山門への階段が踏み切りで遮断されると言う珍しいお寺。
「元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる。」ウィキペディアより
大河ドラマ『平清盛』を見てるのでよくわかる。
保元・平治の乱で同族兄弟親子が敵味方に分かれ殺し合いをした後かろうじて伊豆への流罪ですんだ兄頼朝は猜疑心のかたまりだったのだ。
おまけに鬼嫁がおったし。(笑)
ここに義経が逗留してたのか・・・
ギリシャへ行ったときパルテノン神殿でソクラテスが腰掛けた石に座ったことがありそれから頭脳明晰になった。
が、この弁慶の腰掛石には座る気にはなれなかった。
今さら医者になってもと思ったのだ。
弁慶石→べんけいし→ベンケーシー・・・ばんざ~いばんざ~い。って今の若い人にはわかんね~だろ。(笑)
「元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる。」ウィキペディアより
大河ドラマ『平清盛』を見てるのでよくわかる。
保元・平治の乱で同族兄弟親子が敵味方に分かれ殺し合いをした後かろうじて伊豆への流罪ですんだ兄頼朝は猜疑心のかたまりだったのだ。
おまけに鬼嫁がおったし。(笑)
ここに義経が逗留してたのか・・・
ギリシャへ行ったときパルテノン神殿でソクラテスが腰掛けた石に座ったことがありそれから頭脳明晰になった。
が、この弁慶の腰掛石には座る気にはなれなかった。
今さら医者になってもと思ったのだ。
弁慶石→べんけいし→ベンケーシー・・・ばんざ~いばんざ~い。って今の若い人にはわかんね~だろ。(笑)