うだうだと言う

日常の不満をうだうだと言う生産性の低いブログ。時々詩もあります。

ギブアップ

2007-05-30 16:03:34 | Weblog
もう、無理です。なんだか、家に帰ってきてしまいました。こういう時、直行直帰ていいなと思います。
おっさんは、嫌なことがあると無口になって、ひたすら眠くなります。
ほんとにひどいときは、2日くらいなら普通に寝ています。
時間がもったいないとか、明日の準備とかで、余計にストレスがたまってしまい悪循環なのはわかっているのだけど、どうしても何もしたくなくなります。
ADHDには、先延ばしという行動がでることがあるそうです。いわゆる、片付けられない症候群。
やらなくては、いけないことは良くわかっていて、脂汗がでるほどあせっているのだけど、いやなことをやるのは負けみたいな。馬鹿だなぁ~と我ながら、情けないです。

川崎 みなみ町

2007-05-30 15:16:58 | Weblog
おっさんは、川崎のみなみ町というところに行って着ました。
よくすべるマットの上で、上になって遊んでいたら、腹筋が痛くなってしまいました。
いつも上であそんでくれるお姉さん達ありがとう。でも、そろそろ、妹にあそんで欲しいぞ。お金ないのだけど

変な能力

2007-05-30 15:13:11 | Weblog
私は子供の頃から変に耳がよく、TVなど電源が入っていれば、音が絞ってあってもわかってしまう。ときには、それがうるさくてたまらない。だいたい、5Mくらいなら、通常の壁くらいでは聞こえてくる。
なのに、よく、効き間違いをする。人間は声を創造で補うことをよくやっているそうだが、それが間違うと、聞き間違いとか、空耳というやつなのになるのだろう。
私はよく聞き間違う。たぶん、ある程度他人の話の展開をきめてしまっているためだろう。これが電話だとなおのことである。構音障害といったと思う。

それはさておき、救急車の音や、パトカーの音などが聞こえてしょうがないときがある。ラジオから、携帯電話の着信バイブの音が聞こえるときもある。
だれでも経験があることだと思っていたら、そうでも無いらしいことが最近わかった。あなたの周りにも、耳が敏感な人いませんか?
そういえば、ASの人は耳が敏感な人が多いらしいです。

私のADHD考

2007-05-30 15:02:34 | Weblog
あくまで、自己判断なのだが、私はADHDかASだと思う。
私は、他人にあまり興味がない。他人が何をしていようと、どうでもいいと思っている。
これが仕事になると、かなり本気で他人が何をしていようとどうでもいいと思ってしまいます。
仕事が自分の事とうまく受け止められないのです。
ただ、これ、最近の若者の仕事力が落ちているという記事がありまして、そのなかで言われていることの中に、自分で考えないというようなことが書いてあったと記憶があります。かなりあやふやなのですが、
考える力がないというのは、私も自分に感じているので、私の頃からもうすでに出始めていたのではないかと思っています。
新しい価値観を生み出すことさえも、計算があると思っている世代とでもいいますか、あたえられたものをこなすだけで、評価されてきた世代ですから、できないのも無理ないと、自分をゆるしています。

もし、もしここで、自分を許せないと、間違いなく、神経症になります。
アダルトチルドレンというらしいですが、自責行動がどんどん強くなっていきます。

私は今日も、その場限りの嘘をつくことでしか、仕事ができません。
変わったとしても、もっと社会に不適格な自分がでてくるしかありません。
そのような、考えにはまると、死にたくなりもします。
つねにある、ゆるやかな自殺衝動がいつ、高まるかわかりません。
他人をふりまわすことができるだけ少ないように、行動をしていくつもりですがl勝手な期待を、人並みであれという期待をせをわされて、それだけで、死にたくなるほどつらい毎日を過ごしています。

どこか、一生喰える程度の給料で、気楽な仕事はないでしょうか?
上司がいなく、仕事さえおぼえれば一人でいられる仕事がいいです。
もう、人に恩を着せられながら生きていくのは嫌なのです。













智に生きれば、角が立ち、情に棹差せば流させる。

2007-05-30 14:49:05 | Weblog
夏目漱石だったと思います。勉強不足でもうしわけありませんが、このような一節が乗っている本があったとおもいます。
私は、前から書いておりますが、人の気持ちを想像するのが苦手です。また、私は他人が何をしていようと、自分に直接被害がないかぎり、興味がないですし、特に仕事においては、自分の意思と無関係だと切り離して考える部分が多いので、その傾向が一層まします。
そのなかで、冒頭の一節です。仕事をするなかで、自分で考え、行動するとどうしても衝突してしまいます。さりとて、周りの人並みの仕事をと思うと、その程度ではないとまた怒られます。他人がつく嘘と私が付く嘘、上司に言わせると、前向きな嘘はついてよく、後ろ向きの嘘は良くないそうです。嘘は嘘なのですが、私にはそこの見分けが付きません。
私の判断はひどく表面的で、言葉どおりにしか受け止めません。他人の裏側など、のぞいて何のいいことがあるのでしょう?というのが私の心情です。

仕事など、特に自分を消してやっています。いちいち疑問を持って立ち止まっていたら、精神がこわれてしまいます。

ところで、先輩が、私の為といって、指導するのはわかりますが、会社に私の行動を報告するのはどうなのでしょう?
会社のために、損失を出さないよう報告するというのは理解できますが、私の嘘を会社に報告するのが、私の為とは、思えないのです。
ついにくびかもしれません。
うそつきでした。



おせろ

2007-05-28 22:32:26 | Weblog
ハンゲを知ってますか?結構大きいと思うので知っている方も多いとおもうけど、そこで、私、おっさんは、達人と名人を行ったりきたりをしています。神様クラスって、どうしたらそんなに強くなれるの?ごくごく偶に、おっさんの部屋に入ってきて打ってくれるんだけど、なんか知らないうちに、打てるところがなくなっていくんだよね、
定石研究するしかないのかなー。定石大王はもってるのだけど。。

つかれる

2007-05-28 21:56:02 | Weblog
うれない。本当にうれない。購入約束を平気で反故にする。この業界そんなのばっかりだ。なのに、会社は、責任をとらない。前任がした約束なんて俺しらないよーっ

今朝もうだうだ

2007-05-28 07:27:52 | Weblog
朝起きても、昨日からの怒りがおさまらない。昨日あれからいろいろブログを見ていると、ジャイアン方ADHDというものがあった。ひょっとしたら、ASより、こちらかもしれない。どちらにしても周りに迷惑をかけながらしか生きていけない自分が情けなくはある。
だが今は、情けなさより、怒りが上だから、むしろまだましなのだと思う。
周りとしては、この情けなさをずっと味わっているのが当たり前だと思っているのかもしれない。
誤解があるかもしれないが、これは障害者一般に関する感覚と似ているのではないか?
人の助けなしでは生きられないかわいそうな人、だから、常に感謝しつづけろ!!
そんな風に思っている人間がいるとの事。
私自身、そんなところがまったくないかと言われたら、完全に否定する言葉は見つからない
ただ、そんな行動をしたことはないし、相手にそんな言葉を浴びせかけたことなど、決してない。

そんなわけで、今日も生きていくには、怒りで生きていくしかないのである。

関西人って

2007-05-27 23:19:23 | Weblog
私はなぜか、関西人、特に大阪出身の人と相性が悪い。必ず、喧嘩になってしまう。学生時代より、考えて5人の関西人が身近にいたが、その全ての人と喧嘩になった。
殴り合いはしなかったが、そうなってもおかしくなかったと思う。

今考えると、彼らは、距離感が近いのだと思う。また、自分の価値観を信じており、おせっかいを焼いてくる。

最初のうちこそ、私も合わせようとするし、心遣いがありがたいとも思うのだが、そのうち重くなってきてしまう。
それを伝えると、手のひらを返したように怒り始める。

そして彼らは一様に言うのである。がまんしてやっている。お前のためだと思っている。なんでそうなんだと。

私はもともと友人を作るのも得意ではないが、一人でいるのもつらいと感じない方である。

だが、彼らの価値観では、一人でいるのは異常であり、誰かとつながっていない人間は不気味なのだ。

又、関東もんは理屈っぽいというのが彼らの常套句だが、実際には関西人の方が理屈っぽい。馬鹿とあほ、どちらがきついか等、嬉々として語ってくれるだろう。
だが、実際の仕事の精緻な話になると、いわなくてもわかるだろ、とりあえず、あやまれ、誠意をみせろなど、関西やくざの因縁のつけ方になってくる。
その根拠の薄弱さは、おちついて観察すると笑うしかないのだが、面と向かって関西弁で大声でまくし立てられると、それだけで萎縮してしまうことも多いのが事実でもある。

関東ものが嫌いな関西人へ、関東へこないでください。関東人も、そのような考えの関西人は嫌いです。
東京など、田舎物の集まりですので、周りに過度に関心をもたず、どんな考えであろうと、相手の考えを尊重するのが、東京での暮らし方のコツです。
また、自分がして欲しいことは、具体的に言うのも、それぞれの常識は違うという前提で生きてきた東京ものの常識です。
それを、一方的に自分の常識が正しいと思う関西人は、東京で活動して欲しくないです。
関西で、気心の知れた人たちと幸せにくらしてください。僕らもそれが幸せなのです。決して、あなたの幸せが絶対であると、こちらに押し付けないでください。
お願いします。







労働考

2007-05-27 23:00:36 | Weblog
働くとは何であろう?
仕事とは、誰かに対して働きかけることであると言った人がいたと思う。
では、仕事をするうえでの理想の会社とは?

私にとって会社とは上司のことだと思っている。
理想の上司がいる会社が理想の会社であると思う。
上司が頼りにならない会社は、頼りにならない会社であるとも言えると思う。

ところで、私の上司は私に何をして欲しいのであろう?
私に突然、彼の常識を身に着けた人間になれというのは無理な話であると言うことは、彼にもわかっているはずである。

にもかかわらず、休日のこんな時間に電話をしてきて、ひとしきり、罵倒をしなくては気がすまないのはなぜなのだろう。

沈黙すれば何か言えといわれ、しゃべれば罵倒される。
もう、すでに何度も謝っているのに、延々と繰り返される。
慣れてきたとはいえ、無駄な時間だし、彼も負担に感じていると言っているし、私も気持ちのいいものでもない。
それをありがたいと感じろと言うのは、禅で啓作?で叩かれるようなものだとでも言うのであろうか?

私は、自分を道具で良いと考えている。そんなものはつまらないだろうと言われるが、大きなお世話である。私は楽にお金がもらえれば良いのである。
それなりの仕事でそれなりの給料。それを目指して何がわるいのだろうか?
すべての人間が経営職にはなれないし、なる必要もないと思う。
優れた経営者の考えを具体化できる道具と言うのは、決して卑下するものではないと思う。
どのレベルの道具を目指すのかとなると難しいが、すくなくとも、判断基準は経営者が決めることであると思う。

そのように考えている私に、人格がおかしいと言うのはもう止めてもらいたい。
仕事上のつきあいしかしたくない人に人格云々を言われたくない。
私は仕事上の道具で良いと考えている。
彼が言う真人間に私はなれそうもない。
考え方の公式が違うのだから、簡単なことではない。それを無理やり、彼の考え方ができるようになるより、私を私のまま使ってくれる方がよほど効率的であると思うのだが、どうなのだろう。
そのような世界はあるのだろうか?あったとしても、私はそこへ行けるのだろうか?
そう考えると、つらくても今の会社にいるしかないのかなと思う。
それとも、やはり独立するか?