人見のピンクリボン

いろんな災難・病気・人間関係の不和などで悩んでいる方に、自分の体験と共に手助け出来ればと・・・!

神人・ユタ・乳癌体験日記 NO.29

2008年06月26日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記

 

 

年が開け彼女の実家に行く日が決まりました。

鳥取県のある町ですが、沖縄から岡山空港まで二時間それから岡山駅まで30分、JRで二時間掛かる所でした。
本当に大変な移動でしたが、よくあんな身体で彼女が沖縄まで来て帰って行ったなと感心してしまいました・・・これもご先祖様がなす事なんだろうと悟らされました。

ユタの彼に、後で聞いたのですが、行く飛行機の中から彼女のご先祖様が来られていて、岡山駅から電車に乗る時には沢山のご先祖様が来ていらっしゃったそうです。見えない人達はしっかり分かり見えているのでしょうね・・・!

夜の11時過ぎにホテルに着き、私達は食事とお酒を飲みながら疲れを取っていたのですが、私は彼女のご先祖様の気持ちを先にサンミ(感)を取らされていて、楽しくて嬉しくてしょうがなかったのでした・・・なぜかと言えばご先祖様が供養をして貰える事が分かって先に喜んでいらっしゃったからでした。

鳥取は本当は全国的に大雪で寒い日が続いていたのですが、沖縄から出発する時からお天気も良く、拝みが始まってからも終わるまで、嘘みたいに太陽も出て、彼女のご家族がビックリされるほどの陽気なお天気になったのです。

拝みも無事に終わり、彼女の住んでる屋敷の拝みもやってあげたのですが、沖縄から準備して持ってきた、拝みに必要な線香とウチカビが最後の屋敷のトイレの拝みで、きっちりと足りて無くなったのにもビックリしました。

四時過ぎに終わり彼女のご家族と別れて、ホテルに戻ったのですが、それからほんの少し休んでからでしたが、外に出たとたん急にお天気が崩れ雨も降り出し、寒さも増してきたのでした。

私は手伝いでしかなかったのでしたが、神様・ご先祖様がなせるわざだな~と、つくづく感じさせられることになったのでした。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記 NO.28

2008年06月19日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記

 

 

2日目の朝から又お力を貰いに神々を回った。

昨日より元気な姿があった彼女は末吉宮に行った時でした、結構大変な道で高さも有る所なのです。
本当は普段から彼女は歩く事もままならず部屋の中で歩き回るぐらいで、まさかこんなに元気に歩く娘さんを見たお母さんは本当にビックリされていました。

拝みは気力体力を結構使いとっても疲れますし、まだちゃんと地元での供養解きは出来ていないので、ご先祖様からの声も掛かってきているので、まだまだなのですが、神様にお力を貰いお願いした事で、随分前より良くなっていて、神様からも”血液の流れを良くしてあげるからね”と言ってくださり、その後お母さんに聞いたのですが、少しだけれでも血色が良くなってきたそうです。
実際には、後に彼女の実家に行き、供養解きをちゃんとしなければなりません。

親子が戻られてからも、早く供養解いてほしいご先祖様が現れてきて、急に彼女は仏壇の前で手を合わせ、上に上にと揚げようとしたり、彼女のお婆ちゃんに水子が有り、それを感をとらされてしまった彼女は、とっても寂しく悲しい思いに駆られてしょうがないとの事でした。
水子は何をするにも障害が有り、八方塞がりになりやすいそうです。

頼まれた彼は、年明けそうそう彼女の実家に行く事になりました。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記 NO.27

2008年06月09日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記

 

 

次に彼女の処に現れた男性は、タバコ(キセル)をよく吸う人だったそうで、本人の不始末で所有していた山の木々を全部焼いてしまったそうです。
彼には奥さんと二人の子供がいたそうですが、子供にも満足に食事も与えず、子供達はとっても痩せてしまっていて、奥さんはどうしようもない状況に耐えられずに子供と家を出たそうです。

なお彼は山も土地も取られる破目になり、墓まで焼かれたと言うのですが、彼は最初はこんなになった事は全部人のせいだと言っていたのですが、本当は心苦しく思っていたんでしょう、その内本当は自分がしてしまったと話し始めたのです。

本当は直ぐにでも三途の川を渡りたかったんでしょうが、何度も何度も「こんな自分も三途の川を渡る事が出来るか」と聞いてきていました。
そんな彼を、神様のお力をかり三途の川を渡らせようとしていましたが、なかなか渡ろうとしなかったのです!
ちょっと可笑しいんですが、掛かっている彼女の手が上に上にとやっと揚がったので、渡ってくれたと安堵して、”良かった”と言った後、・・・”まだ渡ってない”・・・と彼は言い出したのでビックリしました。
なかなか簡単にあがってくれなかったのは、後から聞いたのですが、付き添ってる私や彼女のお母さんが口出しして話しかけたのが悪かったようです、黙っていればもっとすんなり渡ってくれたようです。

それからも、いろんなご先祖様が助けを求めて現れてくるのですが、その内だんだんと先祖が沢山現れて、彼女の後ろにはトイレ待ちしている感じで、沢山のご先祖様が溢れ出したそうです。

そのこともあり、結構拝みは体力を使うことなので、これ以上彼女の体力も持たないので今日の拝みを終了しましたが。
今日は神様のお力も貰っているので、明日はまた違った彼女がいるのでした。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記 NO.26

2008年06月07日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記

 

 

拝みがはじまってから直ぐに、彼女のたくさんのご先祖様がどんどん現れ、「三途の川を渡って極楽にげー」をして欲しくて、次から次と現れてきたのでした。

彼女の一番ネックになっているご先祖様がいて、このご先祖様は、神前で踊りを舞うなど、神に仕えた巫女さんだったんです。

ある神様の所で拝みが始まったのですが、彼女は急に立ち上がり、足も悪い身体なのに、元気に立って舞踊り始めたのです。
それを見たお母さんは、娘がこんなに踊る姿を初めて見て,驚きと喜びでいっぱな様子でした。
後から彼女に聞いたのですが、踊った事は覚えてなかったそうです。

そんな巫女さんだったご先祖様は、ある男性と恋に落ちてしまい神宮から出る破目になり、なお村人からも濡れ衣をきせられ、本当は無実なのに彼と共に、ましてや彼女の御腹の中には子供もいたにもかかわらず、自害させられてしまったそうです。
そんなご先祖様は、お腹にいた子供を抱きたかった事が一番で、いろんな憎しみと無念さを未だに抱えていたようでした。
そこで、神の力を借り、子供を抱かせて一緒に三途の川を渡らす事になったのです。
私はテレビでは見た事が有ったのですが、実際に見るのは初めてだったんですが、本当にこの巫女さんだったご先祖様が三途の川を渡れる時、掛かっている彼女が急に手を合わせ、上に上にと両手を掲げたのでした。
無事に三途の川を渡ってくれたな様でしたが、またその後直ぐに、違うご先祖様が現れてきたのでした。その御先祖様はやっかいな男性でした!

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!


 


神人・ユタ・乳癌体験日記 NO.25

2008年06月01日 | 神人・ユタ・乳癌体験日記

 

 

彼女は20代半ばの卯年生まれの長女で、とっても小柄で色も白く、とっても心優しそうな女性でした。
彼女が持つ病名はTriko-Rhimo-Phalangeal Syndrome Typel(トリコーリ ノーファンランク 症候群 I型) 染色体8番の新規変異と診断されたそうです!骨が成長せず伸びないし、血液が作り切れていないそうです。その原因で身体も小ちゃく髪の毛も生えてこない状態だそうです。

判断された内容は・・・
彼女のご先祖様からの教えで、こんな身体にされてしまったそうです。
直ぐ上のご先祖様だけではなく、本家・大本家とずっと上のご先祖様からも声が掛かってきていて、先祖供養など何もされていない状態で本当にガタガタだそうです。
その原因で骨が伸びない・血液が作れてないように、骨は墓の事で・血液はご先祖様の繋ぎがなっていな事の意味しているのでした。
彼女は本当に心優しい人で、自分の事より他人の事を思いやるような性格の持ち主だからこそ、尚声が掛けられやすいのでした。

まずは、病気で身体が弱い彼女を守るために、手をひかれないように・回復祈願・病気平癒・気お越し・健康祈願のお願いと、沖縄では先祖供養は実際に彼女の実家の仏壇・墓に行かないと出来ないことなので、沖縄の護国寺の十二支の神・安里八幡・首里の十二支の神・識名宮の神・波の上宮の神の力をもらい、ちゃんとご先祖様の解きが出来るようにと、又おばっちゃんの違った宗教をされていた事の、わっさごぶりも出来る様に道を作っていただき、守って頂ける様にのお願いの拝みをされました。

私も初めての体験でしたが、最初の拝みからいろんな事が起こり、こんな事が起きえるんだと、本当にびっくりさせられる事になりました。

 

"乳癌"は父の母・お祖母ちゃんの「まねかた」でした!