昭和20年6月に大阪を爆撃したB29が、高射砲に撃たれ、この山上ケ岳へ撃墜したのだ
機体の残骸は戦後すぐに回収されたが、1基のエンジンが山中に残ったまま(上多古川上流の阿古滝付近)になっていたのを、平成18年に引き揚げられた。
戦争の語り部として天川村で展示されているそうだ。
もうひとつB29で思い出すのは、市内の方から以前に聞いた戦争の頃のお話し。
その方は、内地で兵役についていて、その時にB29の搭乗員を駅から警察署へ連行したというのだ。
その方は小柄な方なので、大男のアメリカ兵が暴れないかびくびくしながら歩いたそうだ。
また、沿道には大勢の見物者が道に溢れていたとのこと。
話の内容の記憶が確かでないけれど、パンを差し出したら美味しそうに食べたという話も聞いたような気がする。
その後のアメリカ兵がどうなったかわからないが、戦後、大阪城公園にあった進駐軍の基地へ呼び出されて、連行した時のことについて取調べを受けたそうだ。
捕虜虐待で、死刑を宣告された方も多くいたので、もう家には帰られないと覚悟していたけれど、幸いにも無罪放免。基地の外へ出たあとは、後ろを振り返らず一目散で駅へ走っていったそうだ。
そういえば、食料事情の悪い中、なけなしの食糧からゴボウを捕虜に食べさせたら、木の根を食べさせられたと訴えられて死刑になったケースも聞いたことがある。
レポを書くにあたり、根拠を裏付ける資料はないかと検索していたら、すごい資料がヒットした。
日本を爆撃したB29をはじめとした飛行機の撃墜機の調査一覧だ。
GHQは、日本国内に墜落したすべての機体の調書をまとめている。
その中には、名張市に墜落した機の詳細も載っていた→クリック
また、B29関連のHPもなかなか読み応えがあった→クリック
これらの記録によると、捕虜の殆どが、国民を巻き込んだ無差別爆撃を行ったということで、処刑されている。
「もはや戦後ではない」っていうセリフは誰が喋ったのかは忘れてしまったけれど、悲惨な戦争の記録は後世に伝えていく必要がある。
ちなみに、山上ケ岳に墜落した記録は下記のURLです
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/B29-42-65348.html
ボクが驚いたのは、これらの記録が保存されていて、かつ公開されているということ
日本は敗戦国で、終戦の時に記録を処分してしまったかも知れないけれど、これだけの記録は残っていないでしょうね
少年の頃から、B29やゼロ戦に興味があったので、新たな発見に驚きながらネットサーフィンをしています
いつものおやじさんのホラかと思いきや
何とも言えない事実を知りました
あの信仰の山にね・・・
毎週のように山を歩ける平和な時代に生きることの
喜びを忘れてはあきませんね・・・しみじみ。