NautilusのTwitterまとめ

Twitterで気になったニュース・雑文・画像等の倉庫です。

江戸時代初期(?)までの日本の通貨について

2005-12-21 18:51:36 | Weblog
平安時代(それより以前でもそうだろうが)から,江戸時代初期まで,日本は中国銭をずーっと輸入していた。

→江戸時代も明銭を輸入していたことを考えると,自前の通貨が復活したのは明治時代になってからといえる。

→富本銭や和銅開珎以降の皇朝十二銭が全国的に流通したとはあまり考えられない。

→なぜ流通しなかったかについては,当時の日本国中央政府である大和朝廷の信用度が低かった,というか,信用されていなかったからでは?

→物々交換では不便なので,当時信用度が高かった中国中央銀行の通貨を利用した,とは考えられないだろうか?

→その意味でいうなら,江戸時代まで,日本は中国の「ドル体制下」にあったといえる?


鎌倉 御霊神社について

2005-12-20 19:25:03 | Weblog
江ノ電で神社の横を通ったら,七五三のノボリがたっていた。

→祀られている神を考えると,「祟りよけ」と考えれば正解なのだろうか?

→天満宮での合格祈願もよく考えると,菅原道真が「勉強がよくできて出世→他に疎まれ左遷」となったわけだから,本当に祈っていいのだろうか?とも考える。

源義経について

2005-12-20 19:21:03 | Weblog
鵯越の合戦で,実際に急斜面を馬で駆け降りたかどうかは別として,山中を駆け抜ける能力を持った部隊は存在していたのだろう。

→平泉から付き従った「山の民」?彼らはアイヌ系?

→「宗像教授伝奇考」にあったが。

源義経について

2005-12-20 19:16:43 | Weblog
奥州から駆け付けて,なぜすぐに「頼朝の弟」として認められたのだろうか?

→特に証拠となる「源義朝の形見の品」でも持っていたのだろうか?

→母親も違うし,子どもの頃からずっと別れて生活をしてたことを考えると,ほぼ他人といってもいいのでは?

→頼朝の政治的判断?

北条氏について

2005-12-20 19:08:55 | Weblog
江ノ島神社で北条氏が奥州藤原氏調伏を祈祷したが,奥州は黄金が豊富,また奥州を攻めようという判断の元となった情報はどこから得たのか?

→伊豆は山もあり海も近いことから,「海の民」,「山の民」の両方にコネがあったとか。

→当時は伊豆の小豪族にすぎないわけだから,あまりにも大それた野望では?

→江ノ島神社で祀られているのは,牛頭天王,厳島姫等の出雲系の神々(というより「地祇」?)であることを考えると,奥州藤原氏の領地内にある出雲系の神社から情報を得たとか,協力を得たとか。

→前九年・後三年の役で,源氏のコネは奥州・関東中にあるであろうことことから,このコネを利用するために頼朝をかついだか?

→奥州藤原氏の滅亡後,奥州に配属された地頭は北条氏系?
・・・これは要調査。北条氏の力は,鎌倉時代初期にはそんなに強くなかったことを考えると,奥州の金は北条氏のみに流れ込んだわけではない?

→関東の他の有力御家人を味方にする際にも,「奥州の金」で誘った?
・・・もちろん本領安堵と領地の増加がメインだったろうけども。

→鎌倉時代以降,「奥州の金」の話はあまり出てこないが?藤原氏の時代に堀尽くした?








なぜ頼朝はかつがれたのか?

2005-12-19 18:26:02 | Weblog
北条氏はなぜ頼朝を「かつぐ」ことを考えたのか?

→成人するまで20年間くらい監視していて,それなりの器であると判断したのだろうか?

→当時の関東地方には,千葉氏とか有力な勢力がいたのに,それらは北条氏よりさきに頼朝をかつぐことを考えなかったのだろうか?

→石橋山の合戦の後,房総半島に逃亡して,すぐに大勢力となったことを考えると,頼朝の「みこし」としての価値は認められていたと考えられる。

→しかし,平氏が怖くてこれまで誰もかつがなかった?

→最初にかついだのが「平氏」の北条氏だが・・・

→挙兵するまで20年近くそのまま幽閉されていたことを考えると(暗殺されもせず),平氏(特に平清盛)としてはあまり価値はないと考えていた?

→そもそも,なぜ頼朝を「八幡太郎義家」伝説の地元ともいえる関東に流したのか?

→安芸や周防などの,平氏のホームともいえる場所に閉じ込めていた方が,何もできなかったのでは?

→源行家らのPR活動で,改めて関東の御家人は「源頼朝」の価値に気付いたのか?