5月10日は母の日だが、10年前に亡くなった父の、満中陰を迎えた挨拶に兄が書いた手紙のコピーが出てきたので、父に想いを馳せた。
幼い頃の父の思い出といったら、「とにかく怖かった!」に尽きる。
自分の気にいらないことがあるとすぐ感情的になって手を挙げて怒るので、父の前ではほとんど物も言わず、借りてきた猫のごとく大人しくしていた子どもたち。
私が父の前では一切泣き言を言ったり文句を言わないのを利用して、母は例えば私の怪我の手当をする時などわざと父の前へ連れていって行ったほど。
母だけだと叫んで抵抗する私が、父の前では一切抵抗も口ごたえもしないのでやりやすかったのだ。
私が父と直接口をきくようになったのは中学1年になってからだが、幼い頃の怖かった体験ゆえか、何故か父にだけは敬語でしゃべっていた。
家に遊びに来た友だちが、あとで「義理のお父さんか?」と尋ねたほど。
が、兄の手紙によると父は子ども3人に「真善美」から一字ずつ取って名づけてくれたそうで、一番下の私が「真理」の名をもらった。
しかし、それしか知らなかったのか別の意図があったのか、父が役場へ届けてくれたのは「眞理」という旧字だ。
大正12年生まれにもかかわらず、「戦後日本の合理主義・進歩理想主義的な考えを持っていました。そして自立することが大切なこと、人とちがっていることに価値があることを教えくれました」と兄の文章は続く。
(晩年というにはまだまだ元気だった頃、確かに「オレは早う生まれ過ぎたんじゃ!」とよく言っていた)
私が幼い頃から人と違うことをするのを全く気にせず(時に先生を困らせる厄介な生徒だったが)、むしろ人と違う視点を持つのを快感と捉えている背景には、長年にわたる父の有形無形の薫陶があったのかも。
残念ながら両親の数少ない長所をほとんど受け継がず、ありがたくないところばかり似てしまった私だが、まあ人生そんなものだろう。
父とは精神形成した時代も違う。
これからどこへ流れていくのやら、そして何をなしえるのやら。
自分の意思とは別に宿命もあるので、こればかりは死ぬまでわからない。
本で「終わりよければすべて良し」とする日本人の精神文化に異議を唱えている人がいた。
「人生の終わりがどんなに悪くても関係ない。大事なのはどう生きたかだ」と。
これにもなるほどと思う私がいる。
今、2009年5月11日。