今日のテーマは[クォ・ワディス・ドミネ❓]ラテン語です。日本語訳は確か、[主よ、どこへ行かれるのですか❓]何かの出来事に対して、心や体がそれから逃げようとする時、この言葉が浮かんできます。[クォ・ワディス・ドミネ❓]パウロが信徒の助言でローマを離れようとした時、パウロの前を横切る主の姿を見ました。思わずパウロは[クォ・ワディス・ドミネ❓]と、発します。主は、パウロと反対の方向、ローマへ向かって進んでいます。その姿を見た時パウロは意を期して、主の御跡に従い再びローマに向かいます。
私達は自分勝手や、他の人から間違った助言をされた時、そちらに行こうとしますが、それは神の目から見ると逃げだと思います。弱い私もつい、つい自己中心、自分勝手な道をチョイスしようとします。その結果は自己嫌悪や良心の呵責に追われます。その時、イエスさまのこの情景を思い浮かべます。
本当に頭が下がります。
POEM
心の悲しみから逃げようと
私は走り出した
私と反対の路から
主が昇って行かれた
(クォ・ワディス・ドミネ?)
(主よ どこへ行かれるのですか)
振り返り 私も
主と共に昇って行った
主の眼差しを感じていると
何も言わなくても
涙でうなずく事しかできません