人見のピンクリボン

いろんな災難・病気・人間関係の不和などで悩んでいる方に、自分の体験と共に手助け出来ればと・・・!

NHK「プロフェッショナル」乳腺外科医 ”中村清吾”

2009年06月17日 | 人見の言葉

たまにNHKの「プロフェッショナル」を見るのですが、最近、乳腺外科医 ”中村清吾”さんが出演されていました。

彼が率いる乳がんの診断と専門センターは乳がんの手術数が700件という日本屈指の多さで、センターを立ち上げられたそうですが、治療には常に謙虚さを持って向かう「自分の診断は本当に正しいのか」「これで間違っていないか」.患者の声に真摯に耳を傾け、少しでも疑問が残るときは、同僚に意見を求める。そして、その姿勢を若手医師にも伝えようとしている。謙虚さを失うと、医師としての成長は止まってしますと考えていると。

彼は東京の浅草で生まれ育ち、父は町で名を知られたきゅう師で、いつも患者のグチや悩みを聞きながら、時には厳しく、時には優しく対応されるお父さんの姿を見て医師の道を志されました。
外科の道に進んだ彼は、いつしか病気を「治す」ことにばかり目を向けるようになってしまい、患者の「声」に真しに耳を傾ける姿勢を忘れてしまっていたそうです。そんな時、幼子を連れた再発患者が彼を頼ってこられたそうです。「一日でも長く生かせてあげたい。」しかし、抗がん剤を次々に投与しても効き目はなく、副作用の厳しさばかりが彼女を襲ったのでした。そして彼女は、「子供の世話をしたい」と言いながら苦しみながら息を引き取られたそうです。中村医師は、「自分のやり方本当に正しかったのか」と、深く悩まれるようになったそうです。

悩む中、中村医師は乳がん治療の先進国、アメリカでの研修を希望し、ここで中村医師は患者をたくさんの専門家(薬剤師・栄養士・カウンセラーなど)でともに診るチーム医療を知ったそうです。彼らは治療だけでなく、患者のその後の生活まで見据えて相談にのっていおたそうです。日本に戻った中村医師は、時間をかけながら同僚を説得し、2005年にチーム医療を本格的にスタートされました。

乳がんの患者は、30代後半から急激に増えはじめ、50代にピークを迎える。この年代の女性は、母として、妻として、仕事として、会社的役割が大きい。そのため、自分の身体だけにかまけっていられず、病気による悩みも深くなりやすい。
今年3月に乳がんの再発で入院してきた患者さんがいて、母である患者さんは子供に病気の事実を伝えていないそうですが、がんの治療には家族の応援は必至だと。中村医師は、彼女の気持ちをくみ取り、人生によりそいながら、治療と人生のサポートをしようと試みたいと思っていらっしゃるそうです。

何事にも言えるのですが、人は一人では生きていけないし、周りの人の助けがあってこそ、生きていけるものだと思います。
医療も、医師だけではなく専門の看護士・薬剤師・栄養士・カウンセラーなどの力もあって、尚一層患者さんの大きな力と助けになるのだと思います。
沖縄では「医者半分・ユタ半分」といわれることが有りますが、何度かブログでも投稿しましたが、医師・看護士・薬剤師・栄養士・カウンセラーなどに加えて、神人(ユタ)も加わると、もっと人の力になり助ける事ができるのではないかと、私は思えるのです。


映画「余命一ヶ月の花嫁」

2009年06月14日 | 人見の言葉

以前に、映画になった困難に立ち向かうひとりの女性竹中まゆさんのココロの成長を描いた、実話に基ずくストーリーの「Mayu ココロの星」を見ました。

若年性乳がんと闘い、24歳で生涯を閉じた長島千恵さんの思い若年性乳がんについて知って欲しいという彼女の想いがきっかけとなり、千恵さんの”最後の一ヶ月”をテレビクルーが取材され、ドキュメントとしてテレビで放映されたのを私は見たのを切っ掛けに、今年三月には、千恵さんの思いをつなぐ「~乳がん検診 シンポジューム~」などでも参加しました。
がんを患いながらも前向きに生きる千恵さんの姿、千恵さんを囲む家族や恋人や友人達の愛の大きさなどが描かれた映画「余命一ヶ月の花嫁」もやっと見に行くことができました。

千恵さんは今の自分に出来ることを考え抜いた末、テレビの取材を受けた。それは、自分以外のみんなに検診の大切さと生きることの素晴らしさを伝えたかったからと・・・。しかし、恋人である赤須太郎さんは、千恵さんが自分の大変な姿を曝け出しても訴えるのは最初はとても反対だったようです。
私も今年の三月に本を出版しましたが、やはり自分や家族のことを曝け出すのは恥ずかしく少し複雑でしたが、私も少しでも多くの人に私の思いを分かってもらえたら、少しでも人の役に立てばとの思いで書きましたので、千恵さんの思いも分かりますが、恋人の太郎さんの気持ちも良く分かる気がします。
しかし、千恵さんの思いや千恵さんに携わってこられた周りの人の、「乳がんは本当に早いうちに防ぐのが大事。特に若い人は進行が早い。若い人ほど自分の健康に気を付けて欲しい・・・」との思いを、多くの人に知って貰いたいとの強い想いで、生きること、愛すること、命のメッセージを伝えることが出来ていると思いました。

私は映画を見た後に最初に思ったことは、恋人である赤須太郎さんのことでした。千恵さんが亡くなられた時もとても辛かったでしょうが、その後何かとテレビや千恵さんの想いをのせた「乳がん検診キャラバン」で全国をまわったり、映画が放映されている間は、何かと忙しくて悲しむ時間が少ないでしょうが、何もかもが落ち着いた頃に、本当の悲しみや寂しさがくるのでは無いのかなと心配になりました。

検診の重要性・早期発見は、本当に大切なことだと感じていますが、私はここで知って欲しいのは、ブログでも本でも書いていますが、「Mayu ココロの星」・「余命一ヶ月の花嫁」を見て直ぐに感じたことが有ります。
それは竹中まゆさんのお母さんも同じく癌で苦しんでおられ、長島千恵さんのお母さんも子宮ガンで亡くなられているのですが、それを聞いた時に直ぐに「真似型」まねかたで、ご先祖様と同じことをさせられてしまっているということです。
ブログでも本にも書きましたが、癌は遺伝性もあるとも言われていますが、実はご先祖様がちゃんと供養などがなされていない場合、同じことをさせられてしまうことが多いということです。特に乳がんなどは母方のご先祖様からの声が掛かってきていることが多いようです。
私も父の親お祖母ちゃんの真似型でしたが、分かった時には遅く同じ病気にさせられましたが、その後ちゃんと供養し、真似型されないように道理を通し外すお願いこともしましたので、今は再発もなく元気で過ごしています。
本を出版できたのも、この大きな出来事、癌という病気になったからですが、これからは自分自身健康でいて、少しでも多くの人に、災難や病気・人間関係の不和などは何かしら意味があり、それを防ぐためのヒントを与えることができたらと思っています。


母の日乳がん検診

2009年05月10日 | 人見の言葉

 

先月、J.POSHの主催で行われた、「ママあるがとう!母の日乳がん検診 スマイルアップキャンペーン2009」ですが、前にもご紹介させて頂きましたが、沖縄の知り合いの高校生に、応募を募って貰った結果、担任の先生も良い企画だと御協力頂きました。
締め切りから数日後、話を持ちかけた高校生から、「当たったよ!」との喜びの電話があり、良い母の日のプレゼントに本当になったと、この企画に私は感謝しました\(^o^)/


「ママありがとう!J.POSH母の日乳がん検診・・・」

2009年04月11日 | 人見の言葉

 

今は20人に1人が、乳がんにかかると言われていますが、特に高校生がいる年代のお母さん方が、母として忙しく、あるいは責任のある仕事に就いて、自分の健康を後回しにしてしまう方が多いと思います。

大好きなお母さんに、「年に一度は乳がん検診を受けて、家族のためにもげんきでいてね。」の思いを込めた、母の日のプレゼントとして、「ママありがとう!J.POSH母の日乳がん検診スマイルアップキャンペーン2009」を、NPO法人のJ.POSHさんが企画されました。

全国の高校生からお母さんに、乳がん検診受診費補助キャンペーン参加証付きの「J.POSH 母の日グリーンティーングカード」を贈って頂く企画です。
参加証を抽選で1,000名の方に贈られたお母さんが、受診されたマンモグラフィー検診受診費の一部は、NOP法人J.POSHが補助して頂けるそうです。
詳しくは、こちらJ.POSHをクリックして御覧下さい!

期間が短いのですが、少しでも多くの高校生や女性の方にも、乳がん検診の大切さと早期発見の大切さを分かって頂きたいと思っています。
母の日のプレゼントとしても本当に良い企画だと思いましたので、沢山の高校生が応募してくれるのを願っています。
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乳がん検診キャラバン

2009年04月02日 | 人見の言葉

最後まで人を愛し、人に愛され、人を支え、人に支えられ、24年の人生を生き抜いた千恵さんが残した思い、「若い人にも乳がんになることを知って欲しい。若いからこそ進行が早いので早期発見を心がけて欲しい」との訴えでした。

その想いを千恵さんの遺族・友人たちが引き継ぎ、「余命1ヶ月の花嫁・乳がん検診キャラバン」を始められました。
20代〜30代の女性が対象で、一人1000円で検診が受けられるそうです。
今年は、映画の公開も記念し、沖縄から北海道まで28都市を回る全国キャラバン(さくらパンダ前線キャンペーン)が開催されています。

是非進んで検診して頂きたいと思います、特に癌にかかった家族がいらっしゃる場合は特に受けて欲しいと思います。
何よりもどんな病気でも、早期発見に越した事はないからです。

 

「乳がん検診 シンポジューム」で那覇西クリニックの医師の玉城先生と千恵さんの恋人だった赤須太郎さんの話からも思ったことは・・・・

*早期発見だと本当に治療も身体の負担が少なくて、再発の心配も少ないようです。
*乳がんは、初潮が早かった人や30歳過ぎてのお産やお産の経験が無い人や、年取っての肥満の人も、なる確立が多くなるそうです。
*まさか自分がなるわけない・・・!と思っていても、自分から進んで検診を受けるべきだと思います。

会場に来られていた女性で、まだ結婚されていないのですが、千恵さんと同じように恋人がいて、今現在癌と戦っている人で、彼に甘えて良いのか!別れたほうが良いのかとの悩みの相談でした。
私が思ったのは、人は誰でも一人では生きて行けないし、周りの人に支えられて生きていけるものだと思うので、人に甘える勇気も必要だと思うのです。そのことで周りの人も何かを得る物が沢山あると思えるのです。

玉城先生が言われていましたが、我慢しないで涙を流して泣く事も必要だと、涙を流す事で、下手な力がぬけて、前向きに考える事もできると・・・!
また話をしあうことで、いろんな人からのパワーをもらえると思いますし。

何度も言っていますが、「病は気から」と言うように、悪い事ばかり考えても良い方向にいけるわけが無いし、出来るだけ気持ちを陽にもち、少しでも笑いがあることや、楽しい事を考えるような努力も本当に大切なことだと思います。
そうするには、一人で戦うのではなく、周りの人の助けを素直にうけながら、少しでも良い方向にいける努力する事が一番と思えます。


「余命一ヶ月の花嫁」

2009年03月30日 | 人見の言葉
琉球放送主催で、今度映画化にもなった「余命一ヶ月の花嫁」の”千恵さんの思いをつなぐ”「乳がん検診 シンポジュウム」がテンブス館ホールでありました。
パネリストに、千恵さんの恋人でもある赤須太郎さん、那覇にしクリニックの玉城先生、乳がん体験者でもある上原弘美さんとのディスカッションがありました。

本当に早期発見が大事で、自分は大丈夫!まさか自分が!とは思わずに、元気でも検診を受ける大切さが、尚一層分からさせられました。

美しく乳がんを治す

2009年03月28日 | 人見の言葉
美しく乳がんを治す
南雲吉則 × 比嘉国基 医師トークショー

日 程 3月28日 (土)

時 間 開場 13:30 / 開演 14:00

ホール 桜坂劇場 ホールA

チケット参加費無料です!


備 考 琉球放送RBC「主治医の見つかる診療所」レギュラー医師の南雲吉則医師と豊見城中央病院乳腺科比嘉国基医師によるトークショー。単に乳癌を根治するだけでなく、いかに再発を予防し、美しく治すかについて、乳房温存、乳房再建、内視鏡手術、そしてがんにならない生活習慣について楽しくわかりやすく解説します。

南雲吉則(なぐも よしのり)
慈恵医大卒業、乳腺専門のナグモクリニック東京、大阪、福岡総院長。慈恵医大外科講師、近畿大学医学部形成外科講師、韓国東亜大学医学部客員教授、中国大連医科大学客員教授、乳腺専門医、医学博士。著書に「乳ガン110番」「ガン110番」(日刊工業新聞刊)、「あなたのがん治療本当に大丈夫?セカンドオピニオンQ&A」(三省堂刊)、「乳がん大百科(主婦の友社刊)など多数。

比嘉 国基(ひが くにき)
帝京大学医学部卒業、現在:豊見城中央病院・乳腺科 亀田総合病院・乳腺センター(千葉県)医長歴任 日本でも有数の症例数を持つ亀田総合病院 乳腺センターと連携し、内視鏡下手術など、がんを治すことと術後の美しさの両立を図る乳がん手術を行っている。 日本乳癌学会認定専門医、日本外科学会認定医

●お問い合わせ:豊見城中央病院 098-850-3810 e-mail:entry@yuuai.info

■無料駐車券はご利用になれません。

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桜坂劇場:〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10


乳がん体験記「本全国出版」

2009年03月25日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記
福岡から沖縄に移住し、神人(ユタ)と出会い、いろんな体験をしてきました。
ユタとの交流、乳がんとの闘病、沖縄の神仏の巡礼や神事に携わり、
今では、人の悩み相談をさせて頂いています。
  

 

*   全国出版  *


 

「なんで私が?ちゃんとやってきたのに!」

沖縄の霊能者ユタを知っていますか?

 

 Hitomi Nabeyama   鍋山 ひとみ

 


 

福岡から沖縄へ移住し、ユタ(神人)と出会い、いろんなことを体験したこと!

ユタとの交流、乳がんとの闘病、沖縄の神仏への巡礼、ユタの神事の手伝いー。
神々の地・沖縄で体験したドラマチックな日々をつづった闘病・成長期。

 

「難病や病気、人間関係の不和などには意味があるのです。
私の体験を伝えることで、それらを防ぐためのヒントを与えることができたらー」

拝み、拝所巡り、エージや真似型を外す、御願解きー。
沖縄の神秘世界を知った私が、いまいちばん伝えたいことは?
 

     

 

 ***  お問い合わせ  ***

 

* 本の御購入は、許よりの書店に無い場合は、何処の書店でも本の「題名」と「著者名」を言って下されば、注文も出来ますし、また文芸社に問い合わせて頂くか、クロネコヤマトのブックサービス(0120-299625,03-6739-0711)への電話注文、セブンアンドワイ(http://www.7andy.jp)にお申し込み下さる事が出来ます。

 

ネットでも「楽天・Yahoo!・Amazon」にて御購入できますので、どうぞ宜しくお願いします。

 

 
宜しければ、御意見・御感想をお聞かせ下さい!どうぞ宜しくお願いします。

             Eメールアドレス・・・onema888@yahoo.co.jp 

 

   
    
     発行所   株式会社文芸社
             〒160-0022 東京都新宿区新宿1-10-1
                    
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                                     03-5369-2299(販売)


乳癌

2008年10月01日 | 人見の言葉

ある番組で山田邦子さんが、実際に乳癌にかかり、少しでも癌で苦しんでいる方の為になり、少しでも元気つけられたらと、芸能人のチャリーティー合唱団「スター混声合唱団」を結成して、ボランティアで山田邦子さんが入院された病院で、コンサートを開かれたそうです。

最後に山田邦子さんが、無事に手術・放射線治療が出来たそうですが、常に再発の怖さ・不安を抱えながらも、頑張っていかなければならないと話していました。

私も同じ体験をしたので、本当に気持ちが分かり,
私の場合はお祖母ちゃんの「まねかた」(同じ事をさせられて、教えられる事)をさせられた原因でしたが、癌・病気なども必ず意味があり、それが分かれば必ず守れる事が出来るのだと、今の私は経験して本当に感じています。

今度自分の体験を基にして、少しでも人の為になればと思い書いた本を、出版社の「文芸社」から出版する事になりました。
多分来年の春には出版出来ると思いますので、その本には病気での体験談やこのブログにも書いた事などもいろいろと書いていますので、宜しかったら是非御覧頂きたいと思っています。
ちゃんと本が出来上がり出版ができましたら、又御報告させて頂きたいと思っています。

いろんな災難・病気・人間関係の不和などは、必ず何かの意味があり、守れる事は有るのだと、よく話をしていますすが、この事が皆さんが分かる事で守れることが出来ると良いのにと、山田邦子さんの言葉で改めて思いさせられました。


神人・ユタ・乳癌体験日記NO35

2008年07月11日 | 人見の言葉

 

 

乳癌と分かって一年が過ぎ、抗癌剤が終わって9ヶ月余り経っていました。
薬は毎日飲んでいましたが、髪の毛も少しずつ伸びてきていて、手足の痺れなども随分治まってきていましたが、気持ちと裏腹に身体はまだまだ元の身体には戻っていない事をとっても感じさせられていました。
しかし、それまでは必死に耐える事だけで、焦る自分が有りましたが、少しず気持ちも抑えられてきていて、少しずつですが良くなってきているのが分かり、今の方が自分の身体の現状を納得しつつ有りました。

私は手作りするのが好きで、手術後直ぐにレース編をしていましたし、その後沢山の手作り商品を作るようになっていました。

ある所のBOXを借り、商品を出したり注文を受けたりお店で販売したりすることも出来るようになっていました。
ある拝みの時に神様から、手作りはこれから先にも役に立つ事でもあるし、リハビリにもなっているんだと言われました。
そう言われれば、他の人は結構手の痛みやむくみなどで悩んでいる方が多いようでしたが、私は思うほど大変では有りませんでした。
又物を作る事で、悩むことが少なかったのだと感じています。
本当に健康願いなどのお願い事を神様にお願いしてきたからこそ、そんなに苦しまないで、人よりは随分楽にすんだのだ感じました。

しかし、お祖父ちゃんを亡くしたばっかりのミーグソーを持つ、姪っ子にはめげる事が多く有りました。
まして彼岸やお盆時期になると体調が優れず、ある時腰が重く痛くなっくるのです。
それで、火の神に線香を立てて外して貰うお願い事をしましたが、次の日嘘みたいに痛みがなくなっていました。

本当にちゃんと感を取り、対処して行くことが大事だと感じました、しかし、人は辛い時ほど分からないでいるのだとも感じました!


 

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記NO34

2008年07月10日 | 人見の言葉

 

 


姪っ子の事も少し落ち着いてきた頃、又内地から彼の所に助けを求め沖縄まで来られた方がいました。

東京からでしたが、50代半ばのお母さんと、20代後半の息子さんでした。
一見見た目は普通の人でしたが、息子さんは見た目も本当に人が良く、優しそうな人でした。
しかし、この息子さん未だに仕事にも付けず、家に籠りっきりでうつ状態にいて、病院にも通ったり、内地でいろんな方に見てもらったそうですが、改善の余地が無く、そんな中知り合いに彼の事を聞き、紹介で沖縄まで来られることになったのでした。

まず最初に判断を取られたのですが、やっぱりご先祖様からの事が強く彼に掛かってきていて、まして彼は余所他人のものも担ぎ易いのも有り、振り回されているようでした。
彼は音楽をいつも大きくして一日中聞いている状態で、酷い時にはトイレに布団を持ち込み数日間も籠っていたそうです。その間ご家族はトイレにいけない状態で大変だったと言う事でした。
音楽を大きく聴いていたのは、音楽で掛かっているものを払いのけようと自然にやっていて、何処のトイレも不動明王の神がいらっしゃると言われていて、払ってもらえるので、楽で籠ってしまったようです。

第三者から見たら可笑しいとしか思える事ですが、どんな方でもトイレは効き目が有る場所で、私もよくトイレを利用していますが、詳しい事は又後詳しくお話する事にします。

首里の十二支の神様の所やいくつかの神社にも行き、彼に力を貰い、ご先祖様からの声を掛けない様にとのお願い事などをされたようです。
拝みが終わった後お母さんが言われたのですが、息子さんは今までずっと、顔を真っ直ぐ前を向いて歩いた事が無く、下ばかりうつむいて歩いていたのが、顔が穏やかになり真っ直ぐ前を向いて歩いていることにきずき、ビックリされていました。

私は沖縄でいろんな大変な人を見ていますが、沢山の人達がいろいろな分かり知れない違った悩みを抱えている人がいる事を感じました。

私はまさかの乳癌に遭遇し、それまでに感じた事も無かった事をも経験させられて来ましたが、自分なりに先祖供養や出来る事をやってきた事も有り、他の同じ病気で悩んでいる人よりは、随分守られていて楽なんだとここ最近本当に分かり感じてきました。
そんな事をもっともっと沢山の人に伝えられ、手助けになりたいと今も思っています。
 

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記NO33

2008年07月08日 | 人見の言葉

 

 

 

 
四月の終わり頃、彼が私が滅入っているのが分かったみたいで、首里の十二支の神様に健康願いと力を貰うお願い事で拝みをやってくれました。

私はまだまだ元の健康な身体ではまだなかったし、どうしても弱っている身体に声が掛かって気安いもので、又尚一層姪っ子のお祖父ちゃんが亡くなられたばかりで、可愛い孫が心配でよく現れ声を掛けられている事も有りました。
又ミーグソー(亡くなられたばかりの方)は掛かりも強いので、それを私がしっかり感を取らされてしまっていたのでした。

拝みの途中、ある神様から、摘出した左の胸のリンパは残っていた訳ではなく、ミーグソーのお祖父ちゃんのエージ(声・教え)で、リンパを新たに発見させることになったのでした。
どうしても弱ってるところに声を掛けられやすくなるので、悪いリンパではないと言われましたが、とっても怖くなりました、もしこれが分からないままだったら、悪い物になっていたかもしれないので・・・。

検査の結果は悪いリンパでは無く本当にホッとしましたが、これからも出来る事は頑張って守る事をし、ちゃんと分かり戦っていかなければいけないと思いました。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記NO32

2008年07月06日 | 人見の言葉

 

 

 
姪っ子は沖縄に来て二週間もしない内に、お母さんのお爺ちゃんが亡くなり帰って行きました。
姪っ子は三姉妹の末っ子でもあり甘えん坊でお爺ちゃん子だったみたいで、一番可愛がられたようでした。
一週間程で無事に告別式も終わり、沖縄に戻って新たに大学生活が始まったのでした。
最初はどんな風に彼女と一緒に生活し、守って行けば良いのか迷いました。
彼女は優しい子なのですが、甘えん坊で我が強いところが有り、いくら姪っ子とはいえ、一緒に生活をしたことは無く、うまく接するのが難しく思えました。
まして、私は男兄弟の中で育ってきていましたしので、女同士の生活はどう接したらよいのかと考えてしまうのでした。
最初は大学に行くのも少し不便な場所に有るもので、お天気が悪いと車で送ったり、お互い一緒に生活する上でいろんな事を言ったり、ましてバイトも始め遅れると心配で迎えに行ったりしながら、説教じみた事もよく言ったものでした。
私も昼間の仕事であれば良いのですが、居酒屋をやっていますので、どうしても時間がずれてしまう事などで、私も体力的にも参ってきていました。

そんな中、これから半年に一回の癌検診をしなくてはならないのですが、初めての検診日が来て検査を受けました。
結果は癌の転移は無かったのですが、摘出した胸の方にまだリンパが3つ程残っていると告げられました。
先生は多分悪い物では無いだろうとの事でしたが、流石に全部取れていると思っていたのが、残っていると聞くとショックで、心配なのでリンパの細胞を注射針で吸引して新たに検査をして貰う事にしたのでした。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記NO31

2008年07月05日 | 人見の言葉

 

 

 

旧暦の元旦を迎え、沖縄では旧一月四日に火の神様を迎え、今年一年のお願い事をします。
五日には初拝みが始まり、のカー神・うぶ川に首里の一二支の神々などに新年の拝みをし、その次の日にグアンス(仏壇)に新年の挨拶、一月七日にのうたきの神様に初拝みをし、これで新しい年の始まりになります。
戌年の私は年女で当たりが強い年になるので、神様に災いなく健康でいられる様にともお願いしました。

名古屋に上の兄が居るのですが、彼の娘姪っ子が中学の頃から沖縄が気に入っていて、今年こちらの大学を受けたいので、出来れば私の所にお世話になりたいと相談がきました。
自分の病気のことは話していなかったので少し心配でしたが、単純に身内が沖縄で一緒に生活出来る事で嬉しく思い、直ぐにOKをだしましたが、なかなか単純な事ではなかったのでした。
姪っ子は大学に合格し3月には沖縄で私と生活する事になったのです。

今まで一人暮らしで自由に暮らしていた私は、初めての共同生活をすることも大変だし、まして姪っ子は大学生ですが、未だしっかり面倒見ないといけないし、子供をもった事が無い私には結構気を使う破目になったのでした。

私の身体も自分の気持ちと裏腹に、まだまだ身体は蝕われていましたので、よく神様の所に力(健康願い)を貰いにはいっていました。
しかし、姪っ子が来て一ヶ月も経たない頃、彼女の母方の御爺ちゃんが亡くなられたのでしたが、それから、又大変な事が降りかかって来てしまったのでした。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記 NO.30

2008年07月04日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記

 

 

乳癌と宣告されてから半年が過ぎましたが、無事に手術・抗癌剤治療も終え、新たな年を迎えることが出来ましたが、神事・仏事は旧暦で行われますので、病気をしたから抑えられるとはいかない様で、どうしても御願解き(旧12月24日の日に、仏壇・火の神等に一年間の祈願を感謝し、祈願をとく日)までは、供養して上げて欲しい先祖のエージ(声・教え)が掛かってきて、体調を崩しやすくしたり、気持ちも落ち込まされてします事が多いので、私は、ましてや抗癌剤治療が終わったとは言え、身体は半年間も毒で蝕まれていたわけで、そう簡単に元の身体に戻るわけでもなく、実際自分でも分かっているはずなのに、分かりたくない自分があり、ただ落ち込んでしまう自分が多くありました。

やっと御願解きの日が来て、”火の神”に一年間のお礼と一年間の良い事を宇天に上げて頂き、悪い事は下げて貰うお願い事をしました。
その後本当に嘘の様に、身体も気持ちも楽になるのが良く分かりました。

しかしその後、PCに向かっていても全然頭に入らず、言葉もでてこなく、生き詰まっていたのです。その事を彼に話すと、”御願解き後も供養して欲しいご先祖様がいて、生き詰まっているのをサンミ(勘)を取らされている事が分かり、直ぐに線香を立てて解いてもらったのですが、暫らくしてPCに向かったのですが、スラスラと案が浮かび打ち込める様になって、本当にビックリしました。

身体も随分楽になり、なかなか年末の掃除に手が届かない状態だったのですが、身体がスムーズに動くようになり、何とか新たな年を迎える準備が出来たのでした。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!