これはこのブログのアンカーです。続きは「-11」に。
鹿島アントラーズ vs 銀河軍団。アントラーズ、いい勝負をしましたなあ。結果は負けだし、後年、あとから誰かが記録だけ見れば、C.ロナウドのハットトリックという記述を見て、いろいろ思いを馳せるのだろうけれど、いやどうして、リアルタイムで観ていたら、なかなかやるんじゃないの日本?という試合でした。というわけで曲はsamurai。(゜-゜)
・Samurai ~ Luz 1982 - Djavan。
・ジャヴァン。
・amazon.co.jp ジャヴァン ルース - ミュージック。
・Samurai ~ Luz 1982 - Djavan。
・ジャヴァン。
・amazon.co.jp ジャヴァン ルース - ミュージック。
ライディーン繋がりで。
男性の欲望も女性の欲望も、「相手の感情や意思を無視した強制/無理強いに及ぶ(=ハラスメント※)」とかにならなきゃ、気分のいいものなんだけどね…。(゜-゜)
・君に胸キュン(1)。
・春咲小紅 矢野顕子。
※対象への強い思いのあまり、自分の欲望でいっぱいのあまり、欲望/願望の的(←モノではなくてヒト)にも気持ちや意志があるということが抜けちゃう人、それが見えなくなっちゃう時 があるわけですね。その対象に気持ちを奪われてしまうこと(刹那)、その瞬間、気持ちが釘づけになってしまうことは、仕方のないことだとは思うけれど、相手も人間ですからね。
執念(怨念?)を感じさせる「つきまとい(※2)」となると、「嫌」以外の何物でもないですね。女性も男性も、「意志の強制(=暴力)」を受けたら、気分がいいはずがありません(人として大事な部分を奪われた気がする/人格を無視された気がする)。欲しいなら、求めているなら、強制ではないコミュニケート/アピールをしてよ、ということですね。
人間同士の関係として、原則、ギブ&テイクでない人間のやりとりがあったら、そこには「コミュニケーションが不在の行為が在った」「『意志の強制(=暴力)』や『相手の感情や意思を無視した強制/無理強い(=ハラスメント)』が在った」ということです。テイク&テイクを是とする考えは「自分さえよければ他はどうなってもいい」という考えで、是とする者は「盗人/搾取者」です。TPO(場の状況)を無視した行為は「迷惑行為」で、社会的な立場や理屈を介した「欲望(願望)の押し付け(無理強い)」に及ぶのであれば、それは「犯罪行為」です(1)。
※2「天の視点」から見ると、行為者が、その人をめぐって右往左往していることになっている状態(刹那の胸キュンって、大変なんですね。なにしろ、その感情は、当人の行動を支配してしまう(気持ちがその人だけになり、他の人や他の要素は眼中にない状態におちいる)のですから)。俯瞰して見れば、求めているのがどっちで、求められているのがどっちか、一目瞭然。
男性の欲望も女性の欲望も、「相手の感情や意思を無視した強制/無理強いに及ぶ(=ハラスメント※)」とかにならなきゃ、気分のいいものなんだけどね…。(゜-゜)
・君に胸キュン(1)。
・春咲小紅 矢野顕子。
※対象への強い思いのあまり、自分の欲望でいっぱいのあまり、欲望/願望の的(←モノではなくてヒト)にも気持ちや意志があるということが抜けちゃう人、それが見えなくなっちゃう時 があるわけですね。その対象に気持ちを奪われてしまうこと(刹那)、その瞬間、気持ちが釘づけになってしまうことは、仕方のないことだとは思うけれど、相手も人間ですからね。
執念(怨念?)を感じさせる「つきまとい(※2)」となると、「嫌」以外の何物でもないですね。女性も男性も、「意志の強制(=暴力)」を受けたら、気分がいいはずがありません(人として大事な部分を奪われた気がする/人格を無視された気がする)。欲しいなら、求めているなら、強制ではないコミュニケート/アピールをしてよ、ということですね。
人間同士の関係として、原則、ギブ&テイクでない人間のやりとりがあったら、そこには「コミュニケーションが不在の行為が在った」「『意志の強制(=暴力)』や『相手の感情や意思を無視した強制/無理強い(=ハラスメント)』が在った」ということです。テイク&テイクを是とする考えは「自分さえよければ他はどうなってもいい」という考えで、是とする者は「盗人/搾取者」です。TPO(場の状況)を無視した行為は「迷惑行為」で、社会的な立場や理屈を介した「欲望(願望)の押し付け(無理強い)」に及ぶのであれば、それは「犯罪行為」です(1)。
※2「天の視点」から見ると、行為者が、その人をめぐって右往左往していることになっている状態(刹那の胸キュンって、大変なんですね。なにしろ、その感情は、当人の行動を支配してしまう(気持ちがその人だけになり、他の人や他の要素は眼中にない状態におちいる)のですから)。俯瞰して見れば、求めているのがどっちで、求められているのがどっちか、一目瞭然。