元の異様な建築物w

教会というガウディの総合芸術から世界の芸術家が学ばないわけがない。

終わりのない目標実現だからこそ生きて共に学び続ける力があるのかもしれない。

ガウディの一生はサグラダファミリアであり、サグラダファミリア=ガウディというように、たくさんの石工や彫刻家たちの命の繋がりを宿している。

未完の建築物は魅力に溢れていたに違いない。

若かったなら、バルセロナに行き、サグラダファミリアのそれぞれのファサードに散りばめられた彫刻、石の聖書を終日眺めてみたいものだ。

いや?120年もの歳月をかけて建設中の教会を見尽くすのは無理というもの。

やはり私は外尾悦郎の「ガウディの伝言」を読み終えたとは決して言えないと確信した。




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