能見台発・・

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ボストン・横浜・京都

2007-06-29 | 感動
ボストン・横浜といえば、我が能見台にある横浜高校出身の
松坂大輔が先ず頭に浮かぶ。
しかし、京都との関係は恐らくないだろう。
しからば、この3都市に関係する人物はいったい誰か。
それは京都に同志社を創立した新島襄先生である。

新島先生は江戸時代末期、国禁を犯して函館から出国した。
縁あってアメリカ船籍のワイルドロヴァー号にめぐり合い、
船主の住むボストンへたどり着いた。
船主のハーディー夫妻に温かく迎えられ、子供のような扱いを
受けながら10年にわたりボストンで中学校から単科大学、
神学校まで卒業して日本で学校を創る夢を抱いて帰国する。
帰国したときの港が横浜だった。

その間、日本は明治となり、新政府の欧米教育視察団を
迎えた際、通訳を兼ね視察団の一員としてヨーロッパにも
同行し、その後の教育制度の確立に大いに貢献した。
帰国後、森有礼から行政府に誘われたが、私学創立の夢に
こだわり、断っている。

こんなエピソードもある。
勝海舟も新島先生を贔屓にした一人で、ある時尋ねた。
「大学は何年ぐらいで完成するものなのか。」と。
それに対し新島先生は「200年はかかるでしょう。」と
答え、それを聞いた海舟は、これは本物だと感じ、
ますます気に入ったといわれている。
因みに、新島先生の墓石の字は海舟の手によるものである。

昨日、以前住んでいた団地で親しくなった妻の友人お二人を
迎え話がはずんだ。そのうちのおひとりのお嬢さん
K子ちゃん(当時小学生)が最近結婚し、その時の写真を拝見した。
あどけなかった子が素晴らしい美人になっていた。
今会ったら分からないかもしれない。
ご主人の転勤で、今ボストンに住んでおられるという。
K子ちゃんに是非アーモスト大学のジョンソンチャペルの
新島先生の肖像画を見てきてほしいとお母さんから伝えて
もらうようお願いした。

そういえば、私はボストンへは行っていないが、
数年前、ボストンからの合唱団を迎え、フィリップスアカデミーの
ウイリアム・トーマス氏の指揮で、「メサイア」を一緒に歌った。
これで私も、ボストン・横浜・京都の仲間入りが出来たことには
ならないだろうか。

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