a green hand

ピーター・マクミラン 詩歌翻遊 より



最近、めっきり秋らしくなって過ごしやすいな〜と思う一方で、災害に苦しむ人たちがいて世の中を知れば知るほどに自分の喜びを素直に表現するのが憚れる気分になる。

しかし、我々が震災に苦しんでいる時に幸せな人たちを羨んだり妬んだりしたかというとそうではない。。
などとブツブツ考えながらブログに向かう気分でいる私である。

先日、英語仲間のAさんから久しぶりにお手紙が届いた。
2017年、ご主人が夫と同じ頃に入院し残念な結果に終わった初秋のころ。
夏から急に日が短くなり暗くなった院内で、家路へと向かうAさんの姿を何度か見かけた。
が、ご主人の様子が気にはなるも声かけはしなかった。

そのAさんからの便りに、新聞の切り抜きが入っていた。
それは、ピーター・マクミランの詩歌翻遊
日本の和歌小倉百人一首 98番 藤原家隆 の歌を英語訳にしたものだった。

日本人でも戸惑う和歌を外国人が翻訳?
との思いで読んでみた。

Aさんは、マクミランが日本の季節感を美しい英語に翻訳したことに感動してのお便りであった。

風そよぐ楢の小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける。

A twilight breeze rustles
Through the oak leaves
Of the little Oak Brook
but the cleansing rites
tell us it is still summer.

現代語訳
<楢の葉が風にそよぐ楢の小川のあたりの夕暮れはもう秋めいていて、夏越のみそぎだけが、今はまだ夏であるしるしである。>


そして、夫の具合を心配する旨が一筆箋に添えられていた。
それを読むと、秋の風が淋しさまでを運んでくるような気持ちになった。

一緒に連れ添ったご主人との思いが時を経ても癒えない悲しさが伝わってくる。
ご主人と別れての2年は、ついこの間の事なのだから。

日本の四季は古代からわれわれの心を操り
鋭くなった感性は秋に頂点を極める気がしてくる。

夏の疲れは秋を感じる情緒の疲れかもしれない。
英詩に翻訳されたもの、響きをも楽しみたいので声に出して読んでみた。
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