今月の人・・・Mさん
Mさんはステ-ジ回数が多い。
ステップ、各種コンペティション、音楽祭など年間5~7回は
ステ-ジに立っているのではないだろうか。
夢には魔法の力がある。
このことは私の演奏活動の中で時折テ-マとして取り上げてきた。
自分の能力を信じて夢に賭ければ、潜在的な能力を最大限に生かして、
自分の仕事、ひいては自分の人生に深い意味を見出すことができる。
夢がはっきりしないと、意味のある結果を出すために必要な
ギラギラした欲望を保つことが難しい。
目指すものがぼやけていては、ぼやけた結果しか出ない。
ゴ-ルが見えていなかったら、そこにたどり着くまでの障害しか見えない。
小学2年生のMさんにとって、彼女の「夢」が明確に見えているかどうかはわからない。
ただ、お母様の「夢」は明確だ。
「娘がピアノが上手になってピアノを大好きになってほしい。」
彼女は大好きなお母さんと一緒になってこの「夢」を追いかけている。
卓球の福原愛さんがインタビューで
「あなたにとって、卓球とはなんですか?」という質問に
「長年連れ添った夫婦みたいなものです。」と答えていた。
「好きとか嫌いとかあまり考えない。
けどいなかったら困るし、いないなんて考えられない。」と言う。
また後に同じ質問に「自分を成長させてくれるパ-トナ-」と答え、
また更に後の同じ質問には「私の人生そのもです。」と答えている。
ピアノと同じように小さい頃から親と一緒に卓球一筋、
「泣くならやめなさい!」と言われても
「やだ~!」とやり続けてきた姿が放映されている。
「お母さんと一緒に」の過程から
いつのまにか次第に「自分の夢」へと変わっていったのであろう。
私の友人にも同じ人がいる。
小さい頃から親はバイオリンだけやっていればいい、みたいな感じだったという。
現在バイオリニストとして活躍しているが
「バイオリンをやらせてくれた親に感謝している」とよく話してくれる。
私の親はまったく厳しくはなかったが、
学校でお友達に「弾いて!」とせがまれたり、伴奏を任されたりで、
「やめる」という選択肢があることを考える暇がなかった。
そうして長くピアノと付き合っているうちに、
「長年連れ添った夫婦みたいな感じ。好きかどうかはあまり考えない。好きは好き。」
この答えに大きく共感する。
長くなってしまったが、本題に戻すと、
この夢を叶えるまでの道のりが遠かったり、わかりにくい場合、
短距離に通過点をポイントすると、気持ちがなえなくすむのである。
あの曲がり角まで行こう。次はあの大きな木の所まで行こう。
次はあの看板まで・・・と、小さな目標を作るのである。
これが、Mさんにとってのステ-ジになっている。
結果、Mさんは毎回毎回、審査員の講評を真摯に受け止め、
「次もまた」「今度こそ」と頑張り、回を重ねるごとに大きな成長を見せている。
近頃、家での練習で「やっているもん!」とか
「お母さんやってみればいいじゃん!」とか言わなくなったそうである。
私からのアドヴァイスを書き込んだり、チェックしながら、
黙々と練習するようになったという。
だんだん「お母さんと一緒」のピアノから「自分のピアノ」に変化しつつあるのかもしれない。
将来、Mさんがピアノとは違う分野を職業として選んだとしても、
Mさんの人生にとってピアノが心の大きな支えになってくれることを私は確信している。
Mさんはステ-ジ回数が多い。
ステップ、各種コンペティション、音楽祭など年間5~7回は
ステ-ジに立っているのではないだろうか。
夢には魔法の力がある。
このことは私の演奏活動の中で時折テ-マとして取り上げてきた。
自分の能力を信じて夢に賭ければ、潜在的な能力を最大限に生かして、
自分の仕事、ひいては自分の人生に深い意味を見出すことができる。
夢がはっきりしないと、意味のある結果を出すために必要な
ギラギラした欲望を保つことが難しい。
目指すものがぼやけていては、ぼやけた結果しか出ない。
ゴ-ルが見えていなかったら、そこにたどり着くまでの障害しか見えない。
小学2年生のMさんにとって、彼女の「夢」が明確に見えているかどうかはわからない。
ただ、お母様の「夢」は明確だ。
「娘がピアノが上手になってピアノを大好きになってほしい。」
彼女は大好きなお母さんと一緒になってこの「夢」を追いかけている。
卓球の福原愛さんがインタビューで
「あなたにとって、卓球とはなんですか?」という質問に
「長年連れ添った夫婦みたいなものです。」と答えていた。
「好きとか嫌いとかあまり考えない。
けどいなかったら困るし、いないなんて考えられない。」と言う。
また後に同じ質問に「自分を成長させてくれるパ-トナ-」と答え、
また更に後の同じ質問には「私の人生そのもです。」と答えている。
ピアノと同じように小さい頃から親と一緒に卓球一筋、
「泣くならやめなさい!」と言われても
「やだ~!」とやり続けてきた姿が放映されている。
「お母さんと一緒に」の過程から
いつのまにか次第に「自分の夢」へと変わっていったのであろう。
私の友人にも同じ人がいる。
小さい頃から親はバイオリンだけやっていればいい、みたいな感じだったという。
現在バイオリニストとして活躍しているが
「バイオリンをやらせてくれた親に感謝している」とよく話してくれる。
私の親はまったく厳しくはなかったが、
学校でお友達に「弾いて!」とせがまれたり、伴奏を任されたりで、
「やめる」という選択肢があることを考える暇がなかった。
そうして長くピアノと付き合っているうちに、
「長年連れ添った夫婦みたいな感じ。好きかどうかはあまり考えない。好きは好き。」
この答えに大きく共感する。
長くなってしまったが、本題に戻すと、
この夢を叶えるまでの道のりが遠かったり、わかりにくい場合、
短距離に通過点をポイントすると、気持ちがなえなくすむのである。
あの曲がり角まで行こう。次はあの大きな木の所まで行こう。
次はあの看板まで・・・と、小さな目標を作るのである。
これが、Mさんにとってのステ-ジになっている。
結果、Mさんは毎回毎回、審査員の講評を真摯に受け止め、
「次もまた」「今度こそ」と頑張り、回を重ねるごとに大きな成長を見せている。
近頃、家での練習で「やっているもん!」とか
「お母さんやってみればいいじゃん!」とか言わなくなったそうである。
私からのアドヴァイスを書き込んだり、チェックしながら、
黙々と練習するようになったという。
だんだん「お母さんと一緒」のピアノから「自分のピアノ」に変化しつつあるのかもしれない。
将来、Mさんがピアノとは違う分野を職業として選んだとしても、
Mさんの人生にとってピアノが心の大きな支えになってくれることを私は確信している。