東日本大震災から一年が経ちます。
しかし震災と原発事故によって多くの方が未だ不自由な生活を送っています。
先日、東京に住むボランティア部の中学生の女子と話す機会がありました。
被災地の報道を見て同情するだけでなく、行動したかった。
友人とそういった話をしていたと聞きました。
自分たちができること、それを純粋に考えて実行した結果がボランティア部だったのでしょう。
大人も見習いたいことです。
昨年の夏、JR川崎駅で見た光景を思い出しました。
※「優しい時代」2011-7-4参照
その一方で何かにつけて偽善と決めつける青年の意見を聞きました。
不自由な生活をしているのは震災で被害を被った人だけではない、人知れず凍死したり餓死している人が後を絶たないじゃないかと。
確かにアパートで孤独死された方のことを思うと胸が痛むし、そういったことは無くなって欲しいです。
滞納したからとライフラインである電気やガスを真冬に止めてしまう前に生活状況の確認ができなかったのでしょうか。
話を戻しますが、困った人の手助けをしたいと行動する人と自分では動かず人の行いを非難する人とでは違いは明白です。
偽善と思うなら思っていればいい、でも自分では汗を流さず非難するのはいかがなものかと思います。
いろいろな考えの人がいます。
どれが正しい、どれが間違っていると決めるのは難しいことだと思います。
でも、一年前の大震災に心を痛めた方は日本だけではなく、全世界にいらっしゃることは間違いありません。
日本の政府が応援要請をする前から動いてくれた諸外国の救助活動のどこが偽善なのか、僕には疑問です。
今回の写真は震災前、東京で撮影した梅の花です。
花がほころぶように、被災された方々が笑顔でほころべますように。