旧港跡

2017-05-03 | work

枯れ朽ちる美しさもある。島の棄てられた舟はその最たるものだ。
ヘミング・ウェイの老人と海、理想郷ニライカナイ、色んな物語りが過ぎるが思い描く物語りは今生の別れに偏りがちだ。

この大型連休中も喪服を着て線香を立てた。仕事がら避けては通れないことだが、人知れずきついんだよとか普段は呑み込んでる本音もそっと囁きたくもなる時もある。
ここ10年余り平均年齢86歳50名が常に入居なさっている状況が続いているので今生の別れは多くもなる。加えてラストシーンに携わることは現場ではなく施設長の役目だと自負し請け負ってきた。

少し簿かしたり、輪廻に例えたりと他にも悲しみを軽減し現実を直視しない術も少しはおぼえつつあるが、とは
いえいつも感傷に陥ってしまいがちだ。幻影、残像は意識しなくとも過るもんだ。

誰もが不老不死ではいられない現実を日々目の当たりにし切なく感じ、そんな感傷を麻痺させる繰り返しである。
冷静を装い、わきまえてるつもりだが、心中は崩れたり、不安に駆られたり、恐怖に戦いたり、暗澹たる闇に溺れたりもする。
だか、そんな惜別の絶えない日々が皮肉にもいまの自分を鍛練し形成しつつある。

生半可な出来事じゃ動じない精神が宿りつつもあるって達観し錯覚することまである。

人生の終焉に携わることを生業とした者の宿命なのだろう。にしては死について考察する頻度が高めになりがちだ。

それはそうと旧港跡は故人が憩う場所のようだ。ニライカナイって幻想を描き易い場所でもある。

そんな風に乱れがちな心境を鎮めるのは海だね。いつもいつもありがとう。
今日は穏やかだ。












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