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【ワクチン開発、急ぐべきでない】コロナワクチンの拙速な開発・承認は危険~免疫学の第一人者が警鐘~

2021-02-23 10:44:14 | 政治

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■ワクチン開発、急ぐべきでない

 

・免疫学の第一人者が警鐘

 

東京新聞(2020年8月8日)

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/47729

 

 

 


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◆抗体できても役に立たない場合も

 

 


宮坂さんには苦い経験がある。

 

かつて研究で飼育していたマウスの間で、コロナウイルスの大量感染が起きた。

 

 

「調べると、感染したマウスは抗体を作るが治らない。免疫を回避する能力の高い厄介なウイルスだと思った」と振り返る。

 

ワクチン開発で世界のトップを走る製薬会社は、バイオテクノロジーを駆使する「遺伝子ワクチン」という技術を活用。

 

 

「接種したら抗体ができた」と効果を発表している。

 

宮坂さんは「遺伝子ワクチン技術は有効である可能性が高い」と認める一方、「できた抗体の量が十分かどうかも分からない。コロナの場合、抗体ができても役に立たない場合がある」と指摘する。

 

 

 


◆「悪玉抗体」が作られる恐れ

 

 


それどころか、感染時にかえって病気を悪化させる「悪玉抗体」が作られる恐れがあるという。

 

悪玉抗体がウイルスと結びつくと、全身の免疫細胞の1種が感染してしまう。

 

 

抗体依存性免疫増強(ADE)と呼ばれる症状だ。

 

新型コロナに近いSARSの動物実験で確認されており、宮坂さんは「コロナウイルスが手ごわい理由」と話す。

 

 

こうした副作用を防ぐため、ワクチン開発ではまず動物実験から始め、次に少人数の接種、最後は数千~1万人規模で接種して効果と安全性を調べる必要がある。

 

ADEは個人差も大きく、宮坂さんは「安全性や予防効果は、大規模な接種から1年程度経過しないとわからない」とみている。

 

 

海外の臨床試験で承認されたワクチンが、すぐに国内でも承認される可能性が高い。

 

宮坂さんは「過去には海外の承認薬をそのまま国内で使って重大な副作用が起きた例がある。人種差もあるので国内で試験をするべきだ」と訴える。

 

 

 


◆手順を踏まずに接種をすれば人体実験に

 

 


開発を急ぐあまり、試験に時間をかけない動きには「きちんと手順を踏まずに接種をすれば人体実験になってしまう。効果の低いワクチンで安心し、かえって感染を広げることも。効いたらもうけものだという考えではだめ。有効なワクチンの開発には2年はかかるだろう」と指摘する。

 

 

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■ワクチン開発、急ぐべきでない
・免疫学の第一人者が警鐘
東京新聞(2020年8月8日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/47729

 

 

 

 

 

 

本日は大阪大学教授の宮坂昌之氏の記事2つご紹介いたします。

もう一つの記事はこちらです。

 

 

 

 

 


■「コロナワクチンの拙速な開発・承認は危険」

 

~免疫学者が断言する理由~

 

宮坂昌之/大阪大学免疫学フロンティア研究センター招聘教授

 

ダイヤモンド編集部 鈴木洋子(2020.9.21)

 

https://diamond.jp/articles/-/248971

 

 

~~~

 

 

 

現在日本が在庫を確保しようとしている英アストラゼネカによるワクチンは「自社が行う第3相試験の結果を信用するなら日本で使っていい」という条件付きのものです。

 

今年の末には初期段階の結果が出ますが、ウイルスに対する抗体がどのくらいできるかは分かるが、予防効果や病気を悪化させないか否かは分からない。

 

 

現在世界で五つの開発が、第3相試験に入っていますが、どのワクチンも同様の状況です。

 

抗体ができることを確認するだけでは駄目で、それは抗体が悪影響を及ぼすケースもコロナウイルスにはあるからです。

 

 

以前に流行したコロナウイルスであるSARS(重症急性呼吸器症候群)とMERS(中東呼吸器症候群)のワクチン開発では、猫を使った動物実験でワクチンを打つほど感染がひどくなるという結果が出ました。

 

抗体の役割は、ウイルスを自分に結合して殺すことです。

 

 

ところが、抗体の中には結合してもウイルスを殺すことができないものもあります。

 

この場合は食細胞(白血球など、外来の微生物などの異物をのみ込み、破壊する細胞のこと)がウイルスを結合した抗体ごと取り込んで殺すのですが、未熟な食細胞は逆にウイルスに感染し、全身に感染を広げてしまいます。

 

 

ワクチンを打つことでウイルスを殺す“善玉”抗体を得ようとしたのに、逆に“悪玉”抗体が感染を全身に広げてしまう。

 

つまり、ワクチン開発では、善玉抗体ができるか否かを時間をかけて見極める必要がある。

 

 

さらに、ある地域や人種を対象にした第3相試験の結果を、そのまま他地域で適用できるとは限りません。

 

抗リウマチ薬のアラバという薬は、海外の第3相試験で良い結果が出たからと日本での第3相試験を省略した結果、間質性肺炎により大量の死者が出てしまいました。

 

 

ワクチン開発は当然進めるべきですが、ゆっくりでいいので確実なものを作らなければならない。

 

少なくとも予防効果があるかどうか、そもそも病気を悪化させないかどうかという点は、確実に見極める必要があります。

 

 

10万人、100万人に1人というレベルの脳症や神経症などの深刻な副反応の有無を見極めるには、さらに長い時間が必要です。

 

これまでのワクチンの開発の歴史においても、完成までには長い時間がかかっています。

 

 

最速はおたふくかぜのワクチンですが、それでも4年かかっています。

 

そもそも、ワクチン開発案件の中で認可にたどり着く確率は全体の4%しかありません。

 

 

政治的な思惑もあり、世界的にワクチン開発に巨額の資金がつぎ込まれていますが、とにかく拙速に動くべきではありません。

 

 

 

~~~
■「コロナワクチンの拙速な開発・承認は危険」
~免疫学者が断言する理由~
宮坂昌之/大阪大学免疫学フロンティア研究センター招聘教授
ダイヤモンド編集部 鈴木洋子(2020.9.21)
https://diamond.jp/articles/-/248971

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪大学教授の宮坂昌之さんの記事2つをご紹介させていただきました。

 

「善玉」ワクチンか「悪玉」ワクチンか、少し怖い内容ですね。

 

 

英国でファイザー社のワクチン接種が開始される報道もありました。

 

前安倍内閣が契約した、ファイザー社やアストラゼネカ社、モデルナ社なども外堀を埋め始めている印象です。

 

 


以前からよく言われている、強いリーダーシップに欠けている日本の政治。

 

いわゆる受け身の政治。

 

 

しかしながら、なぜか、コロナワクチンだけは、前安倍内閣が詳細な説明もなく、あっという間に政府と製薬会社が契約した印象があります。

 

まるで何かの密約か、指示でもあったかのようなスピード感でした。

 

 

そのためでしょうか。

 

 

あまり説明のない海外の遺伝子組み換えコロナワクチンは「善玉」なのか「悪玉」なのか、実際マスメディアでも殆ど報道はなされていません。

 

 

以前の読んだ東洋経済記事では、そのコロナウイルスは「脳」への影響もある、という研究結果もありました。

 

 

※コロナ「脳細胞にまで侵入する」という新事実(東洋経済 2020/09/17:The New York Times)
https://toyokeizai.net/articles/-/375947

 

 

 

ワクチンとは、そもそも健康な人へ、その病原体であるウイルスを接種する予防方法です。

 

遺伝子組み換えコロナワクチン接種は、コロナウイルスを体内に入れる作業。

 

 

「善玉」となるか、「悪玉」となるか、まだ詳細不明な状態であった場合、そのリスクは非常に大きいのではないでしょうか。

 

もし、仮に、その「善玉」コロナウイルスが、あるアクションを起こすことで「悪玉」コロナウイルスに変化する、という可能性もあり得ます。

 

 

つまり、今回のコロナワクチンは、政府が契約した内容で、遺伝子組み換えコロナワクチンを体内に入れることでもあります。

 

 

前安倍内閣が締結した製薬会社との契約は、どのような事態になっても、その責任を負わないという契約内容です。

 

「どのような結果になっても知りません」という内容でもあります。

 

 

もし、仮に、悪意ある意図的な「副作用」があったとしたらどうでしょうか?

 

もし、仮に、「悪玉」コロナウイルスへの変化をコントロールすることができたらどうでしょうか?

 

 

遺伝子は、次世代へつながるものです。

 

私たち子どもたちに、その遺伝子組み換えコロナワクチンは、少なからず影響するかもしれません。

 

 

これから生まれてくる子どもたち、その子ども、孫などなど・・・。

 

人工的に組み換えされた「コロナワクチン」。

 

 

そのリスクを背負うには、もっと詳細な説明が必要な気がします。

 

「何も考えずに」「政府に指示された通り」では大きなリスクかもしれません。

 

 

メディアも含めて、アストラゼネカ社とはどのような企業なのか、ファイザー社とは、モデルナ社とは、どのような考え方で運営されているのか、もっと私たちは知るべきではないでしょうか。

 

 

そしてその海外企業のワクチンの仕組みや接種後の考えうるリスクなど、もっと、地方の高齢者にもわかるように説明することが必要かもしれません。

 

 

毎日、感染者で煽るだけのメディア報道。

 

もっと冷静に、もっと誠実に、もっと多面的に。

 

 

私たちの判断は、今、子どもたち、そしてその子どもたち、未来の子どもたち、未来の日本そのものに対しても、その大きな責任を背負っているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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【タブー視されている三島由紀夫氏を敢えて取り上げてみた】三島由紀夫「切腹自殺」から50年、彼が憂えた日本はどう変わったか ~11月25日は50回目の「憂国忌」~

2021-02-22 10:00:08 | 政治

【今日の気になったニュース・記事】

 

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【本日のニュース・記事】

 

■三島由紀夫「切腹自殺」から50年、彼が憂えた日本はどう変わったか

~11月25日は50回目の「憂国忌」~

週刊現代(講談社)2020/11/20

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77545

 

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三島は現在の日本をどう思うのか

 

11月25日、三島の命日に毎年必ず開かれてきた「憂国忌」が50回目を迎える。

三島が生前に認めた檄文には、こうある。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善の身に捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みをしながら見ていなければならなかった」

おそらく、来たる25日、憂国忌の登壇者の言葉には、三島の予想通りになりつつある日本を憂える気持ちと、50年も惰眠を貪ってしまったという痛恨の念が交錯するのではないか。

もし、三島が現在の日本、いや、世界を見たら、何と言うだろう。三島自害の意味をもう一度振り返ることは、まさに乱世の今、非常に有意義なことではないかと想像する。


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■三島由紀夫「切腹自殺」から50年、彼が憂えた日本はどう変わったか~11月25日は50回目の「憂国忌」~
週刊現代(講談社)2020/11/20
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77545

 

 

 

 

 

 

 

 

どこかタブー視されている三島由紀夫氏。

 

今から50年前、1970年〈昭和45年〉11月25日、三島由紀夫氏は自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ、バルコニーでクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げました。

 

 

2020年11月25日、三島由紀夫没後50年を迎えました。

 

多くの人は一度くらい、その名前だけはどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

 

ただ、実際三島由紀夫という名前でイメージする人物像は「右翼」の「行き過ぎた人」という印象も多いのかもしれません。

 

タブー視されているところもあるのではないでしょうか。

 

 

実際、私もその一人でした。

 

しかしながら、改めて「没後50年」というキャッチコピーに誘われて、敢えて少し調べてみました。

 

 

以下、三島由紀夫氏の概略です。

 

 


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三島由紀夫。

本名:平岡 公威〈ひらおか きみたけ〉。

 

1925年〈大正14年〉1月14日生まれ。

小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家。

 

戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家。

『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。

 

三島由紀夫の生涯

 

1925年(大正14年)1月14日、東京市四谷区永住町2番地において、父・平岡梓(当時30歳)と母・倭文重(当時19歳)の間の長男として誕生。

「公威」の名は祖父・定太郎による命名で、定太郎の恩人で同郷の土木工学者・古市公威にあやかって名付けられた。

 

家は借家であったが同番地内で一番大きく、かなり広い和洋折衷の二階家で、家族のほかに女中6人と書生や下男が居た。

兄弟は、3年後に妹・美津子、5年後に弟・千之が生まれた。

 

父・梓は、一高から東京帝国大学法学部を経て、高等文官試験に1番で合格したが、面接官に悪印象を持たれて大蔵省入りを拒絶され、農商務省に勤務していた。岸信介、我妻栄、三輪寿壮とは一高、帝大の同窓であった。

母・倭文重は、加賀藩藩主・前田家に仕えていた儒学者・橋家の出身。父(三島の外祖父)は東京開成中学校の5代目校長で、漢学者・橋健三。

 

祖父・定太郎は、兵庫県印南郡志方村大字上富木の農家の生まれ。帝国大学法科大学を卒業後、内務省に入省し内務官僚となる。

1893年(明治26年)、武家の娘である永井夏子と結婚し、福島県知事、樺太庁長官などを務めたが、疑獄事件で失脚した(のちに無罪判決)。

 

祖母・夏子は、父・永井岩之丞(大審院判事)と、母・高の間に長女として生まれた。夏子の母方の祖父・松平頼位の血筋を辿っていくと徳川家康に繋がっている。

夏子は12歳から17歳で結婚するまで有栖川宮熾仁親王に行儀見習いとして仕えた。夏子の祖父は江戸幕府若年寄の永井尚志。

 

なお、永井岩之丞の同僚・柳田直平の養子が柳田国男で、平岡定太郎と同じ兵庫県出身という縁もあった柳田国男は、夏子の家庭とは早くから交流があった。

作家・永井荷風の永井家と夏子の実家の永井家は同族で、夏子の9代前の祖先永井尚政の異母兄永井正直が荷風の12代前の祖先にあたる。

 

祖父、父、そして息子の三島由紀夫と、三代に渡って同じ大学の学部を卒業した官僚の家柄であった。

江戸幕府の重臣を務めた永井尚志の行政・統治に関わる政治は、平岡家の血脈や意識に深く浸透したのではないかと推測される。

 

公威と祖母・夏子とは、学習院中等科に入学するまで同居し、公威の幼少期は夏子の絶対的な影響下に置かれていた。

歌舞伎、谷崎潤一郎、泉鏡花などの夏子の好みは、後年の公威の小説家および劇作家としての素養を培った。

 

1931年(昭和6年)4月、公威は学習院初等科に入学した。

読書に親しみ、世界童話集、印度童話集、『千夜一夜物語』、小川未明、鈴木三重吉、ストリンドベルヒの童話、北原白秋、フランス近代詩、丸山薫や草野心平の詩、講談社『少年倶楽部』、『スピード太郎』などを愛読した。

 

6年生の時の1936年(昭和11年)には、2月26日に二・二六事件があった。

6月には、〈非常な威厳と尊さがひらめいて居る〉と日の丸を表現した作文「わが国旗」を書いた。

 

公威は文芸部に入り、同年7月、学習院校内誌『輔仁会雑誌』159号に作文「春草抄――初等科時代の思ひ出」を発表。

自作の散文が初めて活字となった。

 

以後、『輔仁会雑誌』には、中等科・高等科の約7年間で多くの詩歌や散文作品、戯曲を発表することとなる。

11、12歳頃、ワイルドに魅せられ、やがて谷崎潤一郎、ラディゲなども読み始めた。

 

7月に盧溝橋事件が発生し、日中戦争となった。

1938年(昭和13年)1月頃、初めての短編小説「酸模(すかんぽ)――秋彦の幼き思ひ出」を書き、同時期の「座禅物語」などとともに3月の『輔仁会雑誌』に発表された。

 

1939年(昭和14年)9月、ドイツ対フランス・イギリスの戦争が始まった(第二次世界大戦の始まり)。

1941年(昭和16年)4月、中等科5年に進級した公威は、7月に「花ざかりの森」を書き上げ、国語教師の清水文雄に原稿を郵送し批評を請うた。

 

清水は、「私の内にそれまで眠っていたものが、はげしく呼びさまされ」るような感銘を受け、自身が所属する日本浪曼派系国文学雑誌『文藝文化』の同人たちにも読ませるため、静岡県の伊豆修善寺温泉の新井旅館での一泊旅行を兼ねた編集会議に、その原稿を持参した。

 

「花ざかりの森」を読んだ彼らは、「天才」が現われたことを祝福し合い、同誌掲載を即決した。

筆名を考えている時、清水たちの脳裏に「三島」を通ってきたことと、富士の白雪を見て「ゆきお」が思い浮かんできた。

 

帰京後、清水が筆名使用を提案すると、公威は当初本名を主張したが受け入れ、「伊藤左千夫(いとうさちお)」のような万葉風の名を希望した。

結局「由紀雄」とし、「雄」の字が重すぎるという清水の助言で、「三島由紀夫」となった。

 

「由紀」は、大嘗祭の神事に用いる新穀を奉るため選ばれた2つの国郡のうちの第1のものを指す「由紀」(斎忌、悠紀、由基)の字にちなんで付けられた。

「花ざかりの森」は、『文藝文化』昭和16年9月号から12月号に連載された。

 

この年になり行われた南部仏印進駐以降、次第にイギリスやアメリカとの全面戦争突入が濃厚、12月8日に行われたマレー作戦によって日本はついにイギリスやアメリカ、オランダなどの連合国と開戦となった(大東亜戦争)。

各地で日本軍が勝利を重ねていた同年4月、大東亜戦争開戦の静かな感動を厳かに綴った詩「大詔」を『文藝文化』に発表。

 

1943年(昭和18年)2月24日、公威は学習院輔仁会の総務部総務幹事となった。

日本軍とイギリス軍やアメリカ軍との戦争が激化していく中、公威は〈アメリカのやうな劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思ひます〉、〈米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでせう。俗な精神が世界を蔽うた時、それは世界の滅亡です〉と神聖な日本古代精神の勝利を願った。

 

1944年(昭和19年)4月27日、公威も本籍地・兵庫県印南郡志方村村長発信の徴兵検査通達書を受け取り、5月16日、兵庫県加古郡加古川町の加古川公会堂で徴兵検査を受けた。

結果は第二乙種で合格となった。

 

1944年(昭和19年)9月9日、学習院高等科を首席で卒業。

卒業生総代となった。

 

卒業式には昭和天皇が臨席し、宮内省より陛下からの恩賜の銀時計を拝受され、ドイツ大使からはドイツ文学の原書3冊をもらった。

御礼言上に、学習院長・山梨勝之進海軍大将と共に宮内参内し、謝恩会で華族会館から図書数冊も贈られた。

 

大学は文学部への進学という選択肢も念頭にはあったものの、父・梓の説得により、同年10月1日には東京帝国大学法学部法律学科(独法)に入学(推薦入学)した。

1945年(昭和20年)、いよいよ戦況は逼迫して大学の授業は中断され、公威は1月10日から「東京帝国大学勤労報国隊」として、群馬県新田郡太田町の中島飛行機小泉製作所に勤労動員され、総務部調査課配属となった。

 

風邪で寝込んでいた母から移った気管支炎による眩暈や高熱の症状を出していた公威は、入隊検査の折、新米の軍医からラッセルが聞こえるとして肺浸潤と誤診され、即日帰郷となった。

その部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、多数が死傷してほぼ全滅した。

 

戦死を覚悟していたつもりが、医師の問診に同調したこの時のアンビバレンスな感情が以後、三島の中で自問自答を繰り返す。

1945年(昭和20年)5月5日から、東京よりも危険な神奈川県高座郡大和の海軍高座工廠に勤労動員された。

 

1945年(昭和20年)8月6日、9日と相次ぎ、広島と長崎に原爆が投下された。

1946年(昭和21年)1月1日、昭和天皇が「人間宣言」の詔書を発した。

 

GHQによる占領下の日本では、戦犯の烙印を押された軍人が処刑されただけでなく、要職にいた各界の人間が公職追放になった。

マスコミや出版業界も「プレスコード」と呼ばれる検閲が行われ、日本を賛美することは許されなかった。

 

戦時中に三島が属していた日本浪曼派の保田與重郎や佐藤春夫、その周辺の中河与一や林房雄らは、戦後に左翼文学者や日和見作家などから戦争協力の「戦犯文学者」として糾弾された。

役人になることを考えた三島は、同月から高等文官試験を受け始めた。

 

1947年(昭和22年)11月28日、三島は東京大学法学部法律学科を卒業した。

卒業前から受けていた様々な種類の試験をクリアし、12月13日に高等文官試験に合格した三島は、12月24日から大蔵省に初登庁し、大蔵事務官に任官されて銀行局国民貯蓄課に勤務することになった。

 

大蔵省に入省してすぐの頃、文章力を期待された三島は、国民貯蓄振興大会での大蔵大臣(栗栖赳夫)の演説原稿を書く仕事を任された。

三島は創作に専念するため大蔵省に辞表を提出し、「依願免本官」という辞令を受けて退職した。

 

長編『盗賊』が真光社から刊行され、12月1日には短編集『夜の仕度』が鎌倉文庫から刊行された。

1949年(昭和24年)2月24日、作家となってから初上演作の戯曲『火宅』が俳優座により初演され、従来のリアリズム演劇とは違う新しい劇として、神西清や岸田国士などの評論家から高い評価を受けた。

 

長編『仮面の告白』は出版され、発売当初は反響が薄かったものの、10月に神西清が高評した後、花田清輝に激賞されるなど文壇で大きな話題となった。

年末にも読売新聞の昭和24年度ベストスリーに選ばれ、作家としての三島の地位は不動のものとなった。

 

長編『潮騒』は、1954年(昭和29年)6月10日に新潮社から出版されるとベストセラーとなり、すぐに東宝で映画化されて三船敏郎の特別出演もキャスティングされた。

三島はこの作品で第1回新潮社文学賞を受賞するが、これが三島にとっての初めての文学賞であった。

 

これを受け、2年後にはアメリカ合衆国でも『潮騒』の英訳(The Sound of the Waves)が出版されベストセラーとなり、三島の存在を海外でも知られるきっかけの作品となった。

「金閣寺」は、1956年(昭和31年)1月から『新潮』に連載開始され、10月に『金閣寺』が新潮社から刊行された。

 

傑作の呼び声高い作品として多数の評論家から高評価を受けた『金閣寺』は三島文学を象徴する代表作となり、第8回読売文学賞も受賞した。

それまで三島に懐疑的だった評者からも認められ、三島は文壇の寵児となった。

 

この時期の三島は、『金閣寺』のほかにも、『永すぎた春』や『美徳のよろめき』などのベストセラー作品を発表し、そのタイトルが流行語になった。

 

川端康成を論じた『永遠の旅人』も好評を博し、戯曲でも『白蟻の巣』が第2回岸田演劇賞を受賞、人気戯曲『鹿鳴館』も発表されるなど、旺盛な活動を見せ、戯曲集『近代能楽集』(「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女」を所収)も刊行された。

 

1961年(昭和36年)1月は、二・二六事件に題材をとり、のちに自身で監督・主演で映画化する「憂国」を『小説中央公論』に発表。

 

また、『仮面の告白』や『金閣寺』も英訳出版されるなど、海外での三島の知名度も上がった時期で、「世界の文豪」の1人として1963年(昭和38年)12月17日のスウェーデンの有力紙『DAGENUS NYHETER』に取り挙げられ、翌1964年(昭和39年)5月には『宴のあと』がフォルメントール国際文学賞で2位となり、『金閣寺』も第4回国際文学賞で第2位となった。

 

国連事務総長だったダグ・ハマーショルドも1961年(昭和36年)に赴任先で事故死する直前に『金閣寺』を読了し、ノーベル財団委員宛ての手紙で大絶賛した。


1966年(昭和41年)10月には自衛隊体験入隊を希望し、防衛庁関係者や元陸将・藤原岩市などと接触して体験入隊許可のための仲介や口利きを求め、12月には舩坂弘の著作の序文を書いた返礼として日本刀・関ノ孫六を贈られた。

 

4月12日から約1か月半、単身で自衛隊に体験入隊した三島は、イギリスやノルウェー、スイスなどの民兵組織の例に習い、国土防衛の一端を担う「祖国防衛隊」構想を固めた後、学生らを引き連れて自衛隊への体験入隊を定期的に行なった。

以降、三島は航空自衛隊のF-104戦闘機への搭乗体験や、陸上自衛隊調査学校情報教育課長・山本舜勝とも親交し、共に民兵組織(のち「楯の会」の名称となる)会員への指導を行うことになる。

 

三島は、企業との連携で「祖国防衛隊」の組織拡大を目指し、民族資本から資金を得て法制化してゆく「祖国防衛隊構想」を立ち上げ、経団連会長らと何度か面談していたが、面談を最後に資金援助を断られてしまった。

同年10月21日の国際反戦デーにおける新左翼の新宿騒乱の激しさから、彼らの暴動を鎮圧するための自衛隊治安出動の機会を予想した三島は、それに乗じて「楯の会」が斬り込み隊として加勢する自衛隊国軍化・憲法9条改正へのクーデターを計画した。

 

この頃、三島はすでに何人かの楯の会会員らに居合を習わせ、先鋭の9名(持丸博、森田必勝、倉持清、小川正洋、小賀正義など)に日本刀を渡し、「決死隊」を準備していた。

しかし、7月下旬頃から古参メンバーの中辻や万代と、雑誌『論争ジャーナル』の資金源を巡って齟齬が生じ、8月下旬に彼らを含む数名が楯の会を正式退会した。

 

この年の10月21日の国際反戦デーの左翼デモは前年とは違い、前もって配備されていた警察の機動隊によって簡単に鎮圧された。

三島は自衛隊治安出動が不発に終わった絶望感から、未完で終わるはずだった「暁の寺」を〈いひしれぬ不快〉で書き上げた。

 

これで、クーデターによる憲法改正と自衛隊国軍化を実現する〈作品外の現実〉に賭けていた夢はなくなった。

新聞では、「果たし得てゐない約束」と題して自身の戦後25年間を振り返り、〈その空虚に今さらびつくりする。私はほとんど「生きた」とはいへない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ〉と告白し、〈私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする〉と戦後社会への決別を宣言した。

 

同じ7月、三島は保利茂官房長官と中曽根康弘防衛庁長官に『武士道と軍国主義』『正規軍と不正規軍』という防衛に関する文書を政府への「建白書」として託したが、中曽根に阻止されて閣僚会議で佐藤栄作首相に提出されず葬られた。

 

1970年(昭和45年)11月25日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会会員4名と共に訪れ、面談中に突如、益田兼利総監を人質にして籠城すると、バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決した。

 

三島の辞世の句は2句。

 

益荒男(ますらを)が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜

散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

 

 

~~~

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

45歳没。

 

なぜか、タブー視されている三島由紀夫氏。

 

 

マスメディアは没50年についても、殆ど触れることはありません。

 

どこか「過去の人物」「昔の狂人」として、タブー視して取り扱っているように感じます。

 

 

ただ、それほど遠い人ではないのではないでしょうか。

 

あの美輪明宏さんや石原慎太郎さんとの交友もあったそうです。

 

 

中曽根元総理とのやりとりなども含めて「過去の人物」として遠ざけてしまうには、まだ早いような気もします。

 

しかしながら、ネットで「三島由紀夫」を検索すると、主要メディアの関連記事は殆どヒットしません。

 

 

Google検索の検閲でも?と感じてしまいますが、まだ「過去の人物」とするには、学ぶべきところは多いのではないでしょうか。

 

日本は、米国と中国、そしてロシアという大国に挟まれた地理的環境。

 

 

米中対立もあって、日本の立ち位置、立ち振る舞いは非常に難しくなっています。

 

日本そのものの価値が失われつつあると言えるのかもしれません。

 

 

米中対立がクローズアップされる中、「米国か」「中国か」という2者択一の論調ばかり。

 

「日本独自」という視点が忘れられているような気もします。

 

 

軍事力、経済力だけではありません。

 

IT技術も、米国と中国が世界を席巻し「日本発」のIT技術は殆ど見当たりません。

 

 

コロナ時代、人と接触するリスク低減のIT技術はさらにその重要性は増しています。

 

AmazonやYouTube、MicrosoftやGoogle、Netflixは、さらに日本国内の市場を独占してきています。

 

 

足元では、長年通い詰めたラーメン店が閉店、近隣の本屋さん、花屋さんなど、多くの零細企業がコロナ不況で消えていっています。

 

国際政治から私たちの生活に至るまで、あらゆるシーンで「日本の価値」そのものが低下しているのかもしれません。

 

 

私たち日本人は、今後、何を基準に、何を大切にし、何を目指し、何をもって、日本の子どもたちの未来を託すべきなのでしょうか。

 

三島由紀夫が憂いた未来。

 

 

今、その未来が実現しつつあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

最後に「三島由紀夫の持論」、そして最期の「檄文」全文を記載いたします。

 

 

■三島由紀夫の持論

 

 

・自衛隊論

 


三島は、国の基本的事項である防衛を最重要問題と捉え、「日本国軍」の創立を唱えながら、「一定の領土内に一定の国民を包括する現実の態様」である国家という「一定空間の物理的保障」を守るには軍事力しかなく、もしもその際に外国の軍事力(核兵器その他)を借りるとしても、「決して外国の軍事力は、他国の時間的国家の態様を守るものではない」とし、日米安保に安住することのない日本の自主防衛を訴えている。

 

三島は1969年(昭和44年)の国際反戦デーの左翼デモの際に自衛隊治安出動が行われなかったことに関連し、「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう」と説いており、その時々の「政体」を守る警察と、永久不変の日本の「国体」を守る国軍の違いについて言及している。

 

また、「改憲サボタージュ」が自民党政権の体質となっている以上、「改憲の可能性は右からのクーデターか、左からの暴力革命によるほかはないが、いずれもその可能性は薄い」と指摘し、本来は「祭政一致的な国家」であった日本が、現代では国際強調主義と世界連邦の線上に繋がる「遠心力的」な「統治的国家(行政権の主体)」と、日本の歴史・文化という時間的連続性が継承される「求心力」的な「祭祀的国家(国民精神の主体)」の二極に分離し、「後者が前者の背後に影のごとく揺曳してゐる」状態にあるとしている。

 

現状では自衛隊の最高指揮権が日本の内閣総理大臣でなく、最終的には「アメリカ大統領にあるのではないかといふ疑惑」があり、現憲法の制約下で統治的国家の「遠心力」と祭祀的国家の「求心力」による二元性の理想的な調和と緊張を実現するためには、日本国民がそのどちらかに忠誠を誓うかを明瞭にし、その選択に基づいて自衛隊を二分するべきだという以下のような「自衛隊二分論」を三島は説いている。

 

1.航空自衛隊の9割、海上自衛隊の7割、陸上自衛隊の1割で「国連警察予備軍」を編成し、対直接侵略を主任務とすること。この軍は統治国家としての日本に属し、安保条約によって集団安全保障体制にリンクする。根本理念は国際主義的であり、身分は国連事務局における日本人職員に準ずる。

 

2.陸上自衛隊の9割、海上自衛隊の3割、航空自衛隊の1割で「国土防衛軍」を編成し、絶対自立の軍隊としていかなる外国とも軍事条約を結ばない。その根本理念は祭祀国家の長としての天皇への忠誠である。対間接侵略を主任務とし、治安出動も行う。

 

2.の「国土防衛軍」には多数の民兵が含まれるとし、「楯の会」はそのパイオニアであるとしている。なお、三島は徴兵制には反対している。

 

三島は、自衛隊が単なる「技術者集団」や「官僚化」に陥らないためには、「武士と武器」、「武士と魂」を結びつける「日本刀の原理」を復活し、「武士道精神」を保持しなければならないとし、軍人に「セルフ・サクリファイス」(自己犠牲)が欠けた時、官僚機構の軍国主義に堕落すると説いている。

 

そして、戦後禁忌になってしまった、天皇陛下が自衛隊の儀仗を受けることと、連隊旗を直接下賜すること、文人のみの文化勲章だけでなく、自衛隊員への勲章も天皇から授与されることを現下の法律においても実行されるべきと提言し、隊員の忠誠の対象を明確にし、「天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくこと」こそ、日本および日本文化の危機を救う防止策になると説いている。

 


「栄誉大権は単に文化勲章や一般の文官の勲章のみでなく、軍事的栄誉として自衛隊を国民が認めて、天皇が直接に自衛隊を総攬するような体制ができなくちゃいかん。それがないと、日本の民主主義は真に土着的な民主主義にはなり得ない。」

— 三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」

 

 

 

・日米安保について

 


日米安保については、「安保賛成か反対かといふことは、本質的に私は日本の問題ではないやうな気がする」と三島は述べており、そうした問いは結局のところ、アメリカを選ぶか、中共・ソビエトを選ぶかという、本質的には日本というものの自主性が選べない状況の中での問題であり、当時の激しい安保反対運動(安保闘争)がひとまず落ちついた後の未来に、日本にとっての真の問いかけが大きな問題として出てくるとしている。


そして、そこで初めて「われわれは最終的にその問ひかけに直面するんぢやないか」と語っている。

 


「私に言はせれば安保賛成といふのはアメリカ賛成といふことで、安保反対といふのはソヴィエトか中共賛成といふことだと、簡単に言つちまへばさうなるんで、どつちの外国に頼るかといふ問題にすぎないやうな感じがする。そこには「日本とは何か」といふ問ひかけが徹底してないんぢやないか。私はこの安保問題が一応方がついたあとに初めて、日本とは何だ、君は日本を選ぶのか、選ばないのかといふ鋭い問ひかけが出てくると思ふんです。」

— 三島由紀夫「日本とは何か」

 


別の場の発言でも、安保賛成はアメリカ派で一種の「西欧派」であり、安保反対も中共・ソビエトという共産党系の「外国派」であるとし、「日本人に向かって、『おまえアメリカをとるか、ソビエトをとるか中共をとるか』といったら、ほんとうの日本人だったら態度を保留すると思う」と述べている。

 

そして、「国粋派というのは、そのどっちの選択にも最終的には加担していない」として、「まだ日本人は日本を選ぶんだという本質的な選択をやれないような状況」にあり、安保反対派(中共・ソビエト派)の運動が激化していた当時の状況においては、西欧派の自民党の歴史的な役割として、「西欧派の理念に徹して、そこでもって安保反対勢力と刺しちがえてほしい」という考えを福田赳夫に伝えたことを1969年時点で語っている。

 

また、日米安保に関連する沖縄の米軍基地問題についても三島は、日本人の心情として日本の国内に外国(アメリカ)の軍隊がいるということに対する反対意識は、イデオロギーを抜きにすれば一般国民のナショナリズムや愛国心に訴えるものがあるため、それを外来勢力の共産党系左翼(天皇制・国体破壊を目論む者)に利用されやすいという、日本独特の難しい状況も語っている。

 


「日本民族の独立を主張し、アメリカ軍基地に反対し、安保条約に反対し、沖縄を即時返還せよ、と叫ぶ者は、外国の常識では、ナショナリストで右翼であらう。ところが日本では、彼は左翼で共産主義者なのである。十八番のナショナリズムをすつかり左翼に奪はれてしまつた伝統的右翼の或る一派は、アメリカの原子力空母エンタープライズ号の寄港反対の左翼デモに対抗するため、左手にアメリカの国旗を、右手に日本の国旗を持つて勇んで出かけた。これではまるでオペラの舞台のマダム・バタフライの子供である。」

— 三島由紀夫「STAGE-LEFT IS RIGHT FROM AUDIENCE」

 

 

 

・核武装について

 


三島は、ナチスのユダヤ人虐殺と並ぶ史上最大の「虐殺行為」の被害を広島がアメリカから受けたにもかかわらず、日本人が「過ちは二度とくりかへしません」と原爆碑で掲げていることに疑問を呈し、「原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文字は、終戦の詔勅の『五内為ニ裂ク』といふ一節以外に、私は知らない」と述べている。

 

そして、そうした「民族的憤激」や「最大の屈辱」を「最大の誇り」に転換するべく「東京オリンピックに象徴される工業力誇示」を進めてきた日本人だが、はたして「そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか」として、唯一の被爆国である日本こそが核武装する権利があるという見解を1967年(昭和42年)の時点で以下のように示している。

 


「日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。日本は核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。」

— 三島由紀夫「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」

 


また、日本の自主防衛に関連し、1969年(昭和44年)に受けたカナダのTVインタビューでも、「私は、多くの日本人が、日本での核の保有を認めるとは思いません」と悲観的な予想を示しながら、自衛隊を二分し予備軍が国連軍に加わることで「核兵器による武装が可能になる」と答えている。

そして自決前の『檄』の後半では、日本にとって不平等な核拡散防止条約 (NPT) のことも語っている。


「諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。(中略)国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。」

— 三島由紀夫「檄」

 


この警告について西尾幹二は、三島が「明らかに核の脅威を及ぼしてくる外敵」を意識し、このままでよいのかと問いかけているとし、三島自決の6年前に中国が核実験に成功し、核保有の5大国としてNPTで特権的位置を占め、三島自決の1970年(昭和45年)に中国が国連に加盟して常任理事国となったことに触れながら、「国家百年の大計にかかはる」と三島が言った日本のNPTの署名(核武装の放棄)を政府が決断したのが、同年2月3日だった当時の時代背景を説明している。

 

そして、三島が「あと二年の内」と言った意味は、この2年の期間に日本政府とアメリカの間で沖縄返還を巡り、日本の恒久的な核武装放棄を要望するアメリカと中国の思惑などの準備と工作があり、日本の核武装放棄と代替に1972年(昭和47年)に佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞し、表向き沖縄返還がなされたことで、自衛隊が「永遠にアメリカの傭兵として終る」ことが暗示されていたと西尾は解説している。

 

 

 

・特攻隊について

 


三島の天皇観は、国家や個人のエゴイズムを掣肘するファクター、反エゴイズムの代表として措定され、「近代化、あらゆる工業化によるフラストレイションの最後の救世主」として存在せしめようという考えであったが、三島の神風特攻隊への思いも、彼らの「没我」の純粋さへの賛美であり、美的天皇観と同じ心情に基づいている。

 

三島の考える「純粋」は、小説『奔馬』で多く語られているが、その中には「あくまで歴史は全体と考へ、純粋性は超歴史的なものと考へたがよいと思ひます」とあり、評論『葉隠入門』においても、政治的思想や理論からの正否と合理性を超えた純粋行為への考察がなされ、特攻隊の死についてもその側面からの言及がなされている。

 

三島は日本刀を「魂である」としていたが、特攻隊についても西欧・近代への反措定として捉えており、「大東亜戦争」についても、「あの戦争が日本刀だけで戦つたのなら威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦つたのである。

 

ただ一つ、真の日本的武器は、航空機を日本刀のやうに使つて斬死した特攻隊だけである」としている。

この捉え方は、戦時中、三島が学生であった頃の文面にも見られる。

 


「僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。」

— 平岡公威「三谷信宛ての葉書」(昭和20年4月21日付)

 


敗戦時に新聞などが、「幼拙なヒューマニズム」や「戦術」と称し、神風特攻隊員らを「将棋の駒を動かすやうに」功利、効能的に見て、特攻隊の精神がジャーナリズムにより冒涜されて「神の座と称号」が奪われてしまったことへの憤懣の手記も、ノートに綴っていた。

 


「我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に対して早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から目を覆ひ、国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を声高に叫び、彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒瀆の語を放ち出した。」

—  平岡公威「昭和廿年八月の記念に」

 


また、三島は戦後に『きけ わだつみのこえ』が特攻隊員の遺書を「作為的」に編纂し、編者が高学歴の学生のインテリの文章だけ珍重して政治的プロパガンダに利用している点に異議を唱え、「テメエはインテリだから偉い、大学生がむりやり殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなる」と唾棄している。

 

『きけ わだつみのこえ』を題材とした映画についても「いはん方ない反感」を感じたとし、フランス文学研究をしていた学生らが戦死した傍らにシャルル・ボードレールかポール・ヴェルレーヌの詩集の頁が風にちぎれているシーンが、ボードレールも墓の下で泣くであろうほど「甚だしくバカバカしい印象」だと酷評し、「日本人がボオドレエルのために死ぬことはないので、どうせ兵隊が戦死するなら、祖国のために死んだはうが論理的」であるとしている。

 

 

・愛国心について

 


「愛国心」という言葉に対し、三島は官製のイメージが強いとして「自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである」とし、キリスト教的な「愛」(全人類的な愛)という言葉はそぐわず、日本語の「恋」や「大和魂」で十分であり、「日本人の情緒的表現の最高のもの」は「愛」ではなくて「恋」であると主張している。

 

「愛国心」の「愛」の意味が、もしもキリスト教的な愛ならば「無限定無条件」であるはずだから、「人類愛」と呼ぶなら筋が通るが、「国境を以て閉ざされた愛」である「愛国心」に使うのは筋が通らないとしている。

 

アメリカ合衆国とは違い、日本人にとって日本は「内在的即自的であり、かつ限定的個別的具体的」にあるものだと三島は主張し、「われわれはとにかく日本に恋してゐる。これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である」としている。

 


「恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。しかし、さめた冷静な目のはうが日本をより的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。さめた目が逸したところのものを、恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、男女の仲と同じである。」

— 三島由紀夫「愛国心」

 


こうした日本人の中にある内在的・即自的なものを大事にする姿勢と相通じる考え方は、三島が18歳の時に東文彦に出した書簡の中にも見られ、「我々のなかに『日本』がすんでゐないはずがない」として以下のように述べている。

 


「「真昼」―― 「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思ひます。真の芸術は芸術家の「おのづからなる姿勢」のみから生まれるものでせう。近頃近代の超克といひ、東洋へかへれ、日本へかへれといはれる。その主唱者は立派な方々ですが、なまじつかの便乗者や尻馬にのつた連中の、そここゝにかもし出してゐる雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思ひます。我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでゐないはずがない。この信頼によつて「おのづから」なる姿勢をお互いに大事にしてまゐらうではござひませんか。」

— 平岡公威「東文彦宛ての書簡」(昭和18年3月24日付)

 

 

 

・国語教育論

 


三島は、戦後の政府によって1946年(昭和21年)に改定された現代かなづかいを使わず、自身の原稿は終生、旧仮名遣ひを貫いた。三島は、言葉にちょっとでも実用的な原理や合理的な原理を導入したらもうだめだと主張し、中国人は漢字を全部簡略化したために古典が読めなくなったとしている。

 

また、敗戦後に日本語を廃止してフランス語を公用語にすべきと発言した志賀直哉について触れ、「私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことになるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである」と批判した。

 

国語教育についても、現代の教育で絶対に間違っていることの一つが「古典主義教育の完全放棄」だとし、「古典の暗誦は、決して捨ててならない教育の根本であるのに、戦後の教育はそれを捨ててしまつた。ヨーロッパでもアメリカでも、古典の暗誦だけはちやんとやつてゐる。これだけは、どうでもかうでも、即刻復活すべし」と主張している。

 

そして、中学生には原文でどんどん古典を読ませなければならないとし、古典の安易な現代語訳に反対を唱え、日本語の伝統や歴史的背景を無視した利便・実用第一主義を唾棄し、「美しからぬ現代語訳に精出してゐるさまは、アンチョコ製造よりもつと罪が深い。

 

みづから進んで、日本人の語学力を弱めることに協力してゐる」と文部省の役人や教育学者を批判し、自身の提案として「ただカナばかりの原本を、漢字まじりの読みやすい版に作り直すとか、ルビを入れるとか、おもしろいたのしい脚注を入れるとか、それで美しい本を作るとか」を先生たちにやってもらいたいと述べている。

 

三島は、日本人の古典教育が衰えていったのはすでに明治の官僚時代から始まっていたとし、文化が分からない人間(官僚)が日本語教育をいじり出して「日本人が古典文学を本当に味わえないような教育をずっとやってきた」と述べ、意味が分からなくても「読書百遍意おのずから通ず」で、小学生から『源氏物語』を暗唱させるべきだとしている。

 

また、『論語』の暗唱、漢文を素読する本当の教え方が大事だとし、支那古典の教養がなくなってから日本人の文章がだらしなくなり、「日本の文体」も非常に弱くなったとしている。

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

 

 

 

 

 

■三島由紀夫「檄文」全文

 

 

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われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。

その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。

ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。

このことには一点の疑いもない。

われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。

教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。

しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。

たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。

しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。

自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。

自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。

自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。

自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。

憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。

楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。

憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。

国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。

日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。

国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。

総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。

その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。

その日に何が起ったか。

政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。

治安出動は不用になった。

政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。

これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。

名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。

しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。

そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

銘記せよ! 

実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。

創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。

論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。

これ以上のパラドックスがあろうか。

われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。

われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。

自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。

男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。

我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。

われわれはひたすら耳をすました。

しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。

かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。

諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。

しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。

シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。

しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。

日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。

武士の魂はどこへ行ったのだ。

魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。

繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。

沖縄返還とは何か? 

本土の防衛責任とは何か? 

アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。

あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。

われわれは四年待った。

最後の一年は熱烈に待った。

もう待てぬ。

自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。

しかしあと三十分、最後の三十分待とう。

共に起って義のために共に死ぬのだ。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。

生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。

生命以上の価値なくして何の軍隊だ。

今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。

日本だ。

われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。

もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。

われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。


三島由紀夫

 

 


~~~

 


コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理~私たち一人一人が考え、行動することが必要な時代~

2021-02-20 13:24:37 | 政治

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■コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理

 

ダイヤモンドオンライン(週刊ダイヤモンド)2020.7.30

 

https://diamond.jp/articles/-/244404

 

 

~~~

 

 

わかりやすいのが、日本経済である。

 

日本人の中には、日本のことを「かつてよりも勢いはなくなったが、まだまだ世界の中ではそれなりの経済大国だ」と思っている人がかなりいる。

 

 

その心の拠り所なっているのが、GDP(国内総生産)の総額である。

 

中国に抜かれてしまったが、まだ世界で3位の座をキープしているので、それなりに持ち堪えているという印象なのだ。

 

 

ただ、ここに大きな落とし穴がある。

 

GDP総額は「生産性×人口」という典型的な数字の積み上げなので、人口の多さがアドバンテージになる。

 

 

実際、主要先進国のGDPランキングの並びは、人口3億2000万人のアメリカ、人口1億2000万人の日本、そして8200万人のドイツという具合に、きれいに人口と比例している。

 

つまり、すでにピンピンしている人たちを積み上げた「累計感染者」が、今の日本のコロナの感染拡大の実態を表していないのと同じで、1億2000万人という人口を積み上げた「GDP総額」も、日本経済の実態を表していないのだ。

 

 

 


1人あたりGDPで見ると日本は世界26位という現実

 

 


では、その国の経済の実態を知るにはどうすればいいかというと、数の積み上げをやめればいい。

 

つまり、GDP総額を人口で割った「1人当たりGDP」である。

 

 

こちらにすると、日本は「世界26位」まで転落する。

 

「兄貴」くらいに考えていたアメリカは9位とはるか上で、「財政難で医療体制も未熟だ」などと見下していたイタリアが、すぐ隣にいる。

 

 

誤解なきように言っておくが、「日本は大した国じゃない」などとディスりたいわけではない。

 

GDP総額という耳当たりのいい「数の積み上げ」ばかりにしがみついてきたせいで、自分たちが置かれているシビアな現実を正しく認識できなくなってしまっている、という問題を指摘したいだけだ。

 

 

日本は労働者の賃金も主要先進国の中でダントツに低く、貧困率も高い。少子高齢化に歯止めがかからないので、現行の社会保障も破綻するのは目に見えているなど、問題山積だ。

 

が、今の日本社会にそこまでひっ迫した危機感はない。

 

 

どこかに「腐っても、日本は世界3位の経済大国だもんな」という“おごり”のようなものが、まだ多くの日本人の中に残っているので、面倒な問題を先送りにしてしまうのだ。

 

これこそが、筆者が「累計の罠」と呼ぶものが招く「害」の最たるものである。

 

 

そこで気になるのは、いつから我々はこんなにも「数の積み上げ」に執着するようになってしまったのかということだが、個人的にはやはり「戦争」が大きかったのではないかと思っている。

 

かつて兵士、弾丸、食糧、物資という「数」で戦う戦争を長く続けた際に、官民に「数を積み上げる」という方法論が一気に広まって、いつの間やらそれが目的化してしまったのだ。

 

 

当たり前の話だが、戦争というのは「殺し合い」ではなく、領土・領海を守るなどの政治的な目的を達成させるために行われる。

 

なので、局地的に行われる戦闘も、「前線基地を守る」「制空権を奪う」といった目的を達成することこそが「戦果」となる。

 

 

が、戦時中の日本は戦いが長引くうちに、そうした考えがスコーンとどこかへ飛んでいってしまい、敵の戦艦をどれだけ沈めたとか、飛行機をいくつ落としたとかいう「数の積み上げ」が「戦果」になってしまうのだ。

 

 

 


「数の積み上げ」がよくわかる戦時中の新聞報道

 

 


そんな「数の積み上げ=戦争」という空気に日本中が包まれていたことがよくわかるのが、戦時中の読売新聞の「戦果」報道だ。

 

一例を挙げよう。

 

 

「敵機撃破1561 事変以来累計1月より5月まで海軍戦果発表」(1939年6月1日)

「本年上期海軍の作戦と輝く戦果 敵機撃破 累計2000余」(1941年6月1日)

「累計370余機屠る ジャワで陸海荒鷲戦果」(1942年2月6日)

「艦船撃沈確実に181 敵20年の豪語 今や水泡 総合戦果累計」(1943年2月14日)

「累計2673機 陸海軍部隊輝く戦果」(1943年7月10日) 

 

 

 

何を勝ち得た、何を守った、ということよりも、「数の積み上げ」に軍部とマスコミがどんどんのめり込んでいることがうかがえよう。

 

ワイドショーが放映されている時間に合わせ、いかにも「衝撃的な数字です」という雰囲気を漂わせて新規感染者を発表するどこかの首長と、よせばいいのにそれを「速報」で流してグラフをつくって大騒ぎをするマスコミという両者の構図は、実は戦争中にでき上がったのである。

 

 

そして、このように彼らが「数の積み上げ」に夢中になればなるほど、国民が不幸になっていく恐れがある、ということを我々は歴史から学ぶことができる。

 

1945年4月、米軍が沖縄に上陸してから現地では激しい戦闘が行われた。

 

 

5月12日、大本営は4月29日から5月7日までの間に、以下のような「累計戦果」を発表した。

 

「人員殺傷1万2600人 戦車輛坐炎上134輛 各種火砲破壊39門」「撃沈 特設航空母艦 二隻」「撃破 特設航空母艦 三隻」(読売新聞 1945年5月12日)

 

 

これを受け、マスコミも一面で大きく取り上げて、「沖縄陸海に敵出血激甚」などという大はしゃぎをした。

 

しかし、米軍側に多くの血が流れたのは事実だが、実はそれ以上に日本側の被害は甚大だった。

 

 

諸説あるが、6月19日に日本軍の組織的抵抗が終わるまで、一般住民約9万4000人、日本兵にも同程度の犠牲者が出たと言われている。

 

 

 

 


「経済死」続出の前に、政治家とマスコミは数の積み上げをやめるべき

 

 


この悲しい歴史から我々が学ぶべきことはただ1つ。

 

政治家やマスコミが実態とかけ離れた「数の積み上げ」に夢中になっているときは、国民の命が軽んじられている、かなり危ないときであるということだ。

 

 

役所とマスコミがタッグを組んで、全国の感染者を積み上げて国民の恐怖と不安を煽っている今は、まさにそのときである。

 

今のお祭り騒ぎが続けば、「経済活動よりも命の方が大事だ」という自粛ムードが強まって、多くの人たちが路頭に迷う。

 

 

「コロナ死」の数どころではない、「経済死」の犠牲者が出てしまう恐れもあるのだ。

 

マスコミは「日々の感染者数に一喜一憂しないで」と言いながらも、「相次ぐ過去最多」「ついに1000人を超えました」と毎日の感染者数をネタにして、誰よりも盛り上がっている。

 

 

戦争を無責任に煽った過去を少しでも悔いているのなら、一刻も早く「感染者数の積み上げ」をやめて、重症者数、死者数の動向を詳細に伝えるようにすべきだ。

 

 

 

~~~

■コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理
ダイヤモンドオンライン(週刊ダイヤモンド)2020.7.30
https://diamond.jp/articles/-/244404

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレビをつけると「コロナ感染者数」に関する報道。

 

一律にどのテレビ局も同じような報道を繰り広げています。

 

 

まるで何かに指示されているかのような、検閲されているかのような「統一的な報道」、ではないでしょうか。

 

「感染者数」ではない、もっと多面的な、もっと深い報道がほしい、そう思っています。

 

 

より様々な新型コロナウィルスに関する情報があれば、視聴者はコロナに対する考え方を整理できますし、対策についても深く考えられるのではないでしょうか。

 

もっと深い報道。

 

 

例えば、新型コロナの特徴や最近の変化の状況、新型コロナと他の感染症との違い、その感染症の歴史的流れや現在に至るまでの経緯。

 

海外での成功対策、ワクチン開発の現状、各ワクチンの違いや特徴などなど。

 

 

新型コロナワクチン効果は、どのような仕組みで作られているのか。

 

コロナワクチンとはどのようなものなのか、アストラゼネカ社とはどのような会社なのか、ファイザーやモデルナという企業はどのような企業なのか。

 

 

アストラゼネカ社やファイザー社、モデルナ社の経営者はどのような人物で、どのような方々が働いているのか。

 

その企業それぞれの設立背景やその事業推移、地域や社会に対してどのようなスタンスで社会貢献をしているのか。

 

 

私たちの体内に入れるワクチン、健康である人への接種するワクチンであるからこそ、そのような詳細な情報が極めて重要ではないでしょうか。

 

コロナウイルスに関する情報は刻々と移り変わっているはずです。

 

 

研究現場もそうです。

 

その状況にしっかりと対策できているワクチン開発現場などをより知ることができれば、もっと多くの人たちが安心してどのような行動をとるべきかも考えられるかもしれません。

 

 

もっとより広く、より深く、コロナウイルスを様々な視点から理解できる報道があってよいのではないでしょうか。

 

「感染者数」を読み上げるだけでは、たた見る人たちの不安を助長するだけかもしれません。

 

 

テレビや新聞、ラジオ等、コロナの感染者数の積み上げ。

 

マスメディアや政治家が「数の積み上げ」をひたすら伝えるのは、なぜなのでしょうか。

 

 

なぜ、不安を煽るのでしょうか。

 

何故でしょう。

 

 

その背景には、何があるのでしょうか。

 

その理由とは、何でしょうか。

 

 

大事なのは考えること。

 

思考を止めないことです。

 

 

私は以前経営コンサルティングとベンチャーキャピタルに在籍していた経験があります。

 

その際、先輩方から常に聞かされた言葉は「なぜ5回」。

 

 

「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」。

 

思考は執念だ、という方もいらっしゃいました。

 

 

考えること、考え続けることで見えてくることも多々ありました。

 

なぜ、マスメディアは「感染者数」のみ報道するのか、なぜ政治家も同じようなスタンスなのか。

 

 

そこには、マスメディア側の「合理性」と、政治家側の「合理性」、行政官僚側の「合理性」、米国や英国製薬会社側の「合理性」、さらには、その製薬会社をコントロールする権力側の「合理性」があるからかもしれません。

 

では、その「合理性」とは、「何」なのでしょうか。

 

 

深く、そして広い視野、広い視点で考え続けることでみえてくるのではないでしょうか。

 

戦時中ともいわれる、ウィズコロナ時代。

 

 

世界各国、自国ファーストの考え方はより強まっているかもしれません。

 

マスメディアや政治家の発言に一喜一憂するだけではなく、もっと冷静に、私たち一人一人が、考え、行動することが必要な時代ではないでしょうか。

 

 

 

 


【国防費でウイルスから国民を守る】F35戦闘機の購入費をコロナ財源に~防衛費、コロナ対策へ~

2021-02-19 10:27:01 | 政治

【今日の気になったニュース・記事】

 

 

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【本日のニュース・記事】

 

■コロナとの戦いは「戦争」~国防費でウイルスから国民を守れ~

 

毒蝮三太夫(livedoorニュース2020年04月16日)

 

https://blogos.com/outline/450477/

 

 

~~~

 

 

そこで改めて、思い知らされたのは「国防費」ってナンナンダってこと。

 

今年(2020年)の防衛予算が『約5兆3千億円』なんだよな。

 

 

これが6年連続で過去最高額を更新中だと。

 

ざっくり言えば日本はアメリカから、F35戦闘機だのオスプレイだのイージスショアだの、国防のためにあれこれ税金で買ってるわけだ。

 

 

そうして「国防費」で配備されたあれこれなんだけど、今まさに起きてるこのコロナウイルスによる「国難」に何か役立つものってどれぐらいある? 

 

 

 

(中略)

 

 


これってまさに国防だよね。

 

新型コロナはやすやすと国境を越え、我が国に侵入して暴れてる。

 

 

国防の対象って、他国とかテロとか目に見える「人間」だけでなく、目に見えない「ウイルス」のような感染症もないがしろにできない。

 

国防イコール軍事防衛だけでなく、感染症防疫がいかに重要か。

 

 

こうして痛い目に遭ってわかったよ。

 

 

 

・年々削られてきた感染症予防の国家予算 ツケが現実に

 

 

これまで防衛費は年々増える中で、感染症予防に関する人件費とか研究費とかの国家予算って年々削られてきたんだろ。

 

そのツケが現実に出てるわけだ。

 

 

目の前のコロナもまだまだ渦中だけどさ、5年後10年後に新たなウイルスが必ず現れるわけだ。

 

その対策を「国防」として、今まで以上に大きな比重で捉える。

 

 

そうするしかないよ。

 

これから我が国が買わなきゃいけないのは、戦闘機より人工呼吸器、オスプレイより消毒スプレーって話、そうだろ?

 

 

マスク不足もずっと続いてる。

 

2月に菅官房長官は「3月には6億枚出回ります」とか言ってたけど、実際は見ての通り。

 

 

あれ、ホントのこと言えなかったんだな。

 

日本はマスクを調達できないって。

 

 

マスクって中国頼りなんだろ。日本のマスク自給率ってどれぐらいかわかる? 

 

約20%か。

 

 

つまり80%が中国からの輸入。

 

今回みたいに中国でマスク需要がハネ上がって日本への輸入が途絶えると、どうしようもないんだな。

 

 

食糧とマスクの自給率は真剣に考え直さないとな。

 

そうして出てきたのが、安倍さんの布マスク。

 

 

国民全員に2枚ずつ配る話。「もらえれば助かる」って人もいれば、「白旗に見えた、いらない」って人もいて賛否渦巻いてるよ。

 

俺?くれるっていうなら受け取るよ。

 

 

マスクの表に「10万円」って書いてあってさ、銀行とか郵便局に持ってくと換金できるんだったらぜひとも欲しいね。

 

マスク2枚で20万円だ。

 

 

国民がホントに欲しいのは、そういうマスクなんじゃないの?

 

 

 

~~~
コロナとの戦いは「戦争」~国防費でウイルスから国民を守れ~
毒蝮三太夫(livedoorニュース2020年04月16日)
https://blogos.com/outline/450477/

 

 

 

 

 

 

本日は4つの記事をご紹介いたします。

2つ目はこちらです。

 

 

 

 

 

 


■日本の敵はどこに?コロナ対策より防衛費に予算を割く愚行

 

作曲家:三枝成彰

 

日刊ゲンダイDIGITAL(2020/08/15)

 

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/277330

 

 

~~~

 

 

いずれの支援策も、そもそも満足できるような内容ではないのだ。

 

もちろん、いくら国債を発行するにしても財源が無尽蔵にあるわけではない。

 

 

バランスを考えるのは大事だろう。

 

だとすれば、防衛費を見直すべきである。

 

 

いたずらに増やすばかりになっているが、いったい日本の「敵」が世界のどこにいるというのだろう。

 

いくら軍事費を増やしたところで、北朝鮮が本気でミサイルを撃ってくるはずがない。

 

 

もしもミサイルを発射すれば、自らが破滅するだけだ。

 

最近は中国とアメリカが険悪になっている。

 

 

中国は日本の尖閣諸島にも、盛んにちょっかいを出してくる。

 

だからといって、米中間に戦争が起きるはずがないのだ。

 

 

軍事力をもって尖閣諸島を攻め落とすつもりもない。

 

やれば国際社会から猛烈な非難を浴びることは目に見えている。

 

 

秋田と山口に配備するはずだったイージス・アショア計画(いずれもハワイとグアムの米軍基地を守るためだったといわれている)も断念したことだし、アメリカから言い値で大量に戦闘機や武器を購入する現状も見直すべきだ。

 

 

日本は、カネのかけどころを間違っている。

 

 

 

~~~
■日本の敵はどこに?コロナ対策より防衛費に予算を割く愚行
作曲家:三枝成彰
日刊ゲンダイDIGITAL(2020/08/15)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/277330

 

 

 

 

 

 

 

3つ目の記事がこちらです。

 

 

 

 

 


■防衛費1.1兆円、コロナ対策に回すと…

 

東京新聞 TOKYO Web 2020年7月26日

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/44846

 

 

 

~~~

 

 

日本で防衛費を当てはめるとどうか。

 

ICAN国際運営委員の川崎哲あきら氏の試算では、20年度の防衛予算のうち、戦闘機購入や護衛艦「いずも」の事実上の空母化など新規契約分の1兆1000億円は、ICUのベッド1万5000床と人工呼吸器2万台に加え、看護師7万人と医師1万人の給与に相当する。

 

 

 

◆韓国、国防費1600億円を削減

 

 

実際に、軍事費を削減してコロナ対策に回す国も出ている。

 

韓国は今年の国防予算の3.6%に当たる計約1兆7700億ウォン(約1600億円)を削減。

 

 

米製戦闘機の導入費などの予算を、全国民対象の給付金や中小企業支援などコロナ対策の財源とした。

 

インドネシアやタイ、フィリピンなどでも同様の動きがある。

 

 

 


~~~
■防衛費1.1兆円、コロナ対策に回すと…
東京新聞 TOKYO Web 2020年7月26日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/44846

 

 

 

 

そして最後4つ目がこちらです。

 

 

 

 


■F35戦闘機の購入費をコロナ財源に…

 

現代ビジネス(講談社:2020.4.23)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72081?imp=0

 

 

 

~~~

 

 

戦闘機より国民の生活

 

 

新型コロナウイルスの感染対策に充てるため国防費の削減を決めた韓国政府に対し、防衛費を1円も削ろうとしないどころか、追加費用まで計上しようとする日本政府。

 

「だれのための国防なのか」、そう疑いたくなる愚策が連続している。

 

 

韓国は、日本より早く新型コロナの感染が広がったが、韓国政府が素早く対応し、日本ではいっこうに増えないPCR検査もドライブスルー方式まで採用して国民の不安に応えた。

 

すでに韓国内の感染禍は終息の方向にある。

 

 

韓国政府は16日、新型コロナの感染拡大に伴う緊急災害支援金の財源確保のため、追加補正予算案を編成し、国防費を9047億ウォン(約795億円)削減して財源に充てることを閣議決定した。

 

削減するのはF35戦闘機、イージス艦の戦闘システムの購入費などで、韓国国防部は「本年中に予定した支払いを来年に延ばすこととし、米政府と協議中だ」とコメント。

 

 

国防部は国際原油価格の下落により、節約できた燃料費2120億ウォンも緊急災害支援金の財源に回すことを明らかにした。

 

国防費の削減をめぐり、韓国の国内世論はさまざまだが、韓国政府は結局、「戦闘機より国民の生活」を選んだことになる。

 

 

一方、日本の防衛省はF35の「爆買い」をやめようとはしない。

 

日本政府は20日、1人10万円の給付を盛り込んで組み替えた補正予算案を閣議決定した。

 

 

財政支出は48.4兆円と過去最高になるが、防衛費削減の話は出ていない。

 

 

 

 

休業補償に回せば、どれほど助かるか

 

 

日本は、韓国が削減したのと同じタイプのF35戦闘機の導入を進めているが、議論らしい議論を経て導入したのは、最初の42機分だけだ。

 

残り105機の導入は、安倍晋三首相がトランプ米大統領に「バイ・アメリカン(アメリカ製を買え)」と迫られ、2018年12月、「防衛計画の大綱」を閣議決定するのに合わせて、「閣議了解」という異例の形で政治決定した。

 

 

追加導入する105機について、防衛省は「F15戦闘機の後継機」と説明しているが、そもそも開発元の米国でさえ、F15戦闘機の退役時期を決めていない。

 

日本ではまだ使えるF15戦闘機を廃棄してF35戦闘機を導入することになる。

 

 

これを「不要不急」といわずして、何といえばよいのだろうか。

 

2020年度の防衛費に計上されたF35戦闘機は、米空軍版のF35Aが3機281億円、垂直離着陸ができる米海兵隊版のF35Bが6機793億円で、両タイプを合計すると9機1074億円になる。

 

 

平均すれば1機119億円である。

 

このうちの1機でも2機でも購入を先送りして財源の足しにすれば、新型コロナ感染拡大を防ぐため、店舗に休業を要請しながら補償金を支払えない財政不足の都道府県がどれほど助かることだろうか。

 

 

 

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■F35戦闘機の購入費をコロナ財源に…
現代ビジネス(講談社:2020.4.23)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72081?imp=0

 

 

 

 

 

 

 

 

「コロナ第三波?」米国製、英国製遺伝子組み換えコロナワクチンの完成に合わせてかのような、コロナ感染「第三波」と言われる状況をマスコミ各社が報道しています。

 

 

通常ワクチン開発は10年ほど、最短でも3~5年以上かかる開発期間が、1年にも満たないスピードで生産体制に入っています。

 

まるでコロナウイルス発生を見越していたかのような「ワープスピード」です。

 

 

今回ご紹介させていただきました4つの記事。

 

「どくまむし」で知られる毒蝮三太夫さんや作曲家の三枝成彰さんも指摘していました。

 

 

コロナウイルス発生前の消費税増税で日本の個人消費が大きく後退したタイミングに、コロナショックが発生。

 

日本の個人消費は想像以上に悪化してます。

 

 

お住まいの近くの商店街、飲食店などはいかがでしょうか。

 

昨年の消費税増税の影響も重く、他国に比べても個人消費の回復が遅れています。

 

 

この経済状況では国の歳入にも大きな影響が及ぶのではないでしょうか。

 

消費税増税による経済悪化、歳入を補うための消費税増税・・・。

 

 

まさに「負」のスパイラルと言えるのかもしれません。

 

コロナは「戦争」「国防」だと言われています。

 

 

今、この緊急事態で必要なところに支出することは、まさに最優先事項ではないでしょうか。

 

日本の経済の約6割を占めると言われる「個人消費」。

 

 

私たち一人一人の足元が、まさに「火の海」となっているのかもしれません。

 

勤めている企業が業績悪化している人たちも多いのではないでしょうか。

 

 

勤めている会社が倒産した場合、個人の生活にも大きな悪影響が表面化します。

 

会社が倒産し、日本経済が悪化する。そしてその影響でさらなる連鎖倒産につながる・・・。失業者も増えていく・・・。

 

 

このような悪循環も否めない現状かもしれません。

 

昔、織田裕二さんが主演していた「踊る大捜査線」の映画で「事件は現場で起きているんだ!」というセリフがありました。

 

 

まさに戦時下とも言える、コロナ経済の状況下、私たち一人一人の「現場」への支援が必要な時ではないでしょうか。

 

「現場」への支援をより強固にするためにも、歳出に関する部分、至急にも大きな見直しが必要かもしれません。

 

 

 

 

 


サイバー攻撃、狙われるのはカプコンだけじゃない。「IT後進国」~日本の国際競争力が失墜する理由~

2021-02-18 11:09:53 | 政治

【今日の気になったニュース・記事】

 

 

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【本日のニュース・記事】

 

■狙われるのはカプコンだけじゃない 


サイバー攻撃で最大35万件の個人情報流出も

 

AERAdot.(朝日新聞)2020.11.17

 

https://dot.asahi.com/wa/2020111700048.html?page=1

 

 

 

~~~

 

 

ゲームソフト大手のカプコン(大阪市)が、サイバー犯罪集団による攻撃を受け、大量の情報が流出した可能性があることを明らかにした。

 

今回は攻撃対象がカプコンだったものの、どんな会社でも“標的”になり得る、と専門家たちは警告する。

 

 

カプコンの発表によると、2日未明に社内システムに接続障害を確認し、システムを遮断して状況把握に着手。

 

「ラグナロッカー」を名乗る集団から、身代金の要求があったという。

 

 

ラグナロッカーは、世界に十数グループある攻撃集団のうち「大きなグループではない」(サイバーリサーチの藤田有悟代表)。

 

カプコンから盗んだ情報の一部がサンプル公開され、今回は一般サイトにも公開。

 

 

「SNSを見ると誰もがダウンロードしているようです」と、トライコーダの上野宣代表は指摘する。

 

実は、カプコン以外にも、日本企業数社ほどから盗んだとみられる情報が、「ダークウェブ」と呼ばれる闇サイトにサンプル公開されているというのだ。

 

 

カプコンから流出した可能性がある情報は膨大だ。国内外の顧客や取引先、株主名簿情報、退職者やその家族など最大約35万件の個人情報に加え、社員ら約1万4千人の人事情報、さらには売り上げや営業資料なども流出した可能性がある。

 

同社は「一通りのセキュリティー対策は講じていた」(広報担当者)と説明しつつ、警察が捜査中だとして身代金要求の詳細は公表していない。

 

 

「バイオハザード」シリーズなどのヒット商品で知られるカプコンは、直近の業績は売上高が800億円超、本業のもうけを示す営業利益200億円超と堅調だった。

 

その株価は、情報流出を公表した翌17日午前の取引で一時、前日比4・6%安の4915円まで急落した。

 

 

今回の攻撃では、ランサムウェア(身代金ウイルス)による不正アクセスで、感染するとパソコンのデータが暗号化されたり、画面にロックがかかったりする手口が使われた。

 

暗号化の解除などと引き換えに、身代金を要求するのが一般的。

 

 

今回はさらに情報も盗んでサンプル公開される“二重攻撃”だった。

 

前出の上野さんによれば、こうした攻撃での身代金要求は、犯人の足取りがつきやすい現金などでなく、ビットコインが使われるケースが多いという。

 

 

カプコンのケースは「1千万ドル相当のビットコインで身代金を要求されているようだ」。

 

とはいえ、セキュリティー対策を講じていた同社が、どうして簡単に攻撃されてしまったのか。

 

 

「攻撃者がパソコンの脆弱(ぜいじゃく)性やバグという不具合を狙い、遠隔操作できるようにしてデータを盗んだのではないか」とみるのは前出の藤田さんだ。

 

誰かがウイルスに感染したメールを開くと、そこから遠隔操作が始まるというものだ。

 

 

ウィンドウズなどの基本システム(OS)は複雑になり過ぎて、どんどん更新されている。

 

大手企業は何千台ものパソコンを抱え、1台でも古いシステムが残っていると、大量攻撃でひっかかる可能性がある。

 

 

パソコンの感染は誰にでも起こり得ることで、本来は誰かのパソコンが感染しても、そこからネットワークに広がらないような対策が必要だという。

 

カプコンについては「おそらく古いネットワークだったのではないか」と上野さん。

 

 

ただ、カプコンが受けた攻撃は決して特殊なケースではないとみられ、「どこの会社でも起こる可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 

 

 

 

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狙われるのはカプコンだけじゃない 
サイバー攻撃で最大35万件の個人情報流出も
AERAdot.(朝日新聞)2020.11.17
https://dot.asahi.com/wa/2020111700048.html?page=1

 

 

 

 

 

 

本日は3つの記事をご紹介いたします。

 

2つ目はこちらです。

 

 

 

 

 


■アフターコロナに「IT後進国」~日本の国際競争力が失墜する理由~

 

ダイヤモンド・オンライン(週刊ダイヤモンド)2020.5.12

 

真壁昭夫:法政大学大学院教授

 

https://diamond.jp/articles/-/236862

 

 

 

 

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IT分野で発展した国とそうでない国に競争力の格差

 

 

 

最近、今年1~3月期の主要企業の業績が発表され、コロナ禍の渦中での各国の主要企業の収益状況が明らかになりつつある。

 

その中で、わが国と欧州の主要企業の業績が前年同期比で7割から8割減と大きく落ち込む一方、5Gや通信分野に強みを持つ米国や中国では企業の純利益が前年同期比で4割程度減少と健闘していることが注目される。

 

 

現在、世界的にテレワークや巣ごもり消費の増大から、多くの主要国で通信量が顕著に増加している。

 

それに伴い、米・中のサーバー需要獲得競争が一段と激化している。

 

 

米国GAFA、中国BATHのようにIT先端企業の収益力は、経済の落ち込みをカバーすると同時に、アフターコロナの変化に対応するために一段と重要性が増している。

 

一方、自動車、汎用機械、素材などに相対的な優位性を持つわが国では、企業の利益が同78%減だった。

 

 

世界的に見て日本経済はかなり厳しい状況にある。わが国は“ものづくり”に強みを持つが、5Gやスマホ分野などでの競争力は十分ではない。

 

加えて、感染対策が後手に回り、GDPの60%程度を占める個人消費が落ち込んでいる。

 

 

コロナショックの発生によって、世界全体で人の動線が遮断され、経済は大きく混乱している。

 

回復にはかなり時間がかかるだろう。

 

 

4~6月期、米国の経済成長率はマイナス20%超に落ち込むとみられ、その後も世界経済の停滞は避けられないだろう。

 

今後、IT先端分野を中心に力を発揮してきた経済と、そうではない国の差がこれまで以上に明確化するはずだ。

 

 

今後、5G通信関連を中心にIT先端分野の需要は徐々に高まるとの見方は多い。

 

わが国はそうした変化に対応するために、産業構造を転換することを考える必要がある。

 

 

 


(中略)

 

 

 


今後、わが国が目指すべき改革の道

 

 

コロナショックによって世界全体で人の動線が遮断・寸断された影響は非常に大きい。

 

それによって、人々が外出しなくてもできるだけ快適に過ごすことを重視し始めている。

 

 

言い換えれば、わが国が強みを発揮してきた自動車、各種部品や素材産業の回復には時間がかかる。

 

これまでの産業構造を維持し続けた場合、わが国の経済は米中を中心とするIT先端分野などでの新しい取り組み、それによる変化に取り残されてしまう恐れがある。

 

 

仮にその展開が現実のものとなれば、内需の低迷には拍車がかかり、経済と社会全体でかなりの閉塞感が広がるだろう。

 

歴史を振り返ると、疫病との戦いは世界経済を大きく変えた。

 

 

14世紀に世界を襲ったペストは、欧州における封建制度の崩壊を通して教会の影響力を低下させ、ルネサンスにつながった。

 

1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦の終結を早めたとの見方がある。

 

 

コロナショックを受け、米国では産学連携などを起点に、大学が開発したフェースシールドを自動車メーカーが生産するなど、部分的にオープンイノベーションが起きている。

 

中国では、国家資本主義体制の下で経済活動だけでなく医療などのデジタル化が進んでいる。

 

 

ある意味、わが国はコロナショックをチャンスに変えなければならない。

 

これまでの発想や価値観にとらわれずに、新しい取り組みを積極的に進めなければ世界全体の構造変化に遅れてしまう。

 

 

感染を早期に食い止めた韓国でさえ、鉄鋼、金融、石油化学、航空など在来分野の業況は悪化している。

 

感染対策が後手に回ってしまったわが国は、内需、外需の両面においてそれ以上に厳しい状況を迎えていることを直視しなければならない。

 

 

わが国の政府は今後の経済運営をどう進めるか、国としての基本方針を固めるべき時を迎えている。

 

5Gやデータセンター関連の新しい機器や基盤などの部材開発と生産に向け、産学連携の強化や専門知識と技術を持つ人材が活躍できる環境の整備は急務だ。

 

 

政府は基礎分野での新しい取り組み推進に向けて、規制緩和や構造改革を大胆に進める必要がある。

 

今後、わが国がそうした課題をいかに乗り越えることができるか、今、大きな岐路に立たされている。

 

 

 

 

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アフターコロナに「IT後進国」~日本の国際競争力が失墜する理由~
ダイヤモンド・オンライン(週刊ダイヤモンド)2020.5.12
真壁昭夫:法政大学大学院教授
https://diamond.jp/articles/-/236862

 

 

 

 

 

 

最後3つ目はこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

■日本が「第4次産業革命」で欧米や中国に大幅な遅れをとっている理由「デジタル経済の嘘とホント」

 

ダイヤモンド・オンライン(週刊ダイヤモンド)2020.6.9

 

岩本晃一:経済産業研究所/日本生産性本部 上席研究員

 

https://diamond.jp/articles/-/239415

 

 


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デジタル化は、グローバル化と並んで、国と国の経済格差、競争力の格差を生み出す最も大きな要因だ。

 

とりわけITビジネスはGAFAに象徴されるように、独自の技術でデファクトを握り、ビジネスで「独り勝ち」できてしまう。

 

 

イノベーションが企業競争力の源泉で、高度なIT人材をどう養成するかが、鍵になる。

 

だが日本は人材投資で米欧や中国に圧倒的に差をつけられている。

 

 

 

高度IT人材を育てる投資
圧倒的に多い米国と好対照

 

 

AI、ビッグデータなどの活用で産業やビジネスが根本的に変わる「第4次産業革命」をにらんで、各国では90年代後半から、IT高度人材を養成する人材投資が行われてきた。

 

とりわけ米国では、優秀な人材が必要との認識の下で積極的に人材育成に投資が行われてきたことがわかる。

 

 

1995-2004年の投資額の伸びは2.3%増、2005-2012年では2.1%増だ。

 

それに対して日本は、1995-2004年の伸びは0.4%増、2005-2012年も0.1%増と欧州各国に比べても少なさが際立つ。

 

 

人材の育成を怠っていたことがわかる。

 

バブル崩壊や金融危機などで企業収益が悪化し、人材投資の余力がなかったことやIT投資はしても、省力化・コスト削減投資など「守りの投資」と呼ばれる後ろ向きのものが多かったからだ。

 

 

 

 

(中略)

 

 

 


大学での養成体制も遅れる
米国はIT企業との連携定着

 

 


企業に入る前の段階ではどうなのか。

 

日本では大学でも高度IT人材を養成する体制が遅れている。

 

 

例えば、高度なIT技術を駆使してビッグデータなどを分析・解析し、ビジネスの方向や変革を経営者らに提案するデータ・サイエンティストの大学での養成課程を日米独で比較すると明らかだ。

 

ドイツは、約2年前に筆者が現地調査を行ったが、ミュンヘン工科大学、ミュンヘン大学、ミュンヘン専門大学の3大学で、2016年からデータ・サイエンティストを養成する修士課程が設置され、修士課程を終えた者がすでに2018年から社会に出て働き始めている。

 

 

これら3大学の教授会で、第4次産業革命を牽引するリーダー人材の育成が必要との議論が始まったのは、ドイツ政府が「インダストリー4.0構想」を発表した2013年4月の直後からで、現在では取り組みはさらに進んでいると思われる。

 

米国では、約2年前の時点ですでにデータ・サイエンティストを養成する修士課程が70以上の大学で設置されていた。

 

 

インターンシップに力を入れる大学や社会人向けにオンラインで受講できる授業を充実させている大学など、大学によってそれぞれ特色があり、多様なキャリアプランに合わせて学習課程を選択できる環境が整備されている。

 

例えばカーネギーメロン大学では、グーグル、アマゾンなどがインターンシップの場を提供し、学生は16から20カ月間という長期にわたって実地での訓練を受けられる。

 

 

またノースウエスタン大学では製造業向けのデータサイエンスコースが用意されるなど、AIなどの先進技術の開発を世界に先駆けて行っている大企業が、実践的トレーニングの場になっている。

 

新しく養成コースを作る段階をとうに過ぎ、現在は、どの大学が優れたカリキュラムを提供しているかをフォーブスなどがランキングをつけて紹介している。

 

 

これに対して、日本では、滋賀大学が2017年4月に日本で初めてAI、データ・サイエンティスト養成のための学部を開設、次いで横浜市立大学が学部を(2018年4月)、滋賀大学が大学院を(2019年4月)、立教大学が大学院を(2020年4月)開設したが、まだ、3大学にとどまっている。

 

東大大学院情報理工学系研究科が最近、2020年度の修士課程入学定員を、5割増の243人とし、教員ポストも3割増やして130人にすると発表したが、いずれにしろ米国などに比べると、大学などでの高度IT人材養成の体制整備は大幅に遅れている。

 

 

 


IT人材の不足が国際競争のかせになる恐れ

 


カナダのAI分野の調査会社であるElement AI社が発表した「世界の人工知能人材に関する報告書2019(Global AI Talent Report 2019)」によれば、AI人材は、過去数年間で驚く増加を示したが、米国に集中している。

 

全世界の46%が米国の企業や研究機関に在籍し、2位が中国の11%で、日本は3.6%しかおらず6位にとどまっている。

 

 

また、NRIセキュアテクノロジーズが行った「企業における情報セキュリティ実態調査2019(NRI Secure Insight 2019)」によれば、セキュリティ人材が不足していると回答した日本企業は87.8%だが、米国企業は18.1%となっており、日本企業には優秀な人材が圧倒的に不足している状況が見て取れる。

 

日本企業としては、国際競争を勝ち抜くためには、早急な人材確保が必要だ。大学・大学院でのデータ・AI人材育成の整備を黙って待っている訳にはいかない。

 

 

企業の中にはデータ・AI人材の育成に関して、大学と連携し始めているところも出てきている。

 

例えば、2018年11月に京都大学は、NTTデータやANAシステムズ、東京海上日動火災などの数社と共同で、ITとビジネスの人材を育成することを目的に産学共同講座「情報学ビジネス実践講座」を設立した。

 

 

NTTデータは京都大学と人材養成で連携を始めた。

 

こうした連携は、NECと滋賀大学、東芝メモリと電気通信大学、IHIと横浜国立大学、みずほ証券と東京理科大学、大和総研と同志社大学などでも始まっている。

 

 

一方で学生にとっては、大学で本格的なデータ・AI関連の教育が進んでいないため、データ・AI関連の企業への就職やデータ・AI関連の仕事がどういったものかなど、なかなか想像がつきにくいようだ。

 

マイナビが全国の大学の2020年3月卒業予定の学生(4年生、大学院2年生)7342名を対象に行った「マイナビ AI推進社会におけるキャリア観に関するアンケート」(2019年6月4日)によれば、回答した学生の75.4%がAIやITに関連した職種を志望していない。

 

 

AIやITに関連した職種について、全体の75.4%、理系男子の67.1%、理系女子の81.0%が「志望しない」と回答。

 

AIやITに関連した職種の中で、最も志望する割合が低かった職種はセールスエンジニアで、全体の1.1%。データ・サイエンティストも全体の3.3%と低い。

 

 

 

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■日本が「第4次産業革命」で欧米や中国に大幅な遅れをとっている理由「デジタル経済の嘘とホント」
ダイヤモンド・オンライン(週刊ダイヤモンド)2020.6.9
岩本晃一:経済産業研究所/日本生産性本部 上席研究員
https://diamond.jp/articles/-/239415

 

 

 

 

 

 

 


カプコンのサイバー攻撃による情報流出事件。

 

今後は、カプコンに限らず、IT後進国日本が、大企業のみならず、行政も含めて、サイバー攻撃集団のターゲットとなることが予想されます。

 

 

コロナウイルスが世界に蔓延する中、世界経済を大きく悪化させたにもかかわらず、世界のIT業界はさらなる業績拡大。

 

米GAFMA(ガフマ)(Googleグーグル、Appleアップル、Facebookフェイスブック、Microsoftマイクロソフト、Amazon.comアマゾン)を中心に、経済的にも、政治的にも、あらゆるところでそのパワーを高めています。

 

 

日本は、改めてITという分野を育成する必要があるのではないでしょうか。

 

元々製造業が強い日本は、コロナの影響を大きく受け、経済も大きく後退しています。

 

 

その製造現場における各種ロボットも、IT技術やAI技術が組み込まれていきます。

 

農業も、漁業も、林業でさえ、ネット技術が革新をもたらしていきます。

 

 

金融、建設、卸や小売り、サービス業に至るまで、ありとあらゆる産業が、IT技術と不可分の関係になっていきます。

 

IT技術なくして、ビジネスは成り立たなくなっていくと言っても過言ではありません。

 

 

つまり、IT技術、IT能力はその国全体の経済とも密接につながっており、世界での経済的豊かさにおける「勝ち組」になるのか、「負け組」になるのか、その国の「IT力」にかかっているのではないでしょうか。

 

IT教育、そしてIT能力全般は、日本の経済そして、私たちの働いている会社の業績、転職や給与水準にまで影響があり、私たちの生活と直結していると言えるのかもしれません。

 

 

それだけではありません。

 

IT技術はもともと軍事技術から発達してきました。

 

 

今や、情報はその国の「国防」ともいえる分野です。

 

情報セキュリティは今後さらなる重要性を増していく分野でもあります。

 

 

IT技術力、IT人材力は、経済力のみならず、「国力」全体的にも、影響力を増してきます。

 

今回のようなカプコン情報流出事件は、これから始まるIT戦争の序章に過ぎないのかもしれません。

 

 

行政や大企業の情報が他国に漏洩した場合、ありとあらゆる情報が、分析・解析され弱点や欠点、瑕疵等を多面的に把握することもできます。

 

「IT力」の欠如は、経済的にも大きなリスクはありますが、軍事的な部分も大きなリスクとなります。

 

 

ITセキュリティのプロフェッショナル育成は、早急に、そしてより強化すべき分野ではないでしょうか。

 

また今後、日本を担う若年層、子ども達が、IT弱者であればあるほど、その国の弱体化は避けられません。

 

 

「IT力」底上げのためにも、そして個人情報を守るという意味でも、幼少期からのITリテラシー教育は必須と言えるのかもしれません。