あれってそれって何処の大学だったっけ ~ 箱根駅伝 過去最多優勝校
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往路は駒澤大学が優勝しました。。 青学の巻き返しなるか、、今日の復路で総合優勝が決定しますね。
箱根駅伝は出れること自体が最近は難しいようですが、、
出場資格と、歴代大会の概要、優勝校などをまとめてみました。 来年は100回記念大会になるとのこと。 従来のアメリカ横断レース、選抜が第一義であったなら一度くらいは実現してみても良いような気もしますが、、
-- 箱根駅伝 ฮาโกเนะ เอกิเด็น /Ḥā ko nea xeki dĕn ※G先生作
ーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーー M:【東京箱根間往復大学駅伝競走(通称;箱根駅伝) とは 】
★1920年より毎年1月2日と翌3日の2日間にわたり行われる関東地方の大学駅伝の競技会(地方大会)である。 関東学生陸上競技連盟(以下「関東学連」という。)が主催し読売新聞社が共催する。 一般には箱根駅伝(はこねえきでん)と呼ばれ、その実施については関東学連が定める「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」(以下「内規」という。)に定められている。
現在開催されている駅伝の中で★4番目に長い距離を持ち、★1987年からテレビ中継を開始した。
★出場校は20校で、これとは別に出場校以外の競技者による関東学生連合チーム(オープン参加)が参加する(★2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)。 2019年の第95回の記念大会では「関東インカレ」成績枠が設けられたが、同回のみで廃止された。
コースは国道1号線、東京都千代田区大手町・読売新聞東京本社ビル前から、鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖までの往復で、★往路107.5 km、復路109.6 km、計217.1 km。 1月2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走る。主に通過する路線名称は日比谷通り、国道15号、国道1号、国道134号などである。
第1回大会は、★アメリカ大陸の継走での横断を実施するための予選会という位置付けで、1920年2月14日に行われた。 これは、1912年のストックホルムオリンピックに出場した日本人五輪選手第1号の★金栗四三が、「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること」と発案したことがきっかけである。 別の説として、駅伝の由来である宿駅伝馬制の飛脚をもとに、手紙に見立てた襷を、東京から東海道の宿駅があった鶴見(川崎宿)、戸塚(戸塚宿)、平塚(平塚宿)、小田原(小田原宿)で引継ぎ、箱根町郵便局(箱根関所)まで、どの大学が一番早く届けるかというイベントとして開催されたという説もある。★第1回から第12回のゴール地点は箱根関所跡であり、第22回(箱根神社)を除く第★13回から第44回までは箱根町郵便局がゴール地点であった。 第二次世界大戦中の1941年から一時中断されたが、1943年に一度だけ戦時下で開催された(靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会)。 その後、再び中止となり、戦後の1947年に復活。第32回(1956年)から現在の1月2・3日の開催となった(内規第1条)。
箱根駅伝は、関東地方では従前から人気があったが、1987年に日本テレビが全国放送で全区間の生中継(電波を途切れさせない完全中継実施は1989年から)を開始して以降、正月の風物詩(国民的スポーツ大会)として関東地方以外でも知名度・注目度が格段に向上した(詳細は#中継番組を参照)。 また、箱根駅伝出場者からオリンピックや世界陸上などに出場を果たした選手も少なくない。
箱根駅伝は、関東学連が主催する地方大会であり、★10位以内に入ると、同じ年の全国大会で駅伝シーズンの開幕を告げる出雲全日本大学選抜駅伝競走(同年スポーツの日開催。以下「出雲駅伝」という)に関東代表として出場できる。 一般に、出雲駅伝、全日本大学駅伝、そして本大会を併せて「★大学三大駅伝」と呼ばれており、同じ年度の全大会に優勝すると「三冠」と称され、大東文化大学(1990年度)、順天堂大学(2000年度)、早稲田大学(2010年度)、青山学院大学(2016年度)の★4校が達成している。 ただし、箱根駅伝は全国大会ではないため、関東学連加盟校以外の大学は三冠を達成することはない。 また大東文化大学は復路優勝を、順天堂大学と早稲田大学は往路優勝を逃しており、箱根駅伝を完全優勝しての三冠を達成した大学は2016年度の青山学院大学が史上初である。
出場チームと出場選手
関東学連加盟校のうち、❶前年大会でシード権(後述)を獲得した大学10校と❷予選会を通過した大学10校の計20校と、このほかに❸関東学生連合チームを加えた21チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)。 また、第95回(2019年)記念大会では、関東インカレ5年間の総合得点の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が設けられるとともに予選会からの出場校が11校となり、計23チームが出場した。
競技者の参加資格
現行
競技者は次の参加資格を満たしている必要がある。
- 競技者の所属校が関東学連加盟校で競技者は★当該年度の登録を完了していること(内規第4条)。
- 所属する加盟校が関東学連から★処分を受けていないこと(内規第5条)。
- 本人が関東学連の★資格審査委員会によって処分を受けていないこと(内規第6条)。
- 出場★申込回数が4回(予選会のみ出場の場合も回数に含む)を越えないこと(内規第7条)。
なお、第68回(1992年)までは28歳以下という年齢制限があったが、第69回(1993年)から撤廃されている。
🔴歴代大会及び優勝校など
注:出場校数には学連選抜チームは含まない。
西暦 和暦 回次 総合優勝校 ➊~優勝回数 /往路 復路 出場校数 初出場校 /概要
-------------------------------------------------------------------------------------------1920年 大正9年 第1回 東京高等師範学校 初優勝 /2月14日 2月15日 4 慶應義塾大学 東京高等師範学校(現:筑波大学)明治大学 早稲田大学 4校が出場。
/呼びかけられた多くの大学・旧制専門学校・師範学校は選手を10人そろえられず、参加を断念。 午前中は授業を行い午後にスタートしたため、ゴールしたときには夜になっていた。
1921年 大正10年 第2回 明治大学 初優勝 /1月8日 1月9日 7 中央大学 東京農業大学 法政大学
1922年 大正11年 第3回 早稲田大学 初優勝 /1月7日 1月8日 10 東大農学部実科(現:東京農工大学) 日本大学 日本歯科大学
1923年 大正12年 第4回 早稲田大学➋ 2年連続2度目 /1月6日 1月7日 9 - /この回から夜間部在籍選手の出場が禁止される(人力車夫などが学籍を置いて出場するケースがあったため)。
1924年 大正13年 第5回 明治大学➋ 3年ぶり2度目 /1月12日 1月13日 9
1925年 大正14年 第6回 明治大学➌ 2年連続3度目 /1月6日 1月7日 10 /大会後、日本大学が3区の走者としてエントリー選手ではない選手を出したことが発覚、順位成績取消は免れたものの、翌年の大会参加を辞退。
1926年 大正15年 第7回 中央大学 初優勝 /1月9日 1月10日 7
1927年 昭和2年 第8回 早稲田大学➌ 4年ぶり3度目 /4月9日 4月10日 5 /大正天皇崩御の影響により4月開催。そのため参加校は5校のみとなった。早稲田大学が初の完全制覇(総合、往路、復路の全部門で優勝)。
1928年 昭和3年 第9回 明治大学➍ 3年ぶり4度目 /1月7日 1月8日 10 /明治大学が初めて13時間台の総合成績を記録。関西大学を特別招待。
1929年 昭和4年 第10回 明治大学➎ 2年連続5度目 /1月5日 1月6日 9
1930年 昭和5年 第11回 早稲田大学➍ 3年ぶり4度目 /1月4日 1月5日 9 /9区で日本大学が正規選手の走行不能により初の補欠による再走。
1931年 昭和6年 第12回 早稲田大学➎ 2年連続5度目 /1月10日 1月11日 10 /関西大学を特別招待。1区で東京文理科大学、4区で明治大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。
1932年 昭和7年 第13回 慶應義塾大学 初優勝 /1月9日 1月10日 9 /関西大学を特別招待。
1933年 昭和8年 第14回 早稲田大学➏ 2年ぶり6度目 /1月7日 1月8日 11 拓殖大学 東洋大学 /早稲田大学が初めて12時間台の総合成績を記録。
1934年 昭和9年 第15回 早稲田大学➐ 2年連続7度目 /1月6日 1月7日 13 専修大学 立教大学
1935年 昭和10年 第16回 日本大学 初優勝 /1月5日 1月6日 13 - /日本大学が完全優勝。
1936年 昭和11年 第17回 日本大学➋ 2年連続2度目 /1月4日 1月5日 14 横浜専門学校(現:神奈川大学) /日本大学が2年連続完全優勝。
1937年 昭和12年 第18回 日本大学➌ 3年連続3度目 /1月9日 1月10日 14 - /日本大学が完全優勝で3連覇を達成し、当時の大会規約により★優勝旗が授与された。 その後大戦による混乱で紛失し、竿だけが大学内に保管されている。
1938年 昭和13年 第19回 日本大学➍ 4年連続4度目 /1月8日 1月9日 12 /★戦前唯一の4連覇。 2着の明治大学が6区の走者の資格疑義(夜間部に在籍する学生で二重登録に該当)により失格、以下順位が繰り上がる。
1939年 昭和14年 第20回 専修大学 初優勝 /1月7日 1月8日 10
1940年 昭和15年 第21回 日本大学➎ 2年ぶり5度目 /1月6日 1月7日 10
1941年 昭和16年 - 🔴 /第二次世界大戦の激化により東海道・箱根路の使用が禁止され大会中止。代替駅伝として明治神宮水泳場前-青梅熊野神社間往復駅伝を1月と11月に実施
(歴代大会には含めない)。 1942年 昭和17年 戦時命令により日本学連が解体する。 🔴
1943年 昭和18年 第22回 日本大学➏ 2期連続6度目 /1月5日 1月6日 11 青山学院(現:青山学院大学) /戦時中により従来の東京-箱根間大学駅伝に代わり★靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会を第22回大会として実施。
1944年 昭和19年 - - 戦況激化・終戦後の混乱により再び中断。🔴
1945年 昭和20年🔴
1946年 昭和21年🔴
1947年 昭和22年 第23回 明治大学➏ 18年ぶり6度目 /1月4日 1月5日 10 神奈川師範学校(現:横浜国立大学) /駅伝大会を復活。初めての予選会(第1回関東大学高専10マイル)を前年12月に実施。★読売新聞社が共催に入るが、「学生の大会を私企業が催すことは好ましくない」とGHQからの指導があり、後援となる。
1948年 昭和23年 第24回 中央大学➋ 22年ぶり2度目 /1月6日 1月7日 12 - /この年の大会からスタート・ゴールを★当時の銀座の読売新聞社前(現在のプランタン銀座)とする。
1949年 昭和24年 第25回 明治大学➐ 2年ぶり7度目 /1月5日 1月6日 12 日本体育専門学校(現:日本体育大学) /神奈川師範学校(現:横浜国立大学)が大会史上初の途中棄権〈3区〉。報知新聞社が後援につく。
1950年 昭和25年 第26回 中央大学➌ 2年ぶり3度目 /1月5日 1月6日 14 - /前年4月に新制大学が発足し、参加チームも再編の影響をうけ新しい校名で参加(神奈川師範学校→横浜国立大学、文理科大学・東京体育専門学校→東京教育大学、日本体育専門学校→日本体育大学、横浜専門学校→神奈川大学)。早稲田大学篠田正浩が出場。
1951年 昭和26年 第27回 中央大学➍ 2年連続4度目 /1月5日 1月6日 11 /駅伝有害論の影響により慶應義塾大学が大会参加を取りやめを決定(不参加に因る選手数の影響もあり、慶應義塾大学は以後約10年間出場せず)。東京農業大学が復路で失格。
1952年 昭和27年 第28回 早稲田大学➑ 18年ぶり8度目 /1月6日 1月7日 14 成蹊大学
1953年 昭和28年 第29回 中央大学➎ 2年ぶり5度目 /1月4日 1月5日 14 - /NHKラジオによる全国放送を開始。
1954年 昭和29年 第30回 早稲田大学➒ 2年ぶり9度目 /1月6日 1月7日 15 横浜市立大学 /3区で日本体育大学、8区で法政大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。
1955年 昭和30年 第31回 中央大学➏ 2年ぶり6度目 /1月2日 1月3日 15 - /交通事情を考慮し大会日程を1月2日及び3日に変更。
1956年 昭和31年 第32回 中央大学➐ 2年連続7度目 /15 東京学芸大学 /前年11月の予選会で初めて下位成績の4校が予選会落選。予選上位15校が本大会に出場。
1957年 昭和32年 第33回 日本大学➐ 14年ぶり7度目 /15 国士舘大学 /第33回大会から★シード権制度を初めて適用。前回大会の上位10校を予選会を免除して参加可能とする。順天堂大学が本大会でチーム編成が不能となったため、神奈川大学が繰り上がりで出場。
1958年 昭和33年 第34回 日本大学➑ 2年連続8度目 /15 順天堂大学 横浜市立大学が途中棄権〈9区〉。
1959年 昭和34年 第35回 中央大学➑ 3年ぶり8度目 /16 埼玉大学 /予選会5位が神奈川大学、6位が埼玉大学であったが後に計算ミスが発覚し
順位が入れ替わる事態となった為、特例で両校の出場が認められる。この大会のみ16校が出場。
1960年 昭和35年 第36回 中央大学➒ 2年連続9度目 /15 - /中央大学が初めて11時間台の総合成績を記録。
1961年 昭和36年 第37回 中央大学➓ 3年連続10度目 /15 防衛大学校
1962年 昭和37年 第38回 中央大学⓫ 4年連続11度目 /15-
1963年 昭和38年 第39回 中央大学⓬ 5年連続12度目 /15 /中央大学が初の5連覇達成。
1964年 昭和39年 第40回 中央大学⓭ 6年連続13度目 /17 /最終10区で追う中大若松軍蔵が日大高野俊雄を青物横丁で遂に捉え、中央大学が初の6連覇達成。第40回を記念して立命館大学と福岡大学を招待(オープン参加)し全17校にて実施。福岡大学の重松森雄が2区区間賞相当(参考記録)の走りを見せた。
1965年 昭和40年 第41回 日本大学➒ 7年ぶり9度目 /15
1966年 昭和41年 第42回 順天堂大学 初優勝 /15 /復路スタートを全校一斉スタートに変更。予選会会場を千葉市の検見川ロードレースコースに変更。
1967年 昭和42年 第43回 日本大学➓ 2年ぶり10度目 /15 亜細亜大学 駒澤大学
1968年 昭和43年 第44回 日本大学⓫ 2年連続11度目 /15 大東文化大学
1969年 昭和44年 第45回 日本体育大学 初優勝 /15 - /日本体育大学が初優勝。
1970年 昭和45年 第46回 日本体育大学➋ 2年連続2度目 /15
1971年 昭和46年 第47回 日本体育大学➌ 3年連続3度目 /15 /シード権枠を9校に変更。
1972年 昭和47年 第48回 日本体育大学➍ 4年連続4度目 /15 /予選会会場を八王子市内の富士森競技場付属コースに変更。
1973年 昭和48年 第49回 日本体育大学➎ 5年連続5度目 /15 東海大学 /日本体育大学が5連覇を達成。★自衛隊車両が大会関係車両として登場。
1974年 昭和49年 第50回 日本大学⓬ 6年ぶり12度目 /20 - /第50回を記念して★全20校で実施。過去の全優勝校を参加させるためにシード9校以外で過去に優勝した5校を招待参加とし、残り枠6を予選通過校とした。
1975年 昭和50年 第51回 大東文化大学 初優勝 /15
1976年 昭和51年 第52回 大東文化大学➋ 2年連続2度目 /15 /復路スタートで上位数チームを時差スタートに変更。青山学院大学が途中棄権〈10区、ゴール前150m地点での棄権〉。
1977年 昭和52年 第53回 日本体育大学➏ 4年ぶり6度目 /15 /1区から一度も首位を譲らず完全優勝。
1978年 昭和53年 第54回 日本体育大学➐ 2年連続7度目 /15 /予選会会場を大井埠頭周回コースに変更。
1979年 昭和54年 第55回 順天堂大学➋ 13年ぶり2度目 /15 /★テレビ東京が初めてテレビ中継を行う(ダイジェスト版で、最後のゴールのみ生放送)。
1980年 昭和55年 第56回 日本体育大学➑ 2年ぶり8度目 /15 /★2区のみNHKテレビが中継する。中央大学が7区と8区の走者の区間エントリーミスにより、7・8区の区間記録、復路及び総合の順位、記録が無効となる。
1981年 昭和56年 第57回 順天堂大学➌ 2年ぶり3度目 /15
1982年 昭和57年 第58回 順天堂大学➍ 2年連続4度目 /15
1983年 昭和58年 第59回 日本体育大学➒ 3年ぶり9度目 /15
1984年 昭和59年 第60回 早稲田大学➓ 30年ぶり10度目 /20 東京大学 第60回を記念して★全20校で実施。本大会では過去の優勝校を無条件で参加させるのではなく、★制限タイムつきでの予選会突破を義務付けたが、対象3校(中央・慶應・明治)はいずれも予選会を突破。
1985年 昭和60年 第61回 早稲田大学⓫ 2年連続11度目 /15 -
1986年 昭和61年 第62回 順天堂大学➎ 4年ぶり5度目 /15
1987年 昭和62年 第63回 順天堂大学➏ 2年連続6度目 /15 山梨学院大学 /★日本テレビによる生中継放送が開始。最終10区で順天堂大学の工藤康弘が、突然飛び出してきた男性との接触により転倒。
1988年 昭和63年 第64回 順天堂大学➐ 3年連続7度目 /15 -
1989年 昭和64年 第65回 順天堂大学➑ 4年連続8度目 /15 /★留学生選手が初めて登場。
1990年 平成2年 第66回 大東文化大学➌ 14年ぶり3度目 /15 /伴走車(監督車)が交通事情により廃止。
1991年 平成3年 第67回 大東文化大学➍ 2年連続4度目 /15 /大東文化大学が、出雲駅伝、全日本大学駅伝と合わせて史上初の★大学駅伝三冠達成。
1992年 平成4年 第68回 山梨学院大学 初優勝 /15
1993年 平成5年 第69回 早稲田大学⓬ 8年ぶり12度目 /15
1994年 平成6年 第70回 山梨学院大学➋ 2年ぶり2度目 /20 関東学院大学 /中央学院大学 山梨学院大学が初めて総合成績10時間台を記録。第70回を記念して例年より★5校多い11校を予選通過とし20校にて実施。特例として慶應義塾大学、筑波大学が出場。
1995年 平成7年 第71回 山梨学院大学➌ 2年連続3度目 /15 - /順天堂大学が途中棄権(10区)。
1996年 平成8年 第72回 中央大学⓮ 32年ぶり14度目 /15 /史上初の2校(神奈川大学〈4区〉、山梨学院大学〈4区〉)途中棄権。
1997年 平成9年 第73回 神奈川大学 初優勝 /15 /前年途中棄権からの優勝、予選会突破からの優勝は初めて。監督会議にて給水の必要性が議論され、★以後14キロ過ぎに給水ポイントを設置することが決まる。
1998年 平成10年 第74回 神奈川大学➋ 2年連続2度目 /15 帝京大学
1999年 平成11年 第75回 順天堂大学➒ 10年ぶり9度目 - /15 /10区のコースを日本橋経由に変更。
2000年 平成12年 第76回 駒澤大学 初優勝 /15 /5区と6区のコースが一部変更。元の東海道を通るコースになる。
2001年 平成13年 第77回 順天堂大学➓ 2年ぶり10度目 /15 國學院大學 平成国際大学 /順天堂大学が史上★2校目の大学駅伝三冠達成。東海大学が途中棄権〈2区〉。予選会会場を国営昭和記念公園に変更。
2002年 平成14年 第78回 駒澤大学➋ 2年ぶり2度目 /15 - /法政大学が途中棄権(2区。スタートから最短地点(2014年現在)での途中棄権)。
2003年 平成15年 第79回 駒澤大学➌ 2年連続3度目 /19 /前年度成績上位校によるシード枠を10校、予選会からの出場枠を9校に増加、さらにオープン参加として関東学連選抜チームを加えて20チームとする。
エントリー人数が16人に拡大。運営管理車の導入など大幅な変更。
2004年 平成16年 第80回 駒澤大学➍ 3年連続4度目 /19 城西大学 /第80回を記念して同年のみ関東学連選抜に代わり、日本学連選抜がオープン参加した。この大会から、最も優秀な記録を出した選手に最優秀選手賞として、金栗四三杯が授与される。この大会で陸上自衛隊第1師団からの車両・要員支援が終了。★読売新聞社が共催に復帰。箱根町の要望により第80回を記念し、予選会をこの回限定として芦ノ湖畔コースで実施。年末にかけてシンポジウムやトークショーなどの記念行事が行われた。
2005年 平成17年 第81回 駒澤大学➎ 4年連続5度目 /19- /距離を再計測し、全区間の距離表示を変更(ルート自体は変更せず)。
表彰式を東京ドームホテルで公開して開催。箱根駅伝ミュージアムが往路ゴール脇に完成。予選会での外国人枠は2人までに限定(実際に走るのは1人のみ)。
駒澤大学が平成初の4連覇を達成。予選会のコースが陸上自衛隊立川駐屯地→立川市街地→国営昭和記念公園のルートに変更された。
2006年 平成18年 第82回 亜細亜大学 初優勝 /19 /中距離及びマラソンランナーの育成を目的として往路の小田原中継所を東京寄りの位置に変更。4区が20kmを切る最短区間(18.5 km)、5区が2区や9区を上回る最長区間(23.4 km)になる。
2007年 平成19年 第83回 順天堂大学⓫ 6年ぶり11度目 /19 /関東学連選抜が正式参加となる。
2008年 平成20年 第84回 駒澤大学➏ 3年ぶり6度目 /19 /史上初の3校(順天堂大学〈5区〉、大東文化大学〈9区〉、東海大学〈10区〉)途中棄権。 関東学連選抜が4位に入り、シード枠を1校分減らしたため、次年度の予選会枠が1つ増えた。
2009年 平成21年 第85回 東洋大学 初優勝 /22 上武大学 /第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。青山学院大学が過去最長となる33年ぶりの出場。城西大学が途中棄権〈8区〉。関東学連選抜が9位に入ったほか、3位の日本体育大学が跳躍選手の不祥事(大麻使用歴及び偽札製作)によりシード権が剥奪されたため、次年度の予選会枠が2つ増えた。
2010年 平成22年 第86回 東洋大学➋ 2年連続2度目 /19 -
2011年 平成23年 第87回 早稲田大学⓭ 18年ぶり13度目 /19 /早稲田大学が史上★3校目の大学駅伝三冠達成。 史上2回目、当時においてコース初の総合成績10時間台を記録。
2012年 平成24年 第88回 東洋大学➌ 2年ぶり3度目 /19 /東洋大学が完全優勝。往路成績、復路成績、総合成績の全部門で記録更新。
2013年 平成25年 第89回 日本体育大学➓ 30年ぶり10度目 /19 /城西大学〈5区〉、中央大学〈5区〉が途中棄権。
2014年 平成26年 第90回 東洋大学➍ 2年ぶり4度目 /23 /第90回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の★最多23校で実施。関東学連選抜は今大会のみ編成せず。東洋大学が完全優勝。復路成績で記録更新。山梨学院大学が途中棄権〈2区〉。予選会でのインカレポイント制度廃止。
2015年 平成27年 第91回 青山学院大学 初優勝 /20 創価大学 /関東学連選抜が関東学生連合に名称変更し、オープン参加となる。函嶺洞門が通行禁止になったため函嶺バイパスにコース変更、それまでの第5区・第6区の区間記録、往路・復路・総合記録は参考記録とされた。競走路の再計測に伴い、第1区、第2区、第3区、第8区、第9区、第10区の距離表示が変更された。青山学院大学が完全優勝。
2016年 平成28年 第92回 青山学院大学➋ 2年連続2度目 /20 東京国際大学 /青山学院大学が1区から一度も首位を譲らず完全優勝(39年ぶり)。
2017年 平成29年 第93回 青山学院大学➌ 3年連続3度目 /20 - /青山学院大学が完全優勝で3連覇(80年ぶり)、史上★4校目の大学駅伝三冠達成。完全優勝をしての三冠は史上初。中央大学が予選会11位で敗退。連続出場記録が87で途切れた。総合成績による第5区の貢献度が大きすぎる等の理由により往路の小田原中継所を箱根寄りの位置に変更。4区が20.9km、5区が20.8kmになる。それまでの第4区・第5区の区間記録、往路・総合記録は参考記録とされた。
2018年 平成30年 第94回 青山学院大学➍ 4年連続4度目 /20 /青山学院大学が★史上6校目の4連覇。初優勝からの4連覇は史上3校目(56年ぶり)。現コース初の総合成績10時間台を記録。
2019年 平成31年 第95回 東海大学 初優勝 /22 /第95回を記念して全22チームで実施。シード校10校と選抜チーム以外の11校を予選会で選考。日本大学は関東インカレ成績枠として出場。
2020年 令和2年 第96回 青山学院大学➎ 2年ぶり5度目 /20 /7区間で13選手が区間新記録を樹立。東京国際大学(総合5位)と創価大学(総合9位)がシード権を獲得。2021年 令和3年 第97回 駒澤大学 13年ぶり7度目 新型コロナウイルス感染拡大防止の為、沿道応援の自粛を要請。前回大会でシード権を獲得した創価大学が史上19校目の往路優勝・総合2位と大躍進。
2021年 令和3年 第97回 駒澤大学➐ 13年ぶり7度目 /20 /新型コロナウイルス感染拡大防止の為、沿道応援の自粛を要請。前回大会でシード権を獲得した創価大学が史上19校目の往路優勝・総合2位と大躍進。
2022年 令和4年 第98回 青山学院大学➏ 2年ぶり6度目 /20 駿河台大学 /新型コロナウイルス感染拡大防止の為、前回大会に続き沿道応援の自粛を要請。 大会最多優勝の中央大学が10年振りにシード権を獲得し、古豪復活を印象付ける。青山学院大学が復路記録・大会記録を更新した。
2023年 令和5年 第99回 駒澤大学 ➑ 2年振り8度目 /20+1 /往路は駒澤大学が19年振り4度目の優勝。復路も完全優勝。史上5校目の学生駅伝三冠を達成。 沿道に91万人、100万人超えず 駒沢大大八木監督退任へ。同氏は三大駅伝で優勝27回。優勝候補の青学は3位。一時6区で7位になるも最終10区で巻き返した展開。2位には1分42秒差で中大、4位國學院、5位順大、6位早大、7位法大、8位創価大、9位城西大、10位東洋大までが来年のシードを獲得、11位東京国際大以下が涙をのんだ。。
各区間・総合最高タイム
A 現コース最高記録
往路(107.5km)
第1区(21.3km)…1時間00分40秒:吉居大和(中央)第98回(2022年)
第2区(23.1km)…1時間05分49秒:イェゴン・ヴィンセント(東国際)第97回(2021年)
第3区(21.4km)…59分25秒:イェゴン・ヴィンセント(東国際)第96回(2020年)
第4区(20.9km)…1時間00分30秒:吉田祐也(青学大)第96回(2020年)
第5区(20.8km)…1時間10分25秒:宮下隼人(東洋)第96回(2020年)
往路記録…5時間21分16秒:青学大 第96回(2020年)
復路(109.6km)
第6区(20.8km)…57分17秒:館澤亨次(東海)第96回(2020年)
第7区(21.3km)…1時間01分40秒:阿部弘輝(明治)第96回(2020年)
第8区(21.4km)…1時間03分49秒:小松陽平(東海)第95回(2019年)
第9区(23.1km)…1時間07分15秒:中村唯翔(青学大)第98回(2022年)
第10区(23.0km)…1時間07分50秒:中倉啓敦(青学大)第98回(2022年)
復路記録…5時間21分36秒:青学大 第98回(2022年)
総合(217.1km)
総合記録…10時間43分42秒:青学大 第98回(2022年)
B 歴代最高記録
往路
第1区…1時間00分40秒:吉居大和(中央)第98回(2022年・距離21.3km)
第2区…1時間01分58秒:武内修一郎(日大)第36回(1960年・距離20.5km)
第3区…59分25秒:イェゴン・ヴィンセント(東国際)第96回(2020年・距離21.4km)
第4区…54分28秒:田村和希(青学大)第91回(2015年・施行距離18.5km)
第5区…1時間09分12秒:今井正人(順天)第81回(2005年・距離20.9km)
往路記録… 5時間21分16秒:青学大 第96回(2020年・距離107.5km)
復路
第6区…57分17秒:館澤亨次(東海大学)第96回(2020年・距離20.8km)
第7区…1時間01分40秒:阿部弘輝(明治)第96回(2020年・距離21.3km)
第8区…1時間03分15秒:松波慎介(順天)第41回(1965年・距離20.2km)
第9区…1時間02分15秒:留野豊昭(中央)第36回(1960年・距離20.5km)
第10区…1時間03分17秒:土谷和夫(日大)第43回(1967年・距離21.7km)
復路記録…5時間21分36秒:青学大 第98回(2022年・距離109.6km)
総合記録…10時間43分42秒:青学大 第98回(2022年・施行距離217.1km)
(Wiki)
※復路及び総合優勝関連情報は夜仕事から帰宅後、更新させて戴きます←繁栄済
ーーー 初版20230103 早朝は未だ空いていました、、
ー時節項など追記同日夜 ①日本海側大雪 4水 ピーク ▷太平洋側 乾燥注意報 日の元注意 ②➋ウ軍攻撃で 63人死亡 露が発表 ③1ドル 一時129円台 緩和修正観測で ▷配達に配送ロボ 4月から 道交法改正で ▷硬貨預け入れ 有料化 神社の対策は > 22年1月17日から50枚まで無料、100枚まで550円、500枚まで825円、1000枚まで1100円。以後500枚毎に550円を加算、、になったとのこと、、 ④➍中国 入国規制を批判 対抗措置も ⑤箱根駅伝 総合優勝は駒澤 青山最後3位雪辱 ▷青学・原監督「すべては私の責任」 ▷1区で大逃げの 関東連合・新田颯 SNSフォロワー一気の増えた ▷テニス ナブラチロワさん(67) 喉と胸に癌公表 > 2010年には乳がん公表も、、無事ご快復なさることを、、 ⑥Uターン 新幹線 一時100%超えも ➏メキシコ 刑務所襲撃され 14人死亡 ▶NFL ビルズのハムリン タックル受け心肺停止の重体 > 試合は延期されたとのこと、、 ⑦⑧しぶんぎ座流星群 明日未明がピーク ▷紅白 2年連続40% 割る > 地上波共々、今のNHKって視たいという気にならないもの、、 ⑨西武 森友哉の穴どう埋める? 懸案の秋山の穴も ▷阿部加入でゴチャゴチャ 楽天 来季のスタメン予想 ➒WBC台湾 レッドSからFAの張育成 招集へ ⑩86歳 里見浩太朗 殺陣を卒業 > 未だに現役でおられること自体が凄いかと、、
ー (画像・1) コース。高低差が面白いですね。 /箱根駅伝公式
(画像・2) 2023年、第99回大会に出場する大学。 /読売オンライン
(画像・3) 予選会結果。上位10位までが本選に出れるようですね。 /初心者から箱根駅伝を楽しむブログ
以下通過できなかった大学と詳細タイムは、、 11位 神奈川大学 10:49:29
12位 中央学院大学 10:51:25 13位 日本大学 10:52:02
14位 麗澤大学 10:52:40
15位 筑波大学 10:53:50
16位 日本薬科大学 10:55:00
17位 東京農業大学 10:55:01
18位 拓殖大学 10:55:44
19位 駿河台大学 10:56:07
20位 芝浦工業大学 10:59:27
21位 上武大学 11:02:29
22位 明治学院大学 11:02:49
23位 育英大学 11:03:36
24位 亜細亜大学 11:04:06
25位 関東学院大学 11:06:30
26位 慶應義塾大学 11:07:02
27位 桜美林大学 11:08:23
28位 東京経済大学 11:08:49
29位 平成国際大学 11:12:53
30位 流通経済大学 11:15:58
31位 立正大学 11:18:18
32位 武蔵野学院大学 11:24:54
33位 湘南工科大学 11:31:47
34位 東京大学大学院 11:35:18
35位 東京大学 11:50:04
36位 清和大学 11:58:36
37位 東京工業大学 12:04:04
38位 帝京平成大学 12:08:14
39位 東京理科大学 12:35:36
40位 高崎経済大学 12:38:08
41位 成蹊大学 12:41:49
42位 一橋大学 NM
43位 埼玉大学 NM
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