人の頭から越えるな

2020年09月07日 21時12分25秒 | 7 琉球・沖縄の黄金言葉

琉球黄金言葉(るーちゅーくがにくとぅば)・ことわざ・格言・名言など。。

 


『千人ぬ 股からぁ 潜てぃん、一人ぬ 頭からぁ 越ぃゆる ものぉ あらん』

読み
『しんにんぬ またからー ふきてぃん、ちゅいぬ ちぶるからー くぃーゆる むのー あらん』

意味
千人の股を潜っても、一人の頭からは越えるものではない。

多くの人から馬鹿にされても、決して人を馬鹿にしてはいけないという意味で、 人から馬鹿にされると悔しい、しかし、だからと言って自分も人を馬鹿にし粗末に扱ってはいけない。自分の未熟さを棚に上げて人を笑うよう人になってはいけない。という教えです。

謙虚は美徳とされていました。最近はそれを忘れて傲慢な態度をとる人や、また自己主張をしない人イコール謙虚というような混同、誤解。さらに自己卑下することが謙虚であるみたいなところもあります。それは違うと私は思います。
 
相手を敬って、偉そうな態度、失礼な態度をしない、言葉遣いも丁寧に、相手の話をよく聞き、すべてにおいて勉強と思い受け入れる・・・人間は生きていると、この人のようにだけはなりたくない、と思う人に出会ったり、侮辱されたり、理不尽なことをされたりして悔しい時もあります。

自分がバカにされ理不尽なことされたから、他の人にも返してやろうとかと思うのではなく、反面教師と捉えれば良い、それが本来の謙虚ということだと私は思います。

例え千人から馬鹿にされたとしても、自分は一人たりといえども他人を絶対に馬鹿にしてはいけない、実践は非常に難しいことと思います。しかし人間そのように有りたいですね。

 


命どぅ宝

2020年08月15日 11時55分19秒 | 7 琉球・沖縄の黄金言葉

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命どぅ宝

琉歌
「戦世や済まち 弥勒世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」 

読み
「いくさゆやしまち みるくゆややがて なじくなよしんか ぬちどぅたから」

意味
戦いの時代は終わった。 弥勒(平和)の時代がやがて来る。 嘆くなよおまえたち、命こそ宝なのだから。

命どぅ宝とは、命こそ宝物であり、この世で最も尊いものという意味。

古人が詠んだ琉歌ですが、作者は不明です。

琉球の哲人政治家蔡温の言葉に 
『何ものにも勝って命こそが大切である。他のすべてのものは失っても取り戻すことができるが、命だけは取り戻すことができない。何よりも命を大切にすべきである』と、どんな宝よりもすぐれているのものが命だと、説いています。

「鉄の暴風雨」と呼ばれた沖縄戦。
昼夜の別なく無数の爆弾、艦砲弾が容赦なく降り注ぎ大地を砕き丘を崩していった。草も木も火炎放射に焼き尽くされ、洞窟(がま)にこもれる住民、兵士、母を幼子を乙女らを焼き、ついに沖縄住民、敵味方の軍人合わせて二十万人以上の尊き命が奪われました。

『命どぅ宝』は そうした、多大な犠牲をはらった沖縄の人々の、肝心(ちむぐくる)からの叫びなのです。

 

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肝苦り

2010年05月15日 13時16分25秒 | 7 琉球・沖縄の黄金言葉
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肝苦りさ
 
沖縄には、『肝苦りさ(ちむぐりさ)』という言葉があります。
 
“かわいそう”とか“同情”とかいう風に訳されているのをよく聞いたりしますが、そうではありません。
『肝苦りさ』には“かわいそう”って言う見下ろしたような言葉でもなく、“気の毒”っていう他人事な言葉でも、“同情”や“心苦しい”って言う、ある意味いい気な、微温的なものでもありません。
 
では、『肝苦りさ』とは何か?
 
『肝苦りさ』を説明する前に、沖縄の人がよく使う、『肝心(ちむぐくる)』を少し説明します。
日本語でも肝心(かんじん)とか、肝要とか使われているように、人体にとって欠くことのできない内臓に例えて、最も重要なことをいいあらわします。
 
沖縄の『肝心(ちむぐくる)』とは、 
『心』は嬉しいとか、悲しいとかの喜怒哀楽、好嫌いや。快・不快、同情など・・・移ろいやすく、変容しやすいものです。
『肝』は誰にでもあり、肉体そのものであり、普遍のものに譬えます。
 
では、『肝苦りさ』はというと、
他者の痛み、苦しみは、自分の内蔵がかき回されているような激痛であり、苦しみを感じるというのです。
人の苦しみや悲しみは、けっして他人事ではなく、その痛み苦しみが我が事として感じる、という激しい表現なのです。人の痛みを自分のものとして胸を痛めること。
口先だけの「かわいそう」とは、全く異なる沖縄の言葉なのです。
 
人がつらい目にあっているときに、うわべだけで「かわいそう」といっても意味はない、あなたが苦しんでいると、私も本当に苦しい・・・と、ですから、“心苦しい”との表現ではなく、“肝苦しい”なのです。そうしたのが沖縄のちむぐくるなのです。
 
本土にない言葉が、なぜ沖縄にはあるのか? 
ある本土作家の先生が、
『遠い昔から異民族支配下におかれてきた沖縄の人たちが、気の遠くなるようなかなしみの果てに身につけてきたものが「肝苦りさ」の思想なのではないか、』と。思惟した結果を述べています。。
 
 
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