北京空港での野宿はほとんど寝れず、朝を向かえた
定刻どおり西シンに向けて3時間程で到着
ここは中国のほぼ真ん中の都市、中国はどこに行っても建築ラッシュで工事の噴煙やほこりでかなりの人がマスクをしていました。もちろん自分もマスクが無いと咳が出てくる始末。
空もなんとなく噴煙で黒ずんでいるし、発展途上国の勢いは誰にも止められないのね。
現地の気温はたぶん5℃くらい。肌寒く貧困のさが激しい町、物乞も多く驚いた。同じ中国でもここは少し違う。
ここからの予定は中国を横断する列車、あの有名な清蔵鉄道に乗って三日かけてラサに入る予定だった。
しかし、どこを探しても肝心の駅が無い!駅らしいホームはあるのだが改札口が工事で閉鎖されていて入口、出口がないではないか!「なんで??」一時間程探したが全く無い。しかたなく諦めて他の方法を探ることにする
部屋にもどり、ラサに行く手段を無い脳みそで考える…今更だが現在のラサは暴動が起きて以来外国人の入国が出来なくなっている。列車で行けないとなると更にやっかい?いや、逆に好都合かも。誰にも知られずにひっそりとラサに入れたら最高じゃん!やっぱ裏口からしか無いのね。
その時思ったのが闇ルートでのバス移動。普段は出稼ぎ労働者が使用する低所得者向けの交通手段。たしか駅前で(もう駅は無いのだが)そこで柄の悪いおっさん達が闇バスのチケット売ってたっけな
思い立ったら吉日、駅に向かい柄の悪いおっさんに声をかける。値段がかなり高額ではあったが、多少値切り交渉して落札!その夜に指定場所に出向き護送車に乗り込むの。しかしこれが悪夢の始まりです。60時間、距離にして約2000キロ、標高5000メートルの長い地獄を見る羽目になった。身も心も人生私大の苦痛をこれから強いられることになるとは。。。
指定の待ち合わせ場所に行く。暗闇であたりはうす暗く、なにか嫌な予感。ここまで来たら後には引けない。まだ旅は始まったばかりだし。
バスが暗闇から姿を現す。「エッ??」
今朝がたチケットを買った柄の悪いおっさんに魅せられたバスの写真と大違い。前にエンジンがあり、昭和初期のタイプである。「これで2000キロ走行して標高5000メートル行くの??やられたぁ~」
キャンセルしたいがもう遅い。日本円にして5万円ぐらい払ったのに…
「チクショー」思わず声がでてしまう。
怒りがこみ上げるなか、バスに乗り込み更に驚き!「おっ、おれの席が無い!!」
仕方なく暗闇の中目を凝らしやっとの思いで席を見つけ座ると、チベットのおっさんがムクムクとおれの方に来て
「ここはおらの席だ!おめ~みたいな奴は裏に行けっ!」
ゲッゲッ!こんなこと言われる筋合いはねぇ~のに、なんで!?ここは囚人の世界かっ!
更に弱い者は後ろの席へ、かよ。チックショ~
とりあえず一番後ろに座り、バスはゴトゴト進みだした。バスは当然揺れもひどく貨物使用のバスなのでサスペンションも板バネ。当然吐き気を模様しビニール袋にまずはあいさつ程度に数回嘔吐。
チベットの人はあまり風呂にも入らない。のでバスは異様な匂いで充満している。足の匂い、食い物の匂い、パクチーの匂い、屁をこくやつ、煙草を吸うやつと、なんといも言いようのない匂いがさらに吐き気を引き起こす。
※写真は昼間のバスの車内。膝を折り曲げ、臭い布団にくるまり60時間ほとんどトイレ休憩のみでこの状態で過ごした。
つづく
定刻どおり西シンに向けて3時間程で到着
ここは中国のほぼ真ん中の都市、中国はどこに行っても建築ラッシュで工事の噴煙やほこりでかなりの人がマスクをしていました。もちろん自分もマスクが無いと咳が出てくる始末。
空もなんとなく噴煙で黒ずんでいるし、発展途上国の勢いは誰にも止められないのね。
現地の気温はたぶん5℃くらい。肌寒く貧困のさが激しい町、物乞も多く驚いた。同じ中国でもここは少し違う。
ここからの予定は中国を横断する列車、あの有名な清蔵鉄道に乗って三日かけてラサに入る予定だった。
しかし、どこを探しても肝心の駅が無い!駅らしいホームはあるのだが改札口が工事で閉鎖されていて入口、出口がないではないか!「なんで??」一時間程探したが全く無い。しかたなく諦めて他の方法を探ることにする
部屋にもどり、ラサに行く手段を無い脳みそで考える…今更だが現在のラサは暴動が起きて以来外国人の入国が出来なくなっている。列車で行けないとなると更にやっかい?いや、逆に好都合かも。誰にも知られずにひっそりとラサに入れたら最高じゃん!やっぱ裏口からしか無いのね。
その時思ったのが闇ルートでのバス移動。普段は出稼ぎ労働者が使用する低所得者向けの交通手段。たしか駅前で(もう駅は無いのだが)そこで柄の悪いおっさん達が闇バスのチケット売ってたっけな
思い立ったら吉日、駅に向かい柄の悪いおっさんに声をかける。値段がかなり高額ではあったが、多少値切り交渉して落札!その夜に指定場所に出向き護送車に乗り込むの。しかしこれが悪夢の始まりです。60時間、距離にして約2000キロ、標高5000メートルの長い地獄を見る羽目になった。身も心も人生私大の苦痛をこれから強いられることになるとは。。。
指定の待ち合わせ場所に行く。暗闇であたりはうす暗く、なにか嫌な予感。ここまで来たら後には引けない。まだ旅は始まったばかりだし。
バスが暗闇から姿を現す。「エッ??」
今朝がたチケットを買った柄の悪いおっさんに魅せられたバスの写真と大違い。前にエンジンがあり、昭和初期のタイプである。「これで2000キロ走行して標高5000メートル行くの??やられたぁ~」
キャンセルしたいがもう遅い。日本円にして5万円ぐらい払ったのに…
「チクショー」思わず声がでてしまう。
怒りがこみ上げるなか、バスに乗り込み更に驚き!「おっ、おれの席が無い!!」
仕方なく暗闇の中目を凝らしやっとの思いで席を見つけ座ると、チベットのおっさんがムクムクとおれの方に来て
「ここはおらの席だ!おめ~みたいな奴は裏に行けっ!」
ゲッゲッ!こんなこと言われる筋合いはねぇ~のに、なんで!?ここは囚人の世界かっ!
更に弱い者は後ろの席へ、かよ。チックショ~
とりあえず一番後ろに座り、バスはゴトゴト進みだした。バスは当然揺れもひどく貨物使用のバスなのでサスペンションも板バネ。当然吐き気を模様しビニール袋にまずはあいさつ程度に数回嘔吐。
チベットの人はあまり風呂にも入らない。のでバスは異様な匂いで充満している。足の匂い、食い物の匂い、パクチーの匂い、屁をこくやつ、煙草を吸うやつと、なんといも言いようのない匂いがさらに吐き気を引き起こす。
※写真は昼間のバスの車内。膝を折り曲げ、臭い布団にくるまり60時間ほとんどトイレ休憩のみでこの状態で過ごした。
つづく
まずは成田空港まで行けるかと言う問題が発生した。
当日の朝は京成スカイライナーは全面運行中止、東関東高速も通行禁止だった。
これじゃどうあがいても成田空港には行けない
やっぱり駄目か?こんな時期にチベットなんて、神様が許してくれるわけないか…
しかし、ウダウダ家にいてもしょうがない
ダメもとで車を走らせて取りあえず成田空港に向かうことを決めた。
向かう道中で東関東高速が通行出来るとの吉報が入っる
「もしかしたら、行けるかも」
カーラジオの音量を上げ被災地の状況や余震が続く中、ハンドルを握る手が汗ばんでいるのが分かった。
そういえば、卒業式の最中に地震が起きてからろくすっぽ寝れてないな
三年間ともに支えあった学友…
その学友との集合写真も無い、謝恩会も無い、お世話になった先生にもきっちりとサヨナラも言えず、逃げるように会場から去ったっけな。
なんちゅ~卒業式
「はぁ~」
ため息だけが残る、心残り。。。
車は予想に反してスルスルと進み、空港に到着。
ここで行けるということは、やっぱ行ってのか!?
地頭自問しながら出発ロビーへ
あぁ~神様、アリが十匹有難う!
しかしここでも問題が
ここで暴露しますが、若干、閉所恐怖症がある俺
これも過去の「ト・ラ・ウ・マ」がありますが、話すのと長くなるのでやめときます
ということは、飛行機は完全密封の世界
どうあがいても厳しい現実、まずはそれに耐えなければなりません
しかし、長年生きているとそれを回避する「知恵」が身に着きます
その方法は…昔ダイハードの映画の主人公であるブルースウイルスがやっていた方法です。
分かる人には分かる?
「日本よ待っててくれ、俺が帰るまでなんとか無事で有りますように…」なんのこっちゃ!?
窓越しから見える九十九里、大洗、たぶん福島沖も眺めて祈る
でも半分は後ろめたい気持ちで日本を去る
約3時間半のフライトの末、22時過ぎ無事に北京に到着
まずはここで資金節約のために野宿
翌朝は一番のフライトで西イン行きの飛行機に乗るためにも
喫茶店みたいな所に陣取り、まずいケーキと中国ビールで乾杯
寒さと物取りの危険な状況に耐えながら一晩過ごす
こんな時期にチベットに来てしまっている僕。
中国人やチベット人の方々にも日本が今大変な状況におかれていることを理解されています。こちらでも連日日本の災害が特番でやってたりして。
僕の心境は1日も早く日本に帰り一緒に苦楽を共にしたい気持ちです。しかし、今回はこんな奥地に来てしまい、そう言うわけには行かないので、祈るだけしかできませんが。
そしてしばらく海にも行けそうにないので、ブログを自粛します。
とにかく、1日も早い復興と被災者の方々に対する援助を祈ってます。
中国人やチベット人の方々にも日本が今大変な状況におかれていることを理解されています。こちらでも連日日本の災害が特番でやってたりして。
僕の心境は1日も早く日本に帰り一緒に苦楽を共にしたい気持ちです。しかし、今回はこんな奥地に来てしまい、そう言うわけには行かないので、祈るだけしかできませんが。
そしてしばらく海にも行けそうにないので、ブログを自粛します。
とにかく、1日も早い復興と被災者の方々に対する援助を祈ってます。