恥の多い人生を過ごしてきた代表です。
私にはいわゆる普通の生活というものが理解できないのです。
第一回の顔合わせの時、事務所となる物件の扱いについていろんな意見がありました。
親戚所有の一軒家なので、自由に使える環境でした。
集まってくれたメンバーは、民泊をやろうという意見に傾きました。
わたしは、自分の意見をあえて言わずにいましたが、民泊をやろうという意見に違和感を感じていました。
あれから、およそ1年、違和感の正体がみえてきました。
民泊をやれば、お金は入ってくるでしょう。でも、自分が気持ちを届ける会としてやりたかったことは、
誰かのために何かしたい、と思っている人々の想いを一緒に形にして届ける、という想いのもとで活動する。ということでした。
お金は必要ですが、目的がお金ではなかったのです。
〚backing〛というそうですが、後援など、何か始めたい人がいたら、会の定款から外れない限り後押しする活動をしたかったのです。
私が保護司になったのも、更生したい人や再犯をしたくない人をbackingしたかったからでした。
そんな思いで、立ち上げたのが気持ちを届ける会でした。