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a green hand

さびしい

ブログを書かなかった時期は、ヒゲ爺が(勝手にブログ仲間と思っている)闘病生活の末、緩和ケア病棟で亡くなった時期と重なる。

この方のブログを気にしたのは多分、私をフォローしてくれた時からだ。
たくさんのフォロワーの中の1人である私。

いつも読んでくれていた。

夫と同じ年齢で、アルコール中毒から命の危機を経験したヒゲ爺が、苦しい日々から復活した姿をブログに素直に書かれていたのが始まりであった。

その方が、がんを発症し、余命3ヶ月と宣告された辺りから、複雑な思いでブログから遠ざかった。

でも、長年のおつきあいである。
どうしても感謝の気持ちを伝えなければとの思いはあってもコメントは出来なかった。

一方、ヘッセの「老年の価値」から、彼に届くようにと意識して詩を選んで載せたりした。

ある日のブログに、「ブログを書くのも今回限りになると思います」のヒゲ爺の記事に、ますます私はブログから遠ざかった。

それでも、迫り来る日に感謝の気持ちを伝えたく、unknown の名前でコメントした。


しばらくして恐る恐るブログを開いてみた。
息子さんが、ヒゲ爺のブログ読者に対して、父親の死の報告と感謝の気持ちを述べていた。

最後まで勇敢で本当にまじめな生き方だった。

ヒゲ爺は、最期まで己のいのちに冷静沈着であり、命の火が自然と静かに消えるまでを真摯に生きた。
その事をお手本にしたいと心に彫んだ。
人の死は生きて来たように迎えると言われるが、ヒゲ爺の死はその通りであったと息子さんのご挨拶から感じられた。


こうして見ず知らずの人のブログから、仲間意識や友達意識を持ち始め、いつしか心の友になっていることに気づかされる。

一昨日、しばらくぶりにブログを書き、書き終えた瞬間にふとヒゲ爺が浮かんだ。
もう読んでもらえないんだ、急にさびしさが降ってきた。
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