「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、
かえってなくてはならないものなのです。」
―コリント人への第一の手紙 12章22~27節―
私の働く病院では、毎朝の朝礼として礼拝が行われています。
病院の中にあるちいさなチャペルに集まって、みなで賛美歌を歌い、
聖書を読み、職員が5分ほどのお話をしてくださいます。
先日のお話は、聖書の中から上記の箇所を引用してのものでした。
もう少し引用すると・・・
「また、わたしたちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、
ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、
ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその
必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、
からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に
分裂がなく、各部分が互いにいたわりあうためです。もしひとつの部分が
苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分がともに喜ぶのです。」
今の私たち新入職員というのは、まだまだ役立つ働きができず、
言ってみればこの「弱い器官」のようなものかもしれない、と
その方はおっしゃいました。
そして、「それでも一人一人がなくてはならない大切な存在であり、
スタッフが共にいたわりあいながら、お互いを大切に思いながら
働くことが大切です」と続けられました。
この病院に働く場所を与えられたことを、大きく感謝した朝でした。
朝、働く前に、神様の愛に満ち満ちた状態になることのできる幸せ・・・
恐るべし亀の歩みですが、神様に支えられつつ、一歩ずつ進んでいます。
かえってなくてはならないものなのです。」
―コリント人への第一の手紙 12章22~27節―
私の働く病院では、毎朝の朝礼として礼拝が行われています。
病院の中にあるちいさなチャペルに集まって、みなで賛美歌を歌い、
聖書を読み、職員が5分ほどのお話をしてくださいます。
先日のお話は、聖書の中から上記の箇所を引用してのものでした。
もう少し引用すると・・・
「また、わたしたちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、
ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、
ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその
必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、
からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に
分裂がなく、各部分が互いにいたわりあうためです。もしひとつの部分が
苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分がともに喜ぶのです。」
今の私たち新入職員というのは、まだまだ役立つ働きができず、
言ってみればこの「弱い器官」のようなものかもしれない、と
その方はおっしゃいました。
そして、「それでも一人一人がなくてはならない大切な存在であり、
スタッフが共にいたわりあいながら、お互いを大切に思いながら
働くことが大切です」と続けられました。
この病院に働く場所を与えられたことを、大きく感謝した朝でした。
朝、働く前に、神様の愛に満ち満ちた状態になることのできる幸せ・・・
恐るべし亀の歩みですが、神様に支えられつつ、一歩ずつ進んでいます。