おびちゃむBG

今再びのブルガリア滞在記

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さださんを聴く

2011-10-04 23:47:43 | Weblog

私は何を隠そうさだまさしのファンである。中学生の頃からのファンである。コンサートにも行ったことがある。今日、ひょんなことからYさんとの会話の中で、さだまさしの「償い」という歌の話しになった。私よりもうんとお若いYさんは、きっと知らないだろうなーと思いながらも一応話してみると、なななんとYさんも知っていたではないか!!私達には共通する箇所が多々あることは分かっていたがこの「償い」の話が共有出来るとは、正直言ってびっくりした。だもんで、今日は久々にさださんの歌を色々と聴いて懐かしい気持ちをうんと味わったのである。

実はもっと若い頃は、「さだまさしの歌が好きなのだ」と告白するにはすこーしだけ勇気がいったものだ。中学、高校時代などは、ジャニーズや流行の歌手がもてはやされている中、私は密かに家に帰ってはさだまさしを聴いていた。(長淵剛も好きだった。そして長渕剛のファンであることも告白するのに勇気がいった。) 何故か不思議と友の中には「さだまさしは暗い」と、とんでもない勝手なイメージを抱いている友も意外と多く、私は悔しい思いでカセットテープにさださんのお気に入りの歌をダビングし、友に流布したものだった。

さださんの歌が好きな理由は、聴いているとまるで小説を読んでいるように情景が目に浮かんでくるからだ。3番まである歌ならば、1番から順に3番まで情景が見えてくる。それからやはり歌詞が綺麗だということ。花の名前も沢山出てくる。綺麗でしんみりした歌があるかと思えば、思わず吹き出しそうになる面白い歌もある。悲しい歌、考えさせられる歌もある。バリエーションがすごいのダ!さて今日は、この久々のさださんの感動が覚めやらぬうちに、自分の中でのさださんランキングを考えてみたい。(あー、でもやっぱランキングは無理かなー。難しいや!)

まず私の中で5本の指に入る曲を挙げてみよう。

「ジャカランダの丘」

「虹の木」

「線香花火」

「案山子」

「道(はないちもんめ)」

これらは全て大好きな曲なので、どれが一番好きかなんて言えない。この次に好きなものといえば何だろう。。。

「風に立つライオン」

「寒北斗」

「甲子園」

昔を思い出させる思い出深い曲は。。

「パンプキンパイとシナモンティー」

「雨やどり」

「恋愛症候群」

中学校の頃よく聴いていたなあ~。

面白い曲はと言えばやはり 「昨日・京・奈良・飛鳥・明後日」。 「8つ目の青春」などもほのぼのとして良い。古いが「僕にまかせて下さい」などもノスタルジックだ。

後は「戦友会」なんかも好きだし、もちろん「秋桜」などはクラシカルである。

この中で、特に美しいと私が感じるのは、「線香花火」。なんと美しい歌なんだろう。また「虹の木」や「ジャカランダの丘」などは、歌全体がお話になっているようで情景を想像せずにはいられない。しかもジャカランダという花が気になり、本屋で調べたこともあった。「風に立つライオン」は何度聴いても感動する。

というわけで、また歌の真空パックを開けて懐かしい気持ちを味わおうっと。

 

 

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心痛いスパシーバ

2011-10-03 20:12:10 | Weblog

今日は少し用事があって空港まで行ってきた。ソフィア空港にはターミナル1とターミナル2がある。ターミナル2はちゃんとしたモダンな国際空港という感じだが、1の方は国際空港とは思えない小ささである。私が初めてブルガリアへ来た頃はまだこのターミナル1しかなかった。シューメンの大学のスタッフが空港まで来てくれることになっていて、どうやって見分けたら良いかという私の素朴な質問に、コレコレこういう服装で行きますから、という返答であったので少し驚いてしまった。が、十分これでお互いを見つけあうことがいとも簡単に出来たことにもっと驚いてしまったのだった。三宮の中央出口で知らない人と待ち合わせをする方が絶対難しい、と今でも思っている。

今日も空港からの帰りバスに乗る際、以前空港へ用事があって来た時に起こったある複雑な出来事を思い出してしまった。

あれはいつのことだっただろう。もしや2月だったか。そんなにもう時が経っていたのか疑いたくなるがきっとまだ寒い頃だった。何故ならばあのロシア人が帽子をかぶってコートを着ていたから!!!私は用事を済ませ、空港からセンターへ向かうためバス284番を待っていた。すると人の良さそうなロシア人が二人、何やらロシア語で話しながらやって来た。その内一人はトムハンクスにどことなく似た感じの、優しそうな人だった。まさに映画「ターミナル」のトムハンクスみたいだったので今でも顔を思い出すことが出来るぐらいだ。すると突然トムハンクスのロシア人が「ガーラ?ガーラ?」と言ってきた。ガーラとは駅の意味で、この人達はブルガリア語は話さず英語もあまり話さないようだった。ガーラは恐らくロシア語でもガーラなのだろう。ソフィアの中央駅へ行きたいのだということは私にも分かった。残念ながら駅への直行便はないため、どこかで乗り換えないといけない。どうにかこうにかその旨を伝え、私も途中まで同じ方向だから一緒に行くことにした。恐らくプリスカ(同名のホテルが停留所のすぐそばに建っており、人々は皆この停留所のことをプリスカと呼ぶ。)で乗り換えて、この人達に中央駅行きのバス、例えば214とか314に乗せてあげたら良いと考え、私達はセンター行きのバス284に乗車した。運転手から切符を買おうとしたら運転手が切符は今ないと言いやがるので(これは非常に問題で、空港では切符が買えるキオスクがないため運転手から購入するしか方法がないのだが、運転手が持ってないと言いやがる場合は決まったようにコントローラーと呼ばれる切符拝見検査官がバスに乗り込んで来て、いたいけなガイコクジンから罰金を取ろうとするのダ!!!)、これはヤバイと思い私は自分が持っていた切符を差し上げた。二人は申し訳なさそうにも、ニコニコと「スパシーバ(ありがとう)、スパシーバ!」と喜んでくれた。

私達は向かい合って座り、始終ニコニコ顔のロシア人の二人と何を話しするでもないが、何とも穏やかな気持ちでプリスカに到着した。さてここでも切符をどのように購入したら良いか分からない二人に私はキオスクでささっと切符を買って二人に渡した。そして私が思い浮かべていたバスが来た。ソフィア中央駅行きのバスである!切符を手にした二人はまたも恐縮したように私に何度も「スパシーバ、スパシーバ」と言い、私は二人を中央駅行きのバスに乗せなければという使命感に燃えながら二人を慌ててバスに誘導した。「さあさ、これです。このバスですよ。最終の駅で降りてください。心配しないで、最終の駅だから分かります。大きな駅の建物が右手に見えてきますから!!」するとトムハンクスがかばんからゴソゴソと何やら取り出そうとするではないか。「スパシーバ、スパシーバ、サンキュー、サンキュー!ショコラット、ロシーア、ロシーア」とトムハンクスは私に何かを手渡した。見ると綺麗な紙で包装されたロシアのチョコレートだった。つかの間の出会いだったが、何と美しい心の交流が出来たものか。一期一会とはこういうものか。。。二人を乗せたバスはいよいよ発車した。窓から手を振る姿に私も手を振って応え、そしてバスの後ろの表示を見て驚愕した!バスはソフィア中央行き214番ではなく、私の家の近所まで行く204番であったのだ!!彼らが目にするのは大きな駅のビルではなく、うちの近所のスーパーマーケットではないか!!!やってしまった。時既に遅し。為す術もない。後悔先に立たず。無情にもバスはそそくささっさと行ってしまった。

願わくは彼らが機転を利かせ、どうも違う方向へ行っていると感じ車内の誰かに聞いてくれて、無事ガーラまでたどり着いてくれていますようにと思いながら、万一のために私はタクシーを拾って204の最終駅(近所でもある)まで急いでもらった。あの二人が、ガーラからかけ離れたこのうちの近所の一角で右往左往してしまっては困るので、その場合はタクシーでガーラまで送っていこうと思ったからである。204の最終駅には二人の姿は見えず、「きっと誰かに聞いてくれたに違いない」と自分を鼓舞し、とぼとぼと帰ったのだった。

あの時の真心のチョコレートは、見ると心が痛く申し訳ない気持ちでいっぱいになったのでしばらくはそっと、ひっそりと棚に置いておいた。(が、美味しそうだったのでやはり戴かなくては申し訳ないと思い後からちゃっかり戴いたが。)

今でも時々あの時のことを思い出す。そしてこう思わずにはいられない。 「二人は無事に駅に行けたに違いない!!」

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夢の話

2011-09-22 13:26:43 | Weblog

私はしばしば食べ物の夢を見る。時には夢の中で味まで感じる時もある。夢の中で味わう感覚を誰かと分かち合いたいと思うが、なかなかそういう人を見つけられない。

今まで一番感激したのは、焼肉をわさびで食べた夢を見た時であーる。美味しかったの何のって。これは勿論ブルに来てからの話である。こちらは美味しい牛肉がない。焼肉が大好きな私は豚肉の焼肉では満たされず、あの日本の美味しい牛肉の焼肉が食べたかったのだろう。しかも和食独特のわさびを使うのだ!美味しい牛肉とわさびのコンビネーション。ブルではなかなかお目見え出来ぬコンビネーションなのだ。ああ、あの時の美味しかったこと!

その次に感激したのは、美味しいデニッシュパン(真ん中に何かのフルーツとクリームが入っていた)を食べた時の事であーる。これまた悲しい話で、ブルには美味しいパン屋さんがなかなかないのだ。普段食べる主食用のパンはあっても、ああいう菓子パン、惣菜パンのようなものは見つけるのが難しかった。難しかったと過去形である理由は、つい最近フランスのパン屋さんのチェーン店を発見したからだ!!Yさんと散歩中、たまたま感動的に見つけたのだった。懐かしい感じのパンが色々と陳列されている。。。その時の感動といったら。。。。☆

というわけで、今では美味しいデニッシュパンが食べたいなと思ったらそこへ行けば良いのだが、あの夢を見た当時はまだその店の存在を知らなかったため、私は美味しいパンに飢えていたと推測される。

最近では。。。そうそうソフィアで何やらうどん屋さんを発見した夢を見た。うどん屋さんのみならず、和菓子のお店もあったのだ。その店の中にはなんと直径10センチぐらいのどら焼きがあったのが印象的である。が、どら焼きは買わずに、何か抹茶のゼリーのようなものを購入したようだ。あいにくこの夢の中では試食までは至らなかったのだが!!

そして夕べはとうとうおでんが登場した。急に寒くなっておでん心がついたのか何なのか分からないが、おでんの事など考えてもなかったので起きて非常に困惑してしまった。一体このおでんのアイデアはどこから出たものなのか。。。今でも分からない。とにかく、これまたソフィアに小さなおでん屋さんができ、近しい日本人同志でそのおでんを食べに行くというシンプルな内容である。今回もまた食べるまでには及ばなかったが、私は何を頼もうかと悩んだ末に「こんにゃく」「大根」「ちくわ」を頼んだ。大根は入手可能だが、こんにゃく・ちくわはないからなあ。。。

なんて食いしん坊なのだ!と思われはしないかと恐る恐るYさんに以前そんな夢の話をしたところ、Yさんはかつてドーナツをかじる夢を見て、隣で寝ていたダンナさんの肩をかじっていたと語ってくれた。私なんてまだまだヒヨっ子ではないか!と、思った瞬間である。

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秋模様

2011-09-21 23:47:31 | Weblog

ここには衣替えという習慣がない。習慣がないというか、そんなことをしていられないぐらい季節があっという間に変わるからだ。

日は短くなったものの一昨日まではまだ夏の余韻が感じられていた。が昨日、今日は一気に気温が下がってしまった。昨日は半袖もちらほら、私もまだなんとか半袖(長袖を着ると夏が本当に去ってしまったように感じとても寂しいので)で外出できたが今日は全く寒かった。面白いもので街中の色彩が急激に暗くなってしまった。いつものことだが寂しいものだ。ついこないだまで鮮やかなタンクトップやキャミソールにサンダルだった街行く人は、今日は黒いセーターやジャケット、中には首周りにフワフワのファーの付いたコートを着ていたもんだからビックリだ。(でももう前ほどはビックリしなくなっちゃった。)

急に天候が下り坂になった昨日。仲良しのYさんとT君から即座に連絡があった。

「今日は急に秋のようになって気温も下がってるけど大丈夫?」「ヤバイ天気になってきたけど、どう?」とまあこのような内容である。冗談のようだが、ここでは冬の間天気によって気分が大いに左右されるので(少なくとも我ら近しい日本人同志の間では)、ヤバそうな天気になったら声を掛け合い励ましあったりするのである。

最近痛感するのが、夏の間にいくら黒くなっても日に当たりたいと思うのは、やはり冬の日照時間の短さによるところが大きいのかな、ということだ。本能なのか、お日様を浴びられるうちに存分に浴びたい!と体が欲するのではないかと私は思う。

「天高く馬肥ゆる秋」とか「秋晴れ」とは程遠い雨と曇天の季節が始まる。

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職人さん達のバザー於エタル

2011-09-16 12:36:05 | Weblog

今年もエタルで開かれた職人さん達のフェスティバルに参加してきた。

エタルはブルガリアの文化、伝統の薫りあふれる大変美しい所である。私は今回でこのエタルへ行ったのは4回目となった。山に囲まれているため空気も新鮮で、食べ物も美味しい。このエタルで毎年ブルガリア中の色んな職人さん、ブルガリアのみならずルーマニアやモロッコなどの職人さん(職人でない場合もあるが)も招かれ、それぞれの出店が出るのだ。なんと、私と仲良しのYさんも昨年から招待を受け、職人ではないので大変恐縮ながらも出店を出させて頂いている。

去年は私達にとって始めての機会で、何を作ろう何をしようかと試行錯誤だったのだが、今年は2回目ということもあり幾分要領はわかっていたので段取りもよくスムーズに行うことが出来た。が、いつもの事で私達は直前にならなければなかなか動けない癖があり、結局あんなに時間はあったはずなのにやはり寸前でドタバタと、大変慌しい内職漬けの日々となってしまった。来年こそは余裕を持って日々少しずつ作成に励もうとYさんと反省した次第である。

さて今年の出し物は。。。鶴ピアスは去年大変好評で、手応えがだいぶ見えたので今年は何か違うものに挑戦したかった。Yさんも同様。去年はちりめんで作った髪飾りが大好評であったので、今年は共に違うものに挑戦ということになった。という訳で、今年は二人で折り紙のくす玉、ミニ色紙の飾り物、ちりめんのブローチ、しおり、ミニカード、紙粘土で作ったうさぎの置物などなど。いつもの事で、ギリギリになって作り出したかと思えば「あれもやってみたい。これもやってみたい。」とアイデアは出るが時間がない状況に陥り、出発の前日深夜まで黙々と鬼のように作るはめになってしまった。去年もああそうだったな。学習能力がないんだな。

当日は折り紙コーナーと習字のコーナーも設け、体験したい人には無料で体験してもらえるようにした。折り紙コーナーには特に小さな子供達がよってきて、一緒に風船やかぶと、鶴などを折って遊んだ。不思議なのは、去年もそうだったが習字コーナーで、自分が書くというより私達に自分の名前を漢字で書いて欲しいという人が多いということ。自分で書いてみた方がずっと楽しそうなのに、自分の名前を漢字で書いてもらうというのが嬉しいというのダ。ブルガリア人の名前を漢字の当て字で考えなくてはならないのが結構難しく、「アンナ」や「マリー」などは良い。「ナデジダ」や「スベトラ」なども意味がそれぞれ「希望」と「光」だもんでそれを使って書けるからこれも良い。が、「ターニャ」や「クラシミル」「イヴァン」などはどうしろと言うのだ!そういえば去年はYさんの妹さんがたまたま日本から遊びに来ていた時期でもあり、彼女も参加してくれて特にこの習字名前コーナーでは大活躍してくれた。「マルティン」が来る度に彼女は涼しげな顔でさらりと「丸珍」と書き、ニコッと微笑み「マルティン」に「丸珍」を渡していた。その後もしばらくの間、Yさんと「丸珍」を思い出しては涙を流さんがばかりに二人して笑ったものである。

しかし今回妹さんはおらず、漢字の意味を深く考えて書く時間の余裕もなく、私は妹さんの毅然とした姿を思い出し数多くの「マルティン」に「丸珍」を渡したのだった。(ダンナによれば、こっちの人にしてみれば漢字の意味などあまり考えていないので、とにかく漢字であればカッコよく見えるからそれでいいのダということである。)

去年隣だったモロッコのブースのおっちゃんも二人同じメンバーで、ルーマニアの職人さんも同じ人だった。共に「おおおお!今年も会えて嬉しいなあ!!」と肩をたたきあい、再会を喜んだ。モロッコ人の片方のおっちゃんは大変ひょうきんだが商売にはシビアで、今年は初めて出店が出たイタリア人が美味しいティラミスを作って全部お客さんを持っていってしまったと嘆いていた。その次の日、おっちゃんは自らこのくそ暑いのに布を体に巻きつけ頬かむりをし、「ハイ、アリババの家ネ、アリババネ」とアリババの真似をして商売をしていたのだった。きっと夜も眠らずどうしたら人を呼び込めるのか考えたに違いない。

あっという間に2日間が過ぎ、今年もいい経験をさせてもらったなあと思う。次の機会に向けて、せっせと作成しーよおっと。

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夏の終わりに見てしまったのダ

2011-09-11 01:51:58 | Weblog
昼間はまだまだ暑いものの、朝晩は随分ひんやりするようになってきた。
危険な季節もそろそろ終わりだなと安心していたつい先日のこと。
とうとう見てしまったのダ、あの緑の物体を!!!ここに棲みついて約3年。辺りに水気もないこの住宅地の道路の上で、真っ黒くぺったんこになったあの不気味な姿を幾度か見たことはあったがしかし!!!実際に動いているあの緑の物体を目にしてしまうとは、私にも隙があったのだろう。油断大敵雨あられ。(はてこんな言い方あったかな。。。?)
長らく動いている実物を見たことがなかったため、驚き様は並大抵ではなかった。わめき、叫び、危うく呼吸困難に陥るところであった。しかも1匹ではない。2匹も、2匹もいたのである!!!心臓はばくばく。フリーズしてしまっているので、仕方なくダンナにおんぶしてもらいエントランスの中まで入った。

以前から水気のないこの辺りで何故ヤツラがいるのか不思議でなかったのだが、ダンナ曰く水がなくても棲息する種類がいるのだとか。そしてヤツラは昼間はどこかに姿をくらまし、夜ウロウロするらしい。夜ウロウロするもんで時折車の下敷きになったりするらしい。非常に人間を怖がるらしいので、人間が辺りを歩いていたら慌ててぴょんぴょんと逃げるらしい。
なのでダンナの観察によると、あの日私の叫び声に向こうがおったまげ、慌て逃げ惑っていたと言うのだ。知るかそんなもん!!

同じくあの緑の物体が大嫌いな仲良しのYさんに、早速近所(というか住んでる建物のエントランスの前だから悩ましい(涙))でヤツラを2匹も見たという話をした。
勿論「油断してはならない。やはり夜ウロウロする例のアレは存在するらしい。から、警戒するように。」というアドバイスである。Yさんは「ひええーーーーっ」と気持ち悪げな表情で、今後警戒を怠らないようにすると決心していた。

あの日以来、発見現場のエントランスを未だ利用出来ずに泣き寝入っている。(もう一つ入り口があるからよかったが)
そして思うのである。「じゃあ昼間は一体どこにいるんだ???」
ああ悩ましい。。。
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日本の猛暑はすごかった(副題:やはり今度もログインパスワードが分からなかった!)

2011-08-26 12:16:49 | Weblog

約2年ぶりに実は日本へ里帰りをし、先日帰ってきた。2週間という超短い滞在であったため、連絡を出来ずじまいだった友もある。誠に残念であったが致し方なく。。。
やはり2週間というのはあっという間であった。私だけ先に里帰りをし、ダンナが後から追ってくるパターンは如何かというダンナの有難い申し出に、「あまり長居して里心がついてもナンなので一緒に2週間にする」と偉そうに言い放った私がやはりバカだった。2週間でも1ヶ月でも里心はつくものなのダ。これからはもっと長居してやろうっと。
噂には聞いていたが、日本の猛暑は並々ならぬ暑さだった。まあこんなにもじっとしているだけで汗が吹き出てくるとは!日本の夏の暑さって前からこうだったっけか?と思わずにはいられなかった。しかしながら日本の夏の情緒というものも感じられ、家族や親戚、友達と駆け抜けるような密度の濃い2週間を過ごすことが出来た。

ブルガリアでは蝉が見られないため、私はまず蝉の声を聞きたかった。関空に降りた途端、私の望みを聞き入れてくれたかのようにワンワンと蝉が、ワンワンと書けばまるで犬の鳴き声のように見えるがしかし私にとって蝉はワンワンと鳴いているように聞こえるのであしからず。ワンワンと蝉が鳴いており、蝉を知らぬダンナは、ああこれが蝉というものか!と少しだけ感動しているように見受けられた。
それから夏の風物詩といえば花火に盆踊り。花火大会にも何とか行けたし、地元の盆踊りにも行って念願の炭坑節も踊れた。地元の盆踊りなど、生まれてこの方〇十年、まともに参加したのは初めてではなかったろうか。なかなか地元の盆踊りは良かったな。ラムネが50円だったしな!

日本に帰る前は「アレもコレも」と食べたいものや「ココもアソコも」と行きたい所を妄想するにも関わらず、実際帰ったらあれよあれよと言う間に時が過ぎ妄想していたポイントを落としがちであり、やはり今回も数ポイントを落としてしまっていた。
帰りの飛行機で隣に座っていたおばちゃんが、ぼんちあげの様なおかきを美味しそうに食べていた。私はそういえばぼんちあげの様なおかきを食べたかったのに、しかもあんな軽い物なのに、なんと愚かなことに落としていたのであった、妄想ポイントを!!それから今度帰ったら絶対飲みたいんだ、飲むんだもんねと思っていたカルピスも落としてしまっていたのだ。。。
早速夢で、近所の古着屋でおにぎりせんべいのパッケージに、ぼんちあげの様なおかきが入って売られているのを見た。ということは潜在意識の中に私はおにぎりせんべいも食べたかったのかもしれないな。

去年私は大きな手術を受けた。
お医者さんに後1、2時間遅れていたら命はなかったと言われ、確かに自分も「ああ私は死ぬのかな」と生まれて初めて思った程の出来事であった。
スカイプではしょっちゅう親の顔は見られるものの、こうやって生きて再び里帰りが出来たことに感謝である。

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夏の帽子

2010-07-21 12:36:36 | Weblog
最近ようやく夏日が続いている。
例のアイルランドの火山灰のせいか何なのか分からないが、今年は夏に入っても雨が続いたり時には15度くらいに気温が下がったりと変な天気が続いていた。
しかしようやく夏らしい日が戻ってきた!
昨日は散髪がてら(散髪というな散髪と!カットと言おうカットと!)長い散歩に出かけたが、やはりとても暑かった。こともあろうに私は帽子を忘れて出かけてしまい、本当に暑かった。

いつも思うのだが、こちらで良いなあと思うことの1つに、「みんな他人の目など気にしない」というのがある。
時に「気にしなさすぎ」という説もあるが、とにかくコレは心地よい。
日本はともすると、「この時期にこんなの着てたらおかしいかな」とか、「やっぱり半袖なんかまだ早いかな」とか、少なからず周りの目を気にする文化がある。少なくともそんな文化があるような気がする。
がしかし、ここではそんなものは皆無である。
他人がどう思おうが、自分が寒けりゃ夏でもコートを着る。他人がどう思おうが、自分が暑けりゃ冬でも半袖を着る。
とにかく自分がどう感じるか、それが一番重要なのだ。
例えば、日本では雨の日に傘をさしていなければ(と言っても、「突然雨が降り出してたまたま傘を持っておらず、仕方ないからとにかく小走りで雨宿り出来る所を探している」状況とは異なり、普通に雨の中
歩いている状況をイメージして頂きたい)、もしかするとその人はちょっとおかしく他人の目には映るかもしれない。まして、スーツを着てヒールを履いた若い女の人が傘代わりにスーパーのビニール袋を被って歩いていたらどうだろうか?!
道行く人はおったまげるやもしれない。しかしこれはフィクションではなく、ブルでは実際目にする光景であるのでおったまげてはいけない。
そういう感じで、ブルガリアでは雨でも傘をささず歩いている人など不思議ではなく、個人的にはあまり違和感を感じなくなっているが、はてこの状況、日本ではどうだったかな。。。日本じゃやっぱりあまり見かけない光景だったかな。。。
冗談ではなく、最近はこのように日本での感覚が時々分からなくなることがあるもんで、ちょっと切ない。

話がそれたが言いたかったことは、こちらではこの歳になっても大きなツバのついた帽子を被って街中を歩いてもへっちゃらだということである。
これまたさっきの話ではないけれど、日本じゃどうだったかなとふと思うのだ。
今どういう格好が流行っているのか分からないが、少なくとも今私が使っている大きなツバの帽子を被って日本の街中へ行けるかどうか、想像してみると面白い^^
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気がついたら

2010-07-19 16:37:02 | Weblog
月日はこんなに経っていた。
ブログの作成ページもこんなに変わっていた。

今度は正真正銘、パスワードも忘れてしまっていた。仕方がないから新しいパスワードを設定した。

日本の友の皆様はお元気でお過ごしでしょうか。
日々、日本の友の皆様はその内こんな私のことなど忘れていくのだろうな、との思いが募っておりますが、もしお忘れでなければまた近況など教えて下さいね。。。

さて、これほどまでに筆不精になってしまったのにも、少なからず訳もある。
ナマケモノだからという理由もあるが、何せ新たな発見が少なくなってしまったのだ。
これは非常に良くないことで、ともすると惰性に流され、日々を何気なく送ってしまうことになりかねない。
と言いつつ思いつつ、私は去年(おお、もう去年のことになるのだ!)最後のブログをアップして以来、新たな発見に胸を躍らせ目を輝かせることなく日々を送ってきたかもしれないのだ。というか、きっとそうなのだ。

といっても、色々変動もあった。
私と同じようにブル人の配偶者を持つ在ブル日本人の方とも仲良しになれたことや、それをきっかけに引きこもりも減ったということなどは大きな収穫である。
配偶者がブル人であるという同じ背景のため、境遇が似ており、とにかく言わんとすることが手に取るように分かり合えるというのがコレ大きい。
こうして家族ぐるみでお付き合い出来るようになったことは本当にありがたいことである。

ソフィアも新しいショッピングモールが立て続けに出来たりして、目まぐるしく変わっている。
しばらくなくなっていた物欲も、にょきにょきと出てくるぐらい、かわいらしいグッズなどもどんどん増えている。
ショッピングモールのフードコートなどにも寿司屋さんが出来るなど、今ソフィアは猫も杓子も寿司寿司と一つのブームみたいになっている。
(とは言え日本人がやっている寿司屋はなく、みんな中国人やブルガリア人、ベトナム人が切り盛りしているといった感じで、フードコートの寿司屋の前を通りかかると「何チャラカンチャラー?」とベトナム語と思しき言語で話しかけられたりする。ベトナム人に、「ベトナム人に瓜二つ」と言われた私であるので、簡単に理解出来ることではある。しかも私は関空で、ベトナム人に「ホーチミン何とかかんとか?」とあたかも同郷の者のように声をかけられたこともあるので、ちっとも不思議ではない。)

刻一刻と変化する環境に取り残されないように、私もまた惰性に流されて日々の小さな発見が出来なくならないように、心を研ぎ澄まして(研ぎ澄ませるのか?!)目の前の発見に挑戦したいと、そう思う。




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Чебурашка И Крокодила Гена

2009-09-11 21:23:57 | Weblog

私はチェブラーシカとゲーナが大大大好きだ!

チェブのファンになって6年ほどになる。初めてチェブを見た時、私はこの世にこんなに可愛らしいものがあったのかと心から感動した。とにかくかわゆい!かわゆいのだ!かわゆいったらないのだ!もう、言葉に出来ないくらいカワユイのだ!!チェブは勿論、クロコダイルのゲーナも忘れてはいけない!!

シューメンにいた時、同居人だったポーランド人のヨアンナとイギリス人のジェニーと3人でレストランで食事をしている時、たまたまチェブラーシカの話になったことがある。共産国だったポーランドでもチェブラーシカは当時大変な人気で、ヨアンナも勿論知っていた。ヨアンナと私はえらく盛り上がってしまい、チェブラーシカの歌を歌い始めてしまった。共産国ではなかったイギリス生まれのジェニーはやはり何のことかさっぱり訳が分からなかったらしい。人目を気にし始めたジェニーをよそ目に、私たちはお互いチェブを知っていた興奮からなかなか醒めることが出来ず、アコーディオンを弾く真似をしながら歌を歌い終えてようやく満足したのだった。

去年の12月のある日のこと。
なんと、なんと、このチェブラーシカの作者がソフィアに来るということで、はるちゃんと韓国人のヨンキョンと一緒にホールへ見に行った。当時ブルガリア語を教えて下さっていたご年配のフィンゲローヴァ先生も行きたいとのことで一緒に行くこととなった。いつだったか、授業でもたまたまチェブの話が出たことがあり、普段は冷静でおしとやかなフィンゲローヴァ先生が、鼻息も荒くチェブの魅力を語ったことが印象的である。翌日フィンゲローヴァ先生は、年代モノのチェブグッズをいくつか持参し、私たちに披露して下さった。
このように、チェブは国民的大人気者なのである!
そしてこの日、ドキドキしながら作者であるウスペンスキー氏の講演会に参加した。
しかし、氏はロシア人であるため、何をおしゃべりになっているのかはてんで分からなかった。何せこれはロシア文化会館みたいな所で行われ、ロシアに詳しい人たちが主な対象者となって参加していたため、ブルガリア語の通訳も一切なかったのだ。しかも客人の大半は子供であり、子供のくせにちゃんとロシア語を理解しているらしく、笑うところではキャハキャハ笑っていた。大人気なくも「ちぇっ」と心の中で舌打ちしてしまったりした。
話の内容は全くわからなかったが、「うにゃにゃ、うにゃにゃ、何とかかんとか、うにゃにゃ、うにゃにゃ」と繰り返す歌だけが頭に残った。しかしコレはチェブとは関係のないアニメであるので、さほど重要ではない。

ウスペンスキー氏が講演の後に、サイン会みたいなものをし始め、私はドキドキし始めた。
「行くべきか?!子供ばかりに間に入れるのか?!」葛藤が始まる。ああ、この日私は持っていたチェブの絵本を持参しようと思っていたのに家に忘れてしまっていた。周りを見渡す。サインを求めて並ぶ聴衆は皆胸に本をかかえている。
「行かなくていいのか?!ほんとにいいのか??」
私は外にあった本屋へ駆け込んだ。チェブラーシカを買うためである!チェブラーシカの本を胸に、私もサインを貰うのだ!

時に物事は上手くいかないものである。
あいにく、チェブラーシカは全部売り切れていた。きっと先手を打って、さっきキャハキャハ笑っていた連中が買い占めたに違いなかった!ああ、く、くやしい。私があの時大人のプライドでもって、決断に躊躇したからだっ。
仕方なくホールへ戻り、幸せそうなキャハキャハ軍団を横目に、大人としてぐっとこらえた私だった。

さて、ついこの間、私は近所のスーパーマーケットで、なんとブルガリア語版のチェブラーシカのDVDを発見した!!☆か・ん・ど・う☆
声を上げそうになったのをちょっとこらえて、ほんの少しだけ感嘆符をもらし、ためらいなく購入した!!しかも1.9レヴァというので再び☆か・ん・ど・う☆
しかもしかも私の知らないお話が1つ入ってる!☆か・か・ん・ど・う☆

しかし時に物事は上手くいかないものである。
私にとって新しいお話になるはずだった最後の収録作品は、チェブとは何の関係もないお話だった。
とはいえ、ブルガリア語でチェブが見れるのは、私にとって大きな大きな喜びだ!何回も見てやろうっと。

そして私は今またチェブを見ながらブログを書いている。
現代ロシアの不機嫌な旅行者(これにつきましては、先の記事「トルコのロシア人」を参照下さい。)も、チェブを見て心を癒せばいいのになあ。。。

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トルコのロシア人

2009-09-08 19:13:10 | Weblog
新婚旅行でトルコへ行った。トルコのアラニアという所である。
夏の間、トルコのビーチリゾートへ行くブルガリア人旅行者は非常に多い。飛行機も1週間に一度便利なチャーター便があり、私たちもこのチャーター便でアラニアへ向かった。

アラニアに降り立ち、宿泊するホテルまで私たちを連れて行ってくれる旅行会社のバスを探した。バスの中はおそらく同じ飛行機で到着したらしいブルガリア人同胞が既に約10人ほど乗っていた。
どうも顔立ちがロシア人っぽいガイドさんだったが、やはり思ったとおりロシア人であった。
「へえー、ロシア人がここで働いてるんだ」と思っていると、このロシア人のガイドさんは何を思ったのか、ここトルコで、しかも全ブルガリア人ツアー客を目の前に、ロシア語で話し始めたのだった。ロシア人は1人もいない。しかもここはトルコである。

ダンナがそこで気付いたのだが、どうもこの旅行会社はロシア系の会社だったらしい。とは言え、いくらそうだとしても、ロシアでない国で、しかもロシア人でない人たちを相手に、始終ロシア語で話をするのはどうなのだ?世界共通語って、英語でなかったですか?

ブルガリアは共産国時代、ロシア語を学ぶのは必須だったためこの共産時代、学校でロシア語を勉強したことがある人は何とかロシア語が分かる。ダンナはその最後の世代で、7歳から14歳までの間、学校でロシア語を学だ。でもロシア語は大キライだったらしい。が、とにかく聞く分には問題なく理解出来るが、話すのは難しいという。いずれにしても、このガイドさんが話していることはダンナのおかげで全部分かったから私たちはラッキーだった。他の乗客の中には若いグループもあり、果たして彼らはガイドの話が理解出来たのかどうか、疑問である。
ちなみに、ブルガリア語とロシア語は同じキリル文字で、言葉もよく似ていると言われる。確かに同じ単語も沢山あったり似ているのは確かだが、文法はかなり異なり、結局私は彼らの話はちっとも分からなかった。

さてホテルに到着し、レセプションで驚愕の事実が発覚した。
なんと、トルコ人のホテルマン達が皆ロシア語で話すのである!!「え、世界共通語って英語でなかったっけ?」と、私たちは思わず確認し合った。これは一体いかなる事か?なんでこの人たちはロシア語で喋るのか?
答えはその後すぐに分かった。
このホテルの90%超と思われる宿泊客がロシア人なのである!行き交う人皆全てロシア語なのである!!

という訳で、この1週間の滞在の間、必然的にロシア人ウォッチングをすることとなった。
驚いたのは、ロシア人で溢れかえっているのは、ホテルだけでなく、オプショナルツアーでも市場でも街中どこでも同じだった。しかも店の店員さんまでもが皆ロシア語で話しかけてくる。
右を向いてもロシア人、左を向いてもロシア人、プールに行っても買い物に行ってもロシア人ロシア人ロシア人。ある意味非常に興味深い現象である。

ロシア人ウォッチングした中で(少なくとも1週間の滞在で目にした人たち)、一番私たちが驚いたのは、皆笑っていないということだった!しかも笑っていないだけではない!多くの人がとても不機嫌そうなのである!!何という摩訶不思議な現象だろう?!これはサマーバケーションではないか!しかもあなた達は寒い国からこうして常夏のサマーリゾートに来ているのではないですか?!

ホテルでは朝昼晩と全食含まれているため、宿泊客は全員それぞれの時間にレストランへやってくる。ゆえに、毎日否が応でも大勢の人たちを見ながら食事することとなる。広い大きなレストランで、ロシア人を眺めながら私たちは発見したのだった。これ程多くのロシア人の中で、食事中に談話しながら微笑みあい、笑いあっている人たちがほとんどと言って良いくらいいなかった、という事実を!!
当初、これはきっと何かの偶然に違いない。きっと今日だけに違いない。そう思い、私たちは翌日もまたその翌日も周りに目をやり、観察してみた。観察を続けてみたところ、やはり結果は残念ながら同じだった。

しかも、私はここでロシア人のジェントルマンをとうとう見つけることが出来なかった。
こう言っては語弊があるが、とにかく子供(3、4歳くらいまでのお子達はまだニコヤカに笑っていたが、それ以上になると不思議と子供であっても機嫌が悪そうなのだ!!)から大人まで男女を問わず、多くの人がアグレッシブな雰囲気を持っていたから驚きである。
バイキングで並んでいると、若い綺麗なお姉ちゃんが、平気な顔で割り込んでくる。それも1人や2人では決してない。その内オッサンも平気な顔して割り込んでくる。そして最後には小さな子供まで平気な顔して普通に割り込んでくる。しかもその子供の母親はすぐそばにおり、あからさまに順番抜かしをする我が子に対して、「これ、だめですよ」の一言もない。
これがたまたまの現象ならば私とて、大人としての「さあ坊や、どうぞどうぞ、いいのよ、ほらお入りなさい」などという広き寛大な心を示せるが、毎日毎回複数回こうであったら堪忍袋の緒も切れる。
大人気ない私は、子供相手に割り込み返してやったのだ!!けっけっけ、どうだ見たか!!おばちゃんだってお腹がすいててずっと前から並んでいるんだからね!子供だからって、容赦はしないよ!!
まさに修羅の様であった。

しかし、これはとても面白い経験だった。
ダンナは折角の旅行で、私がこの現象を目の前にして嫌な思いをしていないかとずっと心配していたが、そんなことは全くへっちゃらで、逆に大変良い経験をしたと思っている。

勿論ロシア人ウォッチングだけではない!
オプショナルツアーでアラニアの観光と、パムカレにも行った!私は一生に一度は、この白い幻想的なパムカレに行ってみたかったのダ!しかも、パムカレにあるクレオパトラも泳いだと言われている古代の温泉プールにも入った!それはそれは綺麗で興味深いところだった!何せ、ローマ時代の遺跡がそのまま倒れ沈んでいるところに温泉が沸き出でて、皆その中で泳げるのだから!
この温泉は沢山のガスが含まれており、肌に非常に良いらしい。
ガスでアワアワする温かい温水に浸かりながら、苔むす古代遺跡に腰を下ろす。クレオパトラもこのプールに入っていたのかぁ、この山も見ていたんだろうなぁ。。。と、しばし感慨にふけりながら、人目を盗んではガス温水でヒタヒタとくまなくお顔のマッサージをしたものだ。

こうして1週間は瞬く間に過ぎゆき、楽しい思い出と、独断と偏見によるウォッチングリサーチを携え、あの頃はまだ焼き付けるような暑さのブルガリアへ帰ってきたのだった。
(ああ、あの暑さが懐かしいな。)
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Jポップミュージックコンサート

2009-09-07 18:22:32 | Weblog

はるちゃんは大学でロック研究会に入っており、エレキギターを弾く事が出来る。ブルガリアに来てまだ間もない頃に、既にエレキギターを購入していた。普段は大人しいキャラの彼女は、時にすごい行動力を発揮する!

日本への帰国が迫る中、彼女は前々から温めていたある1つのアイデアを実現しようと行動を開始した。
その名も、「天の川ライブ」である!
本来ならばロック一色でライブをしたかっただろうけれど、他に楽器もなく、アコースティックな雰囲気でポップなコンサートにすることとなった。

始めは4月くらいに出来たらねぇ、と話していたが(実際この頃は私自身夢物語のように他人事としてとらえていた)、色々状況も難しく、話が延び延びになっていたのダ!
そして5月。いよいよはるちゃんは、7月に七夕ライブをするべく段取りを組み始めた。

まずはるちゃんは私にヴォーカルの依頼をしてきた。
オーマイガット。
私は人様の前で歌などを歌ったことはカラオケを除いて一度もない。ライブだなんて、めっそうもない。想像しただけでも血の気が引いていくようであった。
が、しかし、苦楽を共にしてきたかわいいはるちゃんの期待には、何とかして応えたい。
大人として腹を決めてお引き受けすることにした。(でででできるのかっ?!!)

私の拙すぎるヴォーカルだけでは到底無理なので、私たちは共通の友人であるT君にヴォーカルの依頼をした。T君もまた、私にとってブルガリアでの苦楽を共にしている戦友のような存在である。実は彼はかつて日本でレストランのディナーショーで歌を歌ったり、どこかの施設などでコンサートをしたこともあるという実力者なのダ!しかも彼はブル語がとても上手なので、会場の手配などでは特にお世話になりっぱなしであった。
そしてその内もう1人の日本人留学生(ソフィア大学ではない)S君にもパーカッションとして合流してもらうことになり、合計4人でライブをすることとなった!

1ヶ月ちょっと前から練習を始め、普段は貸しスタジオで練習し、時には公園でも練習するという感じで、月日は瞬く間に過ぎて行った。公園で練習する時など、時々T君の歌声をじぃっと聞き入る人もいて、これはイケル!と私たちは少なからず手ごたえを感じたりしたものである。(私はとうてい恥ずかしく、蚊の鳴くような小さな声でしか練習できませんでした。)

ライブは七夕から1週間遅れの7月14日の開催となった。会場はソフィア内にあるチタリシテと呼ばれる公民館である。14日といえば、何を隠そう自身の結婚式の4日前であった。正直な話、自分の結婚式よりも、うんと緊張したのはこのライブだった^^ 言葉を変えると、ライブがあったおかげで、結婚式当日はあまり緊張しなかったとも言える^^
はるちゃんがかわいいチラシを作ってくれて、会場代として1人3レヴァをチケット代として徴収させて頂くことにした。
私たちは会場となるチタリシテを始め、数件のカフェやらにもこのチラシを貼ってもらうことにし、自分達の知り合いにも声をかけた。複雑なもので、会場代の元を取るには1人でも多くの方に来てもらわなければならない。その反面、1人でも多くなるとそれだけ多くの人様の前で歌をうたう事となり、これは非常に複雑な心境だった。

さて当日の曲目はというと。。。
「唇よ、熱く君を語れ」「木綿のハンカチーフ」「桃色吐息」「ひこうき雲」「酒場川」「夢の中へ」「いちご白書をもう一度」「浜辺の歌」「飾りじゃないのよ涙は」「さらば恋人」「年下の男の子」の11曲。
コンセプトとしては、現代ポップというよりかは、1世代前のノスタルジックな日本のポップ紹介といった感じで行われた。うら若きはるちゃんにとってはあまり見知らぬ曲ばかりだったけれど、彼女は1人でギター担当を見事こなしたのだった。しかも中には1曲「酒場川」という演歌も入っている。彼女は時々もらしていた。
「21歳の女子が、家でギターで演歌弾いてるんです。最近歌詞まで覚えて口からひとりでに出てくるんです。こんなのって、どうでしょうかね。」と。
血の滲むよううなはるちゃんのギター練習。そしてT君の歌唱力。
演歌というのはブル人にとって、あまり縁のないジャンルだが、意外とこれがウケたようである!

約1時間で11曲。間に手作り短冊のプレゼント(主にはるちゃんが作ってくれた。後にS君も協力。)と共に簡単なクイズゲームをはさみ、7時開演、8時終了と設定した。

来てくださった客人は喜んでくれるだろうか、会場代は元が取れるのか、リハもろくに出来ていないのに、ちゃんと上手くいくのだろうか等、多くのハラハラ要素を残したまま、当日を迎えた。
当日はしかし、予想を超えて60人という人数のお客さんが見に来て下さった!中には壁に貼られているチラシだけを見て足を運んで下さった方もいた。

私の稚拙な歌はさておき、とにかくライブは意外と盛り上がり、来て下さった方々は楽しんで下さったようである。3x60で180レヴァ集まり、150レヴァの会場代も元が取れた!
練習は大変だったが、とにかくやって良かった。企画してくれたはるちゃんをはじめ、共に活動したT君、S君にも感謝の思いでいっぱいだ。本当に素晴らしい経験が出来た。
私は絶対見たくないのだが、はるちゃんへのお土産に、このライブの録画ビデオをもらいに近々T君とS君と一緒にこのチタリシテを訪れるつもりである。
はるちゃん、ビデオ待っててね。

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ブルガリア結婚式事情

2009-09-04 21:59:49 | Weblog

ブルガリアでの結婚式で感じたことはというと、まずオリジナリティー豊富ということである。勿論これは式典ではなく、パーティに関してのオリジナリティーのことであるので悪しからず。
日本での結婚式の段取りは分からないので何とも言えないが、とにかく全てが手作りで自分達の思う通りに仕上げるという感想が大きかった。大変なこともあったが、全て思う通りの結婚式に出来て、良かったなあと実感する。

いずこの地であれ、花嫁にとってはドレスというのは大事であるもので、こちらブルガリアの花嫁達も、自分の気に入ったドレスを購入するまでは大変な苦労があるらしい。(ココでは通常ウェディングドレスは購入)
1ヶ月、2ヶ月、ともすると3ヶ月くらいかけてお気に入りのドレスを探し求めることもあるというから驚きである。
私の場合、冗談ではなく、半日で購入してしまった。しかも3軒目のドレス屋であった。すごく気に入り、おまけに安価であった。(なんというセコさ!)

また当日のメイクにヘアスタイルも大事である。
恐らく日本では、式場関係のプロの方たちが全部面倒を見てくれるのだろうけれど、ここでは自分達で全部手配しなければならない。
というわけで、一度プロのメイクアップアーティストの方にトライアルをお願いした。わざわざ家に来て下さることになり、ドキドキしながらその日を迎えた。さてどんな仕上がりになるか、どんな魅惑の変身が出来るのか、わくわくしながら敢えて、メイクの途中は鏡を見ずに大人しく、慎ましく仕上がりを待ったのだった!私の中での花嫁のメイクのイメージと言えば、やはりふんわりとしたローズっぽい優しい仕上がりである!花嫁メイクといえば、優しいローズのナチュラルメイクではなかろうか!!
さて、緊張しながら合図を待って、私はいよいよ目を開けた。目を開けたその時!!その時私の心は張り裂けた!!あああ、あああ、きっとこの人にとって私は初めての東洋人だったのであろう、あああ、あああ、この人にとって私は初めての東洋人だったのだろう!!!わなわなと震える手で持つ鏡に映ったその顔は!まるで、まるで、まるでパンダのそれだったのである!!!
この時の衝撃を言葉にすることなど私には出来ない。何故なのか、何故このようなことになったのだろうか。きっと彼女は東洋人の骨格と西洋人の骨格を全く理解せずにメイクしてしまったに違いない。それに彼女は東洋人のまつ毛が悲しくも短いことをもっと理解するべきだった。何故なら彼女はマスカラをつける前にビューラーも使わず、ええ、ええ、長くてクルリンとした西洋人のまつ毛にはビューラーなんかは必要ないかもしれませんよ、でもこの私のささやかな慎ましいまつ毛には、カールが必要だったんですよ。ああ、こんな花嫁絶対イヤだ。でもこの人を前にして、こんなのイヤですとは、気の小さい私には到底言えなかった。「きっとその内見慣れてくる。その内目が慣れてくるに違いない。」と必死に私は自分で自分を励ました。しかし、何度見ても、パンダはパンダのままだった。その内涙がこみ上げてきて、涙はマスカラを溶かし、いっそうパンダ化は進んでしまった。もう私は全く元気を失ってしまった。
結局、この方はきっぱりお断りし、代わりにグラフィックデザイナーをしているダンナの妹が当日私のメイクをしてくれることになった。結果的に私はパンダにならずに済んだのみならず、彼女のメイクがたいそう気に入り、感謝の気持ちに耐えない。

たったメイク如きのことでこれ程に書きなぐりたいことがあったとは、やはり私の心はかなりパンダにやられてしまっていたのかもしれない。

さて、ドレスもメイクもヘアスタイルも決まった。しかしその他にもやるべきことは山ほどあった。
レストランの手配、レストランのデコレーション、メニュー、ゲストへのギフト、招待状、車のデコレーション、式場への手続き、各テーブルのデコレーション、音楽の選曲、DJとの打ち合わせetc etc。
中でも一番時間をかけたのは、もしかするとウェディングケーキだったかもしれない。こちらの人たちが、どれほどケーキのチョイスにこだわるのだろうかと、私は驚いてしまった。
私たちも、ソフィアのケーキ屋さんを色々周り、試食してはデザイン選びに時間をかけた。
とても美味しいケーキ屋さんを見つけ、そして最終的にデザインは招待状と同じデザインにすることにした。私たちはたいそう気に入り、マジパンで作られたゴンドラに乗った新郎新婦の人形は、今でも冷凍庫に保存している。(怖っ)

ブルガリアの結婚式では幾つかの面白い儀式がある。
まず最初に、水の入ったバケツに白と赤の花を浮かべ、そのバケツを新婦が蹴飛ばすというのがある。
蹴飛ばして飛び出た花の色によって、最初の子供が男の子か女の子かが分かるというのだ。
ちなみに私は赤白両方の花が飛び出てしまったので、満場一致で双子となった。

次に、新婦が新郎の母親すなわち姑にハチミツをつけたパンをほおばらせるという儀式である。
この時に、大きなパン切れをほおばらせればほおばらせる程、姑はモグモグとして何も言えない。これはその後の結婚生活、家族生活において姑があまりとやかく嫁に言わないようにするための儀式とか。
うちの姑はとても優しい人なので、そんなことをする必要はないのだが、そうした方が場が盛り上がるかな、ガイコク人だから複雑なコトワカリマセンで済まされるかな、と私は比較的大きめのパンを差し上げた。(冗談ではなく、本当に姑は優しい方です。)

この他にも勿論ブーケ投げやらケーキカットやらの儀式はあるが、ダンナの強い希望で日本の三々九度もすることになった。私はどっちでも良かったが、結局やってみることになり、オークションで酒器も購入した。
始めは2人とも洋装のまま三々九度をするつもりだったが、段々と私はニッポンジンとしてこれで良いのか、ニッポンジンとして和装はしなくて良いのか、と疑問に思うようになってきた。そして決め手が、三々九度の手伝いをしてくれることになった妹のリンダが自分は浴衣を是非着たいと言ったことだった。
そうなればコレ、何が何でもニッポンジンとしての誇りにかけて、大変だろうが何だろうが、着物ぐらい着なくちゃならない。という訳で、急遽、手伝いをしてくれるリンダとはるちゃん、そしてダンナと私の計4人は和装をすることになったのだった。
振袖はしかし、自分で着たためしなど一度もない。某着物学院に3ヶ月で1万円コースに通ったくらいでは、とうてい振袖など着れる訳がない。手伝ってくれる人もおらず、とにかく自力で何とかせねばならず、夜な夜なネットで調べた。当日は私は他の人の手伝いなど出来る訳がないから、後のお三人方には自分達で着てもらわねばならない。数回の練習の末、見事3人は上手に着られるようになった。
問題は私で、着物自体は何とかなれど、帯がどうしても出来ない。ようやくのこと、どうにかこうにか「なんちゃってふくら雀」が形になったのは、結婚式の2日前だった。
さて当日、三々九度のため衣装を替えに行った私たち4人は、別室で汗だくになりながら必死で衣装を着替え、その様子はさながら舞台裏で衣装を着替える旅芸人か、はたまた脱出マジックのマジシャンのようだった。

さてここで、私の両親はいずこに?と疑問に思われる方もおられるやもしれません。
ある日、飛行機がダイキライな私の母はこう言いました。
「なんぼ娘の一生一大事の晴れの日やゆうても、私、あんな飛行機に10何時間も乗られへんわ。。。それ考えたら、ドキドキして夜も寝られへんねん!ああ、やっぱり無理やわ!想像しただけで死にそうになるねん!!あかんわ、無理やわ、死にそうやわああ(悲鳴)!!」
死なれては困るので、止めてもらうことに致しました。

準備は色々大変だったけれど、7月18日の当日は、笑いっぱなし、踊りっぱなしのとても楽しい1日となった。大好きなブルガリアのホロも沢山踊った。ホロのみならず、色んなダンスもした。ダンスをするとお腹が空くので、しっかりご馳走も平らげた。そういえば、式の前日、私は両親から祝いのメッセージメールを受け取った。愛する娘へ愛のメッセージである!私は感動した。感涙に咽びながらメッセージを読んだ。そして結びの一言にこうあった。
「暴食は止めるように。」

今まで本当に多くの人たちに助けてもらい、協力を頂いた。日本からも様々エールを頂き、見守って頂いた。これから色んな事が待ち構えているかもしれないけれど、これまでの感謝の思いを胸に、これからは2人で乗り越えて行きたい、と思う。

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ご無沙汰してます、生きてます。

2009-09-04 21:19:17 | Weblog

日本の友の皆様、大変ご無沙汰しております。メールなどで連絡を取れている友もなかなか取れていない友も、皆様におかれましては日本の湿気た夏を乗り切り、気分爽快に秋の高い空を眺めながら、お元気な毎日をお過ごしのことと存じ上げます。

ここソフィアでは、日中は未だに暑いと申しましても、朝晩はヒンヤリすることもあり、何より夜の9時では外が真っ暗になってきたということが寂しい今日この頃であります。ちょっと前までは夜の9時なんてまだまだ明るく、外ではチビッ子達がサッカーで盛り上がっている最中のようでありました。
とは言え、あまり日が長すぎるのも問題で、と言いますか、あまりにもすることがない時などは、「あ、まだ6時半だ。暗くなるまでまだまだ時間があり過ぎる」などと一種の焦燥感を感じたりもするものです。

さて、話は変わりますが、私事ながら(というかコレ、ブログ)、7月18日にココソフィアで結婚致しました。お知らせが行き届いていなかった友には連絡遅れまして大変申し訳ございません。
まあ、サバイバル人生は続行しますので、これからも友の皆様、よろしくお願い致します。


次回ブログアップはいつなることか?!乞うご期待!(自分で書いてていつになるか自信がない!なんとレイジイなことであろうか!!)

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さくらんぼ

2009-05-31 22:03:09 | Weblog

さくらんぼの季節になってきた。特に夏場は美味しい果物が沢山安価で手に入る。
今、市場ではさくらんぼが山のように売られていてウキウキわくわくの今日この頃。木曜日に今年初めてさくらんぼを1キロ買い、昨日再び1キロ買った。嬉しいことは、これだけの量の美味しいさくらんぼが、なんと、なななんと、270円程で手に入るので、もうウキウキするのも仕方ない。

市場ではまだあまり見かけないが、シューメンにいる頃はよく白いさくらんぼを見かけたものだ。この白いさくらんぼが甘いのなんのって、私はそれまでこれ程の甘いさくらんぼを食べた事がなかったので、感動のインパクトは衝撃モノだったことをよく覚えている。
一度コルネリアさんと彼女の生徒さん(と言ってもかなりお年を召した大きなオバさんだった)と彼女の息子さんと、もう1人の生徒さん(と言ってもかなりお年を召した大きなオジさんだった)と一緒に、シューメンから車で15分ほどの所にあるプレスラフへ行った時のこと。何もない見渡す限りの草原に、白いさくらんぼの木が沢山あった。そこで私達、大の大人が5人、わっさわっさとこの白いさくらんぼの木にぶら下がるようにしがみつき、たわわになっている大きな白いさくらんぼを文字通りお腹がいっぱいになるまで食べたのだった。
あの時の白いさくらんぼのあの美味しさは、忘れることが出来ない。

残念ながらココではこの白いさくらんぼをまだ市場で見かけたことがないが、それにしても1キロ270円の深紅の美味しいさくらんぼをウンと堪能することにしよう!うっしっし^^

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