2025年1月19日
VOLCANOとして、目黒の鹿鳴館の最後のステージに立つ
この、イベントのメンバーも、目黒鹿鳴館としては、最高のメンバーなのである
その中に入れたことをありがたく感謝の気持ちでもある
目黒鹿鳴館の初めてのステージはPARANOIAで東京に来た時だった
記憶では、対バンの中にVirgin Killerがいた。あのベーシストおおぎ様だ!
後に、一緒にバンド活動する事になるとは!
なので、目黒鹿鳴館を思うと、頭の中に浮かんでくるのは、ベースのヘッドを客席に向けるおおぎなのである!
俺は、PARANOIAで正式にライブハウスバンドデビューしている。(高校生の時にもライブハウスには立っているのだが)
大阪心斎橋のBAHAMAだ。
そして、ここの怖い怖い店長に凄く育てられた。ライブとは?演奏のレベルを上げる事は当たり前で、ボーカリストとして何をどうすればカッコ良いのか?ステージング、MC。特にMCは鍛えられた。そしてお客様が増えて行くと自信がつくようになり、そんな時に東京遠征で最初は渋谷ラママだったか。で目黒鹿鳴館か?
大阪の登龍門はバハマで、東京での登龍門は鹿鳴館。その印象で今まできている。自分が19か20歳の時に出ているから、38年39年になるのか
目黒鹿鳴館は1980年スタートらしいので、そんなに変わらない
東京に出てきて、東京の色んなライブハウスでライブパフォーマンスをさせてもらって来た中、目黒鹿鳴館に出ると何故か帰ってきた感でライブをやっていたかな。
勝手にそう思っていた。
最近になって目黒鹿鳴館のステージは地下では無いことを知った。ショッキングであった。
途中で、客席も取り外していた。
昔、客席がある時、ダイブしたら客席の背もたれに頭をぶつけ、死んだな俺って時もあった。
お客様は知らないかもだが、楽屋からステージに上がる階段があるのだが、そこを登りながら「やってやるぞ!」と言う気持ちになるのである。
まだまだ、色んな気持ちにさせてくれる目黒鹿鳴館の移動前最後の目黒鹿鳴館を1月19日に楽しみたいと思う。
その時に、天井や壁や人を観て懐かしむのであろう!みんなと一緒に!