タイ語板 肆の型ぁ~  4

前板の続きです 鳩洞窟 (23日の時節項は此処

ーー※※前板の続きです


ギョレメ野外博物館
今日、屋外博物館として保護下にあるギョレメの岩窟教会は、食堂、居間等の設備を有して、9世紀以来、修道院生活の中心を成してきました。土を耕して日々を営む村と言うよりも、完全な宗教活動の要と言うのが相応しいです。

数多くの教会の中で、6、7世紀に遡るものはたった一軒だけで、ギョレメ地方が本格的な発展を遂げた9世紀後半以降は概して小規模の教会が建設されており、内、10世紀のクルチラル教会とトカル教会はビザンチン芸術の美しい例として特筆に値します。

ビザンチン芸術の“黄金期”は、その装飾と建築様式をしてストゥンル・キリセ(支柱の教会)で顕著に表れています。装飾に用いられた宗教的なシーンにしても建築様式にしても、他の教会とは完全に異質なもので、11世紀の貴族芸術を代表するものと言えます。

同一のアトリエに属する画家達によって作成された作品が多く見られ、そのテーマの選択、画材、そして花、草木のモチーフが頻繁に用いられているなど、多くの共通点が指摘できます。繊細で洗練された人物画に注目すると、あたかも濡れて体に密着したかのような衣を纏っており、体のラインが強調されていると同時に、その表情も穏やかで和んだ雰囲気に満ちています。

ドーム、アーチ、そして壁に描かれた宗教上のシーンの分配も大変に調和がとられていて、巧い配置がなされています。

数多くの教会があり、本来は見学するのに数日を要するギョレメ、クルチラル、エル・ナザール渓谷で、修道院生活かいつ終焉を迎えたか予想するのは困難と言うものの、11世紀以降建設された教会の数が少ない事を前提に思いをめぐらせてみることは可能です。

これらの教会の幾つかに岩を彫って作った卓、居間の設備、倉庫、寝室などがある事実は、つまりここで修道院生活が営まれていたとの考えを裏付けるものと言って良いかもしれません。

ギョレメの教会のフレスコ画の中で、18、19世紀にその壁画に記されていることが確認された幾つかの名は、訪れたキリスト教徒達が自らの名を刻印したもので、ギョレメがある種の聖地として巡礼の対象になっていたことを物語っています。

クズラル修道院
ギョレメ屋外博物館の入り口すぐ横にある大きな岩の塊を人々はこの名で(=女子修道院)呼んでいます。四つの階に分けられた内部には、教会、食堂、通路などがあり、修道院としての総合設備であったことを物語っています。

まず、金属の階段を使って良く保存された食堂へ入ってみると、岩を削って作った食卓が目に入ります。この大きな岩の塊の中には四つの教会の跡がありますが、食堂の側、三つの後陣のある教会には、キリストの誕生に関わるシーンが描かれています。

南面の壁を飾るのは、カッパドキアの高名な聖グレゴリウスの生涯と、その殉死の場面です。二番目の教会は修道院の名にもなっているクズラル教会で、十文字の基礎に建って、中央のドームは四本の柱によって支えられています。立ち姿のキリストを描いたものがここの唯一のフレスコ画です。

エルマル・キリセ
ギョレメ
エルマル・キリセ、即ち“林檎の教会”には四本の柱と三つの後陣があり、本来は南手に入り口が設けられていましたが、現在は使用されていません。

アーチ、ドーム、壁に巧みに配置されるフレスコ画は、まず、中央後陣に聖母、キリスト、洗礼者ヨハネの聖家族が、四本の細い支柱に乗るドームの中央には、福音書を著した四人の聖人を描いた円に囲まれたキリストが表現されています。後陣側の小ドームのフレスコ画は大天使が、南手のドームのものはキリストの昇天がテーマとなっています。

《フレスコの内容》
エルマル・キリセ

左側後陣  :聖母とキリスト
左側後陣上部:キリストの埋葬
主要後陣  :マリア、キリスト、洗礼者ヨハネ
右側後陣  :天使長ミカエル
右側後陣上部:最後の審判
北手壁面  :キリストの誕生、エルサレムヘの旅
西手壁面  :ラザロの甦り、聖母と12使徒、洗礼
南手壁面  :キリストの変容、磔、黄泉の国へ

聖バルバラ教会
そのフレスコ画で、いつの時も論争の的となってきた教会です。規模は小さいですが、中央ドームと二本の柱をもち、設計、横に設けられた入り口、三つの後陣をしてチャルクル教会と多くの類似点があります。

主要後陣には王座に座るキリストが、入り口の対面、即ち北手壁面にはカッパドキアの高名な二人の聖人ジョージとテオドールが龍(大蛇)を退治している場面が表現されています。

西手壁面には教会に名を掲げる聖バルバラが描かれていますが、ここの建築者は、教会の資料に名が記されているファリボンとレオンであるというのが通説です。

教会のあちらこちらには、幾つもの十字架と意味不明な図柄が見られます。主にオークルレッド色を用いて描かれたこれらの柄(十字、三角形、柱、メダリオン、動物)は、凝灰岩を削ってここを造った人々が魔よけの意味で描いたと推測されています。

ユランル教会
丸天井に覆われる教会(別名:蛇の教会)の南手には墓所が置かれています。

フレスコ画には全体を通じて一貫するストーリー性がなく、教会の名が由来するカッパドキアの高名な聖ジョージと聖テオドールが退治した龍(大蛇)の図の直ぐ続きには一帯の教会装飾画には頻繁に登場する、皇帝コンスタンチヌスと母御ヘレンが描かれていたりなどしています。

対面の壁にはオノフリウス、聖トマス、聖バシリウスのフレスコ画が見られます。

言い伝えによれば、ここに登場するオノフリウスはエジプトの砂漠で60才まで生きた宗教家だったが、フレスコ画上の強調された胸部のせいで、本来 “彼”は美貌溢れる女性であったが、信仰の道に自らを捧げる為に男性に変貌したのである、と信じられています。

エスキ・トカル教会(旧トカル教会)
エスキ・トカル教会
カッパドキア地方の最も素晴らしい教会で、異なる時代に造られた二つの建物から構成されています。その一つが、10世紀初頭のエスキ(古い)トカル教会で、まるで映画のストーリーの様な続きものの壁画をして、アルカイック教会の範暗に入れられます。

一帯にある他の教会の壁画を作成したアトリエの作品と思われ、ビザンチン以前、そしてビザンチン及びオリエントをルーツとする特徴が顕著です。シンボル化された人物画の手、腕、体の動きにはそれぞれ意味があります。

《フレスコの内容》
丸天井南側(入って右)
最上部分  :受胎告知、エリザベスの訪問、ベツレヘムヘの旅、キリスト誕生
中部     :追われるエリザベスと幼少のヨハネ、洗礼者聖ヨハネに関するシーン、カナンの結婚
下部    :最後の晩餐、ピラトの審判、ゴルゴタヘの道
丸天井北側 :三人の王の崇拝、幼児大虐殺、エジプトヘの逃亡
中部    :葡萄酒になった水、12使徒招集、パンを増やす奇跡、盲目の完治ラザロの甦り
下部    :磔、十字架から降ろされるキリスト、埋葬、

イェニ・トカル教会(新トカル教会)
イェニ・トカル教会 世界遺産カッパドキア
エスキ・トカル教会は増築されたイェニ(新)トカル教会とともに十字形の大きな施設となりました。アーチ、壁などに分散するフレスコ画と建物の調和は素晴らしく、メソポタミアからアナトリアに伝わった建築様式を用いて、五つの丸天井に覆われた身廊と小部屋の長い壁には後陣としての窪みが設けられています。

950年~960年に建設されたこの教会は、ビザンチンに於ける“マケドニア・ルネッサンス”黄金期の代表作と言えます。北後陣に見られる碑文から、フレスコ画はニコフォロス、建造者はコンスタンチヌスとレオンと名乗る人物であることがわかります。フレスコ画の様式と用いられた色彩は、エスキ・トカルと明確な違いがあり、図柄もより洗練されて美しいです。

特に、地色として使用されている紺色の美しさは他に比類のないものです。その場面もエスキ・トカルを思わせはするが、比較すると更に詳細にわたり、エレガントでさえあります。


《フレスコの内容》

左手後陣 :キリストと天使達、エジプトのマリア、聖アブラハムの歓待
主要後陣 :磔、十字架から降ろされるキリスト、埋葬、黄泉の国へ
中部東側 :聖母と天使に囲まれたキリストの昇天
中部西側 :使徒を祝福するキリスト
中部南側 :二列に並んだ12使徒とキリスト、王者と民衆
南東側  :七人の若い司祭
南西側  :エルサレムを離れる使徒
北東側  :訪問、水をワインに
北西側  :キリストの誕生と三人の王者
北フリーズ:聖ヨハネとキリスト、キリストを誘惑しようとする悪魔、キリストと使徒
東フリーズ:盲目患者の完治、らい病患者の完治、未亡人の子供の完治、腕を病む患者の完治
南フリーズ:麻輝患者の回復、エルサレムヘの入場、最後の晩餐

カランルク教会(暗闇の教会)
カランルク教会 世界遺産カッパドキア
ギョレメ屋外博物館にみられる支柱を用いた教会のうち最も有名なカランルク教会は、総合修道施設とも言え、小さな内庭を囲んで様々な設備が設けられています。

同じ建築様式に属する教会としては古い順に、カランルク教会、エルマル、チャクル教会で、どれも同一の人物によって建設された、と言うのが多くの学者の一致した見解です。

何百年もの間、ほとんど光りが差し込まなかったおかげで、内部のフレスコ画の状態は大変良好です。四本の支柱、六つのドーム、入口にはアーチのある正方形の外廊と、埋葬用の空間が設けられています。外廊にはキリストの昇天、12使徒の祈りの場面が表現され、対の虹の上に座ったキリストの、四人の天使に導かれていく様子が美しいです。

《フレスコの内容》

主要後陣 :聖母マリア、キリスト、洗礼者聖ヨハネ
北手後陣 :聖母
中央ドーム:円の中の天使とキリスト
南丸天井 :エホバの裏切り
北丸天井 :キリストの誕生、三人の王
西丸天井 :エルサレムヘの入場
西手壁面 :ラザロの再生、キリストの変容、洗礼
北手壁面 :ベツレヘムへ、キリスト誕生、マタイとヨハネ
南手壁面 :聖墓所の三人の女、礎、炉に投げられる三人のユダヤ人
東手壁面 :最後の晩餐、ルカスとマタイ

チャルクル教会
チャクル教会 世界遺産カッパドキア
ギョレメ屋外博物館のシルエットに弧を描く大きな岩の塊の中で、最も高い所に位置しています。金属製のステップで内部に入ると、一部破損を受けているものの概して良い状態にある宗教画が人々の視線を奪います。教会のすぐ下にある食堂は、ここが他の重要な教会と同様に総合修道施設に含まれるひとつの造りであったことを物語っています。

岩で造られた食堂の後ろにある “最後の晩餐” が美しいです。中央のドームは東手の二本の柱と西手の壁で支えられています。チャルクル、即ち “革の浅靴” と言う一風変わった名は、一見足跡に見える床の窪みに由来します。特に西手の壁面、教会の建造者達をはじめとした宗教画や頭部にターバンを巻いた人物には注目してみたいです。

《フレスコの内容》

主要後陣  :聖母マリア、キリスト、聖ヨハネ
北手後陣  :聖母、キリスト
北手後陣上部:アブラハムの歓待
南手後陣  :ガブリエル
中央ドーム :キリストと天使

サクル教会
交通の不便な所にあることでサクル(隠れた)教会と呼ばれる11世紀の造りで、ギョレメとエル・ナザール渓谷の間にあります。トカル教会同様にメソポタミア様式が用いられ、二本の柱が全体を支えています。

ヴェロニカのフレスコ画の他、ドームに描かれた大きな十字架は過度に装飾が施されたもので、これは初期の特徴として最大のポイントと言えます。

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チャヴシン
脆くなった層の落岩で無人化した旧チャヴシン村は、カッパドキアの集落の中でも興味深い場所です。家々の壁を飾る素晴らしい壁画を見れば、ここがその昔いかに美しい村であったかを想像するのも難くありません。

洗礼者ヨハネの教会
チャヴシン要塞の頂きにあって、どこからでも目についたこの教会は、一帯で最も古いものの一つとして、同時に初期の教会のみに見られる異なる壁画のシーンをして重要視されています。

5世紀に建造されたと推測され、非常に損傷が激しいものの、ヨハネの断頭、サロメの舞などの場面は未だに鮮やかです。ギョレメで生まれた皇帝ディオクレティアヌスの続治下でマラティアで殺害された聖ヒエロンの手が保存される教会としても知名度が高いです。

ビザンチン時代に同聖人に属する貴い品々を預かったこの教会の装飾を見ても、ここがいかに重要な位置を占めていたかがうかがえます。

ブユック・ギュヴェージンリック
チャヴシンで二番目に重要な教会は高名なビザンチン皇帝ニケフォラス・フォカスに捧げられたもので、“大きな鳩小屋”と呼ばれている。
“マケドニア・ルネッサンス”期の一例で、丸天井があり、皇帝の来訪と名誉を祝してフォカスとその家族が北側後陣に描かれている。

ギュルデレ・クズルチュクル
チャヴシンに始まる小道を辿って美しいニつの谷に出ることができます。木々の間に造られた初期の教会と岩層は、人々にまるで別世界に迷い込んだかの様な錯覚を与えることでしょう。ギュッルデレには五つの教会があり、一つには皇帝コンスタンチヌス・ポルフィロゲネトゥスヘ献呈された碑文が記されています。(7世紀~10世紀の建築)

クズルチュクルと呼ばれる二つ目の谷では、保存状態の良好な聖アン教会、アラブの襲撃の際に避難所として利用されたハチル教会などが見られる。

パシャバー
カッパドキアの名を世界中に轟かせた “妖精の煙突”が最も美しいのは、ゼルヴェ近郊はパシャバーの谷でしょう。ここで見られる“妖精遠の住家”は、一つの岩から二本、三本とのびる複数の首に“帽子”を被った格好をしていて、辺りに広がる葡萄やヒマワリ畑の中にこれらが屹立する様子は全くの別世界を思わせます。

妖精煙突はビザンチン時代に隠遁生活を選択した修道僧達の隠れ家でもあり、当時の有名な聖人スィメオンの生涯を表現した壁画も見られます。

ゼルヴェ屋外博物館
岩を削って造った家屋の最も良い例を見ることができます。人間が自然と自然の提示する条件と協調しながら暮らした場所と言えます。パシャバーから続く道に従って出た赤土に覆われた一帯が、ゼルヴェ屋外博物館であり、水をはじめとした自然の風化作用や、岩の崩れから出来上がった三つの谷と、屹立する岩層、何千もの岩の家々、岩窟教会、通路などをして、訪れる人々に忘れ得ぬ一時を贈ってくれます。

冬は暖かく、夏は涼しい岩の家を造り上げた地元の人々は、長い年月をかけて生活の場、例えば教会、修道院、鳩の巣穴(肥料になるフンを集める為)、倉庫などを彫ってきたのです。

現在まで残った教会は絵画が否定された偶像破壊期とその以前に建設されたものであり、多くは十字架、魚、葡萄、鹿などのシンボル化されたものが壁画として用いられています。

宗教的な場面のみでその壁を飾り立てたものが皆無である事をみると、ゼルヴェの人々が8世紀に浸透した偶像破壊期以前に於いても肖像画に対して何らかの反発を感じていた事が伺えます。

最も広く、雄大な第一の谷には、崩壊した岩のせいで直接入り込むことは不可能であり、少し遠回りになるが、第二の谷に始まる道をたどらなければなりません。

天井の大きな十字架の浮き彫りや、鹿と十字架のフレスコ画で知られるゲイクリ(鹿の)教会もこの沿道にあります。ゼルヴェの第一の谷にある石造りのモスク、岩の中に石やセメントを用いて色々な設備を有するさまざまな造りは、ここで近年まで地元の人々が生活を営んでいたことを語る、声なき、しかし重要な証人と言えるでしょう。

ゼルヴェ谷の特徴として注目したいのは、特に第一の谷に見られる鳩の巣穴です。何百年もの間、カッパドキアの人々がその肉を食用としてきた、あるいは、フンを肥料として用いた鳩の為に作られたもので、鳩の出入り用に削って開けられた穴の周囲を彩る図柄や人物画は、学者達に新しい研究課題を提供しています。

あまり人の入り込まない第三の谷には、偶像禁止期以前に造られたウズムル教会(葡萄の教会)と、偶像禁止期の真只中で建設されたハチル教会(十字架の教会)があります。

アヴァノス
古代名ヴェネッサ。近郊のトパクル・ホユック(塚)で実施された発掘調査で出土した旧、中期ヒッタイト時代に属する品々や、その形跡が現在もうかがえるゼウス信仰の跡、ヘレニズム時代の墓などは、この町が様々な時代に重要な役割を担ってきた事を物語っています。

ビザンチン時代の後、長い間にわたってセルジューク・トルコの支配下におかれた町は、1466年にオスマンの領土に組み込まれました。セルジューク時代のアラエッティン・モスクと、16世紀はオスマン帝国時代のイェルアルト・モスクの二つの回教寺院に注目してみましょう。トルコ最長の川クズルウルマクによって二分されるアヴァノスは、今日、窯業と手織り絨毯の町として、全国的に名を馳せています。

ヒッタイト時代から続く窯業は、町の経済を担うもので、クズルウルマク川の堤の土に砂を混ぜたものが使用されています。外気を遮断する為に中に入れた水などを冷たく保つことができ、昔は日用品としてその需要も高かったのですが、1960年代からの冷蔵庫の普及や水道が引かれたことで、かつての重要性はすっかり影を潜めてしまいました。今日では伝統工芸品として主に観光客への土産用に作成されています。

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ウチヒサル
それぞれに美しく独特なカッパドキアの岩層の中で最も高い点である“ウチヒサルの要塞”は、一帯の雄大な自然が一望できるお勧めのポイントです。三角形の大きな二つの岩は人が手を加えていない全くの自然の形ですが、その外観をして土地の人々は“要塞”と呼んでいます。

地元の人々は避難所として利用する為に大きな岩の塊を選び、この内部を彫り削って多くの要塞を造ったが、それらの中で最も良い例を、カッパドキア地方でも“岩の町”と呼ぶに相応しいここウチヒサルやオルタヒサルに見ることが出来ます。

ビザンチン、トルコ時代にも住まいとして利用された岩の塊には、現在でも人間の暮らしの跡をそこここに見つける事が可能です。ウチヒサルの要塞とその足元にはここ最近まで人々が住んでいましたが、岩の風化で脆くなって危険なことから立ち退いています。

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オルタヒサル
要塞を思わせる大きな岩の塊の周囲にできた町です。かつて、居住用、軍事用に使用されたこの岩には、現在、階段を使って頂きまで上る事ができ、一帯の美しい景色を満喫することが可能です。最も美しい景色を望む為には、川へ向かって歩き、石橋を渡って対岸の丘に登るのが良いですが、中央の大きな岩とその周囲に集中する石造りの家々は、遠くからでも一目瞭然です。

ジャンバズル教会
一帯で最も大掛かりで組織立った調査を実施した司祭ジェルファニオンが足を踏み入れなかった稀な教会で、別名、“アッシャウ・バー教会”とも呼ばれています。オルタヒサルの麓にあって、一般に解放され始めたのはさほど古いことではありません。壁画はギョレメのストゥンル教会(支柱のある教会)のそれを思わせますが、教会の建設された年代については明確にされていません。

ハッラチ修道院
四角形の内庭のある修道院で、オルタヒサルの北東にあります。施設の中で、聖バシリウスに献呈された教会には10世紀、11世紀のフレスコ画が見られるほか、墓所、台所がおかれ、小部屋の一つには人物の図柄が残っています。

バルカン・デレスィ教会群
オルタヒサルから2kmのバルカン川にある教会群には、徒歩、あるいはロバに乗って行きます。宗教画の禁止された偶像禁止時代、及びアルカイック期に遡るここの宗教施設は、ビザンチン初期に造られた事で、重要視されています。
ウルギュプ
古代名をアッスィアナとし、歴史を通じていつの時代も重要な居住区であり続けてきました。セルジューク時代に於いてはバシヒサルと呼ばれ、ネヴシェヒルから18kmの場所に位置しています。町の中心に屹立する巨大な要塞はトルコ期に造られ、重要な居住区としても利用されてきました。

ウルギュプはビザンチン、オスマン時代の岩を削って造った家の他に、美しく装飾を施した石造りの家でも有名で、一帯で最も素晴らしい家がここで見られると言っても過言ではありません。

トルコ期の建造物として、カドゥの要塞、カラマンオールラル・モスク、アルトゥンカプ霊廟、タフスィナー図書館を挙げる事が出来ます。
町の中心には多くの宿泊施設があり、一帯の観光業の担い手として重要な役割を果たしていることがうかがえます。

ムスタファ・パシャ
ウルギュプから6㎞程の場所に位置する小さな町で、かつてはシナソスと呼ばれていました。ここでは、外壁に様々な動物の図柄を描いた家々、オスマン時代の隊商宿、地方で最も新しい19世紀に造られた岩窟教会などに注目しながら見学してみましょう。ここに残る文化遺産に注目すると、ムスタファ・パシャがビザンチン時代とそれに続くトルコ民族の支配下に於いて、一帯の中で重要な位置を占めていたことがわかります。

ソーアンル渓谷
ウルギュプから34㎞程の場所には景観の美しさと融合した教会で知られるソーアンルの谷があります。随所に見られる鳩の巣穴、その当時の名高い画家達によるフレスコ画で彩られた教会。

ただの岩の塊を、外観からもいかにも“教会”のように削られた岩層に、周囲の自然の美しさが加われば、人気のある観光スポットとして人々の注目を集めないはずがありません。

初期キリスト教時代から人々が住み着いたこの谷には9世紀~13世紀の間に教会が造られましたが、そのうちのいくつかの建築年代が明確にされたことは、カッパドキア一帯に存在する他の教会の歴史を探る手懸かりとして大いに役立ちました。

谷の教会は各々に異なるフレスコ画と建築様式を以て、他の地区の教会と明確に区別することができます。特に岩を外側から削り、かつての石造りの教会に似せた“クッベリ・キリセレ”(ドームのある教会群)は、カッパドキア全域を見渡してもこの谷だけのものです。

ジャナワル教会(怪物の教会)
一帯の多くの教会と同様、その名を聖ジョージが退治した龍(大蛇)に由来するこの教会も11世紀~13世紀のフレスコ画をして、カッパドキアの最も美しい教会の一つに挙げられています。

後陣には聖母とヨハネに囲まれたキリスト、使徒にパンとワインを分けるキリストが描かれていて、丸天井のア-チには詳細にわたる“最後の審判”が見られます。

カラバシ教会(褐色の頭の教会)
1060年~1061年に建造されたことが解明されたことで重要な意味を持っています。長い碑文によるとコンスタンチン・ドゥカスの時代に造られ、当時の有名な画家によって装飾画が作成されたことがわかります。セルジューク・トルコがアナトリアに進攻して間もなく造られたことを考えると、その壁画の見事さにも別の輝きが見いだせるでしょう。

深く削られた後陣の、使徒にパンとワインを分け与えるキリストの図に注目してみてください。又、キリストの誕生、献呈、磔、黄泉の国へ、などの場面も表現されています。

クッベリ教会(ドームの教会)
石造りの教会を見本にして円錐形の岩を削りながら造った三つの教会があり、特に鋭角なドームは珍しいです。概して10世紀のフレスコ画で装飾される教会のうちで最も重要なのは“サクル・キリセ”(隠れた教会)でしょう。

フレスコ画はかなり損傷が激しいですが、聖ペテロと聖パウロが表現されており、共に描かれる皇帝ネロと拷問される二人の聖人、そしてその殺害の場面はカッパドキア一帯でも稀に見られる珍しいテーマと言えます。

バルバラ教会
11世紀の前半に建築されたことがその碑文からわかります。教会の保護者として登場するバシリウスは、一帯を支配した軍人でしょう。専門家達の論争の的となっている壁画は、あたかも映画のシーンの様にストーリー性があり、アルカイック期とギョレメの有名なストゥンル教会群建設の間の過渡期に造られたとされています。

壁画にはエフェスの眠れる七人の聖者、キリストの誕生、黄泉の国へ、水をワインに、等も表現されています。

ウフララ渓谷
ハサン山の裾野、ウフララ渓谷の自然美は御伽噺の世界そのものです。この有名な火山と側にそびえるギョッル山からの溶岩や火山灰は辺り一面を覆い尽くし、厚さ100mにもおよんだ層をメレンディス川が少しずつ削り取る様にして流れ、やがて長さ15km、深さ150mの規模に及ぶ谷が口をあけました。

セリメ村とヤプラクヒサル村の妖精煙突がアクセントとなって美しさに更なる美を添えるここウフララ渓谷へと世界中の人々が足を向かわせるのは、単にその自然美のみではなく、同時にここが歴史的遺産の宝庫だからでもあるのです。

ウフララ渓谷はウフララ村に始まりセリメ村まで続き、直線距離としてほんの8km程ですが、谷の切り口が約30ケ所ほどもあって湾曲を描く為、渓谷の長さは15kmと表現するのが妥当でしょう。

新石器時代と鉄器時代に属する出土品で注目されるアクサライ近郊のアシクルホユック(ホユック=塚)、アナトリア最大の塚にあげられる同じくアクサライのアジェムホユック。

地方の歴史については実施された発掘調査で見つかったこれら二箇所の塚が多くを物語っており、アジェムホユックの解明は、そのままハサン山一帯についての深い、しかも重要な史実の解明となると言えます。

主要交易路、そして軍事路上に位置するアクサライ地方は7世紀以来激しい襲撃の的となり、多くは南方からの攻撃に対して地元の人々はもとより、中央のビザンチン帝国は非常に慎重な対策を講じていたことがわかります。

キリスト教時代の初期以来、ウフララ及びベリスルマ渓谷には権威ある修道院が数多くおかれ、難路の為にあたかも外部から遮断されたかの様なこの谷の地理的条件のおかげで、古代より一帯はさほど被害を受ける事がありませんでした。アラブがこの地に襲撃をかけた時でさえも、この谷は人々の注意を集めることがなかったと言え、ここに建つ7、8世紀の教会などはその事実を裏付ける良い一例です。

セルジューク・トルコがアナトリアに侵入して帝国を建設して以来、セルジュークの支配下におかれた一帯で、教会の一つにセルジュークのスルタンとビザンチンの皇帝の名が一緒に記されているのは、セルジュークがキリスト教徒に示した寛容さにほかなりません。

エジプト、パレスチナ、シリアをはじめ、アナトリアの様々な小国からやって来た牧師や行商人の避難所でもあったウフララとベリスルマ谷の建造物は、建築様式にしてもフレスコ画等の宗教画にしても、他の谷のものには見られない独特のものがあります。

人目につきにくく目立たない、しかも交通の不便な谷に注目した学者は多くはありません。フランスのニコル&ミシェル・ティエリーが1950年にカッパドキアで始めた調査は、1958年にウフララ谷周辺で集中的に継続され、その末に出版された文献は次第に人々の視線を当地に引き付ける結果となりました。

アーチアルト キリセ(木の下の教会)
カッパドキア一帯で最古の教会の一つである聖ダニエル教会の歴史は6世紀に遡ります。十文字の基礎の上に建ち、中央ドームにはキリストの昇天の模様が描かれているほか、吉報、訪問、エジプトヘの逃避、三人の王の訪問などをテーマにしたフレスコ画が残っています。
教会の名は、一部は良い状態に保たれている西側の聖ダニエルと獅子の絵柄に由来しています。

プレンリ セキ教会
10世紀の小さな教会で、身廊にはセバスタの40人の聖人、最後の審判などを主題にしたフレスコ画が描かれています。内部にはキリストの誕生、聖母のエリザベスヘの訪問、東方の三博士の絵が見られます。

ユランル キリセ(蛇の教会)
ウフララ渓谷
シリアやエジプトの影響が顕著な宗教画は、その色といい、選択されたテーマといい、他の教会のものとは歴然とした違いがあります。最も重要なフレスコ画は教会の入り口にあり、蛇に襲われる女性が描かれています。彼女の犯した罪が何であるかは側の文字にて説明されており、即ち不義(姦通)をおかし、子供に乳を与えず、人を中傷し、柔順でない女が蛇に罰せられている模様が表現されています。

エーリタシ教会
9世紀、川の対岸に建てられた教会で、損傷は激しいです。建物の周囲に散在する数多くの墓は、ここが一帯で最古の修道院であったことを裏付けると言えます。
天井には大きな十字架が描かれ、受胎告知、東方の三博士などのフレスコ画が描かれています。

ベリスルマ渓谷
この谷を訪れる観光客は稀です。谷間に建つ教会のほとんどはビザンチンの伝統を守ったもので、例えばスンブッル、ディレキリ、アラ教会などはビザンチン時代の10、11世紀に遡る美しい一例です。特にディレキリ教会は殊の外見事なフレスコ画をして、アラブの襲撃以降に迎えた黄金期の到来を告げるものとされています。

1295年に建設された聖ジョージ教会にはセルジュークのスルタン・メスドとビザンチン皇帝アンドロニコスの名が並んで印されており、セルジュークの支配下にあったキリスト教徒達が自由に教会を建設できたことといい、如何に寛大な扱いをされていたかをしめすものと言えます。

ギュゼルユルトゥ
古代に於いてはゲルヴェリと呼ばれ、ウフララ谷の西12kmに位置する頂きとその裾野に形成された重要な居住区は、石造りの家、各々に特徴ある造りの教会、岩を削って造られた集落など、訪れる人々に強い印象を与えるスポットです。

特に有名な宗教家グレゴリウスに献呈され、今日ではモスクとして機能するかつての教会は注目に値します。十文字の基礎上に石のブロックを用いて造られた、ドームのある美しい教会です。

セルジューク、及びオスマン帝国時代、宗教の教えに忠実に沿って建物を造り続けたキリスト教徒達は、1924年、ローザンヌ条約に基づいて実施されたトルコ・ギリシア間の民族交換までこの地を住まいとしてきました。ギュゼルユルトゥ近郊には4kmにわたる“修道院の渓谷”があり、その教会や修道院の数からして、如何に大切な宗教活動の中心地であったかがうかがえます。

スルタンハヌ
スルタンハヌ
アクサライ~コンヤ街道上には1229年にセルジュークのスルタン・アラエッディン・ケイクバトによって造られた4,500㎡もの面積を有するアナトリアで最も壮大なトルコ芸術の一つスルタンハヌがあります。夏と冬用の宿から構成され、高い壁と見張り用の塔とて、あたかも要塞にも似た様相を呈しています。

これを建築したムハメッド・ビン・チャヴランの名が印される美しい内扉をくぐって隊商宿の内庭に出てみてください。左手に旅入用の宿、浴場、倉庫がおかれ、中央には高い東屋風の礼拝所も設けられています。次の扉を抜けると五本の小径にて分離された、このキャラバンサライの奥の間に出ます。

アライハン
アクサライ~ネヴシェヒル街道上にセルジュークのスルタン・クルチ・アルスランニ世が1192年に建造させた隊商宿です。アクサライから35km、セルジュークの歴代スルタンによって設置された多くの隊商宿の中でも、初めてのものとして大変重要です。

壁は破損し、記念門も時の流れと人々によって破壊されたにも拘わらず、当時の豪華さを偲ばせるものと言えます。特に記念門は名高いセルジュークの石細工が如何に高い技術を有していたかを証明するもので、二つの胴体に一つの顔をもつ獅子はスルタン・アルスランニ世を象徴すると考えられており、注目に値します。


アーズカラハン
アクサライを過ぎたところに非常に保存状態良好な設備があります。有名なコンヤ~カイセリ街道上に数多く見られるキャラバンサライ(隊商宿)の一つで、冬用に使用された部門につながる記念扉上の文には、1231年、セルジュークのスルタン・アラエッディン・ケイクバトの治世下にホジャ・メスド・アブドゥッラによって着工、グヤセッディン・ケイフスレヴの時代に完成した、と記されています。

この美しい記念扉の装飾には、人物、動物、植物のモチーフはあまり多く使用されておらず、むしろ幾何学的な図柄で飾られています。ここから入る内庭の中央にたつのが礼拝堂です。

オレスィン ハン
アーズカラハン程近くには、13世紀の末頃に建てられたと想定される隊商宿があります。セルジューク帝国時代に建設された他の宿に比較すると面積520㎡と非常に小規模であり、記念門や壁はかなり激しく損傷を受けている為に、そこから建築された年代を辿っていくのは残念ながら不可能です。

ネヴシェヒル
18世紀初期までムスカラと呼ばれたアナトリアの小さな村ネヴシェヒルの運命は、この地に生まれ、土地の人々と故郷を生涯忘れることのなかったイブラヒム・パシャと共に激変しました。イスタンブールの宮殿でヘルヴァ(菓子の一種)職人の見習いとして働いていた彼は、その真面目さと賢さで頭角を現し、オスマン帝国の最高位にまで出世しました。

スルタン・アフメット三世の治世下で最初は相談役、次にパシャ(総督)となり、皇女ファトマ・スルタンと結婚すると宰相の地位を得ました。パシャの活性化政策をきっかけに拡大を始めた彼の故郷は、“新しい町”を意味するネヴシェヒルと改名されました。

時はチューリップ期、繊細な神経をもつ芸術愛好家イブラヒム・パシャは、自らの資金でモスク、神学校、ハン(商館)、図書館、ハマムを造らせる一方、近郊から新天地を求めてやって来た人々には税の控除を認めて人口を増大させたので町は大いに活気づきました。国有地を一般に払い下げ、郊外には桑畑を設けて、一帯への養蚕業導入にも力を注ぎました。

こうして交易の要所への一歩を踏み出したネヴシェヒルの人口は間もなく17,000人に達しました。彼の没した1730年、建設活動は一旦停滞したとは言うものの、町の重要性はオスマン帝国、トルコ共和国を通して何ら変わることなく、1954年には同名で呼称される県の県庁所在地に指定されています。

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セルジューク、オスマン帝国期の建造物で最も古いものは、イブラヒム・パシャが修復させた町を見渡すセルジューク時代の城塞で、二つの門と塔とで厳しい風情をみせています。

18世紀に建設されたイブラヒム・パシャ学問所はモスク、神学校、図書館、浴場などを包含する総合施設で、最も注目したい建物のひとつと言えます。この施設の中のクルシュンル・ジャーミの内庭入口部には当時の高名な詩人ネディムの詩文が残り、噴水のドームやモスクの内装などにはチューリップ期の特徴が顕著にあらわれています。

アチュクサライ
ネヴシェヒル~ギュルシェヒルの間には、岩を刳り貫いて造った家々、馬屋などが、約1k㎡にわたる範囲に散在するアチュクサライ地区があります。

修道院、隊商宿、軍の施設、大きな居住施設、またはこれらの混在した地区とその使用目的には諸説ありますが、ただ彩色された教会が皆無なことを考慮すると、ここが修道院であった可能性は低くなります。

また、同じ理由、つまり壁画の無い事がら、ここの年代について見解を述べることも困難になってきます。

ハジベクタシ
ネヴシェヒル県の北、ネヴシェヒル~クルシェヒル街道上にある郡の中心ハジベクタシの経済は農業が担っています。高名なベクタシ教団の設立者ハジ・ベクタシ・ヴェリの町として知られ、13世紀に教祖がここに教団を置いたことで宗教色の濃い場所と言え、現在は訪れる観光客も多いです。


ハジベクタシ博物館
ハジベクタシ僧院と西から東へと連なる三つの内庭、その周囲に設けられた様々な施設から構成されています。主要門から入る第一内庭には浴場と洗濯場、及び1897年に造られたウチレルの噴水泉があります。

第二内庭には碑文の記された噴水とアスランルの泉(獅子の泉)があり、対面には現在、調理器具類や大鍋が展示されるかつての貧民救済の為の無銭食堂と、スルタン・マフムットニ世の命による礼拝堂が見られます。

書物によると、1367年に遡る中央の館は、この教えに入信の際、様々な儀式が執り行われた所である為に最も重要な場所とされ、階級を示す上衣など、教団に係わる品々が保存されています。

廟のおかれる第三の内庭には、ベクタシ教団上層部の人々に属する葛籠の他、ハジ・ベクタシ・ヴェリの棺もあります。典型的なセルジュークの廟の特徴を有するここの壁、及び天井には、植物の図柄、文字による装飾が美しく施されています。

カイセリ
カイセリ
エルジェス山の北側斜面、カラス川の灌漑でできた平地の端に位置するカイセリは、今日、織物、砂糖の精製、飛行機の保全などで生計を支える活気ある町です。

歴史の初期から人々が集落を形成し、考古学の専門家達によって発掘された遺跡のキュルテペとエーリキョイ・ホユックは有名です。初期青銅器時代、アッシリア交易植民市の時代、ヒッタイト期に重要な役割を担ったカイセリとその近郊は、後期ヒッタイト時代にタバル国の名で呼ばれていました。

アッシリア等に続き、550年以降はペルシアの支配下におかれてサトラップ制のもとでカッパドキア郡の中心都市として活躍しました。その当時の名を“マザカ”とし、アレキサンダー大王の来訪と共にマケドニアの手に渡りましたが、大王の死後はペルシアに祖をもつアリアラテス族の支配下にしかれ、独立国であるカッパドキア王国の中心としてユーセベイアの名で知られる様になりました。

アリアラテスの勢力はポントス王ミトリダテスがB.C.90年に自らの子息をカッパドキア王として宣言するまで続きました。B.C.66年、カッパドキアは再びローマ人の手中に落ち、長い間ビザンチンの支配下におかれました。アラブの襲撃に際して何度か崩壊の危機に瀕しましたが、1071年のマラズギルトの戦いの後は、セルジューク帝国の要地としてその地位を一時、確立させています。

1097年、第一回十字軍により征服され、以降、ダニシメンオール、セルジューク、そして1243年に勃発したキョシェダーの戦い以降モンゴルに支配され、多くの戦いをくぐり抜けたアナトリアの中心に位置するここカイセリが、最後にオスマンの領土に包含されたのは1515年のことでした。

カイセリの要塞
カイセリ
地理学者ストラボンによると、古代カエサレアの町には城壁がありませんでした。
最初の城壁は東からの脅威ペルシアの襲撃を仮定して建造されたと推測されます。

6世紀の資料によると、有名なビザンチン皇帝ユスチニアヌスの時代に造られ、長きにわたって町を守り続けたこの要塞には、セルジューク、カラマンオール族、オスマン時代に修復、増築の手が入れられました。内外の二重の造りをもち、トルコ軍事建築の最も見事な一例です。

ウル・ジャーミ
資料によると1135年~1150年の間に建築され、約1750㎡の面積で、カイセリで当時最大のモスクでした。ミヒラブ(メッカの方向におかれた壁の窪み)に並行して八つの区画がとられ、二つのドームに覆われています。

ファンド・ハートゥン学問所
アナトリアで最初の、そして最も美しい学問所は、モスク、神学校、ハマム、霊廟を備えた総合施設で、1238年、セルジュークのスルタン・アラエッディン・ケイクバトの母御マフべリ・ハートゥンの命によって建造されています。

クルシュンル・ジャーミ
オスマン帝国お抱えの建築家スィナンが1584年に造らせたと言われる小規模なモスクです。外側をクルシュン、即ち鉛で塗装したドームがその名の由来です。

ドネル・キュンベト
霊廟の町とも言われるカイセリで最も有名な記念墓は、町の南西に位置しています。セルジュークのスルタン・アラエッディン・ケイクバトの娘ジハン・ハートゥンの為に1276年に造られた廟で、動物、植物、幾何学模様を用いた装飾がセルジュークの石細工の美しさを披露しています。

シファイエ学校
1202年~1206年、セルジュークのスルタン・グヤセッティン・ケイフスレヴによって造られ、アナトリアに見られるセルジューク時代の最も古い医学校で病院として特筆に値します。

考古学博物館
各時代の最も美しい作品を以てアナトリア文明を物語るこの博物館は、長く複雑に絡み合ったカッパドキアの歴史を理解する為の手助けをしてくれるに違いありません。 1969年に開館して以来、中央アナトリアの地方博物館として独自の位置を保ってきました。

庭にはカイセリの南で発見されたフラクティンの記念碑の模倣作品があるほか、ヒッタイト時代はギョッルダーの獅子も有名です。展示品として、アナトリアの母神像、ヒッタイトの土器、ヒッタイトの嵐の神を表す浮き彫りなどがあり、ギリシア、ローマ時代に属する作品も一見の価値があります。

スルタンサズルー
カイセリ近郊の鳥の楽園スルタンサズルーでは約251種の鳥が見られます。絶滅の危機に瀕する72種のうち20羽がここで抱卵し、保護下におかれています。また、黒鶴、アオサギ、フラミンゴ、ペリカンなどが同じ場所で抱卵していることでも珍しい場所と言えるでしょう。

ニーデ
要塞の裾野に広がる町ニーデには、セルジューク、オスマン時代のモスク、神学校、霊廟が多く見られます。その長い歴史にもかかわらず、重要視され始めたのは12世紀と遅く、かつてヒッタイト時代には“ナヒダ”もしくは“ニキタ”と呼ばれ、その後 “ニクデ”となり、共和制になってから現在のニーデに改名されました。

町はセルジュークのスルタン・アラエッディン・ケイクバトの時代に修復、再建され、中央アナトリアの要地の一つに成長しました。1333年、アラブの地理学者イヴン・バトゥーダが来訪し、「ニーデがカラマンオール族とモンゴル人の戦いにより、廃墟同然となった」と記しています。

その後、異なる民族の支配下に入り、1470年、征服王スルタン・メフメットの時代にオスマン帝国の領土となりました。
セルジューク、オスマンの歴史を反映する多くの記念碑や建造物の保存状態は良好と言えます。

エスキギュムシ
ニーデの北東にあるギュムシレル村のこの岩窟教会には、ニーデ~カイセリ街道の5kmの地点で東に別れる道を辿って行きます。長い回廊をわたって出るエスキギュムシ修道院の内庭の周りには、様々な用途の為に設けられた小部屋がおかれています。

フレスコ画がビザンチン以前の年代に属することや、テーマも宗教に無関係な狩りの場面などによる事を考えると、ここがかなり古い時代から使われていたと推定することが可能です。

修復作業によって、ここのフレスコ画が三人の画家の手でそれぞれ異なる時代に作成されたことが解明されました。11、12世紀のフレスコ画で飾られるこの総合施設には、一帯の最も大きな修道院の一つがあります。

カッパドキアといえば大人気の熱気球ツアー
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カッパドキアでは多彩なアクティビティを楽しめますが、中でも人気が高いのが早朝の熱気球ツアー。地上から数千フィートの上空で約45分~1時間程度の空中散歩を楽しみつつ、朝日に照らされてオレンジ色に染まった奇岩群が並ぶカッパドキアの絶景を堪能できます。大空に浮かぶ色とりどりの気球をホテルのテラスから眺めるのもおすすめです。

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カッパドキア特有の地形を利用した洞窟ホテル
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見どころが多いカッパドキアはとても1日では回り切れないため、2~3日滞在するのが一般的です。カッパドキアで宿泊するなら、この土地ならではの凝灰岩をくり抜いて造った洞窟ホテルがおすすめ。世界遺産に登録されているエリアで、古代の人々と同じように洞窟の中で寝泊まりするのは、まさにここでしかできない特別な体験です。冷暖房、テレビ、インターネットといった現代的な設備は一通り完備されているホテルが多いので、安心して宿泊できます。

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世界遺産カッパドキアを舞台としたパルムドール受賞の映画『雪の轍』


トルコの巨匠、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の映画『雪の轍』は、2014年の第67回カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルム・ドール大賞を受賞。この映画は、世界遺産カッパドキアを舞台にした作品で、カッパドキアの壮大な景色をバックに、繊細な人間ドラマが美しく描かれています。

(出展; /カッパドキアの歴史と謎を徹底解説|トルコの人気世界遺産→https://turkish.jp › トルコの人気世界遺産)
 

 

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ー時節項追記前日深夜未明迄 ※23日の内容が中心 時節項整理同日、、                        ①   ▷奄美地方 梅雨明け 平年より6日早く梅雨期間も2週間以上短く 11:04    ▷今週後半は再び西~東日本 大雨の恐れ 東京も熱帯夜続く 6:51  > 夜の熱中症に注意、とも    ▷南房総で 床下浸水 21金の大雨で館山にも一時警報 5:00土    ▷広範囲で警報級 大雨恐れ 災害警戒 7:32    【震災関連】▷        ➊   ▶南米チリ 最低気温ー15℃近くまで低下 観測史上最も低い気温更新 11:18    ▶世界最大の湿原 火の手 雨不足で過去最悪ペース~ブラジル 20:33土       ②   ▷移植施設の強化 提言へ 自民議連 7:54    ▷自民総裁選 見据えた動きが 活発化 11:06  > 総理の考えもあの官邸パーディのバ◌息子に地盤を継ぐ事だけだろうな、、    ▷警視庁 NHK党・橘に警告 都知事選掲示板に風俗店ポスター貼り 15:46  > またコイツか!収監して厳罰に処して欲しいが、、   ▷選挙ポスターで 風俗を広告 警告 14:30  > 都民を舐めるな!!(超怒    ▷玉城知事 自衛隊増強 「強い不安」14:38    ▷菅前首相 総裁選への高まる 存在感 15:56  > 安倍首相亡きあと、ボスの麻生氏もイマイチ、、で彼か    ▷自民党総裁選 候補者乱立の可能性も 派閥解散の余波 2:00土    ▷若者の手取「増やす」 蓮舫氏が世田谷・さん原チャや駅前で訴えた理由とは 19:55土    ▷菅前総理 政権交代に危機感 示す 21:56        ➋   ▶フーシ派 「攻撃成功」は虚偽 米軍 11:07    ▶ハマス幹部狙い 攻撃か イスラエル 10:00         ③   ▷ホンダ 50cc以下原付き 生産終了へ 19:27  > 名車カブも終焉か、、    ▷初任給バブル 子育て世代 嘆き 12:11    ▷北の魚サケ👇 香川の特産品に 養殖率低い日本漁業で起爆剤と期待 10:17    ▷えだまめ収穫 助っ人は市職員 人手不足だけでないメリット~埼玉狭山 8:22  > 週8h、月30h以下などの条件付きで副業を認め、若手には人間関係の構築もして欲しいとも、、    ▷日本の株主総会 何故6月 多い 9:48     > 3月決算の3か月後、、米ではショッッピングイベントやカクテルパーティも同時開催するのだとか        ➌   ▶タイBKKーラオス・ビエンチャン 新しい鉄道 7月13土・14日に試運転 21金    ▶通販「Temu」 激安の秘密と 注意点 10:18  > 中国系通販サイト。米ではジュニア急拡大でイーベイを上回っているとも。 でもねえ、此処、書かれていた安い商品がどこを探しても見当たらず、2回DLし即削除していますが。。   ▶中国・敦煌 日本人観光客 熱望 16:10    ▶◭EVと中国 関税巡る協議 開始へ 15:56    ▶NZ 「家畜げっぷ税」取りやめ 農家反発と政権交代で 7:12  > 呼称が…(笑)       ④▷➍▶       ⑤   ▷町田 J1初昇格で 史上初の前半首位 7:25    ▷石川遼 優勝 マイク付けプレー~プレイヤーズ選手権 16:15  > 19勝目、、2差2位から逆転で     ▷アースモンダミンカップ 月曜決着へ 第3R悪天で午後1時スタート 7:34         ➎   ▶◭スケボ・西矢 パリ五輪 出場逃す 9:12        ⑥   ▷JAL機 青森に緊急着陸 怪我なし 20:03  > 喉かな空港も驚いただろうに、、    ▷ジャンボタニシ 大領発生、稲の食害3倍超に 暖冬の影響か 6:30    ▷殺人事件容疑者の映像が 別人 TV局が謝罪~TV北海道 8:01  > ゲ!謝って済む問題じゃないかと    ▷東京女子医大 推薦入試で寄付 受領 7:22       ➏▶       ⑦   ▷女性倒れ 高2女子がスマホ駆使 救助~東京昭島 22:50土  > 拓殖第一高の宮田めいさん(17)と田中杏奈さん(16)が飲食店でのどに詰まらせて倒れた女性を「Live119」でリアルタイム動画を送り消防からの指示を受けて救助したことで表彰、、偉い!        ➐▶     ⑧▷       ➑   ▶地球ではオーロラ 火星で5月の特大「太陽嵐」はどう観測されたか 18:00土22        ⑨   ▷オリ・杉本裕太郎 9番右翼 で先発 日    ▷5連敗中の西武 打線テコ入れ 1番中堅西川、5番一陽川 2試合連続で4番岸潤一郎 22土13:43  > 勝ちました    ▷巨・阿部監「打てないなら練習」 打撃投手務めるも門脇ら若手 無安打 6:00    ▷中 中田翔3戦連続安打無し 細川成也12戦連続打点無し 5:45  > こうなると辛い、打線の奮起を待つしかないかと    ▷神21育D1・伊藤稜 2年8カ月振りライブBP 登板 7:30  > 左肩痛、    ▷フォーム改造の先に遭った落とし穴 1軍登板なき 神・湯浅京己「遠心力で投げるようになっておかしくなった」 7:02    ▷神・大山 復帰後初の4号 空砲終わる 土  > 昨日2安打、今日本塁打、、近本の調子が悪いのが気になるが、、   ▷新庄監 2軍負傷選手の起用 的中 8:54    ⑨【ペナント結果】  《セ》▷広1-2中 ▷De[中止]神 才木  ▷ヤ3-4巨    《パ》▷ロ6-6ソ[延長12回] ▷楽6-2ハ ▷西1-4オ    ⑨【順位表👇;出展:スポナビ】       ➒   ▶大谷 3戦連発 特大23号「いい眺めだった」14:44    ➒【MLB試合結果】   《A》▶WS5-1T▷前田4回2/3 92球8安打3失点 5K 負け● 通算2勝4敗 防6.00  ▶Roy0-6TxR ▶Tw10-2Ath ▶BJ3-6Ga ▶Ori1-5Ath   《N》▶G4-9Kaj ▶Met1-8Cub▷鈴木4DH 4-2 点1盗1 .269  ▶DB1-12F ▶ブリュ4-6Pd▷松井7表3番手 1I 16球1安打1K無失点 付かず 通算3勝2敗8H 防3.82  ▶Nat7-8Roc    《I》▶Ray3-4P ▶マリナ9-0マーリ ▶RS4-3Red▷吉田6DH 4-0 .228  ▶ブレー3-8NY ▶A2-7D▷大谷1DH4-1 点2 本1 .321        ⑩▷➓▶      ⑪【旧J性被害・/芸能関連】   ▷ジャニ当事者の貝 1年 止まぬ中傷 15:59

⑨👉NPB順位《セ》6/23日17:09    第13週後半3戦終了時                                                                                                                                       1 広 33勝27敗4分⑤  ー     次戦25火 ヤ マツダS➌                                                                                                                           2 神 33勝31敗4分①  2         次戦25火 中  倉敷①甲子園➌                  3 De33勝32敗1分③    0.5    次戦25火 巨 新潟①横浜➋                     4 巨 32勝32敗5分       0.5                             5 ヤ 29勝34敗4分②    2.5                       5△中 29勝34敗5分① 0                         
                                                                                                                                                                                                                            
👉NPB順位《パ》 23カード目※👆のセも。 同日17:05更新                      1 ソ43勝19敗3分②   ー     次戦25火 オ 京セラD➌                                                                                              2 ハ33勝29敗4分① 10         次戦25火 西  ベルーナD➌           3 ロ31勝29敗6分①   1      次戦25火 楽 ZOZO➌                      4 楽32勝32敗2分①     1                                    5 オ31勝34敗2分      1.5                                6    西20勝46敗0分①  11.5                                        ※ 勝敗分け後ろの丸数字①~は、雨天中止・移動日などで 未消化数。  付いてない球団が最も消化数が多い。丸数字はそことの消化試合数の差。                  ※ 次戦は翌日日程。そうでない場合は日付表記。※👇                ※ 👉次戦後ろの➋➌は初日からこのカードの連戦数。 ①②は中数日や移動日含みの2戦等変則日程や地方球場遠征や、消化試合など。         ※ 揺れご容赦 <()>  
ー        
                                              
(画像・ 2) 世界遺産、トルコ・カッパドキアの風景  /Veltra カッパドキア 

(画像・ 3) /トルコ中部のオルタヒサル。奇岩群で有名なカッパドキアの一部を成す小さな村である。
 この地のど真ん中に聳え立つのが、ご覧の巨岩。85メートルもの高さを誇るこの鋭い峰は、かつては要塞としても用いられた。だが、現在は周囲も含めて廃墟と化している。
 この岩に設けられた、ほとんどはしごのようなスリル満載の階段を登りつめたなら、そこからはアナトリアの大地を眼下に収めることができる。  カッパドキアの村に屹立する剣の要塞 CleaWeb

                                    (画像・ 4) 地図  / 

(画像・ 6)/ (画像・)/

ー ※以下は時節項画像👇
③👉 (画像・ 5) 北海道が多いと思っていたら東北も、、しかも意外と南部にまであるのですね  /鮭の遡上と人工孵化場マップ Gooニュース
ー 
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