それは、朝、投稿されたしゃしん記さんのblogだ。
読者の多いしゃしん記さんなので私のような気持ちで今日一日を過ごされた人がネット上にたくさんいたにちがいない。
私はしゃしん記さんのとりわけリスの写真とつぶやきにとても癒されていた。
2017年、夫が悪性リンパ腫で入院している時も投稿されたリスの可愛い仕草に慰められていた。
その年、奥様がすい臓がん末期であり、しゃしん記さんも同じように苦しんでいたことをブログ上で知った。
車椅子の奥様が桜の下で微笑んでいる写真をuPされた時、桜の力が奥様を生かしてくれていると感じ見えないものの力に喜んだ。
夫は6回の抗がん剤に何とか耐えて寛解を迎え、奥様は2017年の5月の桜に見送られ、ひと月後に旅たった様子であった。
そして今回、夫は悪性リンパ腫再発のため年末年始を病院で過ごし、強い抗がん剤により、腹部リンパ節に広がっていた腫れが消えて退院になった。
思ったことがある。
本人の生命力と見えない祈りの力は計り知れないということを。
私は昨年12月18日から、神様と仏様のお世話を始めた。
その日は、母の94歳の誕生日だった。
私の中に、生きてるうちに母を安心させたいという思いもあったが、1番は夫の入院がきっかけであった。
母は、認知症でもなく病気でもなく年齢以上の健康な94歳の老人である。
花の水が汚れていたり、お茶が古いままというのも度々、しかし仏様のお世話を私が生まれた頃からずっと続けてきた。
家族が神様を拝むのは年に2回だけ。
年末と年始である。
でも、私は夫の入院中にそれを変えた。
私は今回、積極的に友人にも夫の再発を告げた。
それは壊れそうな私を助けての気持ちが強かったのだと今にして思う。
再発を知った友人や知人は、私を励ましてくれ、病院の方角に向かって祈ってくれた。
仏様にお願い事をしてはいけないと聞いたので、父とご先祖様におはようございますの挨拶だけをした。
さらに神様を先に拝むのが順番として正しいと友に聞き、ビックリ。
22歳で別れた私の父を知る友がポツリと
「お父さんも神様に気遣いする事なく喜ぶと思うよ」に父の肩身の狭さを察し、神様に手を合わせることを先にした。
コロナ禍で病院に行くこともできなく、不安という恐怖の中、何もしてあげられない時にする事とといったら祈るしかなかったのかもしれない。
祈ること「その事」に意味があった気がする。
夫は、夫で病院から自分の生まれた土地の方角に向かい、祈っていたに違いない。
しゃしん記さんの「リス」に会いたくて、札幌在住だった頃の写真を振り返った。
しゃしん記さんじゃないと撮れないユニークな表情のリス🐿たちがいちいちかわいく懐かしかった。
どんな時にもニコッと笑える瞬間をしゃしん記さんからたくさんもらえたのに何も恩返しができていない自分がいる。
ただただ祈り、応援しています。