教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

静寂のカオス  実践中・・・・・(新たな光・・・・・ガイア)

2013年11月11日 | 日記

「五蘊」には、自己はなく執着による心の一部の判断であることを知った。その自己は「苦」を自ら招いていることも知った。しかし、「五蘊」が経験で満ち溢れていることにも気付くだろう。私たちはある方向の一部にしか意識を働かせていなかったので、世界にはさまざまな文化があると驚かされるのは当然のことである。

現代では科学が発展しあらゆるものをそれにより説明ができるものとしている。が、依然として科学では完全に証明できない「カオス」も存在する。なぜか・・・・・?

つまり、一方向の中の散らばった「点」だけを追い続けているだけで、同じ実験室で散らばった「点」をある要素につなげようとしているだけで、別のものに似た素因や別のものに似た感覚をいつまでも追い求めているということなのだ。まさしくそれも「執着」に由来する。それらの「点(別のものに似た素因や別のものに似た感覚)」を追い求めることにより別なものを破壊しながら「苦」を招き、破壊の破片を新たな「点」とし「苦」という種をばらまいているのである。

「五蘊」に満ち溢れている経験には、これらを納得させる自身との出合いがある。素直な自分、否定的な自分、破壊的な自分など・・・・・。しかし、そこには単一の方向性ではなく多方面からの視点から眺めることのできる反省的な視点も含まれている。暖かさも冷たさも、貧しさも満足さもあるからこそ、慈悲深くなることができるのであろう。

限られた発見と「苦」しか現れないのは、慈悲のない心(激しい葛藤・視点)ゆえ、今見えるその奇妙な「点」の解決にはなりえない。



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