おびちゃむBG

今再びのブルガリア滞在記

Чебурашка И Крокодила Гена

2009-09-11 21:23:57 | Weblog

私はチェブラーシカとゲーナが大大大好きだ!

チェブのファンになって6年ほどになる。初めてチェブを見た時、私はこの世にこんなに可愛らしいものがあったのかと心から感動した。とにかくかわゆい!かわゆいのだ!かわゆいったらないのだ!もう、言葉に出来ないくらいカワユイのだ!!チェブは勿論、クロコダイルのゲーナも忘れてはいけない!!

シューメンにいた時、同居人だったポーランド人のヨアンナとイギリス人のジェニーと3人でレストランで食事をしている時、たまたまチェブラーシカの話になったことがある。共産国だったポーランドでもチェブラーシカは当時大変な人気で、ヨアンナも勿論知っていた。ヨアンナと私はえらく盛り上がってしまい、チェブラーシカの歌を歌い始めてしまった。共産国ではなかったイギリス生まれのジェニーはやはり何のことかさっぱり訳が分からなかったらしい。人目を気にし始めたジェニーをよそ目に、私たちはお互いチェブを知っていた興奮からなかなか醒めることが出来ず、アコーディオンを弾く真似をしながら歌を歌い終えてようやく満足したのだった。

去年の12月のある日のこと。
なんと、なんと、このチェブラーシカの作者がソフィアに来るということで、はるちゃんと韓国人のヨンキョンと一緒にホールへ見に行った。当時ブルガリア語を教えて下さっていたご年配のフィンゲローヴァ先生も行きたいとのことで一緒に行くこととなった。いつだったか、授業でもたまたまチェブの話が出たことがあり、普段は冷静でおしとやかなフィンゲローヴァ先生が、鼻息も荒くチェブの魅力を語ったことが印象的である。翌日フィンゲローヴァ先生は、年代モノのチェブグッズをいくつか持参し、私たちに披露して下さった。
このように、チェブは国民的大人気者なのである!
そしてこの日、ドキドキしながら作者であるウスペンスキー氏の講演会に参加した。
しかし、氏はロシア人であるため、何をおしゃべりになっているのかはてんで分からなかった。何せこれはロシア文化会館みたいな所で行われ、ロシアに詳しい人たちが主な対象者となって参加していたため、ブルガリア語の通訳も一切なかったのだ。しかも客人の大半は子供であり、子供のくせにちゃんとロシア語を理解しているらしく、笑うところではキャハキャハ笑っていた。大人気なくも「ちぇっ」と心の中で舌打ちしてしまったりした。
話の内容は全くわからなかったが、「うにゃにゃ、うにゃにゃ、何とかかんとか、うにゃにゃ、うにゃにゃ」と繰り返す歌だけが頭に残った。しかしコレはチェブとは関係のないアニメであるので、さほど重要ではない。

ウスペンスキー氏が講演の後に、サイン会みたいなものをし始め、私はドキドキし始めた。
「行くべきか?!子供ばかりに間に入れるのか?!」葛藤が始まる。ああ、この日私は持っていたチェブの絵本を持参しようと思っていたのに家に忘れてしまっていた。周りを見渡す。サインを求めて並ぶ聴衆は皆胸に本をかかえている。
「行かなくていいのか?!ほんとにいいのか??」
私は外にあった本屋へ駆け込んだ。チェブラーシカを買うためである!チェブラーシカの本を胸に、私もサインを貰うのだ!

時に物事は上手くいかないものである。
あいにく、チェブラーシカは全部売り切れていた。きっと先手を打って、さっきキャハキャハ笑っていた連中が買い占めたに違いなかった!ああ、く、くやしい。私があの時大人のプライドでもって、決断に躊躇したからだっ。
仕方なくホールへ戻り、幸せそうなキャハキャハ軍団を横目に、大人としてぐっとこらえた私だった。

さて、ついこの間、私は近所のスーパーマーケットで、なんとブルガリア語版のチェブラーシカのDVDを発見した!!☆か・ん・ど・う☆
声を上げそうになったのをちょっとこらえて、ほんの少しだけ感嘆符をもらし、ためらいなく購入した!!しかも1.9レヴァというので再び☆か・ん・ど・う☆
しかもしかも私の知らないお話が1つ入ってる!☆か・か・ん・ど・う☆

しかし時に物事は上手くいかないものである。
私にとって新しいお話になるはずだった最後の収録作品は、チェブとは何の関係もないお話だった。
とはいえ、ブルガリア語でチェブが見れるのは、私にとって大きな大きな喜びだ!何回も見てやろうっと。

そして私は今またチェブを見ながらブログを書いている。
現代ロシアの不機嫌な旅行者(これにつきましては、先の記事「トルコのロシア人」を参照下さい。)も、チェブを見て心を癒せばいいのになあ。。。

 

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トルコのロシア人

2009-09-08 19:13:10 | Weblog

新婚旅行でトルコへ行った。トルコのアラニアという所である。
夏の間、トルコのビーチリゾートへ行くブルガリア人旅行者は非常に多い。飛行機も1週間に一度便利なチャーター便があり、私たちもこのチャーター便でアラニアへ向かった。

アラニアに降り立ち、宿泊するホテルまで私たちを連れて行ってくれる旅行会社のバスを探した。バスの中はおそらく同じ飛行機で到着したらしいブルガリア人同胞が既に約10人ほど乗っていた。
どうも顔立ちがロシア人っぽいガイドさんだったが、やはり思ったとおりロシア人であった。
「へえー、ロシア人がここで働いてるんだ」と思っていると、このロシア人のガイドさんは何を思ったのか、ここトルコで、しかも全ブルガリア人ツアー客を目の前に、ロシア語で話し始めたのだった。ロシア人は1人もいない。しかもここはトルコである。

ダンナがそこで気付いたのだが、どうもこの旅行会社はロシア系の会社だったらしい。とは言え、いくらそうだとしても、ロシアでない国で、しかもロシア人でない人たちを相手に、始終ロシア語で話をするのはどうなのだ?世界共通語って、英語でなかったですか?

ブルガリアは共産国時代、ロシア語を学ぶのは必須だったためこの共産時代、学校でロシア語を勉強したことがある人は何とかロシア語が分かる。ダンナはその最後の世代で、7歳から14歳までの間、学校でロシア語を学だ。でもロシア語は大キライだったらしい。が、とにかく聞く分には問題なく理解出来るが、話すのは難しいという。いずれにしても、このガイドさんが話していることはダンナのおかげで全部分かったから私たちはラッキーだった。他の乗客の中には若いグループもあり、果たして彼らはガイドの話が理解出来たのかどうか、疑問である。
ちなみに、ブルガリア語とロシア語は同じキリル文字で、言葉もよく似ていると言われる。確かに同じ単語も沢山あったり似ているのは確かだが、文法はかなり異なり、結局私は彼らの話はちっとも分からなかった。

 



さてホテルに到着し、レセプションで驚愕の事実が発覚した。
なんと、トルコ人のホテルマン達が皆ロシア語で話すのである!!「え、世界共通語って英語でなかったっけ?」と、私たちは思わず確認し合った。これは一体いかなる事か?なんでこの人たちはロシア語で喋るのか?
答えはその後すぐに分かった。
このホテルの90%超と思われる宿泊客がロシア人なのである!行き交う人皆全てロシア語なのである!!

という訳で、この1週間の滞在の間、必然的にロシア人ウォッチングをすることとなった。
驚いたのは、ロシア人で溢れかえっているのは、ホテルだけでなく、オプショナルツアーでも市場でも街中どこでも同じだった。しかも店の店員さんまでもが皆ロシア語で話しかけてくる。
右を向いてもロシア人、左を向いてもロシア人、プールに行っても買い物に行ってもロシア人ロシア人ロシア人。ある意味非常に興味深い現象である。

ロシア人ウォッチングした中で(少なくとも1週間の滞在で目にした人たち)、一番私たちが驚いたのは、皆笑っていないということだった!しかも笑っていないだけではない!多くの人がとても不機嫌そうなのである!!何という摩訶不思議な現象だろう?!これはサマーバケーションではないか!しかもあなた達は寒い国からこうして常夏のサマーリゾートに来ているのではないですか?!

ホテルでは朝昼晩と全食含まれているため、宿泊客は全員それぞれの時間にレストランへやってくる。ゆえに、毎日否が応でも大勢の人たちを見ながら食事することとなる。広い大きなレストランで、ロシア人を眺めながら私たちは発見したのだった。これ程多くのロシア人の中で、食事中に談話しながら微笑みあい、笑いあっている人たちがほとんどと言って良いくらいいなかった、という事実を!!
当初、これはきっと何かの偶然に違いない。きっと今日だけに違いない。そう思い、私たちは翌日もまたその翌日も周りに目をやり、観察してみた。観察を続けてみたところ、やはり結果は残念ながら同じだった。

しかも、私はここでロシア人のジェントルマンをとうとう見つけることが出来なかった。
こう言っては語弊があるが、とにかく子供(3、4歳くらいまでのお子達はまだニコヤカに笑っていたが、それ以上になると不思議と子供であっても機嫌が悪そうなのだ!!)から大人まで男女を問わず、多くの人がアグレッシブな雰囲気を持っていたから驚きである。
バイキングで並んでいると、若い綺麗なお姉ちゃんが、平気な顔で割り込んでくる。それも1人や2人では決してない。その内オッサンも平気な顔して割り込んでくる。そして最後には小さな子供まで平気な顔して普通に割り込んでくる。しかもその子供の母親はすぐそばにおり、あからさまに順番抜かしをする我が子に対して、「これ、だめですよ」の一言もない。
これがたまたまの現象ならば私とて、大人としての「さあ坊や、どうぞどうぞ、いいのよ、ほらお入りなさい」などという広き寛大な心を示せるが、毎日毎回複数回こうであったら堪忍袋の緒も切れる。
大人気ない私は、子供相手に割り込み返してやったのだ!!けっけっけ、どうだ見たか!!おばちゃんだってお腹がすいててずっと前から並んでいるんだからね!子供だからって、容赦はしないよ!!
まさに修羅の様であった。

しかし、これはとても面白い経験だった。
ダンナは折角の旅行で、私がこの現象を目の前にして嫌な思いをしていないかとずっと心配していたが、そんなことは全くへっちゃらで、逆に大変良い経験をしたと思っている。

勿論ロシア人ウォッチングだけではない!
オプショナルツアーでアラニアの観光と、パムカレにも行った!私は一生に一度は、この白い幻想的なパムカレに行ってみたかったのダ!しかも、パムカレにあるクレオパトラも泳いだと言われている古代の温泉プールにも入った!それはそれは綺麗で興味深いところだった!何せ、ローマ時代の遺跡がそのまま倒れ沈んでいるところに温泉が沸き出でて、皆その中で泳げるのだから!
この温泉は沢山のガスが含まれており、肌に非常に良いらしい。
ガスでアワアワする温かい温水に浸かりながら、苔むす古代遺跡に腰を下ろす。クレオパトラもこのプールに入っていたのかぁ、この山も見ていたんだろうなぁ。。。と、しばし感慨にふけりながら、人目を盗んではガス温水でヒタヒタとくまなくお顔のマッサージをしたものだ。

こうして1週間は瞬く間に過ぎゆき、楽しい思い出と、独断と偏見によるウォッチングリサーチを携え、あの頃はまだ焼き付けるような暑さのブルガリアへ帰ってきたのだった。
(ああ、あの暑さが懐かしいな。)

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Jポップミュージックコンサート

2009-09-07 18:22:32 | Weblog

はるちゃんは大学でロック研究会に入っており、エレキギターを弾く事が出来る。ブルガリアに来てまだ間もない頃に、既にエレキギターを購入していた。普段は大人しいキャラの彼女は、時にすごい行動力を発揮する!

日本への帰国が迫る中、彼女は前々から温めていたある1つのアイデアを実現しようと行動を開始した。
その名も、「天の川ライブ」である!
本来ならばロック一色でライブをしたかっただろうけれど、他に楽器もなく、アコースティックな雰囲気でポップなコンサートにすることとなった。

始めは4月くらいに出来たらねぇ、と話していたが(実際この頃は私自身夢物語のように他人事としてとらえていた)、色々状況も難しく、話が延び延びになっていたのダ!
そして5月。いよいよはるちゃんは、7月に七夕ライブをするべく段取りを組み始めた。

まずはるちゃんは私にヴォーカルの依頼をしてきた。
オーマイガット。
私は人様の前で歌などを歌ったことはカラオケを除いて一度もない。ライブだなんて、めっそうもない。想像しただけでも血の気が引いていくようであった。
が、しかし、苦楽を共にしてきたかわいいはるちゃんの期待には、何とかして応えたい。
大人として腹を決めてお引き受けすることにした。(でででできるのかっ?!!)

私の拙すぎるヴォーカルだけでは到底無理なので、私たちは共通の友人であるT君にヴォーカルの依頼をした。T君もまた、私にとってブルガリアでの苦楽を共にしている戦友のような存在である。実は彼はかつて日本でレストランのディナーショーで歌を歌ったり、どこかの施設などでコンサートをしたこともあるという実力者なのダ!しかも彼はブル語がとても上手なので、会場の手配などでは特にお世話になりっぱなしであった。
そしてその内もう1人の日本人留学生(ソフィア大学ではない)S君にもパーカッションとして合流してもらうことになり、合計4人でライブをすることとなった!

1ヶ月ちょっと前から練習を始め、普段は貸しスタジオで練習し、時には公園でも練習するという感じで、月日は瞬く間に過ぎて行った。公園で練習する時など、時々T君の歌声をじぃっと聞き入る人もいて、これはイケル!と私たちは少なからず手ごたえを感じたりしたものである。(私はとうてい恥ずかしく、蚊の鳴くような小さな声でしか練習できませんでした。)

ライブは七夕から1週間遅れの7月14日の開催となった。会場はソフィア内にあるチタリシテと呼ばれる公民館である。14日といえば、何を隠そう自身の結婚式の4日前であった。正直な話、自分の結婚式よりも、うんと緊張したのはこのライブだった^^ 言葉を変えると、ライブがあったおかげで、結婚式当日はあまり緊張しなかったとも言える^^
はるちゃんがかわいいチラシを作ってくれて、会場代として1人3レヴァをチケット代として徴収させて頂くことにした。
私たちは会場となるチタリシテを始め、数件のカフェやらにもこのチラシを貼ってもらうことにし、自分達の知り合いにも声をかけた。複雑なもので、会場代の元を取るには1人でも多くの方に来てもらわなければならない。その反面、1人でも多くなるとそれだけ多くの人様の前で歌をうたう事となり、これは非常に複雑な心境だった。

さて当日の曲目はというと。。。
「唇よ、熱く君を語れ」「木綿のハンカチーフ」「桃色吐息」「ひこうき雲」「酒場川」「夢の中へ」「いちご白書をもう一度」「浜辺の歌」「飾りじゃないのよ涙は」「さらば恋人」「年下の男の子」の11曲。
コンセプトとしては、現代ポップというよりかは、1世代前のノスタルジックな日本のポップ紹介といった感じで行われた。うら若きはるちゃんにとってはあまり見知らぬ曲ばかりだったけれど、彼女は1人でギター担当を見事こなしたのだった。しかも中には1曲「酒場川」という演歌も入っている。彼女は時々もらしていた。
「21歳の女子が、家でギターで演歌弾いてるんです。最近歌詞まで覚えて口からひとりでに出てくるんです。こんなのって、どうでしょうかね。」と。
血の滲むよううなはるちゃんのギター練習。そしてT君の歌唱力。
演歌というのはブル人にとって、あまり縁のないジャンルだが、意外とこれがウケたようである!

約1時間で11曲。間に手作り短冊のプレゼント(主にはるちゃんが作ってくれた。後にS君も協力。)と共に簡単なクイズゲームをはさみ、7時開演、8時終了と設定した。

来てくださった客人は喜んでくれるだろうか、会場代は元が取れるのか、リハもろくに出来ていないのに、ちゃんと上手くいくのだろうか等、多くのハラハラ要素を残したまま、当日を迎えた。
当日はしかし、予想を超えて60人という人数のお客さんが見に来て下さった!中には壁に貼られているチラシだけを見て足を運んで下さった方もいた。

私の稚拙な歌はさておき、とにかくライブは意外と盛り上がり、来て下さった方々は楽しんで下さったようである。3x60で180レヴァ集まり、150レヴァの会場代も元が取れた!
練習は大変だったが、とにかくやって良かった。企画してくれたはるちゃんをはじめ、共に活動したT君、S君にも感謝の思いでいっぱいだ。本当に素晴らしい経験が出来た。
私は絶対見たくないのだが、はるちゃんへのお土産に、このライブの録画ビデオをもらいに近々T君とS君と一緒にこのチタリシテを訪れるつもりである。
はるちゃん、ビデオ待っててね。

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ご無沙汰してます、生きてます。

2009-09-04 21:19:17 | Weblog

日本の友の皆様、大変ご無沙汰しております。メールなどで連絡を取れている友もなかなか取れていない友も、皆様におかれましては日本の湿気た夏を乗り切り、気分爽快に秋の高い空を眺めながら、お元気な毎日をお過ごしのことと存じ上げます。

ここソフィアでは、日中は未だに暑いと申しましても、朝晩はヒンヤリすることもあり、何より夜の9時では外が真っ暗になってきたということが寂しい今日この頃であります。ちょっと前までは夜の9時なんてまだまだ明るく、外ではチビッ子達がサッカーで盛り上がっている最中のようでありました。
とは言え、あまり日が長すぎるのも問題で、と言いますか、あまりにもすることがない時などは、「あ、まだ6時半だ。暗くなるまでまだまだ時間があり過ぎる」などと一種の焦燥感を感じたりもするものです。

さて、話は変わりますが、私事ながら(というかコレ、ブログ)、7月18日にココソフィアで結婚致しました。お知らせが行き届いていなかった友には連絡遅れまして大変申し訳ございません。
まあ、サバイバル人生は続行しますので、これからも友の皆様、よろしくお願い致します。


次回ブログアップはいつなることか?!乞うご期待!(自分で書いてていつになるか自信がない!なんとレイジイなことであろうか!!)

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