5月11日 仙台国際ハーフマラソンに初参加
4月は4/20風土マラソンと4/27花巻ハーフどちらもレース中に喘息発作が起き、まともなレースにならなかった。
その後、呼吸器内科でステロイドなどを使用した点滴治療をしていただき、
さらに吸入薬をトリプル(最強)にし、経口ステロイドを服用というように治療の強度を一時的に上げることになった。
そのおかげもあり、ジョギング程度は可能で少しずつ深い呼吸ができるようになってきていた。
ステロイド副作用で夜中突然起きて食べ始めるということも何度かあったけれど体重も増えずに経過した。
今年の春の大目標は5月18日の奥州きらめきマラソンでのサブ3.5。
3月から屋外で走りはじめて調子は良かった。ガーミンのVO2は過去最高レベルの59まで上昇したくらい。
ただ、喘息の発作が起きて以降は、サブ3.5はあまり現実的ではなく、VO2も55まで低下。
本来ならばフルマラソンの1週前のハーフマラソンは疲労を持ち越す可能性もあり距離が長すぎる。
でも昨年、サブ3.5を達成できたのでいつかは出てみたかった仙台ハーフに記録狙いではなく、もともと楽しむつもりでエントリーしてみていた。
ただ、喘息の悪化の最中にある今回は、ゆっくりでもいいから20km走って発作が起きないコンディションなのか確かめる場にしようと考えた。
前半抑えて走り、後半サブ3.5のペースである1km5分を少し切るペース位まで上げて発作が起きるかどうか。
このくらいで喘息発作が起きるようであれば、来週の奥州マラソンは、ゆっくり走るか、DNSにする必要がある。
7時11分の盛岡発東北新幹線に乗り、仙台駅へ。
途中、大会HPを確認すると強風のため男子更衣室テントが倒壊したため、
急遽、楽天のボールパークのライトスタンドで更衣可能という案内。在来線も風で遅れが出ているとのこと。
たいへんな状況だけれど、記録を目指すレースでもない。スタート地点は仙台駅から仙石線で2駅の宮城野原だけれど、
時間が読めない仙石線ではなく、のんびり歩行して会場入り。大都市なので途中の道では大きなガラス窓に自分の歩行が映る。
歩容をチェックして力が入りすぎているところを抜き、
姿勢を整えながら歩いていると、会場近くになってちょうどいい感じの歩容になってきていた。仙石線に乗るよりよかった。
ターサーでゆっくりウオーミングアップしてレース用のマジックスピード3に履き替える。靴底が異様にぐにゃぐにゃする感じになるが、
どこに力をいれて走ればよいかわかりやすくなっていた。
吸入薬、日焼け止めなど準備をしてスタートの1時間前にトイレに行き、スタート45分前にスタートブロックに向かう行列に並び始めた。
普段のレースだったらスタート直前にスタート地点に行って列に並べばよいのに今回のようなメガレースは違うのだ。
行列が延々と数百メートルも続き、その最後列から少しずつ進むと、大会のブロック入りして整列する時間をオーバー。
ルールを厳密に適応するとGブロックの後ろに並ばなければならないレベルだった。
今回はSブロック(エリート)A(陸連登録)の次のBブロックのゼッケンを記録証を送付していただいていた(Gブロックまである)。
でもスタートブロックに着くとBブロックの最後列でスタート地点ははるか前方で見えない。
記録を目指すのだったら相当早く並び始めるか、陸連登録をする必要があることはわかった。
とにかくなんとかスタート地点にたどり着けた。
10時05分スタート。
スタートラインまで1分ちょっとかかり通過。まったく身動きもできない混雑ではじめの1kmは5分42秒。
もともと5分20秒ペースでいいやと割り切っていた。5kmまで約5分20秒ペースで進む。
学生時代や就職していた仙台でランナーが道のはるか前方まで埋め尽くすさまは圧巻だった。
東二番町通の片側5車線みたいな広い道路に出ると混雑がなくなってきてペースが5分10秒を切ってきた。
そして広瀬川を渡り、仙台城のエリアに入ると5分を切ってきた。
そして学生時代、気象観測をしていた定禅寺通りのケヤキ並木に入って10km。
少しペースを上げると衝撃が少なく着地ができて楽に走れることに気づいた。
ペースはあっという間に4分30秒くらいまで上がって想定より早すぎるレベルなのだけれど、
楽なのでがんばらずそのまま行ってみることにした。大変になったらペースを落とせばよいのだ。
10㎞まではピッチが195前後だったけれどこれ以降は平均199くらいまで向上。
10㎞を過ぎてすぐに1時間50分(1km5分12秒)のペースメーカーを追い抜いた。
そのあとは、かなり周りのランナーと速度差がある状態。
背中に書いてある「本気になれ 弓削田眞理子」という先生の直筆文字を
追い抜くたびに見せつけるような展開になった。
時々1km4分を切るペースになる時計の数値もあり喘息の症状が落ち着くとこんなに楽なのかとおどろく。
給水所は速度差がありすぎて毎回激突しそうになり危険な状態になったので後半はあまり給水所に寄らずに走った。
気温が20度前後であまり高くなく助かった。。
一方であまり寒くなく、昨日雨が降って湿度が高い(約50%)こともぜんそく患者には幸いした。
ラスト5kmは仙台駅東口の道路をぐるぐる。学生時代は再開発中で存在しなかった街の様子を見ながら走る。
多少息が切れてきた際に、大きく呼吸できない感じはわずかにあるが、炎症で胸が苦しい感じはない。ペースも落ちない。
ラスト1kmはスパートすれば1km4分切るくらいの自信はあったけれど、今日はそういうレースではないので自重。
陸上競技場に入り、青色のトラックを走ってゴール。
1時間43分。10km過ぎてから後半は1km4分30秒くらいのペースで走った計算になる。

発作が続いて自分のサブ3.5は1回きりになってしまうのかと思ったけれど、
コンディションがよければまだまだ大丈夫な実感があった。
今週、喘息の調子が悪くならなければ、来週は3時間半を目指したレースができるかもしれない。
帰りも仙台駅まで歩いた。第一楼 エスパル仙台店で中華のお弁当が
あまりにもおいしそうで買って新幹線の待合室で食べた。味に感動したので今度また。
4月は4/20風土マラソンと4/27花巻ハーフどちらもレース中に喘息発作が起き、まともなレースにならなかった。
その後、呼吸器内科でステロイドなどを使用した点滴治療をしていただき、
さらに吸入薬をトリプル(最強)にし、経口ステロイドを服用というように治療の強度を一時的に上げることになった。
そのおかげもあり、ジョギング程度は可能で少しずつ深い呼吸ができるようになってきていた。
ステロイド副作用で夜中突然起きて食べ始めるということも何度かあったけれど体重も増えずに経過した。
今年の春の大目標は5月18日の奥州きらめきマラソンでのサブ3.5。
3月から屋外で走りはじめて調子は良かった。ガーミンのVO2は過去最高レベルの59まで上昇したくらい。
ただ、喘息の発作が起きて以降は、サブ3.5はあまり現実的ではなく、VO2も55まで低下。
本来ならばフルマラソンの1週前のハーフマラソンは疲労を持ち越す可能性もあり距離が長すぎる。
でも昨年、サブ3.5を達成できたのでいつかは出てみたかった仙台ハーフに記録狙いではなく、もともと楽しむつもりでエントリーしてみていた。
ただ、喘息の悪化の最中にある今回は、ゆっくりでもいいから20km走って発作が起きないコンディションなのか確かめる場にしようと考えた。
前半抑えて走り、後半サブ3.5のペースである1km5分を少し切るペース位まで上げて発作が起きるかどうか。
このくらいで喘息発作が起きるようであれば、来週の奥州マラソンは、ゆっくり走るか、DNSにする必要がある。
7時11分の盛岡発東北新幹線に乗り、仙台駅へ。
途中、大会HPを確認すると強風のため男子更衣室テントが倒壊したため、
急遽、楽天のボールパークのライトスタンドで更衣可能という案内。在来線も風で遅れが出ているとのこと。
たいへんな状況だけれど、記録を目指すレースでもない。スタート地点は仙台駅から仙石線で2駅の宮城野原だけれど、
時間が読めない仙石線ではなく、のんびり歩行して会場入り。大都市なので途中の道では大きなガラス窓に自分の歩行が映る。
歩容をチェックして力が入りすぎているところを抜き、
姿勢を整えながら歩いていると、会場近くになってちょうどいい感じの歩容になってきていた。仙石線に乗るよりよかった。
ターサーでゆっくりウオーミングアップしてレース用のマジックスピード3に履き替える。靴底が異様にぐにゃぐにゃする感じになるが、
どこに力をいれて走ればよいかわかりやすくなっていた。
吸入薬、日焼け止めなど準備をしてスタートの1時間前にトイレに行き、スタート45分前にスタートブロックに向かう行列に並び始めた。
普段のレースだったらスタート直前にスタート地点に行って列に並べばよいのに今回のようなメガレースは違うのだ。
行列が延々と数百メートルも続き、その最後列から少しずつ進むと、大会のブロック入りして整列する時間をオーバー。
ルールを厳密に適応するとGブロックの後ろに並ばなければならないレベルだった。
今回はSブロック(エリート)A(陸連登録)の次のBブロックのゼッケンを記録証を送付していただいていた(Gブロックまである)。
でもスタートブロックに着くとBブロックの最後列でスタート地点ははるか前方で見えない。
記録を目指すのだったら相当早く並び始めるか、陸連登録をする必要があることはわかった。
とにかくなんとかスタート地点にたどり着けた。
10時05分スタート。
スタートラインまで1分ちょっとかかり通過。まったく身動きもできない混雑ではじめの1kmは5分42秒。
もともと5分20秒ペースでいいやと割り切っていた。5kmまで約5分20秒ペースで進む。
学生時代や就職していた仙台でランナーが道のはるか前方まで埋め尽くすさまは圧巻だった。
東二番町通の片側5車線みたいな広い道路に出ると混雑がなくなってきてペースが5分10秒を切ってきた。
そして広瀬川を渡り、仙台城のエリアに入ると5分を切ってきた。
そして学生時代、気象観測をしていた定禅寺通りのケヤキ並木に入って10km。
少しペースを上げると衝撃が少なく着地ができて楽に走れることに気づいた。
ペースはあっという間に4分30秒くらいまで上がって想定より早すぎるレベルなのだけれど、
楽なのでがんばらずそのまま行ってみることにした。大変になったらペースを落とせばよいのだ。
10㎞まではピッチが195前後だったけれどこれ以降は平均199くらいまで向上。
10㎞を過ぎてすぐに1時間50分(1km5分12秒)のペースメーカーを追い抜いた。
そのあとは、かなり周りのランナーと速度差がある状態。
背中に書いてある「本気になれ 弓削田眞理子」という先生の直筆文字を
追い抜くたびに見せつけるような展開になった。
時々1km4分を切るペースになる時計の数値もあり喘息の症状が落ち着くとこんなに楽なのかとおどろく。
給水所は速度差がありすぎて毎回激突しそうになり危険な状態になったので後半はあまり給水所に寄らずに走った。
気温が20度前後であまり高くなく助かった。。
一方であまり寒くなく、昨日雨が降って湿度が高い(約50%)こともぜんそく患者には幸いした。
ラスト5kmは仙台駅東口の道路をぐるぐる。学生時代は再開発中で存在しなかった街の様子を見ながら走る。
多少息が切れてきた際に、大きく呼吸できない感じはわずかにあるが、炎症で胸が苦しい感じはない。ペースも落ちない。
ラスト1kmはスパートすれば1km4分切るくらいの自信はあったけれど、今日はそういうレースではないので自重。
陸上競技場に入り、青色のトラックを走ってゴール。
1時間43分。10km過ぎてから後半は1km4分30秒くらいのペースで走った計算になる。

発作が続いて自分のサブ3.5は1回きりになってしまうのかと思ったけれど、
コンディションがよければまだまだ大丈夫な実感があった。
今週、喘息の調子が悪くならなければ、来週は3時間半を目指したレースができるかもしれない。
帰りも仙台駅まで歩いた。第一楼 エスパル仙台店で中華のお弁当が
あまりにもおいしそうで買って新幹線の待合室で食べた。味に感動したので今度また。
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