ヤマトタケル

2019-06-24 07:34:30 | スクーリング

大学の勉強 作家作品研究(上代)の授業が終わりました 日本書紀、古事記、風土記の勉強です。 メインは古事記におけるヤマトタケル。 最後の試験問題は... 「なぜヤマトタケルは、死ななくてはいけなかったのか?」 私が出した答えは

ヤマトタケルが死んで、それを神格化する。 それは景行天皇の子供であるが、天皇ではない。軍事的に西征、東征で大勢の神や人を殺していく。「1,2人殺せば、殺人者であるが、数十人、百数人殺せば英雄。」これはチャップリンが『殺人狂時代』での台詞だ。 菅原道真しかり、神で神格化している。 ヤマトタケルは伊吹山の神に負けて能褒野で死んで、白鳥になって飛んでいく。 白という清潔感と鳥信仰を使ってヤマトタケルを神格化。 でも、語り継いだ稗田阿礼がヤマトタケルの話が長くなって疲れたので、ここでおしまいといった様にしたのかも?

この後、単位試験論文があります


古代日本文化史B

2019-01-22 08:26:44 | スクーリング
大学の勉強
古代日本文学史B
 
平安京遷都から鎌倉幕府までの時代背景の中の和歌の流れ
『古今和歌集』などの勅撰集、『土佐日記』『徒然草』そして物語と進み、その中にかかれている和歌がどのように変わっていったか?
国風暗黒、いや唐風繁栄により、漢文、漢詩が重要視され、公の文書は漢文で書かれるが、その時代に万葉仮名を使って和歌が作られていく。遣唐使が廃止になり、さらに仮名が発達し、変体仮名、草仮名が発達する。女手と言われていた仮名を男性が書くようになったきっかけが紀貫之の『土佐日記』である。この日記文学を仮名で書くことによって女性たちの文学が発達する。『源氏物語』『枕草子』である。その文学の中には和歌がある。
和歌の影響、礎にしているのは『古今和歌集』である。『古今和歌集』は、平安時代以前の和歌もありる。また勅撰和歌集として成り立ち、その序分は、仮名で書かれた巻頭の仮名序、漢字で書かれた巻末の真名序が仮名の発展において重要なところを示すものになっている。
仮名による和歌の表記は、筆、紙、墨の発達とともに、連綿やかすれ、散らし書きでの墨の濃淡、余白とのバランスが見事に表現され、写本本である『高野切』の美しさは見事であり、現在でも仮名の手本として高く評価されている。
物語は、宮中内の「おしゃべり」として口伝され、それが書物化し現在に至っている。紫式部や清少納言は紀貫之の『土佐日記』の影響を受け物語を書くようになる。それが『源氏物語』『徒然草』である。その物語の中にも和歌が登場する。
和歌は、平安時代宮中の中でステータスとして重要な位置を占めている。和歌はその昔「やまとうた」と言われ「倭歌」と書かれていた。長歌、短歌と移り変わり、それが俳句につながっている。正岡子規が和歌を題詠による作歌・風雅な趣向が批判している。それは和歌が色恋の歌が多いからであるが、和歌は色恋だけでなく四季折々の歌もある。
 
現代でも和歌は詠われ、今年も1月16日に歌会始の儀が宮殿 松の間で行われている