教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

ガイアの発動

2014年02月03日 | 日記

自由、不自由、平和、争い

そしてそれに対し付属する

「愛(切望・渇望)」により

「取(執着)」は現れる。

 

私たちは、安定を求めるがゆえに

どんな些細なことでも

不満や争い、失望や絶望を

どんな地位や状況においても

予測や過程、結果として

避けられないものだと

強制されている。

 

また、安定を確認できないことから

対象への非難、意地悪、いじめ、など

身体とバラバラになった「心」で

対象と付き合うことで

環境の安定から自己を得ようとする。

 

「取(執着)」に囚われたものは

「取」以外の無意識の体験の時間を継続するようになり

「取(執着)」=「専門(一部分の役割)」

と言う、偏った領域の中で自己世界を確認し

無意識の体験は必要のないものとし

領域内での貢献度だけを求める。

 

自己を環境での最適適合であることを求め

あるいは、自己は環境が創り上げた産物とし

自ら、自己を否定していることに

気付かないまま・・・・・

 

 

 

本当は自由で移ろいやすい「心」は

環境との出会いのたびに変わって行くものだ。

何が良くて、何が悪いと言うものも

環境と自身との「共決定」で

「取(執着)」が導かれる。

環境が、自身が、

という、言い訳には根拠はないのである。

それは、

「愛」の処理のために起きた「心」と

その時代が落とした言語への理解という

一見、基盤に見える根拠なき

世界を創るのである。



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