11.20から2泊3日で奈良へツーリングに行ってきました。
休日出勤の振替を利用した平日ツーリングです。
直前まで初日は雨予報でしたが、前日に大雨が降ったもののなんとか止んでくれました。
止まなかったら高速バスでしたよ。
東京から奈良まで休憩を入れて8時間と踏んでいたので、4時に出ればお昼から見学ができるなと考えていました。
ただ、前日の仕事が思いのほか早く終わったので、速攻寝て、0時に出発することにしました。
(結果的にこのおかげでゆっくり見学することができました。)
東名川崎から東名→伊勢湾岸道→東名阪→名阪国道→奈良という行程です。
日曜の夜とあってさすがに道は空いていました。
快適、快適
ところが、浜名湖あたりで眠くなってしまい、パーキングの外のベンチで1時間ほど仮眠をとりました。
美合パーキングで朝マックをし、天理に着いたのが9時です。
まぁ、多少休憩したとしても7時間半で来れる距離かな。
最初は、纏向遺跡の見学です。
ここにある箸墓古墳は、卑弥呼が眠っている(可能性が高い)と言われている古墳です。
卑弥呼の古墳は、畿内説と九州説があり、それぞれの場所でそれぞれが主張を繰り広げています。
理系出身なんでよくわからないんですが、防護柵などの装備を考えると九州、全国から集まってくる土器や炭素による年代測定、古墳の規模だと畿内説がそれぞれ有力になるそうです。
箸墓古墳

なんでも宮内庁管轄で発掘調査ができないから、真相は神のみぞ知るといったところでしょうか。
この古墳は、この地域ではその規模は別格です。
上空から見るとこんな感じだそうです。

この纏向遺跡には、こんな感じで、平野の中に突然ボコッと山のような古墳があります。

平野に“ボコ”だから不自然な感じがするのですが、その不自然さが逆にロマンを感じさせます。
この後、桜井市の埋蔵文化財センターに立ち寄り、資料を購入してから明日香村へ向かいました。
石舞台古墳

中から見ると

簡単に中に入れたので、ご遺体がどこにあるのか不思議に思い、ボランティアガイドの方に聞いてみました。
「ご遺体は?」
「鎌倉時代(だったかなぁ)に、盗賊がみんな持っていってしまったんだよ。古墳には玉みたいな高価なものがいっぱいあるから」
「なんで蘇我馬子と断定できないんですか?」
「さっき言ったように、盗賊が持っていってしまったからわからないんだよ。規模からすると蘇我氏か天皇家が考えられるんだけど、石舞台のまわりの飛鳥の地には天皇家の古墳がないんだよ。そうすると残されたのは蘇我家ということになるんだよ。」
石舞台のあるごく狭い地域が飛鳥と言われていますが、明日香村はもう少し広い範囲を言います。

ここは石舞台と道路を挟んだ向かい側に無料の駐輪場があり、係の方が案内してくれます。
伝飛鳥板蓋宮跡


中大兄皇子、中臣鎌足が蘇我入鹿を滅ぼした場所だそうです。
入鹿の祖父馬子と聖徳太子は、協力して冠位十二階を定めたり、十七条憲法を制定したりしたのですが、入鹿の代になると入鹿は聖徳太子の子どもを殺したりしてやりたい放題やっていたので、これはいかんということになり、先の二人が入鹿を殺してしまったそうです。
蘇我入鹿の首塚

歴史の中では悪者のイメージがありますが、仏教の普及した功績は大だそうです。
仏教が538年(552年という説もある)に伝わったとき、日本は神が信じられていたそうです。
そこに仏教の教えが入ってきたものだから、そうとう混乱したそうです。
ボランティアの方の話を私なりにまとめると
天皇「大陸から仏教が入ってきたけれど、日本は神を信じているでしょ。どうする?」
蘇我氏以外の豪族「いやぁ、止めときましょうよ。神様がいるしねぇ。」
蘇我氏以外の豪族「そうですとも。止めときましょうよ。」
天皇「でもなぁ。大陸から来たものを粗末にするわけにはいかないでしょ。今後の付き合いもあるし…」
蘇我氏「ったく、しょうがないなぁ。俺がなんとかするよ。」
こんな感じの会話が繰り広げられていたかどうかは定かではありませんが…。
その蘇我馬子が建立した日本で初めて建てられたお寺、飛鳥寺。

この中に日本最古の仏像があります。
伝飛鳥板蓋宮跡はすぐそばの解説板の下に、飛鳥寺は駐輪場に、どちらも無料でバイクをとめられます。
ただ飛鳥寺の駐輪場は砂利なので、倒れないように場所を選ぶ必要があります。
天武天皇持統天皇稜

高松塚古墳

本物の壁画は見ることはできませんでしたが、忠実に再現した壁画を見ることができました。
この後、藤原京を見学し、奈良市内のホテルに向かいました。
藤原京は持統天皇が作った都ですが、たった16年間だけの都で、その後都は奈良の平城京に移されました。
今なら事業仕分けの対象になりそうですね。
東横イン新大宮は、近鉄新大宮駅の駅前にあります。
バイクは玄関の前にとめておきます。
夜は近鉄で大阪に向かい、串カツを食べてきました。
じゃんじゃん横丁

串カツ

ドテ焼(もつ煮を串に刺した感じ)

今回食べた大西屋

ここは2007年にも食べに来たところです。
駅から近いし、味もまずまず。
行列ができる店ではありませんが、なかなかおいしかったです。
キャベツの食べ方、ソースの二度付け禁止、ドテ焼、色々と教えてくれました。


明日は斑鳩へ行ってみよう。
休日出勤の振替を利用した平日ツーリングです。
直前まで初日は雨予報でしたが、前日に大雨が降ったもののなんとか止んでくれました。
止まなかったら高速バスでしたよ。
東京から奈良まで休憩を入れて8時間と踏んでいたので、4時に出ればお昼から見学ができるなと考えていました。
ただ、前日の仕事が思いのほか早く終わったので、速攻寝て、0時に出発することにしました。
(結果的にこのおかげでゆっくり見学することができました。)
東名川崎から東名→伊勢湾岸道→東名阪→名阪国道→奈良という行程です。
日曜の夜とあってさすがに道は空いていました。
快適、快適
ところが、浜名湖あたりで眠くなってしまい、パーキングの外のベンチで1時間ほど仮眠をとりました。
美合パーキングで朝マックをし、天理に着いたのが9時です。
まぁ、多少休憩したとしても7時間半で来れる距離かな。
最初は、纏向遺跡の見学です。
ここにある箸墓古墳は、卑弥呼が眠っている(可能性が高い)と言われている古墳です。
卑弥呼の古墳は、畿内説と九州説があり、それぞれの場所でそれぞれが主張を繰り広げています。
理系出身なんでよくわからないんですが、防護柵などの装備を考えると九州、全国から集まってくる土器や炭素による年代測定、古墳の規模だと畿内説がそれぞれ有力になるそうです。
箸墓古墳

なんでも宮内庁管轄で発掘調査ができないから、真相は神のみぞ知るといったところでしょうか。
この古墳は、この地域ではその規模は別格です。
上空から見るとこんな感じだそうです。

この纏向遺跡には、こんな感じで、平野の中に突然ボコッと山のような古墳があります。

平野に“ボコ”だから不自然な感じがするのですが、その不自然さが逆にロマンを感じさせます。
この後、桜井市の埋蔵文化財センターに立ち寄り、資料を購入してから明日香村へ向かいました。
石舞台古墳

中から見ると

簡単に中に入れたので、ご遺体がどこにあるのか不思議に思い、ボランティアガイドの方に聞いてみました。
「ご遺体は?」
「鎌倉時代(だったかなぁ)に、盗賊がみんな持っていってしまったんだよ。古墳には玉みたいな高価なものがいっぱいあるから」
「なんで蘇我馬子と断定できないんですか?」
「さっき言ったように、盗賊が持っていってしまったからわからないんだよ。規模からすると蘇我氏か天皇家が考えられるんだけど、石舞台のまわりの飛鳥の地には天皇家の古墳がないんだよ。そうすると残されたのは蘇我家ということになるんだよ。」
石舞台のあるごく狭い地域が飛鳥と言われていますが、明日香村はもう少し広い範囲を言います。

ここは石舞台と道路を挟んだ向かい側に無料の駐輪場があり、係の方が案内してくれます。
伝飛鳥板蓋宮跡


中大兄皇子、中臣鎌足が蘇我入鹿を滅ぼした場所だそうです。
入鹿の祖父馬子と聖徳太子は、協力して冠位十二階を定めたり、十七条憲法を制定したりしたのですが、入鹿の代になると入鹿は聖徳太子の子どもを殺したりしてやりたい放題やっていたので、これはいかんということになり、先の二人が入鹿を殺してしまったそうです。
蘇我入鹿の首塚

歴史の中では悪者のイメージがありますが、仏教の普及した功績は大だそうです。
仏教が538年(552年という説もある)に伝わったとき、日本は神が信じられていたそうです。
そこに仏教の教えが入ってきたものだから、そうとう混乱したそうです。
ボランティアの方の話を私なりにまとめると
天皇「大陸から仏教が入ってきたけれど、日本は神を信じているでしょ。どうする?」
蘇我氏以外の豪族「いやぁ、止めときましょうよ。神様がいるしねぇ。」
蘇我氏以外の豪族「そうですとも。止めときましょうよ。」
天皇「でもなぁ。大陸から来たものを粗末にするわけにはいかないでしょ。今後の付き合いもあるし…」
蘇我氏「ったく、しょうがないなぁ。俺がなんとかするよ。」
こんな感じの会話が繰り広げられていたかどうかは定かではありませんが…。
その蘇我馬子が建立した日本で初めて建てられたお寺、飛鳥寺。

この中に日本最古の仏像があります。
伝飛鳥板蓋宮跡はすぐそばの解説板の下に、飛鳥寺は駐輪場に、どちらも無料でバイクをとめられます。
ただ飛鳥寺の駐輪場は砂利なので、倒れないように場所を選ぶ必要があります。
天武天皇持統天皇稜

高松塚古墳

本物の壁画は見ることはできませんでしたが、忠実に再現した壁画を見ることができました。
この後、藤原京を見学し、奈良市内のホテルに向かいました。
藤原京は持統天皇が作った都ですが、たった16年間だけの都で、その後都は奈良の平城京に移されました。
今なら事業仕分けの対象になりそうですね。
東横イン新大宮は、近鉄新大宮駅の駅前にあります。
バイクは玄関の前にとめておきます。
夜は近鉄で大阪に向かい、串カツを食べてきました。
じゃんじゃん横丁

串カツ

ドテ焼(もつ煮を串に刺した感じ)

今回食べた大西屋

ここは2007年にも食べに来たところです。
駅から近いし、味もまずまず。
行列ができる店ではありませんが、なかなかおいしかったです。
キャベツの食べ方、ソースの二度付け禁止、ドテ焼、色々と教えてくれました。


明日は斑鳩へ行ってみよう。