【岡潔の思想】77対話篇 肯定と否定の間4
前回76からの繋ぎ「三つの働きかけ方があるんですね。」
以下続きです。
岡)第一の働きかけ方は、心の中から ―― 第二の心というのは不一不二と云って、二つの第二の心は一面二つだが一面一つというふうになる。
それで第二の心の奥底に深くはいりますと、総ての生物の第二の心は合わさって一つになってしまってる。
つまり心の奥底深く尋ね入りますと、どこまでがその人の心であって、どこからがその人の心ではないということが云えなくなる。それで無量の神々は各人の心の非常な深みに住んでいる。
そしてじかに心の中から働きかける。我々にいろんな考えが起こるのも、少なくとも素晴らしい考えが起こるのは、神々の働きだと、こんなふうに見るんですね。
道元禅師はこの働きかけ方を、
諸仏のつねにこのなかに住持(じゅうじ)たる、各各(かくかく)の方面に知覚をのこさず。群生(ぐんじょう)のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覚に方面あらはれず。
群生の生は衆生という意味ですね。これが第一の働きかけ方。
第二の働きかけ方は、人と生まれて働きかけること。
第三の働きかけ方は、自然の風物と現われて働きかけること。道元禅師はこれを歌に詠んで、
春は花夏ほととぎす秋は月
冬雪冴えて冷(すず)しかりけり
こう云ったとも云える。
第一の働きかけ方と第二の働きかけ方を天つ神、第三の働きかけ方を国つ神と云うんですね。そうすると我々が他(ひと)の素晴らしい行いを聞いて感銘するのも、心に素晴らしい考えが起こるのも、春夏秋冬、晴曇雨風、千変万化の自然に接して感化されるのも、みな神々が働きかけてるんだと云えますね。
だから、まあ外国もそうですが、特に日本がそういうのがよくわかる。
自然のこともよくわかれば、人情のこともよくわかる。それで日本について云いますと、日本の国が歴史あって以後、こんなふうな歴史を経てきて、今日のような有様にあるということは、みな神々がそうしているのだと云おうと思えば云えますね。これは否定出来ませんね。でも肯定も出来ないでしょう。
もう一つ例をあげましょうか。これが肯定と否定の間です。ややおわかりになったでしょう。
※典比古
「心に素晴らしい考えが起こるのも、春夏秋冬、晴曇雨風、千変万化の自然に接して感化されるのも、みな神々が働きかけてるんだと云えますね。」
ワタクシは俳句という文芸に長くたずさわっていますが、「どうして海や空は青く、また夕日は赤く、また山は緑なのか・・・」といつも思います。
この自然界の目に映る色とりどりの四季の移ろいは、ただたんに現象しているのではなく、なにかわれわれの「こころ」を癒すように癒すように働きかけてくれているのではないかと思うのです。
また身体的にどこかに傷があったとしても、じわじわと治っていくのも、なにものかの大いなる力が働いてくれているおかげだと思うのです。
分子生物学者の村上和雄さんは、それを「サムシンググレイト」という言葉で表現されました。
🔶2921年8月10日に道元の時間論の記事を書かせていただきました。
【岡潔の思想】11(道元 其の3)
近くの小糸川の枝垂れ桜です。
もうすぐ開花のようです。 典比古
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a1/6690ad5f445b12dcb4520403ff5020aa.jpg)