昨日は、50年来の親友、Yちゃんの家に呼ばれた。
というのは、彼女が住む里の春を私に見てほしいという、私にしてもうれしいお誘いであった。
Yちゃんとは中学時代からの友であり、様々な時代を共有して来た仲である。
それでも彼女の家に行ったことはなく実家のあるわが町、我が家でしか会った事がない。
季節ごとに美味しい果物が届き、さぞ周りは果樹農家さんがたくさんあるんだろうぐらいにしか思っていなかった。
冬になると冬眠しているだとかとにかく寒いという便りが多くなる。
同じ市でも北の方に位置する彼女の家とは気温の差は大きいらしい。
遅れてくる春、ようやく今が1番という季節を知らせてくれた。
昨年冬からの約束の日がようやくきたのだ。
行く途中の景色も格別だった。
私は桜も好きだが、桃の花に心惹かれる。
幹の濃い茶色と濃いピンクの花とのコントラストが、そしてその畑がずっと続くのだ。
所々に、サクランボの木があり、白い花を付けていた。
サクランボの花が白いことを初めて知った。
りんごの花や梨の花はこれからだ。
彼女の人生の大半は、その厳しい自然の後に来る桃源郷に癒されての今があると感じ、
初めての訪問で彼女をより深く知った気がした。
遅い春は、柔らかで優しかった。
途中、約束の待ち合わせ場所までに行き着くことができず電話をする。
近くの公園に私の車を駐車し、彼女の車に乗り換えてご自宅まで行く。
着くと何やら来客があり物々しい様子。
ご主人の趣味である古代史に関してのNHKの取材日だという。
何で断らなかったのとご主人に言ったらしいことをサラリという。
ここにも、多様な夫婦の形があった。
仏間には膨大な量の資料が広げられていた。
別室も同じ有様で大事な資料も紙くず同然と彼女はぼやく。
私が通された部屋は全て彼女らしくキチンと整理され、気持ちの良い部屋であった。
窓から娘さんの記念樹というシダレサクラが見事に咲いているのが見える。
高台にある彼女の家から果樹農家の花々が眺められた。
窓際に猫の「さくら」が気持ちよさそうに眠っていた。
二階の彼女の部屋には猫の「ジゲン」が同じく陽を浴びて気持ちよく眠っていた。
写真立てに、私の家で撮った若い頃の私達と彼女の娘と私の息子が写っていた。
懐かしい楽しそうに子供たちがはしゃぐ写真だった。
問題の「野良」が物置にいるから見るかと言われ物置に行く。
野良と格闘したのが2ヶ月ぐらい前だったろうか。
自分の指まで痛めて野良を捕まえる事件があった。
というのは、ちょこちょこ彼女宅に野良がやってきて、その野良の尻尾が腐っていることに長いこと心を痛めていたのだ。
捕まえて病院に連れて行くと決心した彼女の気持ちは止められなかった。
追い込まれた野良は彼女の親指の爪の間に野良の爪を立てた。
それでも諦めず、漫画家の娘と力を合わせた。
彼女は野良より先に自分の指の治療のため病院に行き、その後に娘と野良を連れて動物病院に行ったという。
彼女の猫たちと、初対面の気がしなかったのは、猫たちの詳細を書き綴った手紙を読んでいたせいだと思う。
最初の「寅次郎」はプライドが高く堂々としていたというが残念ながら過去の猫になってしまっていた。
猫にも時代を感じるものだ。
「寅次郎」の存在で「さくら」も「ジゲン」もその影を匂わせていたように思う。
野良は大手術の結果、腐った尻尾は切り取られ、不妊手術を施され、大きく高さのあるゲージの中、ふかふかの毛布の上で横になっていた。
時々野良らしく鋭く目が光る時がある。
が穏やかで優しい顔になったと動物病院の先生に言われたという。
「野良」は、「玉三郎」と命名されたが私には「野良ちゃん」の方がピッタリする名前に思えた。
それに、野良はこれから「野良」として生きるか彼女の家で「玉三郎」として生きるかを選択しなければならないと彼女がいう。
彼女の指はまだ不自由らしく、ご主人や近くに住むお姉さんの大顰蹙をかったという。
野良は自然淘汰されるべし、人間が手を加えてはいけないと。
私にも考えられない優しさを持つ「Yちゃん」のそういうところが好きなんだとつくづく確認した1日であった。
家に帰り、桃の花がきれいだったことを興奮して話すと、「きれいだよな」「?行ったことあるの?」「なんでそういうこと覚えてないの」「……………」
昔々、りんごと桃の花がすっごくきれいだったところに行ったけど、何処だったのかなぁと思っていたが
夫が連れて行ってくれたのが、Yちゃんの住む辺りだったということが昨日になって判明した。トホホである。
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