日々の新聞「紙面を読んで」(2)2015/06/07
4月12日は、六本木の職場帰り日比谷野外音楽堂の「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!集会」へ。暉峻淑子さんが、はじめに、地域の人たちとの「学習会」のことを話されてから、「もし自衛隊が海外に出て一人でも死者が出たら、社会全体の空気がいっぺんに変わり、戦争反対が言えなくなる、むしろわたしたちを守ってくれてありがとう、と言わされる雰囲気がつくられる。それが恐い。・・・今一人ひとりが心の底から決意を固め、間違った社会の動きを止めるために立ち上がるときだ」と訴えておられた。
3月15日の日々の新聞「Street Organ」水戸巖さんの記事を読んで学生時代、三里塚か何かの集会だったか忘れてしまったが、反戦のプラカードを首からさげ集まった学生、労働者一人ひとりに救援のチラシを配っていた水戸さんの姿が蘇った。
2011年3.11のあと、高木仁三郎さんの提唱した「脱原発」が大きな運動となったが、水戸さんや高木さんとお会いした頃から一緒に活動している日消連の富山洋子さんが、最近「私たちは、水戸さんの反原発なのよ」と。確かに、日々の新聞の記事にあった水戸さんの「原発は必ず事故を起こす」という確信があって、富山さんも私も日々のくらしの消費者運動の中で非科学的と言われながら「反原発」を続けてきたのだ。
水戸巖さんも暉峻淑子さんも勿論高木仁三郎さんも、地域住民、市民と寄り添い、繋がり「人のいのちを重く考えられる」学者で、そういう学者のバックボーンがあって「住民」「市民」運動ができているのだと改めて気づかされた。
4月12日は、六本木の職場帰り日比谷野外音楽堂の「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!集会」へ。暉峻淑子さんが、はじめに、地域の人たちとの「学習会」のことを話されてから、「もし自衛隊が海外に出て一人でも死者が出たら、社会全体の空気がいっぺんに変わり、戦争反対が言えなくなる、むしろわたしたちを守ってくれてありがとう、と言わされる雰囲気がつくられる。それが恐い。・・・今一人ひとりが心の底から決意を固め、間違った社会の動きを止めるために立ち上がるときだ」と訴えておられた。
3月15日の日々の新聞「Street Organ」水戸巖さんの記事を読んで学生時代、三里塚か何かの集会だったか忘れてしまったが、反戦のプラカードを首からさげ集まった学生、労働者一人ひとりに救援のチラシを配っていた水戸さんの姿が蘇った。
2011年3.11のあと、高木仁三郎さんの提唱した「脱原発」が大きな運動となったが、水戸さんや高木さんとお会いした頃から一緒に活動している日消連の富山洋子さんが、最近「私たちは、水戸さんの反原発なのよ」と。確かに、日々の新聞の記事にあった水戸さんの「原発は必ず事故を起こす」という確信があって、富山さんも私も日々のくらしの消費者運動の中で非科学的と言われながら「反原発」を続けてきたのだ。
水戸巖さんも暉峻淑子さんも勿論高木仁三郎さんも、地域住民、市民と寄り添い、繋がり「人のいのちを重く考えられる」学者で、そういう学者のバックボーンがあって「住民」「市民」運動ができているのだと改めて気づかされた。