数少ない「醜い大人の子」を閲覧して頂いてるサポーターの方々に報告いたします。
このブログの名物キャラクターで口は悪いがどこか憎めない妻が今年の7月1日に急死いたしました。
44歳でした。
喪主である私は通夜、葬儀と目まぐるしく忙しく悲しむ暇もなかったのですが、二七日が終わったあたりから妻のいない日常の寂しさに今猛烈に襲われています。
妻の口上に腹を立ててよく喧嘩しただけに存在しない寂しさは非常に大きいです。
このブログの更新が滞ったころの4年前、僕らは5歳の息子を病気で亡くしました。
難病を持って生まれた息子は、自発呼吸が出来ず気管切開をしてカニューレと言う器具を入れて外部からの酸素の助けを借りて育てました。
立つ事も座ることすら危ぶまれた息子でしたが、周りの方の助力や本人の頑張りで立つ事も歩くことも不安定だけど走る事もがんばって叶えました。
2歳の頃には外部酸素もよっぽど調子が悪い時以外は付けずに日常生活をすることが出来るようになってきました。
しかしながら、いつ血中の酸素が大きく低下するかわからないため気管切開はしたままでした。
気管切開をしていると声が出ませし、しゃべれません。
それでも息子は力いっぱい器具の隙間をぬってかすれた小さい声と笑い声を僕らに届けてくれました。
何度か入退院はしましたがいつも元気になって帰って悪さをしておりました。
しかし5歳の2月に発症した肺炎は今までとは訳が違いました。
10日におよぶ集中治療室での治療も叶わず息子は5歳の短い人生を終えました。
我々夫婦には後悔しかありませんでした。
軽い気管支炎と思い近所の病院に入院させた事
いつも元気になって帰ってくるその姿しか想像できず息子が脅かされてる病状をなめていた事
喉の痰をとる吸引機や、もしもの時の酸素ボンベを持っての移動が大変で家族であまり外出しなかった事
息子の本当の声を聞けなかった事
そんな後悔と悲しみを残して息子を旅立たせてしまいました。
妻は言葉にできないほどのショックを受け通夜、葬儀では自立できず出棺の時には気絶してしまうほどでした。
息子は凄い難産であわや自分の命と引き換えなりそうになったぐらい大量の出血と高いびきで妻は一時は危篤状態になったほどです。
そんな苦労の末授かった息子を自分たちの不注意や思慮浅さで失ってしまいました。
それから妻は息子を失ったショックの上に自分の持っている難病に苦しめられる事になってしまいます。
それは日に日に筋力が低下する「筋緊張性ジストロフィー」という恐ろしい病気を発症したのです。
実は娘も息子も先天性でその病気を持って生まれてきました。
妻も後天性でそれを発症してしまい先ず指先が固まりペンや包丁を握れなくなってしまいました。
娘の学校の連絡帳にその日あった事をきれいな字でたくさん書いていた妻でしたが字はヨレヨレになり書くのも辛いのか連絡帳に娘の成長を知らす事はやがてなくなりました。
若いころ給食センターに勤めていた頃に覚えたたくさんの種類の料理もその腕を振るう機会は減り実家の母親やヘルパーさんに作ってもらうようになりました。
まぶたの筋力が下がって来たので肘をついて自分の手で無理やり目を見開いてテレビを見ていました。
手で毎日まぶたを押し上げる事で摩擦が生じ、まぶたの周りは低温やけどしているほどです。
それに伴い車を運転しての外出も危険と判断して朝、娘をバス停まで送って行くだけに限定しました。
自立や歩行も辛くなりましたが買い物が好きな妻はショッピングカートに体を預けながら商品を自分で選んで日用品や食品を購入しました。
それだけが彼女の日々のささやかな楽しみだったから辛い日常を頑張れたのだと思います。
ですが肺を動かす横隔膜の筋力も低下してきて毎日の呼吸が苦しそうでした。
きっと心臓も相当弱っていたのだと思います。
それでも五月に他界した父の四十九日までは周りに迷惑が掛かるから通院も入院もしたくないと頑なに拒みました。
それに7月2日に久しぶりに会う親友との女子会だけは絶対に行かしてほしいとも懇願されました。
それら全てを終えたら入院でも手術でも何でもしたるわ!と
しかし、妻は7月1日の0時52分に急性心不全で死んでしまいました。
自宅で、
僕の目の前で、
喉が枯れるまで妻の名前を叫びテレビで見た心臓マッサージを見よう見まねで救急車が来るまで続けましたが妻の心臓が再び鼓動を打つ事はありませんでした。
父の四十九日法要の明くる日の事でした。
自分の非力さにただ呆然としました。
もう妻の「おまん!」と僕を呼ぶ声も「ふぇふぇふぇふぇふぇっ」と屈託のないオバはん笑いも聞けません。
生きていた時は気づきませんでしたが彼女の存在そのものが僕の元気の源でした。
今の自分は考える力も笑う気力も想像する力も湧いてきません。
今までの自分のブログはほぼ自虐ネタでしたが自虐をネットで発信するって凄く幸せに満ちてるからその余剰で出来る事なんですね。
今の自分にはまったくその余裕はありません。
通夜には妻とも親交のあった僕の友人や妻の友人達が斎場から溢れるほどの見送りに来てくれました。
皮肉な事に2日に会う約束をしていた親友とも棺ごしの再会になってしまいました。
多くの方が涙を惜しみなく流してくれ改めて妻の人柄の良さを再認識し亡くした事を惜しみます。
無宗教の僕ですが、もし天国なるものがあるならきっとそこで妻は息子を抱きしめて笑っていると思います。
身勝手ですがそう思います。
そう思わないと残された娘の為に生きれないです。
もし、この先このブログで僕が自虐ネタを書く事があったとしたらそれは何かしら幸せを感じた時だと思います。
そんな日がまた来る事を祈って残りの人生生きて行きます。
芳子、本当に今までありがとう。
サポーターでもなくうっかりのこんな重たいブログを読んでしまった方には心からお詫び申し上げます。