4時ごろに目が覚めた。
リビングのソファに横にになり、いつもより相当早い目覚めに心と身体の調整中。
程なくして母が起きてうがいをし、一部のカーテンを開け、ポットに水を足す音がした。
これは母の一連の朝の行動なのだ。(と思う)
いつもと違うのはソファに私の存在を感じ、そそくさと電気を消して立ち去った。
起こしては悪いとの気遣いだ。
娘でなかったら「あらお母さんおはようございます」とそそくさとソファから身を起こし挨拶するのは私の方なのだと思う。
母94歳、大正15年、西暦1926年12月18日生まれ、11人兄弟の長女である。
大正15年12月25日に大正天皇が崩御、昭和元年は数日であり、昭和元年生まれにちょっとの差でなれなかった大正生まれということになる。
学歴は小学校高等科15歳卒業である。(と聞いている)
大正時代の学校の仕組みは複雑で私には理解困難。
義務教育よりほんの少し教育を受けた感じである。
といっても義務教育は6年?
音楽、体育、国語、算数の得意な子供だったらしく、地理と歴史オンチは自他共に認める。
歴史は歴代天皇名を暗唱できる程度だったと。w
これはほとんどの人ができないとまずかったのでは?と思う私。
母が生まれた時代は、ひ孫あたりからすれば「昔ばなし」の時代であり、桃太郎や花咲か爺さんに近いのではと感じる。
約1世紀前と現在では、ギャップが大きい筈だが母からすればそれは自然なこと。
ひ孫からすれば何もかもが揃っている時代に生まれている訳で母と比べたら不思議も何も無い当たり前の世界である。
生まれた時にすでに電子機器に囲まれている時代とアナログの世代とではギャップや格差は驚くべきものである。
母がパソコンや携帯は持たなくても浦島太郎にならず躊躇なく暮らしているのはある意味すごいことである。
娘からのラインに「電話来た?」と聞くからそれをただすと「母ちゃんが電話といったらその意味だと思えばいい」と強気である。
そのくせ、ドラム式洗濯機が喋る電子音を聞いて「洗濯機でさえまいにち挨拶するんだから今日からおはようというようにしよう」とある日突然母から挨拶され、夫も私も何か違う気がするけどま、いいかとおはようを返していた。
いつのまにか私からおはようを言うようになっていた。
が、お婿は息子のように今でも母からのおはようを待ってムニャムニャムニャと返している。
母との付き合いは長いので書き出せばいくらでもあるが今日は母の日なのでカーネーションではなく、母の好きな牡丹にしよう。
娘から昨日、冷凍イクラが送られてきた。
娘のお気に入りのイクラでふるさと納税で送られてくるところのものだという。
息子は、一昨日、妻のRさんと選んだという抹茶茶わんと抹茶を持って来てくれた。
何もしてあげていない私が息子や娘からの母の日は恐縮と感謝の日である。
今朝の母は妹のセンスの良さで選んでくれた絣の服を着て庭を歩いている。
絣、なかなか似合ってる。
母の気にいるような洋服を選んでくれた妹にも感謝である。