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尾久八幡神社 歴史

2024-04-20 | 尾久総鎮守・尾久八幡神社

<尾久八幡神社 歴史>

創建の年は不詳。

鎌倉時代末期の正和元年(1312)に尾久の地が、鎌倉の鶴岡八幡宮(注1)に寄進された頃に

さかのぼると考えられる。

神社に残る棟札から至徳2年(1385)に社殿が建てられたことが確認できる。

<ご祭神>

応神天皇(誉陀和気命/誉陀別命 ほんだわけのみこと)他

    第14代仲哀天皇と神功皇后との間に生まれた皇子で、第15代応神天皇として即位。

    八幡大神の別称で全国的に広く知られる神で、特に中世から近世にかけては国家鎮護

    ・戦勝・弓矢の神として、また源氏一門の氏神として、武家から格別な崇敬を受けた。

 

農工商の神様として、また学業成就・交通安全・商売繁盛・除災招福・病気平癒・金運などに

恵まれるとの御神徳が広く氏子崇敬者に伝わる。

 

<八幡神社例大祭>

八月第一週の土・日に行われる。

<神幸祭>

本社神輿が各氏子町内を巡行する四年に一度行われる祭り。

 

住所:荒川区西尾久三丁目7番3号

 

 

(注1)

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社

鎌倉八幡宮とも呼ばれる。

11世紀後半に、源氏の守り神として創建された。

  (1063年8月鶴岡若宮として勧請。1081年2月若宮修復。)

以後、鎌倉武士の守護神となる

現代では全国の八幡宮の中で、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝ゆかりの神社として

関東方面で知名度が高い。

 

 

 

 

 


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