「映像オペラを楽しむ会」ご案内・公式

ライブ映像鑑賞の愛好会。会場は国際交流センター(最寄り駅:東急東横線「元住吉」)毎月第3木曜日午後1時~5時。入会随時。

2025年2月例会は、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』を鑑賞します。

2025年01月19日 | 日程

次回の例会は 2月20日1時開場、1時25分 開演。

演目はベルリオーズ作曲 『劇的物語 ファウストの劫罰 』です。

会場は、東急・東横線「元住吉」駅から徒歩12分の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

毎月1回(年12回)の鑑賞ができる年会費6000円の会員を随時募集しています。1回のみの鑑賞は、1200円です。どちらも、当日、会場入り口で受け付けます。お気軽にご来場ください。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家、竹内貴久雄さんによる演目紹介です。

 

§ 「劇場」という空間に入りきれなかったオペラ だった!
 ドイツの大文豪ゲーテの叙事詩『ファウスト』のフランス語訳を手に入れたベルリオーズが、その世界にすっかり魅せられて、自身のイメージでそれをさらに膨らませて作曲した作品が『ファウストの劫罰』です。タイトルの前に「劇的物語」と冠せられているというオペラのようでオペラではない不思議な音楽で、原則として、演奏会形式でそれぞれの役をもらった歌手や合唱が、オーケストラと共に舞台で歌う作品です。時折、オペラとして舞台で演技しながらという公演も試みられてきましたが、あまり成功していないようです。というのは、ベルリオーズのイメージが豊か過ぎて、たくさんの場面があふれかえり、現実の舞台に乗せると、どうもうまく行かないのです。想像を絶すると言ってよいほどの「情景」の多様さが、物理的な制約を受け入れにくい内容にしてしまっていたのです。
 ベルリオーズ自身が言っているという言葉、「音楽は、劇場の壁の中には広げきれないほど大きな翼を持っているのだ」が、とても象徴的です。ベルリオーズが広げた音楽の巨大な翼は、劇場の舞台には乗り切れず、それは、音楽という空想の世界の中で、自由に羽ばたいていたということです。


§オペラ演出の〈技術的進歩〉が〈不可能〉を乗り越えた?
 『ファウストの劫罰』の音楽の多面性を「言葉」で説明するのは、それこそ無意味なことです。統一とか、相似、均衡、あるいは対比、といった整合性とはまったく無縁の音楽です。
 では、散漫で場当たり的かというと、そうではないのです。もちろん混乱もありません。音楽のイメージの豊かさが、全体を大きく包んでいる様は、この全四場とエピローグから成り立つ二時間を越える作品を、少なくとも各場ごとには通して聴かなくては伝わってこないものにしています。オーケストラ、大勢の独唱者(登場人物)、混声六部の合唱に、二部の児童合唱まで加わった『ファウストの劫罰』の壮大な音楽は、それこそ「コックテール」のように虹色に輝いて、聴く者を別世界へと誘い、場面も千変万化してゆきます。
 じっと目をつぶれば、ファウスト博士の瞑想のように想像の翼は広がり、はるか遠くを通り過ぎていくものの気配さえもが聴こえてくるようです。眼前に迫り来るものと、遠くに見えているものとの多様な距離感を、音楽だけで感じさせるのも、このベルリオーズの音楽の特質なのですが、それを、「劇場」という空間の中で味わいたい、という願いは、作曲当初からあったに違いありません。近年のオペラ演出の技術的進歩には、目覚ましいものがあります。そこで、100年以上も昔にベルリオーズが夢見ていたはずの「オペラとしての『ファウストの劫罰』上演」が試みられるようになったのです。その成果を、ぜひお楽しみに!

 

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2025年1月例会は、ロッシーニ『チェネレントラ(シンデレラ)』です。

2024年12月26日 | 日程

次回は、1月16日(木曜日)1時25分 開演
ロッシーニ作曲 『チェネレントラ (シンデレラ) 』です。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家・竹内貴久雄さんによる「演目紹介」です。

会場は、東急・東横線「元住吉」駅から徒歩12分の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

毎月1回、年12回の鑑賞ができる年会費6000円の会員を随時募集しています。1回のみの鑑賞は、1200円です。どちらも、当日、会場入口で受け付けます。

お気軽に、ご来場ください。

 

§ 『チェネレントラ』 は 『シンデレラ』 のこと。明治時代には 『おしん』 だった!
 フランスの作曲家マスネの有名なオペラのひとつに『サンドリヨン』という作品がありますが、これは、ロッシーニの『チェネレントラ』と同じ物語です。――というのは、もともと原作が、日本では『シンデレラ』として知られているシャルル・ペローの童話『サンドリヨン』だからです。なぜ、こんなややこしい話になるのかは、じつは単純な理由です。
 元の物語は、シャルル・ペローの『サンドリヨン』ですが、その意味は「灰かぶり」。暖炉の燃えカスの灰をかぶるような、掃除などの下働きでこき使われている娘が主人公だからですが、その「灰かぶり」を英語にすると「シンデレラ」、イタリア語にすると「チェネレントラ」なのです。
 この物語が日本に初めて紹介された時は、これを基にしたドイツの『グリム童話』の一挿話でしたので、これはドイツ語「アシェンプテル」でしたが、明治時代だったので日本風に改められて、なんと「お辛[しん]」だったそうです。ガラスの靴ではなく、扇子[せんす]を落として帰ったという設定に替えられたと伝えられています。これが大正時代の菊池寛などによって、グリム童話に忠実に『灰かぶり姫の物語』になったそうです。ひょっとすると、私たち日本人が『シンデレラ』として親しんだのは、第二次大戦後に日本で大ヒットした「ディズニー映画」からかも知れません。
 このロッシーニの「シンデレラ物語」には、ガラスの靴は登場しません。初演当時、イタリアでは、舞台上で靴を脱いだり履いたりするのは下品なこととされていたので、主演の歌手が嫌がったから、とも伝えられています。では、「ガラスの靴」の代わりに何が登場するのかは、当日のお楽しみに!


§ 『チェネレントラ』 は、『セヴィリアの理髪師』 と並ぶ傑作
 ロッシーニのオペラでは『セヴィリアの理髪師』が一番有名です。この大ヒットによって、ロッシーニは低迷していたイタリア・オペラの救世主として一躍人気作曲家となりました。注文が殺到して次々に新作を書き続けていた絶頂期の作品の一つが、この『チェネレントラ』です。これも大ヒットし、中に登場するアリアを口ずさむ人も多かったので、〈ピアノの詩人〉ショパンが『ロッシーニの主題による変奏曲』を書いたといわれているほどです。
 〈天才〉は、忙しくて時間がないときほど集中できて、いい仕事をする、というのは、モーツァルトが証明していますが、ロッシーニも、この2時間半にわたる傑作オペラを、3週間ほどで書き上げてしまったそうです。ノリの良い軽快な音楽の運びで、一気に聴き終えてしまう楽しい喜劇――。そのハッピーエンドを、年のはじめに、ぜひ!

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2024年12月例会は、オッフェンバック『美しきエレーヌ』です。

2024年11月25日 | 日程

次回は 12月19日(木曜日)1時25分 開演
オッフェンバック作曲 『美しいエレーヌ』です。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家、竹内貴久雄さんによる「演目紹介」です。

会場は、東急東横線(目黒線)「元住吉」駅下車の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

 

§ 『天国と地獄』と並ぶ抱腹絶倒の傑作オペレッタ!
  パリの町で生まれパリの民衆に育てられたオペレッタは、その創始者オッフェンバックによる『天国と地獄』(地獄のオルフェウス)が最も有名で、それは「ギリシャ神話」のパロディでした。それに劣らぬほどの人気と面白さで知られているのが、同じくオッフェンバックの『美しきエレーヌ』です。これもギリシャ神話のパロディで、有名な「パリスの審判」を含む『トロイア戦争』が元ネタなので、ヨーロッパの人々には馴染み深いのです。
 台本は、ビゼーの『カルメン』を書いたアンリ・メイヤックとリュドヴィク・アレヴィの名コンビによるもの。この二人は、パリからウィーンへと飛び火してウィーン・スタイルのオペレッタの大ヒット作となったヨハン・シュトラウスの『こうもり』の原作者でもあるのですから、その面白さは保証付きといってもいいでしょう。
 オッフェンバックのオペレッタは、もともと、当時のフランスに蔓延していた政治腐敗に対する批判精神に富んだ「風刺劇」の性格を色濃く持ったもので、それは『天国と地獄』でも鮮明に現われていました。けれども、『美しきエレーヌ』では、そうした「社会風刺」の鋭い攻撃性が抑えられ、ずっと普遍的な「人間喜劇」としての楽しさが前面に押し出されています。このオペレッタから、私たち現代の日本人も、「あぁ、オトコとオンナとは……」と、様々に思いを巡らせることでしょう。名旋律と、躍動感あふれるリズムに彩られた、抱腹絶倒ドタバタ・オペラの傑作です。


§「元ネタ」の神話は、こんなお話
 プティアの王ペレウスと海の女神テティスの婚礼が行なわれ、オリュンポスの神々はそろって出席したのですが、その席にたったひとり、招待されなかった女神エリスが怒って宴会の場に黄金の果実を投げ込みます。その果実には「これを、最も美しい女性に」と記されていたため、ジュノ、ミネルヴァ、ヴィーナスの3人の女神が名乗りを上げたのです。お互いに「自分が一番!」と譲りません。そんな彼女たちのいがみ合いに困り果てた大神ジュピターは、トロイアの王子パリスに、その判定を下すよう命じます。
 3人の女神は、それぞれ、自分に有利な判定をしてもらおうとパリスに約束をしますが、ヴィーナスのそれは「人間の中で最も美しい女性エレーヌの愛を得る」というものでした。パリスがその約束に飛びつき、エレーヌの愛を勝ちとり、トロイアに連れ帰ったことから、問題がこじれます。エレーヌは、スパルタ王メネラオスの妻だったからです。こうして「トロイア戦争」がはじまり、パリスは戦死。トロイアの国そのものも「トロイアの木馬」として知られる策略で滅亡。エレーヌは元のさやに戻り、平和がよみがえるという物語です。

 

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2024年11月例会は、リムスキー=コルサコフ『金鶏(コックドール)』です。

2024年10月19日 | 日程

次回は 11月21日(木曜日)、1時5分に開場、1時25分 開演。演目は、リムスキー=コルサコフ作曲 『金鶏(コックドール)』です。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家、竹内貴久雄さんによる「演目紹介」です。

会場は、東急東横線「元住吉」下車の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

 

§プーシキンの原作寓話のメルヘン世界をオペラ化した傑作
 ロシアの作曲家、リムスキー=コルサコフの最期のオペラ作品となった『金鶏(コックドール)』は、ロシアの文豪・詩人アレクサンドル・プーシキン(1799‐1837)が書いた短い寓話を原作としています。そのため、「ロシア民話」かと思われがちですが、プーシキンが参考にしたのは「ニッカーボッカー」で知られるアメリカの旅行作家ワシントン・アーヴィングのスペイン旅行記『アルハンブラ物語』(1832年・刊)に収められた「アラビアの占星術師の伝説」です。プーシキンが、それを様々な新たな登場人物を加えて自由にふくらませ、ロシア民話風に仕立て直したものです。
 リムスキー=コルサコフのオペラは、このプーシキンの書いた寓話をさらに数倍の長さに拡大したもので、1906年10月15日に作曲に着手しています。
 当時のロシアは、革命前夜の不穏な空気に覆われていました。2年前から続いていた日露戦争が前年1905年9月にロシア側の敗戦で終結しましたが、この年の1月22日にペテルブルクで皇帝ニコライ2世に対する大規模な労働者の請願デモ行進が行なわれています。この時、労働者に軍隊が発砲して3000人以上の犠牲者が発生するという「血の日曜日事件」が起きました。そうした不穏な時代に作曲された作品なのです。
 オペラ化された『金鶏』の物語は、明らかに、当時の帝政ロシアを批判した風刺的ストーリーとなっていました。そのため、なかなか初演が許可されず、紆余曲折を経て1909年9月24日にようやく行なわれた初演の日には、作曲者は既に世を去っていました。


 物語は、一見すると、以下のような、たわいないメルヘン童話です。
 架空のある国の王様であるドドンは、ふがいない二人の王子と何事にも反対する大臣ポルカンとの諍[いさか]いに挟まれ、政治を行うことにすっかり疲れていました。しかし、よその国が攻め込んでくる気配が心配になり、怪しげな占い師の言葉を信じ、国の政治の決定を、丸ごと金の鶏のお告げ通りに進めることにしてしまいます。さて、そうしてドドン王は…。
 この幻想的な物語は、ロシアのオペラの中でも、チャイコフスキー『エフゲニ・オネーギン』『スペードの女王』、ボロディン『イーゴリ公』、ムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』と並んで人気のある作品のひとつで、世界中のオペラハウスで何度も上演されています。

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2024年10月例会は、プッチーニ『つばめ』です。

2024年10月02日 | 日程

次回は 10月17日、1時5分に開場、1時25分 開演。演目は、プッチーニ作曲 『つばめ』です。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家、竹内貴久雄さんによる「演目紹介」です。

会場は、東急東横線「元住吉」下車の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

 

§プッチーニ晩年の隠れた名作は、ヴェルディ『椿姫』と似ている?
 最近、やっと、話題にする人が増えてきましたが、『蝶々夫人』と『トゥーランドット』という大ヒット作に挟まれ、あまり上演されることのない『つばめ』も、まちがいなくプッチーニの名作だと思っています。プッチーニという作曲家は、登場人物の感情の高揚を表現する途方もない名人で、それを、いくつもの名作で証明してきましたが、この『つばめ』では、円熟した作曲テクニックによって、さらに、複雑に折り重なる様々なメロディを織り上げて、聴く者を掴んで離しません。
 このオペラのヒロインは、いわゆる〈高級娼婦〉のような過去があるらしい存在として描かれています。ヴェルディの『椿姫』のヴィオレッタと似ています。そうした〈過去〉が、彼女の新しい〈出発〉へ踏み出そうという勇気を妨げるというストーリーです。
 ですが、最近は、「過去をとやかく言わない」という生き方が当たり前になってきていますし、事実、1970年代を学生時代で過ごした私の世代から既に、「私も、若い頃はいろいろあったのよ…」的な発言がフツーになりつつありましたから、このオペラの登場人物に対する価値観も、ずいぶん変わってきているようです。最近、久しぶりにこの演目を上演したメトロポリタン歌劇場でも、今回の演出は、明らかに、いわゆる〈高級娼婦〉という一時期の社会の風俗から生まれた職業を明確化せず、単に、裕福な男性をパトロンにして優雅に暮らしている夫人、といった程度にとどめているように見えました。


§「冒険」を夢見た青春時代を思い出す?
 それにしても、このオペラ、ヒロインが、「私は昔、パリの町の片隅で、貧しいお針子だった。でも、優しい学生たちが仲良くしてくれて楽しかった」みたいな話をして、『ラ・ボエーム』を思い出させるのは、なかなか〈憎い〉設定です。そして、「今は、堕落した女となって、恥辱と黄金に囲まれて暮らしている」などと、『椿姫』のヴィオレッタのように呟くとは……。プッチーニが、清く貧しく暮らしていた自身の学生時代を思い返しながら『ラ・ボエーム』の最後の幕を作曲していて、思わず五線紙の上に涙を落した、という逸話を思い出します。やっぱり、プッチーニは、いい! 
 このオペラは、財力のある男の庇護から自立しようとするひとりの女性の、儚い夢を描いたストーリーですが、そうした主人公の姿から、「夫婦」という「装置」に縛られているすべての男と女の、「自由になりたい!」という永遠の夢を感じ取ってしまうのは、プッチーニの名旋律の魔術かも知れません。老いてなお、青春の日々を忘れずに、時折、思い出されている人に、ぜひ、ご覧いただきたいオペラです。

 

 

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