自走式移動胃袋 ~ The nomadic stomach ~

インドでワシは考えた その4

旅の記録 ~ 20世紀編」から1979年に18歳のワシが行った初の海外旅行の記録と記憶をご紹介デス♪

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3月16日~3月19日/ ジャイプールからアグラ、そしてベナレスへ

ジャイプールから移動してアグラに夜の8時半頃に到着したワシらはリキシャ(人力車)のオッサンに連れられて「Khanna Hotel」に停まることになりました。 部屋のボロさからみると3人で60RPS(1500円)なのでぼられている気配はありますが諦めます。

アグラはタージマハル(写真)で有名な町ですが、それしかアリマセン(冗)
というのは半分は本気ですが、それでも到着の翌日は9時~5時でキッチリと観光します。 何故キッチリかというと、リキシャと交渉して1日借りでアグラ観光することにしたからなのです。



しかし、純白の大理石のみで建てられたタージマハルというのはかなりの凄みがあります。 経験値が低い状態で脳に刻まれたというのはあるのでしょうが、ワシがこれまで見た建物の中で印象に残っているナンバーワンじゃないかと思います。

タージマハル以外にもアグラフォート(城塞)とか廻るなどの観光はしたのですが、アグラにはもともとあまり滞在するつもりはなかったので、ちょうどその日の夕方の指定寝台席(2等)がとれたこともあり、そのままベナレス(バナラッシュ)に移動することにしました。
比較的無難な夜汽車の旅ではありましたが、途中で麻薬Gメンみたいなのが乗り込んできて身体検査をされたのには少し焦りました(笑)
そして、1時間ほど遅れたもののほぼ予定通り(すでにインドに染まってますから、この程度の遅れは気にしません♪)の14時過ぎにベナレスに到着しました。

大観光地であるベナレスはホテルも割高と聞いていましたが、久しぶりに風呂に浸かりたいとのiサンのリクエストで泊まった「Chark Hotel」は 360RPS+charge(一万円弱!)の高料金にビックリです。 観光地価格というのもあるのでしょうが、日本の感覚だとナンでもないのに、なんせ1泊1000円でも高いなぁというような旅だったものですから(笑)
風呂と清潔なベッドで夜もゆっくりとくつろいでリラックスして眠れたようです。

翌朝は5時起床でガンジス河(ガンガ)に日の出を見にいきます。 ところが、雇ったリキシャが道を間違えて日の出を見損なってしまいました(哀)
それでも気を取り直して、船で朝のガンジス河を遊覧することにします。



船といっても2時間・35RPS(900円)のチャーターできるボートですが、かえってヨカッタかも♪
この河は聖地として、沐浴して祈る人々の姿や河岸で火葬して灰を流す光景などが有名ですが、同時に人々の生活にも密着していて、火葬しているすぐ傍らで洗濯や食器洗いをしている人がいるなど全てを許容してくれるかのように混沌としています。
でも、アホバカな日本人団体のメンバーが煽てられてか船から河に飛び込んでいましたが、沐浴されているすぐ近くで大騒ぎするような不謹慎な行為までは許容してくれないと思うのです。 しかも、あの時代ですからおそらく仏教系の団体じゃないのかなぁ…



この町(正確には河)はインドの聖地でもあり、観光地そのものでもあるのですが、小綺麗だったジャイプールやアグラとは違って、インドそのものといった感じの混沌が街中にも渦巻いています。
当然、宿もピンキリがあるので、ほどほどのホテル=名前だけは立派な「Indian Hotel(88RPS)」にお引っ越します。
その後は航空会社のオフィスに行きネパールへと向かうべく、カトマンズ行きの飛行機の手配をします。 無事にチケットも取れたので少しばかり安心してベナレスの町を各々でブラブラします。

夜になってホテルの前で涼んでいると朝とは違うリキシャのオジチャンが来て、夜のガンジス河遊覧を誘ってきます。 面白半分に値切っていくと、ホテルから河の往復と船賃込みで7RPS(200円弱)でいいということになりヒトリで出かけてみました。
朝のガンガとは全く違う雰囲気で、岸での火葬も朝とは違い火が見えるので、少しばかり怖さもあります。
トドメは乗っているボートの傍らに亡くなられたヒトが流れてきたコトです。 船頭さんがお金がないヒトは火葬せずにそのまま流すんだよというような説明=
「リッチマン、ファイヤー(河岸の火葬場を指さす)、プアマン (流れてきた死体を指さす)×××」
をしてくれました。

すっかりこの世の無常を知ってしまったワシ(嘘)は、その後、自称日本人びいきの Indian Hotel のご主人とインドの宗教、政治、経済、そしてカースト制について夜更けまで「軽く」語らいました。 おおまかには彼がかなり上等な英語で彼の思いを話し、ワシがそれに質問するというスタイルで、具体的な内容はほとんど忘れてしまいましたが、カースト制度の中で求められる幸せは何かという彼の思いがしみじみと伝わってきました。
個人的には通りすがりの旅人が気安く論じてよいテーマではないと思います。 でも、彼も通りすがりの若輩の外国人のワシであれば、後腐れがないと思ったのかイロイロと話をしてくれたではないかと思います。

そんなこんなで夜は更けて、日が昇ればインド編パートⅠが終わり、次回からはネパール編になります。

そうそう、なかよしリンクにもベナレス訪問の経験者(彼の場合は、バナラッシュです)がいるので、よろしければこちら(タイトルは無視してね)もどうぞ♪

【インドで考えたコト ③】

この旅、というかインドという国は「騙し騙され」というのが当たり前だし、貧富の極端な格差も目の当たりにして、しかもそれを不思議とも思わないような環境でありました。 又、一方でヒンズー教を中心に仏教等々の宗教が日常に存在する国で、小さな宿のヲヤジが非常に知的レベルの高いヒトであったりする国でもありました。
それまで純粋培養で育ってきたようなワシにはかかる国での旅は刺激の強すぎる日々でありましたが、若さ故なのでしょうか、比較的早い段階でその刺激にも慣れてしまったような気がします。

そんな中で「環境によってヒトの行動基準や幸福の判断基準などイロイロと変わってくるのは面白いなぁ…でも、いくら努力しても報われることがないというのが初めから分かっている世界は嫌だなぁ…でも、努力する必要がないと言われているも同然なので楽でよいのかもなぁ…でも、毎日同じコトの繰り返しも嫌だなぁ…そうか、宿のヲヤジはそれだから自分でイロイロ勉強して考えていたいのではないかなぁ…(延々と続く)」
などと『インドでワシは考えた』のデシタ♪

続く…

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